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本編

02.出会い

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 辛くなったら戻って来るのよ。どんなに忙しくても適度な休息は必要よ。少なくとも月に2回は手紙をちょうだい。

 100騎の隊列を組んだ馬の前で、同じ話を何度も何度も繰り返され、敬愛する母といえどもいささか疲れてきた。そんなに心配するのなら、どうにか兄を説得して欲しかった。
 列をなす騎士たちも暇を持て余し、呆れ顔を隠せずにいる。

「いい?ハミルトンに嫌な事をされたらすぐに報告なさい。私は彼の従妹だから、文句の1つや2つや100個くらい、いくらでも訴えてあげるからね。」

 100個は多いです。

「無理せず体に気を付けるのよ。」

「母上、分かりましたから落ち着いてください。」

 涙を浮かべる美しい人の両肩に手を置いた。

「体調管理には万全な注意を払いますし、手紙も書きます。道中も無理なく計画的に進みますので、出立してもよろしいでしょうか。」

「え~ん冷た~い!」

 あざとい子供じみた泣き真似も、母ならひとしお愛らしい。
 自ら産んだ娘でもないのに、ここまで愛してくれているのだ。実子である兄と同様に扱ってくれる。感謝しかない。

 宝石で飾った母の手を取り、その甲に口づけを落とした。

「母上の従兄様の為に、懸命に務めて参ります。母上も、どうかお体にお気をつけてお過ごしください。」

 ルビーのような瞳を潤ませる母の手を離し、颯爽と馬に跨った。
 今しかない。有無を言わさずこのまま出立しよう。

「行ってまいります。」

 クリスタル!と再び呼びかけられたが、私は聞こえなかったふりをして馬を走らせた。足音で後続もしっかりついて来ていることが分かる。
 カッソニア邸の敷地を越え、完全に見えなくなったところで速度を落とし、そして止まった。

 私のすぐ後列の騎士、副隊長のエルガーが心配そうに口を開いた。

「クリスタル様、この速度では物資を乗せた馬車がついて来れません。」

「だから止まったでしょう。」

 ぴしゃりと返すと、もう1人の後列騎士、補佐官ダンが吹出して笑った。

「あっははは!ホント愛されてますよね、クリスタル様は。」

 喜ばしいことではある。あるのだが、母には申し訳ないが、じりじりと予定時刻が過ぎていた為、ああでもしないともっと遅れてしまう所だ。

 頭を抱えるように、前髪に隠れる額を撫でた。

「それに比べて、閣下は酷いです!クリスタル様を田舎に送る上に、見送りもしないなんて。」

 不満を隠そうともしないダンをじろりと睨み付けた。

「田舎が嫌ならメンタムここに残ればいいだろ。指名されたのは私だ。無理してついてくることはない。」

「何を言うんですか!俺はどこまでもクリスタル様について行きます!」

「それなら文句を言うな。これは当主の決定だ。」

 それに、外まで見送りに来なかったとはいえ、執務室で激励の言葉は貰った。
 形式的ではあったが、それで満足するべきだ。

「クリスタル様、アーチボルド様は決して貴女を邪魔に思って派遣するわけではありません。」

 エルガーは父に仕えていた子爵の息子で、幼い頃から兄と親交があった。それこそ私がカッソニア家に入った時には、既に兄の親友だった。
 なぜ田舎送りの騎士隊などに志願してきたのかは分からないが、兄の右腕としても忠実で有能である為、兄の味方とはいえ私としてはありがたい。

「うん、そう願ってる。」

 曖昧な言葉で返すと、エルガーは少し困った顔をした。

 兄の言う通り、ネッサ領は田舎とはいえ、シューリス家の長男であるハミルトン様が治める地。その地の手伝いをするのは意義のある仕事であるし、ハミルトン様も礼を尽くすべきお方だ。

 最初こそ戸惑いはしたが、5日の間に心の整理はできていた。

 後方ではようやく荷馬車が追いついたらしく、その知らせと共に今度は常歩で行進する。
 まだ離れてもいない故郷の町が、既に懐かしく感じた。過ぎ去っていく賑やかな景色。いつ戻ってこられるのかも分からない。

「伯爵様にお目に掛かったらサイン貰おうかな。」

「ダン、お前のような者、相手にされるか。」

「きっと大丈夫ですよ、副隊長!伯爵様とアンスウに駐在したことがあるっていうベテランの先輩が、気の良い方だったと言っていた!」

「それは礼儀のなった先輩だったからじゃないか?5歳児のようなお前とは話が違う。」

「なんでちゅって?!」

 後ろから聞こえてくる間の抜けた会話を聞き流しながら、ネッサ伯を思い浮かべる。

 私が初めてジネス王国の英雄ハミルトン・シューリス様、現ネッサ伯爵にお目に掛かったのは、父の葬儀の時だった。
 シューリス家らしい金髪とルビーのような瞳を持っており、痩せ細ってはいたものの、かつての英雄さながらの、獅子のような雰囲気を醸し出していた。
 ひと言ふた言、言葉を交わしたような気もするが、あの日の事はよく覚えていない。

 王国の英雄と讃えられた屈強な戦士が、下半身マヒで動けなくなるというのは、どのような気分なのだろう。
 一瞬にして、武力も、得た地を護る権力も、次期侯爵としての継承権も失ったのだ。地獄のような日々を過ごしたに違いない。
 そう考えると、元から庶子で父を護れずに左遷された私など、大したことないようにも思えた。

 流民の為に、自分を見限った家族に助けてほしいと頭を下げたのだ。ダンの言う通り、きっと気立てが良く尊敬できるお方に違いない。
 精一杯お仕えしよう。

 そう心に決めてカッソニア領を後にしたのだが、3日後、実際にお会いしたハミルトン様は気立てが良いどころか底抜けに明るく、随分と陽気で気安い方だった。

 ネッサの集落地域を通り過ぎ、樹々が生い茂る山の上に、雄大な古城がそびえ立っていた。
 歴史を感じる石造りの城壁はなかなかに迫力がある。粛然と襟を正し、城門を潜った。

 居城もまた石造りだが、ところどころ手を加えられ、増築、修繕されている様子もうかがえる。
 そのエントランスには既にハミルトン様が出迎えて待っており、車椅子からにこやかに手を振ってきた。さらさらと獅子のごとく外はねしている白金色の髪が手の動きに合わせて爽やかに揺れている。

 私たちは直ちに馬から降り、ハミルトン様の前に馳せ参じ、片膝をついた。

「クリスタル・カッソニア、並びに100騎隊、只今参上致しました。」

「ああ、そういう堅苦しいのはこの田舎には似合わないから、楽にしてくれ。」

 この城を見てしまうと単純に田舎とも思えなかったが、言われた通り立ち上がった。

「クリスタル卿、よく来てくれた。カッソニア家も大変な時だというのに、駆け付けてくれてありがとう。」

「痛み入ります。本日より誠心誠意お仕えさせて頂きます。」

「よろしく頼む。俺のことはハミルトンと呼んでくれ。閣下は呼ばれ慣れない。」

「承知致しました、ハミルトン様。」

 ハミルトン様がくすりと笑った。なぜかは分からなかったが、元からずっと笑顔だった為、気にしないことにした。

「ではショーンに部屋まで案内させるから、今日は荷を解いてゆっくりしてくれ。」

 そう言うと、ハミルトン様は執事に顔を向けた。背筋をぴんと伸ばした年配の彼がショーンらしい。

「クリスタル卿には1番良い部屋を用意してあるな?」

「はい、城主の間を。」

 聞き間違いだろうか。
 思わず声を上げそうになったが、自分の耳の方を疑い留まった。

 よし、と満足そうに頷くハミルトン様を見て、じわりと額に汗が滲む。

「失礼致します。少しよろしいでしょうか?」

「どうした、クリスタル卿?」

「今、何の間と仰ったのでしょうか?」

「城主の間だ。」

 さらりと言ってのけた。

「え?!いえ、どうして、そんな、ハミルトン様は……。」

 あまりの驚きでうまく言葉を紡ぐことができない。

「ああ、俺の居住棟は別にあるんだ。」

 こんなに立派な居城があるのに。

「1階部分はところどころ改装したが、2階は上がるのも面倒でな。」

 そうか、車椅子だから。

「何より広すぎて面倒くさい。」

 唖然とした。そんなセリフを初めて耳にしたからだ。
 しかもそのセリフを吐いたのが、大家門出身の貴族だとは。

「普段は使用人たちしか使ってないとはいえ、準備はしっかりさせたし、君たちに仕える使用人も本家の方から揃えてもらったから不便はないと思うが、何かあったら遠慮なく言ってくれ。」

 遠慮しか出てこない部屋に何を言えというのか。

「ハミルトン様、僭越ながら、別のお部屋をご用意頂いてもよろしいでしょうか?騎士たちと同じでも構いません。」

「なぜだ?城主の間は良い部屋だぞ?俺も子供の頃に入ったことあるが、広いし景色も良い。」

「身に余ります。」

 きっぱりとそう言うと、ハミルトン様は少し考える様子を見せた後、眉尻をハの字に下げて、背まで長く伸ばした金色の襟足を寂しそうに撫でた。

「慣れないなりに、頑張ってもてなしの準備をしたのだが……迷惑だったか?」

 妙に罪悪感を煽られる上目遣い。ここで断ったら失礼に当たるのだろうか。
 相手は王国西部を統べる大貴族の長男。変な緊張感から心臓が鼓動を速めた。

「め、いわくではありませんが、お、お気遣いいただく必要は……。」

「良かった!迷惑でないのならぜひ用意した部屋を使ってくれ!」

 先程とは打って変わって、輝かんばかりの満面の笑み。有無を言わさない圧を感じるのは気のせいだろうか。
 結局私は「はい。」という返事以外、選択肢が存在しないのだ。

 私たちはそれ以上何も言わず、素直に執事ショーンさんについて行った。

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