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私が候爵に付き添って街を見て回った夜、シャールナーは頗る機嫌が良かった。
理由は単純。
私が不在の間に、婚姻してからシャールナーが自ら手掛けた温室に父を招待して、2人きりで過ごしたらしい。
サーディッド家の機嫌を気にしている父は、さも気疲れしたことだろう。
それに対して、シャールナーは「聞いてください。」と嬉しそうに笑顔を見せて、ベッド上の隣のスペースをとんとんと叩いた。
3週間も経つと2人で過ごす寝室にも慣れてきて、シャールナーには秘密だが、私にとって毎日の楽しみになっていた。
私は人と会話が続かず、友人と呼べるような人もいない。
けれど、シャールナーは違う。
彼女は話題に事欠かず、私のつまらない返答にも言葉に詰まる態度にも、呆れるどころか楽しそうに笑ってくれた。
その爛漫のような笑顔から出てくる言葉の中には、剣先のように尖っているものもあったが、それにすら心が弾むのだから、シャールナーの話術には感服する。
私は、彼女が示した通り、彼女の隣に腰を下ろした。
彼女の話は、招待した父が温室へ入ってきたところから始まった。
「ようこそ、おいでくださいました。どうぞこちらへ。」
彼女が下手な作り笑いを浮かべた父を丸テーブルに案内すると、父は「素敵な温室ですね。」と溢したらしい。
シャールナーは喜んでいるが、お世辞に違いない。
私も何度か温室に招いて貰ったことがあったが、あそこはご婦人方が好まれるような、一般的な温室とは少し違う。
毒草と毒花だらけで怪しい雰囲気を放ち、植物の説明を受けているだけで具合が悪くなる場所だった。
「まずお茶をどうぞ。ラディム様の為に、気管支に良いものをご用意しました。」
「これはこれは、痛み入ります。」
父が穏やかに微笑んだと言うのだから驚く。
「こうやって緑に囲まれるとお体も休まりますし、ラディム様の体調も快方に向かうことでしょう。」
「シャールナーさんはお優しいですね。」
「いつまでもそんな他人行儀な呼び方をなさらないでくださいな。お気軽に、シャールナーと。」
「はは、分かりました。シャールナー。」
「ようやく敬称無しで呼んでもらえました。」
「良かったですね。」
両頬を手で隠すシャールナーに、私はくすりと笑みを溢した。
「その後はどうしたんです?」
うふふ、と妖艶な笑顔を見せる彼女が、お茶だけで済まさなかったことは明白だった。
「ラディム様、せっかく植物に囲まれているので、私のお気に入りをご紹介してもよろしいですか?」
「ぜひ。」
快く頷いた父に、シャールナーはツタの葉を2枚ほど手渡したらしい。
お気に入りという割に、よく見る珍しくもない葉だ。
きっと父も不思議に思ったのだろう。その葉を手に取り、まじまじと観察したようだ。
シャールナーに好かれる為に、気の利いたことでも言いたかったのかもしれない。
しかし、そんな言葉は出なかった。
「このツタの葉の、どんなところがお好きなのですか?」
「木に巻き付いているので、ただのツタに見えるかもしれませんが、これはツタウルシといいます。」
「…ウルシ?」
「はい、ツタウルシです。ぱっと見は似ていますが葉の形が違います。」
「ウルシと名に付いているのに、触れても大丈夫なのですか?」
「はい、大丈夫です。」
シャールナーは父の手を包むようにして、存分に葉を擦り付けたという。
「こうやってたくさん触れてもかぶれるだけで、死にはしませんよ。」
怖。
「ラディム様ったら、慌てて私の手を離して立ち上がったの。」
たぶん誰でもそうなる。
「あの驚きと恐怖の入り混じったお顔、可愛かったわ。」
「そ、そうですか。」
自分で自分の顔が引きつっているのが分かる。
今日は朝食以来、父と顔を合わせていなかったが、父の手は今頃どうなっているのだろう。
というか、それならシャールナーもその毒草に触れたのでは。
彼女の手を取り、その手の平を確認したが、いつもと変わらず白く美しいままだった。
「貴女は大丈夫だったのですね。」
「手袋をしていましたもの。ツタウルシを素手で触る人なんかおりませんよ。」
うふふ、と上品に口に手を当てるシャールナー。
怖。
「ラディム様にもちゃんとお薬を塗りましたので、ご心配なさらないでくださいね。」
「ああ、そうなのですね。少し安心しました。」
もし酷い症状が出ていたら、父の機嫌は地の底へ落ち、そのイライラは私に向けられることだろう。
ほっとしたはずが、うふふと笑うシャールナーを見ると、どうも気が休まらない。
父の手はみるみる赤くかぶれたそうだ。
葉を擦り付けられた手の平は一面水ぶくれとなり、他の箇所にも点々としたりミミズのように腫れ上がったらしい。
父は咳が酷くなり、かぶれの痛みと相まって、酷く苦しそうな顔をしていたと、シャールナーは喜んだ。
すぐにメイドに薬を持って来させ、彼女は自ら父の手に薬を塗ったようだ。
無骨な手に浮かび上がる赤がとても綺麗で、何度もその赤に指を這わせてしまったと言うが、ついその実を潰して、ジュクジュクとした中身を出してしまったと言うのだから、這うというような優しい触れ方ではなかったのだろう。
その度に父が苦痛の表情を浮かべたのは言うまでもない。
「ゴホッゴホッ、なぜ私にこんな仕打ちをなさるのです?」
「私の好きなものを、ラディム様と共有したかったのです。」
満面の笑みを浮かべるシャールナーを、容易に想像できた。
「うふふ、綺麗な手。」
彼女がそう呟くと、父は反射的に彼女の手から自身の皮膚がただれた手を引き抜いたらしい。
彼女の性癖に気がついたのかもしれない。
唖然とした顔を見せて、逃げるように退散したようだ。
昼間のことを思い出しながら、恍惚とした表情を浮かべる彼女を見たら、彼女の父、サーディッド候爵のことを思い出した。
侯爵邸から逃げ出したらしい侯爵夫人を想って、今の彼女と同じ顔をしていた。
「す、少し、堪えた方が良いのでは?侯爵夫人のように、父が出ていってしまったら困ります。」
なぜ困るのだろう。
そうなれば、もおう暴力を受けることも無くなる。
しかし、せっかく良い環境で療養できているのだから、もし出ていって体調が悪化してしまっては大変だ。
父の暴力は母がいなくなってから始まった。
そしてそれが、私が母に似ているせいだろうと見当もついていた。
あんな母親の真似をするな。お前は本当に母親にそっくりだな。よくそう言われていたから。
父にはずいぶんと辛い思いをさせていたのだろう。
だからといって暴力が許されるわけではないが、私が批難できるわけもなかった。
「あらまあ、逃げられては困りますね。」
「そうでしょう?父は体も弱いのですから、抑えてくださいシャールナー。」
「それは…忍耐力が試されますね。」
彼女は口元に拳を当て、むぅっと唸った。
珍しく口を尖らせる姿に、私はくすっと頬が緩んだ。
「候爵夫妻は仲直りできたのでしょうか。」
ぎしっとベッドを鳴らして横になり、幾何学模様の天蓋を見つめた。
候爵と夫人の間には、子が4人いる。その中でシャールナーは3番目の長女だった。
夫人があのサディストの候爵と、どうやって長い間暮らしてきたのかが、単純に気になった。
「仲直りなんてすぐですよ。」
「え、そうなのですか?」
逃げ出すほどのことをしたというのに?ますます不思議だ。
「お母様はお父様にメロメロですもの。」
「閣下が、ではなく?」
「ええ、お母様が、です。」
ドMなのだろうか。
そう思ったが違ったらしい。
シャールナーも横になり、私の隣で枕に頭を沈めた。
妖しく細められた淡いグリーンの瞳が、宝石のように美しい。
「お父様のハントモードは凄まじいですよ。」
「ハントモード?」
え、狩り?
「上のお兄様が付けた呼び名ですけれどね。ふふ、獲物を虜にする為に、欲しがっている言葉を欲しがっている通りに与えるのです。」
ざわり。なぜか胸に不安の風が吹いた。
「あの綺麗なお顔で、これでもかというほど優しい声色を使って、甘言を囁くのですよ。」
「そ、そうですか。」
「ミランも気をつけないと、獲物にされちゃいますよ。ふふ。」
どきどきと動悸が鳴る。
今までの候爵の温和で寛大なあの態度、まさかハントモードではないだろうな。
いや、きっと自意識過剰だ。
私ごときにそんな大層なことをするわけがない。
私の緊張感に反し、ゆるゆるとあくびをしたシャールナーは、「おやすみなさい。」と微笑んで、ランプを消した。
暗闇の中、私の鼓動だけが大きく鳴っているようだった。
理由は単純。
私が不在の間に、婚姻してからシャールナーが自ら手掛けた温室に父を招待して、2人きりで過ごしたらしい。
サーディッド家の機嫌を気にしている父は、さも気疲れしたことだろう。
それに対して、シャールナーは「聞いてください。」と嬉しそうに笑顔を見せて、ベッド上の隣のスペースをとんとんと叩いた。
3週間も経つと2人で過ごす寝室にも慣れてきて、シャールナーには秘密だが、私にとって毎日の楽しみになっていた。
私は人と会話が続かず、友人と呼べるような人もいない。
けれど、シャールナーは違う。
彼女は話題に事欠かず、私のつまらない返答にも言葉に詰まる態度にも、呆れるどころか楽しそうに笑ってくれた。
その爛漫のような笑顔から出てくる言葉の中には、剣先のように尖っているものもあったが、それにすら心が弾むのだから、シャールナーの話術には感服する。
私は、彼女が示した通り、彼女の隣に腰を下ろした。
彼女の話は、招待した父が温室へ入ってきたところから始まった。
「ようこそ、おいでくださいました。どうぞこちらへ。」
彼女が下手な作り笑いを浮かべた父を丸テーブルに案内すると、父は「素敵な温室ですね。」と溢したらしい。
シャールナーは喜んでいるが、お世辞に違いない。
私も何度か温室に招いて貰ったことがあったが、あそこはご婦人方が好まれるような、一般的な温室とは少し違う。
毒草と毒花だらけで怪しい雰囲気を放ち、植物の説明を受けているだけで具合が悪くなる場所だった。
「まずお茶をどうぞ。ラディム様の為に、気管支に良いものをご用意しました。」
「これはこれは、痛み入ります。」
父が穏やかに微笑んだと言うのだから驚く。
「こうやって緑に囲まれるとお体も休まりますし、ラディム様の体調も快方に向かうことでしょう。」
「シャールナーさんはお優しいですね。」
「いつまでもそんな他人行儀な呼び方をなさらないでくださいな。お気軽に、シャールナーと。」
「はは、分かりました。シャールナー。」
「ようやく敬称無しで呼んでもらえました。」
「良かったですね。」
両頬を手で隠すシャールナーに、私はくすりと笑みを溢した。
「その後はどうしたんです?」
うふふ、と妖艶な笑顔を見せる彼女が、お茶だけで済まさなかったことは明白だった。
「ラディム様、せっかく植物に囲まれているので、私のお気に入りをご紹介してもよろしいですか?」
「ぜひ。」
快く頷いた父に、シャールナーはツタの葉を2枚ほど手渡したらしい。
お気に入りという割に、よく見る珍しくもない葉だ。
きっと父も不思議に思ったのだろう。その葉を手に取り、まじまじと観察したようだ。
シャールナーに好かれる為に、気の利いたことでも言いたかったのかもしれない。
しかし、そんな言葉は出なかった。
「このツタの葉の、どんなところがお好きなのですか?」
「木に巻き付いているので、ただのツタに見えるかもしれませんが、これはツタウルシといいます。」
「…ウルシ?」
「はい、ツタウルシです。ぱっと見は似ていますが葉の形が違います。」
「ウルシと名に付いているのに、触れても大丈夫なのですか?」
「はい、大丈夫です。」
シャールナーは父の手を包むようにして、存分に葉を擦り付けたという。
「こうやってたくさん触れてもかぶれるだけで、死にはしませんよ。」
怖。
「ラディム様ったら、慌てて私の手を離して立ち上がったの。」
たぶん誰でもそうなる。
「あの驚きと恐怖の入り混じったお顔、可愛かったわ。」
「そ、そうですか。」
自分で自分の顔が引きつっているのが分かる。
今日は朝食以来、父と顔を合わせていなかったが、父の手は今頃どうなっているのだろう。
というか、それならシャールナーもその毒草に触れたのでは。
彼女の手を取り、その手の平を確認したが、いつもと変わらず白く美しいままだった。
「貴女は大丈夫だったのですね。」
「手袋をしていましたもの。ツタウルシを素手で触る人なんかおりませんよ。」
うふふ、と上品に口に手を当てるシャールナー。
怖。
「ラディム様にもちゃんとお薬を塗りましたので、ご心配なさらないでくださいね。」
「ああ、そうなのですね。少し安心しました。」
もし酷い症状が出ていたら、父の機嫌は地の底へ落ち、そのイライラは私に向けられることだろう。
ほっとしたはずが、うふふと笑うシャールナーを見ると、どうも気が休まらない。
父の手はみるみる赤くかぶれたそうだ。
葉を擦り付けられた手の平は一面水ぶくれとなり、他の箇所にも点々としたりミミズのように腫れ上がったらしい。
父は咳が酷くなり、かぶれの痛みと相まって、酷く苦しそうな顔をしていたと、シャールナーは喜んだ。
すぐにメイドに薬を持って来させ、彼女は自ら父の手に薬を塗ったようだ。
無骨な手に浮かび上がる赤がとても綺麗で、何度もその赤に指を這わせてしまったと言うが、ついその実を潰して、ジュクジュクとした中身を出してしまったと言うのだから、這うというような優しい触れ方ではなかったのだろう。
その度に父が苦痛の表情を浮かべたのは言うまでもない。
「ゴホッゴホッ、なぜ私にこんな仕打ちをなさるのです?」
「私の好きなものを、ラディム様と共有したかったのです。」
満面の笑みを浮かべるシャールナーを、容易に想像できた。
「うふふ、綺麗な手。」
彼女がそう呟くと、父は反射的に彼女の手から自身の皮膚がただれた手を引き抜いたらしい。
彼女の性癖に気がついたのかもしれない。
唖然とした顔を見せて、逃げるように退散したようだ。
昼間のことを思い出しながら、恍惚とした表情を浮かべる彼女を見たら、彼女の父、サーディッド候爵のことを思い出した。
侯爵邸から逃げ出したらしい侯爵夫人を想って、今の彼女と同じ顔をしていた。
「す、少し、堪えた方が良いのでは?侯爵夫人のように、父が出ていってしまったら困ります。」
なぜ困るのだろう。
そうなれば、もおう暴力を受けることも無くなる。
しかし、せっかく良い環境で療養できているのだから、もし出ていって体調が悪化してしまっては大変だ。
父の暴力は母がいなくなってから始まった。
そしてそれが、私が母に似ているせいだろうと見当もついていた。
あんな母親の真似をするな。お前は本当に母親にそっくりだな。よくそう言われていたから。
父にはずいぶんと辛い思いをさせていたのだろう。
だからといって暴力が許されるわけではないが、私が批難できるわけもなかった。
「あらまあ、逃げられては困りますね。」
「そうでしょう?父は体も弱いのですから、抑えてくださいシャールナー。」
「それは…忍耐力が試されますね。」
彼女は口元に拳を当て、むぅっと唸った。
珍しく口を尖らせる姿に、私はくすっと頬が緩んだ。
「候爵夫妻は仲直りできたのでしょうか。」
ぎしっとベッドを鳴らして横になり、幾何学模様の天蓋を見つめた。
候爵と夫人の間には、子が4人いる。その中でシャールナーは3番目の長女だった。
夫人があのサディストの候爵と、どうやって長い間暮らしてきたのかが、単純に気になった。
「仲直りなんてすぐですよ。」
「え、そうなのですか?」
逃げ出すほどのことをしたというのに?ますます不思議だ。
「お母様はお父様にメロメロですもの。」
「閣下が、ではなく?」
「ええ、お母様が、です。」
ドMなのだろうか。
そう思ったが違ったらしい。
シャールナーも横になり、私の隣で枕に頭を沈めた。
妖しく細められた淡いグリーンの瞳が、宝石のように美しい。
「お父様のハントモードは凄まじいですよ。」
「ハントモード?」
え、狩り?
「上のお兄様が付けた呼び名ですけれどね。ふふ、獲物を虜にする為に、欲しがっている言葉を欲しがっている通りに与えるのです。」
ざわり。なぜか胸に不安の風が吹いた。
「あの綺麗なお顔で、これでもかというほど優しい声色を使って、甘言を囁くのですよ。」
「そ、そうですか。」
「ミランも気をつけないと、獲物にされちゃいますよ。ふふ。」
どきどきと動悸が鳴る。
今までの候爵の温和で寛大なあの態度、まさかハントモードではないだろうな。
いや、きっと自意識過剰だ。
私ごときにそんな大層なことをするわけがない。
私の緊張感に反し、ゆるゆるとあくびをしたシャールナーは、「おやすみなさい。」と微笑んで、ランプを消した。
暗闇の中、私の鼓動だけが大きく鳴っているようだった。
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