2 / 27
1(2)
しおりを挟む
父の寝室ではさっそく治療が施されていた。
主治医によれば、病ではなく毒物による症状だと診断し、既に母の指示で騎士たちが調査を始めているらしい。
父は高熱にうなされてはいるものの、命に別状はないとのことだった。
その代わりと言ってはなんだが、症状が軽くて少ない為、毒物の特定が難しいらしい。解毒薬を複数処方していた。
僕は、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す父の汗を、額にあった濡れタオルで拭い、濡らし直してから額に戻した。
「すぐ良くなりますよ。しっかりご養生ください、父さん。」
父の世話をしていた執事とメイドに、もし急変したらすぐ呼ぶようにと伝え、今度は母の部屋へと向かった。
2人の部屋はそれぞれ離れた位置にある。
それもそのはず、おしどり夫婦として名高い2人は、普段は顔を合わせることすらしない、仮面夫婦だからだ。
外面を保っているというだけなら、そんなに珍しくもないだろう。
問題なのは、互いに命を狙っているということだ。
邸宅内の使用人まで、侯爵派と夫人派で別れている始末。
実際に食事に毒を盛るなんてことも何度もあった為、専属シェフまで2人いる。
バカバカしい事この上ないが、こんな状態がもう10年以上も続いている。
そして僕は、そんな2人から溺愛されて育ったのだ。
さて、母のご機嫌はいかがだろうか。
ノックをして、僕です、と声を掛けると、すぐにドアは開かれた。
夫人派の執事長とメイドもいた。
母は花柄の可愛らしいソファに座り、落ち着いた様子でハーブティーを飲んでいた。
光いっぱいのスイセン畑を連想させる髪をふわりと揺らし、空色の瞳を細めて僕を小手招く。
とんとんとソファの空いたスペースを示され、その通り母の隣に腰掛けた。
「ご気分はいかがですか?」
「すこぶる良いわ。」
母は贔屓目なしで見ても美しい。その甘美な声も、男の性を擽るのだろう。
社交界では人妻ながらも男の視線を独占していた。
社交界デビュー目前、16歳という若さで父と結婚していなければ、きっと婚姻の申し出が後を絶たなかったに違いない。
くすくすと嬉しそうに笑う姿を見て、僕も頬が緩んだ。
「見たでしょう?あの苦しそうな顔。笑いを堪えるのが苦しくて、涙まで出てきたわ。」
「ふふ、満足ですか?」
「まさか。あんなもので今までの恨みが帳消しになんかならないわ。」
母はそう言いながらも、正直スカッとしたけれど、と続けた。
「でも、まぁ、死ななくて良かったわ。」
これは意外な言葉だった。
母、セシール・ウェップは本気で父の死を望んでいた。そうして早く僕に跡を継がせて、ウェップ家を乗っ取ろろうとしていたのだ。
僕が去年、成人してしまったので、当主代理になる計画は頓挫してしまったけれど。
ともかく父の死は、母の利だった。
なんだかんだ情が湧いたのだろうか。そう思ったがすぐに違うと分かった。
「これは、わたくし以外に彼が死んで得をする人間がいるということだもの。」
そういうことか。
「たくさんいるでしょうね。」
親戚の中にもいるくらいだ。
「そうね。でも、誰が何の目的でやったのかを探らなければ。わたくしたちにとって損なことでは困るもの。」
わたくしたち、と言うが、僕は別に父の死を望んではいない。
父の愛も受けているし、母のような野望も無い。
「そういえば、パーティーの後始末を押し付けてしまってごめんなさいね。いつもフォローしてくれて、本当に助かるわ。」
母は僕の頬を撫でた。
「それは当然のことなので大丈夫ですが。」
すみません、と謝ると、母は小首を傾げた。
「今日は伯母が任せろというので、一任してしまいました。」
「そう、じゃあ、エイヴリルがまだいるの?」
すうっと母の目が冷えていくのが分かる。
「はい。ヒューゴの分と、3階西の2部屋を用意させました。」
警戒するのも当然だ。伯母は父の死を喜ぶ者の筆頭だから。
しかし母はそうとは言わず、僕の頭を撫でた。
「ヒューゴもいるのね。じゃあ今日は夜更しする気ね?」
バレましたか、と笑うと、母もふふと笑った。
「お酒を飲み過ぎないように気をつけて。」
素直に「はい。」と返事をしておく。
僕にはどこまでも甘い母が、それだけではない人だということを知っている。
きっと母は、伯母を警戒するように、ヒューゴのことも警戒しているのだろう。
「ではそろそろ失礼しますね。母さんもゆっくり休んでください。」
お休みなさいと微笑む母の頬にキスをして、部屋を出た。
その後は母に言い当てられた通り、ヒューゴと酒を嗜みながら夜更かしをした。
撞球室で玉を撞き、互いの家の愚痴をこぼし、今後のことを話し合った。
主治医によれば、病ではなく毒物による症状だと診断し、既に母の指示で騎士たちが調査を始めているらしい。
父は高熱にうなされてはいるものの、命に別状はないとのことだった。
その代わりと言ってはなんだが、症状が軽くて少ない為、毒物の特定が難しいらしい。解毒薬を複数処方していた。
僕は、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す父の汗を、額にあった濡れタオルで拭い、濡らし直してから額に戻した。
「すぐ良くなりますよ。しっかりご養生ください、父さん。」
父の世話をしていた執事とメイドに、もし急変したらすぐ呼ぶようにと伝え、今度は母の部屋へと向かった。
2人の部屋はそれぞれ離れた位置にある。
それもそのはず、おしどり夫婦として名高い2人は、普段は顔を合わせることすらしない、仮面夫婦だからだ。
外面を保っているというだけなら、そんなに珍しくもないだろう。
問題なのは、互いに命を狙っているということだ。
邸宅内の使用人まで、侯爵派と夫人派で別れている始末。
実際に食事に毒を盛るなんてことも何度もあった為、専属シェフまで2人いる。
バカバカしい事この上ないが、こんな状態がもう10年以上も続いている。
そして僕は、そんな2人から溺愛されて育ったのだ。
さて、母のご機嫌はいかがだろうか。
ノックをして、僕です、と声を掛けると、すぐにドアは開かれた。
夫人派の執事長とメイドもいた。
母は花柄の可愛らしいソファに座り、落ち着いた様子でハーブティーを飲んでいた。
光いっぱいのスイセン畑を連想させる髪をふわりと揺らし、空色の瞳を細めて僕を小手招く。
とんとんとソファの空いたスペースを示され、その通り母の隣に腰掛けた。
「ご気分はいかがですか?」
「すこぶる良いわ。」
母は贔屓目なしで見ても美しい。その甘美な声も、男の性を擽るのだろう。
社交界では人妻ながらも男の視線を独占していた。
社交界デビュー目前、16歳という若さで父と結婚していなければ、きっと婚姻の申し出が後を絶たなかったに違いない。
くすくすと嬉しそうに笑う姿を見て、僕も頬が緩んだ。
「見たでしょう?あの苦しそうな顔。笑いを堪えるのが苦しくて、涙まで出てきたわ。」
「ふふ、満足ですか?」
「まさか。あんなもので今までの恨みが帳消しになんかならないわ。」
母はそう言いながらも、正直スカッとしたけれど、と続けた。
「でも、まぁ、死ななくて良かったわ。」
これは意外な言葉だった。
母、セシール・ウェップは本気で父の死を望んでいた。そうして早く僕に跡を継がせて、ウェップ家を乗っ取ろろうとしていたのだ。
僕が去年、成人してしまったので、当主代理になる計画は頓挫してしまったけれど。
ともかく父の死は、母の利だった。
なんだかんだ情が湧いたのだろうか。そう思ったがすぐに違うと分かった。
「これは、わたくし以外に彼が死んで得をする人間がいるということだもの。」
そういうことか。
「たくさんいるでしょうね。」
親戚の中にもいるくらいだ。
「そうね。でも、誰が何の目的でやったのかを探らなければ。わたくしたちにとって損なことでは困るもの。」
わたくしたち、と言うが、僕は別に父の死を望んではいない。
父の愛も受けているし、母のような野望も無い。
「そういえば、パーティーの後始末を押し付けてしまってごめんなさいね。いつもフォローしてくれて、本当に助かるわ。」
母は僕の頬を撫でた。
「それは当然のことなので大丈夫ですが。」
すみません、と謝ると、母は小首を傾げた。
「今日は伯母が任せろというので、一任してしまいました。」
「そう、じゃあ、エイヴリルがまだいるの?」
すうっと母の目が冷えていくのが分かる。
「はい。ヒューゴの分と、3階西の2部屋を用意させました。」
警戒するのも当然だ。伯母は父の死を喜ぶ者の筆頭だから。
しかし母はそうとは言わず、僕の頭を撫でた。
「ヒューゴもいるのね。じゃあ今日は夜更しする気ね?」
バレましたか、と笑うと、母もふふと笑った。
「お酒を飲み過ぎないように気をつけて。」
素直に「はい。」と返事をしておく。
僕にはどこまでも甘い母が、それだけではない人だということを知っている。
きっと母は、伯母を警戒するように、ヒューゴのことも警戒しているのだろう。
「ではそろそろ失礼しますね。母さんもゆっくり休んでください。」
お休みなさいと微笑む母の頬にキスをして、部屋を出た。
その後は母に言い当てられた通り、ヒューゴと酒を嗜みながら夜更かしをした。
撞球室で玉を撞き、互いの家の愚痴をこぼし、今後のことを話し合った。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる