人の身にして精霊王

山外大河

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五章 絶界の楽園

ex 利用価値のメリット

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 そして夜が明け朝がやってくる。

「……流石に夢だなんて都合のいい事はないか」

 目が覚めて見えてきたのは天井だ。青空でもなくエイジもいない。誰もいない。
 昨日起きた一連の出来事は現実で、決して夢ではあってくれない。
 とりあえずベットから降りて体を伸ばし、部屋の電気を付けた。

「……これからどうしよう」

 朝目が覚めて改めて何をするべきかを考えると、朝食を取るなどの事よりもまずエイジが目を覚ましたかを確認するべきだという風に考えが纏まった。
 だけど昨日この施設内を移動する際には誠一か茜が隣りにいた訳で、今自分が一人で行動しても大丈夫なのかがはっきりしない。自分にとって此処は完全にアウェイだ。そう軽々しく行動はできない。
 昨日茜はまた明日来ると言っていたし、茜が来るのを待つべきだろうか。
 そんな事を考えていると、部屋のドアがノックされる音が耳に届いた。

「……茜さんかな?」

 だとすれば本当にタイミングがいい。
 そんな事を思いながらエルはドアの前へと向かい、部屋の扉を開ける。
 だけどそこに居たのは思っていた人物ではない。

「やあやあ、駄目元で来てみたが、どうやらとてもタイミングが良かったらしい」

「あ、えーっと……おはようございます、霞さん」

「ああ、おはよう」

 そこに居たのは白衣を着た二十代半ば程の女性。この組織に属する医者らしい牧野霞だ。
 缶を手にして現れた霞はそのままエルに尋ねる。

「急で悪いのだが、時間、あるかな?」

「あ、はい……まあありますけど」

 自分一人で動く事を選択肢から外せば、後は茜を待つくらいしかする事が無い。だから時間はあると思っていいだろう。

「ああ、なら良かった。だったらとりあえず部屋へ入れてもらってもいいかな?」

「別にいいですよ。どうぞ」

「うむ、ありがとう。断られたらどうやって入ろうかと考えていたが無駄に終わったな」

「そんな事考えてたんですか?」

「冗談だよ。あ、いや、本当に冗談だから、その辺は信じてほしい。お姉さんはそんなつまらない事を考える暇があればもっと有意義な事を考えてるさ」

 だから、と霞は言う。

「今から私と有意義な話をしようじゃないか」

「は、はぁ……」

 とりあえず具体的にどんな話かは分からないが、特別断る理由もない。部屋に入ることを許した以上、返答は自然とこうなる。

「いいですよ。とりあえず中に入ってください」

「ではお邪魔するよ」

 そう言いながら霞は部屋の中へと足を踏み入れる。

「昨日は眠れたかい?」

「ええ、まあ」

「なら良かった……ちなみに彼も同じだよ」

「エイジさん……ですか」

「ああ。君が起きていて話ができれば必ず聞かれると思ってね。一度確認してから来たんだよ。ああ、後これは私からの手土産だ。飲みたまえ」

 そう言って霞は二本の缶をエルに見せる。

「左手がとても苦いやつ。右手がこれコーヒーって言うの無理ありすぎじゃねえ? って、くらい甘い奴だ」

「甘い方でお願いします」

「この触れ込みで迷わずこちらを選択するとは……さてはキミ、甘党だな?」

「そりゃ苦いコーヒーなんて飲めるわけないじゃないですか」

「コーヒー本来の味全否定だな……まあいい」

 霞はそう言いながら椅子に座り、背もたれに体重を預けるようにしながら足を組む。
 そしてブラックコーヒーの缶を開けながらエルに言う。

「別に私はコーヒーの話をしに来た訳じゃないんだ。それはまた次の機会にしておこうか」

(……次の機会あるんだ)

 エルはそんな事を考えるが口にはしない。
 そしてやがて思考回路からもその話題を消し去る。

(それより……なんの話なんだろう)

 朝から態々起きているかどうかも分からない相手に話を持ちかけに来たのだ。まさか雑談ではあるまい。
 ……きっと重要な話の筈だ。
 そして話は本題の話へと切り替わっていく。

「じゃあ本題に移ろうかね。まあ簡潔に言えば、私はキミに頼み事をしにきたんだ」

「頼み事?」

「ああ、頼み事だ。他の誰にもできない。キミにだからこそできる頼みだよ」

 ……イマイチ見当が付かない。
 自分にしかできない事はなにか。そんな事は簡単には浮かんでこないし、浮かんだとしてもエイジをなんとかする事へと繋がってしまう。
 彼女が態々早朝から頼みに来る様な事ではない。エイジ以外の誰かにできる様な事は今は思いつかない。
 そして結局答えは浮かばないまま、答えが告げられる。

「単刀直入に言うよ。少しキミの事を調べさせてほしい」

「しら……べる?」

「少し研究に付き合ってほしいという事だよ。精霊という存在に対する研究のね。私は医者であり精霊学の研究者でもあるんだ」

「……ッ」

 その言葉を聞いて、思わず立ち上がって身構えた。
 精霊の研究。そんな事に良い印象など今のエルには持てない。
 憶測でしかないが、精霊加工工場の設備やアンチテリトリーフィールド。精霊の力を封じ込める枷に精霊に危害を加える様な要素。それはきっとほぼ全て人間が精霊を研究した末に生まれた物だ。
 そうとしか思えないから……そんな事には簡単に頷けない。
 そして霞の方も二つ返事で頷いてくれるとは思っていなかったらしい。あくまで想定内という風に態度を崩さず言葉を紡ぐ。

「まあそう怖い顔するな。お姉さんビビって話ができなくなる」

 そんな事を全く変わらぬ様子で口にした霞はエルに言う。

「恐らく向こうの世界での精霊の研究なんて事は、相当に酷い物なのだろう。向こうの世界の事情を断片的に知った今ならそれは理解できるよ」

 だけど、と霞は言う。

「此処は向こうの世界じゃない。少なくとも精霊に対してそんな危ない薬でもやってる様な反応を示す者はいないんだ。同じ事柄にしても何もかもが変わってくると思うのだがね」

「……」

 確かにそうだ。
 向こうの世界の人間とこの世界の人間は明確に違う。思考回路の作りがまるで違うのだ。それ故に先入観を強く持って話を聞くべきではないのかもしれない。
 だけどそれは抑えきれなくて、少しばかりの警戒心を宿しながら霞に問う。

「……具体的に、何を知りたいんですか」

「お? 話を聞いてくれる気になったかね」

「聞くだけ聞きますから教えてください。あなたは私を使って何を知りたいんですか」

 その問いに霞は一拍、自身の考えを纏める様に間を空けてからエルに言う。

「私達は精霊のデータを暴走中の精霊と遺体からしか採取できていない。キミの様にまともな精霊のデータを一切持ち合わせていないんだ。だから取る。取って照らし合わせる」

「……照らし合わせる?」

「既に持っているデータとね。こうする事で何が分かると思う?」

 そうする事によって何が分かるか。
 少しそれを考えて、エルなりの一つの答えに辿り着いた。

「……精霊が暴走する原因の究明」

「正解だ。キミのデータを得られれば知る事ができるかもしれないのだ。止められるかもしれないのだ。暴走した精霊がこの世界を壊す事も、そうする精霊を殺す事も。あんなどうしようもない悲劇を止められるかもしれないのだよ」

「……」

「信用してもらえるかは分からないがね、非人道的な事はしないさ。これから世界と一緒に救おうとしている相手を蔑ろにしていては本末転倒だからね」

 具体的にどうやってそのデータを収集するのかは分からない。だけど言っている事が決して酷く歪んでねじ曲がった物ではない事は理解できる。
 そして……そうした発言をする者の様に、いびつな視線は向けられない。
 あくまで対等の様に。対等の立場の者に物事を頼み込むような視線をエルに向けてくる。
 ……どうしようか。
 おそらくこの組織の人間にとってそのデータは喉から手が出る程欲しい物の筈だ。この世界の人間が
どういう人達かを考えればそれは分かる。
 そしてこちらの了承を得なくてもそういう事ができる立場の筈なのに、それをせずに選択をこちらに委ねている時点で、こちらを蔑ろにする様な意思がないのも分かる。
 ……一人の精霊として、精霊の犠牲を止めるべきなのも。分かるのだ。
 だったら……少しくらいは協力してもいいのではないだろうか?

「どうかね。君がどうしても嫌だというなら無理強いはしないが」

「……酷い事とか、しませんか?」

「ああ、しないよ。採血とかはするだろうから、ほんの少し痛いかもしれないがね」

「……だったら、いいですよ」

 エルは霞の頼みに頷いた。
 そしてその返答を聞いた霞は微笑を浮かべる。

「そうか。本当に良かった。頑なに断られる可能性も考えていたからね。一体どうやって説得しようかと考えていたのだが、どうやら無駄骨だったらしい」

 そう言いながら霞は缶コーヒーを飲みほしてからエルに言う。

「とにかくこれで問題の根本的な解決への第一歩に加え……当面の間のキミの安全を確保できた」

「それってどういう……」

「誠一君が茜ちゃんか……もしくは荒川辺りから話は聞かなかったか? 私達はこうしてキミの味方でいるつもりだし、どちらかといえばだなんて曖昧な者も含めれば、この組織の人間の多くはキミの味方と言ってもいいだろう。だがな……それは総意ではない」

 ……そうだ。その話は誠一から聞いていた。
 私怨でこの組織に所属している様な人間もいると。

「そうした人間にキミの……そうだな、言い方は非常に悪くなるが、利用価値。利用価値のを認識させればそれが抑止力になる。人道的な感情論も大事だが、こういう事は感情論の穴を埋めてくれる」

「なるほど……」

「まあそういう訳だ。まあ詳しい話はまた後日だ。すぐに始められる様な事でもないし……それに、そろそろ茜ちゃんが来るかもしれん」

「……来たら問題なんですか? というかそもそもどうしてこんな朝早くにこの話をしに来たんですか?」

 すぐに始められないなら緊急性があったとも言えないだろう。こちらの身を守る為というならば嬉しいが、どうやらそういう訳でもないらしい。
 少しだけ顔を俯かせて霞は答える。

「問題を根本的に潰す。利用価値を示してキミを守る。そんな言葉を並べてもね……結果的にキミを利用しようとしている事もまた間違いではないんだ。そんな話は……あの子の前でしにくいからね」

「……」

「ただ、それだけの理由だよ。まああの子にもどこかのタイミングで言わないといけないのは分かっているのだが……後は、そうだね。彼が眠っているうちに話を済ませたかったんだ」

「……エイジさんの事ですか?」

「ああ……彼もまた、この話に対して何を言ってくるか分からないからね」

「……そうですね」

 実際どうなのだろうか。
 もしこういう研究に手を貸す事をエイジが知ったとして、エイジはどんな反応を示すだろうか。
 例えば霞の提示してきた内容が非人道的なもので、だけどエル一人の犠牲で他の精霊全てを救う事が出来る様な、そんな物だったら。
 エイジは、一体どんな反応を示すだろうか。
 そんな事を考えながら、エルは手にしたコーヒーを飲みほした。
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