人の身にして精霊王

山外大河

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五章 絶界の楽園

ex 閉ざされた退路

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 時刻は遡り、絶界の楽園へと飛んだ直後の事。
 自分達は絶界の楽園へと辿り着いたのだと、地下駐車場に辿りついた直後のエルは素直に思う事が出来なかった。
 それはこの世界へと飛ぶ精霊術を使用するその瞬間もその後も、否定したい可能性が不安となってずっと脳裏に残っていたからかもしれない。
 残っていたからこそ、それを目にした時に色々な情報が容易に繋がったのかもしれない。

「これって確か……ひらがな?」

 彼女の記憶の片隅に、視界の先に駐車された軽自動車のナンバープレートに記された文字と数字は残っている。
 エイジとの旅が始まってすぐの事。列車に乗るために訪れたレミールの町の宿屋でエイジに文字を教え始めた時、エイジの居た世界の文字の事も聞き、教えてもらった。その中の一文字がそこに記されていた。
 そしてその文字が視界に移っているという事がどういう事なのか。それは自然と理解できた。できてしまった。

「……ッ」

 不安を抱えてこの世界と飛び、辿り着いた先でそういう代物を見つけてしまう。それは自然とその不安が現実になった事を早い段階で認知させてきて、まだ確定していない物事までも自然と決めつけてしまう。
 どうやら屋内らしい現在地の外。そこで一体何が起きているのか。その事を確認しなくてもおおよその予測ができてしまう。一瞬自分が大丈夫なのだから他の皆も大丈夫なのではないかとも考えたが、あの精霊加工工場でのアンチテリトリーフィールドなどが良い例だ。自分が大丈夫だからだなんて楽観的な考えはできない。
 だからたとえ視認していなくても、きっと起きている現実を受け止めなくてはならない。
 だけどそれでも、そう考えていても事を否定するために……そしてエイジと合流するために足を動かす事にした。
 そしてほんの少し動かしたところで、視界の先に人影が見えた。

(人間……ッ)

 そしてエイジではない。
 黒いロングコートを着た青年が三人、上層階から降りてきた三人は明らかにこちらに視線を向けて接近してくる。
 内二人は武器を構えて。

「……ッ」

 即座に肉体強化を発動。臨戦態勢を整える。
 だけどすぐに攻撃を放たなかったのは、こちらに向かってくる三人がこちらに向けてくる視線が、明らかに自分がよく知っている人間達からほど遠いものだったからか。
 厳密には違うが、精霊を資源として見る人間よりは、エイジやシオンが向けるような視線に近い。
 そしてロングコートの人間はある程度の間合いに近づくだけで、その武器を向けはしても振るいはしない。自分の知る人間達ならば止まる事はせず即座に攻撃してくることを考えると、向けられた視線も相まってエルを困惑させ、攻撃を踏みとどまらせる。
 そして硬直状態が始まった直後、銃の様な物をこちらに向けていた男が、中心に立つ武器を持たない少年に声を掛けた。

「……報告通りだな土御門。明らかに他の連中とは感じが違う」

 ……土御門。その言葉には聞き覚えがある。

(……まさかこの人)

 土御門誠一。
 エイジとの旅の中でも何度も名前が出てきたエイジの親友。外見から見て取れる年齢を考えるに、その可能性は高く思える。
 そして高く思えるからこそほぼ確信していた仮説の信憑性を限界まで引き上げる。
 そして限界まで引き上げた信憑性が、困惑の元がほんの少しだけ紐解いて行く。
 ……きっと自分のいた世界の人間とは精霊の見え方が違う。エイジがそうだったように、エイジと同じ世界の人間ならばその可能性は十分に考えられる。
 十分に考えられる時間を、エイジと過ごしてきた。
 そんな風に色々と察しがついた。
 そしてそうして付いた察しも、この後現れたエイジとエルの予想が的中し本人であることが確定した土御門誠一との会話を聞いて、仮説が完全に確信へと移り変わった。
 全部、全部的中した。嫌なほどに的中した。
 だけどそんな中で、今まですぐにある程度状況を認識できていたエルが、一つだけ理解できなかったことがある。
 最も理解しなくてはいけない。理解したいと思っている人間の事。

「アイツらを助ける方法を思いついたんだ。頼むエル。協力してくれ」

 そう言うエイジは、厳密に何がとは言えないが、何かがおかしかった。
 酷い状況だ。誰だって精神的に追い込まれるのは理解できる。だけどそういう状態であるようにも見えて、そういう状態とも何かが違っている様に思えた。
 それが何なのかは分からない。だけどそれがあまり良いことではない事は理解できた。
 そしてその何かが一体何なのか。それが分かったのはこの直後。

「それでもやるんだ、成功させるんだ。アイツらをこんな酷い状況に追いやったのは俺なんだから……助けないと」

 その表情を、その声音を見て聞いて理解した。
 精神的に追い込まれている。それはきっとその通りだ。そしてその先に何かがあったわけではないのだとエルは思った。
 追い込まれる。その度合いが外の状況を知ってその目で確認したくなくなっている程に重苦しい気分になっている自分のソレとは比べものにならない物だった。そういう事が表情から、声音から。そしてもしかすると刻印からも伝わっていたのかもしれない。

「どうなるか分からないんですよ! 例え精霊術が使えたとしても、一人にしか使えないって事には絶対に理由がある筈なんです! それが何なのかは分からないですけど……でも、何が起きるか分かんないのにそんな――」

「頼むよ……エル」

 反論はした。だってエイジのやろうとしている事がどんなリスクを生むか分からないから。止めざるを得なかった。
 だけど止めながら、そしてそのエイジの返答を聞きながらふと脳裏を過ったのは普段のエイジが行動の軸としている事。
 正しいと思ったことをやる。
 今の状況がエイジにとって正しい事なのか。それは間違いでなくそうではないと言える。
 だけどこの世界に飛ぶ事を決めたエイジは一体どう考えていただろうか。きっとそうする事を正しいと思っていたに違いない。
 ……だとすればだ。
 正しいと思ったから自分を半殺しにした相手を助けた。
 正しいと思ったから平和な生活を捨て国営の施設を襲撃し、テロリストと同等の行動を取ってでも捕まっている精霊を助け出した。
 それだけの事をさせる程。エイジにとってその軸は……その誇りは。強い存在だったのだ。
 そうさせる程の誇りに背を押され、正しいと思ってやった事がもし間違っていて。間違っていただけならまだしも、それが取り返しの付かない様な事になったら。一体エイジはどう感じるだろうか?
 きっとそれは常人が失敗した時の物とは比べものにならないだろう。背を押していた力と同等かそれ以上の負荷が、エイジに圧し掛かってしまう。
 実際、圧し掛かり始めているから、そんな酷い有様になっているのだろう。
 本人がどこまで気づいているのかは分からないが、一緒にいたエルなら理解できる程に壊れかかっているのだろう。

(……駄目だ)

 エイジの行動はあまりにもリスクが多すぎる。何が起きるか分からない。
 だけど何もしなければ。このままエイジが皆を助けるためにとった行動が裏切られ続け、全てが終わってしまったら。それこそもう終わる。押しつぶされてしまう。
 今はきっと自身の喉にナイフを突きつけているような、そんな状態だ。
 それが容赦なく突き刺さる。自分で自分を潰してしまう。
 誇りに潰されてしまう。

(……そんなのは絶対に駄目だ)

 きっと壊れかかったエイジを助けてあげるには、他の皆を。ヒルダを、アイラを、リーシャを。そしてナタリアを。全員残らず助け出さないといけない。
 つまりは退路なんてどこにもない。
 自分に何ができるのか。具体的な事は分からなけれど、せめてエイジを引き留める事は止めなければならない。

「……分かりました」

 だからエイジの要求を呑むことにした。

(……絶対に助けて見せる)

 自分の一番大切な人が窮地に陥ったらその時は自分が助けると。そう誓ったのだから。
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