69 / 431
三章 誇りに塗れた英雄譚
9 新聞
しおりを挟む昼食時の飲食店は混む。それは何処の世界もきっと変わらない。
だからまあ、人が並んでいる店に入るのが一番良い。それでおいしい物に有り付ける。
「どんぐらい掛るかな?」
「まあ気長に待ちましょうよ」
思い返せば、しばらく前まではこういう事も出来なかった訳だ。
人の列に並ぶ。店内に溢れる人の中でこうして待機するなんて事を、今のエルは普通にやれている。
表面上そこに怯えた様な様子は無く、話しかけられればぎこちないものの、人に溶け込む分にはもうなんの心配も入らない。一月でここまでになった。
……それだけこの世界の人間の人間に見せる態度が、精神的な意味で良い方に作用したのだろう。例えそれが偽りで、枷の一つを壊してしまえば再び歪んだ物へと変わるとしても、今向けられている視線は、人間不信の精霊が溶け込める程優しい物だ。
俺はそっとエルに視線を向ける。
まだ完璧とは言えないけれど。例えば仮に何かがあって、俺が居なくなったとしても。エルは無事に此処から先の旅を続けて行けるだろう。
もっとも行けると思うだけで行って欲しい訳じゃない。こんな楽しい時間を手放したくは無い。本当に余程の何かが起きない限り、そんな事には絶対にならないだろう。
……何かって。何なのだろうか?
俺に何か不幸な事でもあった時だろうか。
人間なんていつ何時何があるか分からない。今、俺は精霊術を扱えるし、肉体強化を使っていればそう簡単に死んじまう事は無いだろう。だけど常に不測の事態は起こり得るし、やはり未来なんて読めたもんじゃない。
だけどそれでも、その何かが起きない様に予防線を張っておくことは出来る訳で、楽しい旅を続けて行くためにも色々な情報なんてのを仕入れた方が良いのだと思う。
知識の有無で様々な事が左右されるからな。
……思い立ったが吉日だ。
俺は待合席に座りながら、近くの棚に置かれていた今日の新聞を手に取る。
……今思えば、この世界に来て初めて新聞を手にした気がする。
元よりあまり新聞は見ない。高校に行く前に朝のワイドショーを少し見て、残りはインターネットのトップページに表示されるニュースを見るだけ。あまり自分から触れる機会も無かった。今じゃテレビの番組表ですらテレビで確認できるしな。
「……よし、読めるな」
まずはそれに安堵する。色々と新聞は小難しい事が書かれてある印象があるが、俺の語学力はその文章が小難しいという事を読みとれる程度には発達してくれた様だ。
「もう完璧ですね」
「いや、まだ分かんねえぞ? どっかで詰まるかもしれねえ」
そんな会話を交わしながら、俺は軽く新聞に目を通して行く。
なんというか……平和的なニュースばかりだ。
俺の居た世界の新聞は、あまり読まない俺でも三面記事なんかに碌でもない事件の事が書かれたりしている事は分かっている。考えてみれば、毎日何処かで胸糞悪い事件が起こっていて、その内の何かが新聞に載っている訳だ。
それがこの世界の新聞には無い。本当に平和な紙面。
俺達の世界の新聞からそういう暗い側面が取っ払われた様な。そんな紙面。
……この様子じゃ、本当にあんな事は滅多にないんだろうな。
アルダリアスのホテルで受けた、一般人も巻き込んだ襲撃事件。ああいう類の事件が起きれば恐らく報道される事を考えると、本当に何も起きていないんだ。
……この調子なら、その何かが起きるなんて事は無さそうだな。
実際この一カ月、何も起こらなかった訳だし。
そんな調子で、パラパラと捲って行く。
そしてそのページも流し読みし、次のページをめくった瞬間だ。
「あ、二名でお待ちのセト様。お席の方空きましたのでどうぞー」
店員が順番待ちの名簿に書き込まれた俺の名前を読んで来た。
「呼ばれましたよ、エイジさん」
「ああ」
俺はそう返して新聞を棚に戻し、立ち上がる。
何度も言うが本当に平和な記事だった。読んでいて不快になる様な事がまるで無い。
……最後に一瞬だけ見えた、ページを除けば。
「……どうかしましたか? エイジさん」
テーブル席で正面に座るエルが、そんな事を聞いてくる。
「いや、何でもないよ。とりあえずさっさと注文しちまおう」
……何でもないのかどうかは、殆ど何もわからないまま片付けてしまったから分からない。だけどきっと何でも無くは無いのだろうという予想は自然と立てられた。
少なくとも見出しだけは覚えている。
『精霊加工工場。ようやく再稼働』
……そんな見出しが何も無いとは、流石に思う事が出来なかった。
昼食でドリアを食した後、俺達は今日の宿を探し始めた。
その途中で本屋の前に差し掛かったところで俺はエルに了承を得て、その中で新聞を探した。
「あ、それ買うんですか?」
「まあ中途半端に読んじまったし……目の前で立ち読みしてる奴が店主に嫌な目線を向けられてるのを見る限り、立ち読みする訳にもいかんだろ」
……雑誌はともかく新聞位立ち読みさせてやれよと、嫌な視線に気付き逃げ出した客に同情しつつも、先程と同じ新聞を購入して店を出る。
「それにしても、中途半端に読んだ続きが気になるって事は、余程興味を引く様な事が書かれていたんですかね? そういえばあの時も少し難しそうな顔してましたし」
「そんなんじゃないよ。ただ読みかけの物を中途半端で止めるってのもなんだかなって思ってさ」
嘘だ。俺はそんな細かい事は気にしない。漫画などを読んでいても、つまらなければ中途半端でも読むのを止める。故に真っ赤な嘘。
本当の事をエルの前で言える訳が無い。
例えそれがどんな内容であろうとも。エルにとっては望ましくない記事である事には間違い無い筈だから。
「マジメですね」
「マジメなんです」
そんな嘘交じりのやり取りを交わしつつ、俺達の宿探しは続く。
やがて宿を見付けた俺達が、まず何をしようかという話になって出てきた結論は、一旦シャワーを浴びようという事だ。
一応此処まで短距離ながらも歩いてきた訳で、別に風呂に何度入っても減る物じゃない以上、入っておこうという風になった。
そんな訳でエルは今シャワーを浴びていて、俺は部屋に一人で居る形になる。
「……さて」
流石にエルのいる前であの記事を読もうとは思わなかった。読んではいけないと思った。
だったらタイミングは今だろう。
とりあえずエルが戻ってくる前に、あの記事を読み切る。
そして俺は新聞を開き、件の記事に視線を落として読み進めて行く。
徐々に徐々に。嫌悪感を蓄積させていきながら。
0
お気に入りに追加
369
あなたにおすすめの小説
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
おっさんの神器はハズレではない
兎屋亀吉
ファンタジー
今日も元気に満員電車で通勤途中のおっさんは、突然異世界から召喚されてしまう。一緒に召喚された大勢の人々と共に、女神様から一人3つの神器をいただけることになったおっさん。はたしておっさんは何を選ぶのか。おっさんの選んだ神器の能力とは。
せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
食うために軍人になりました。
KBT
ファンタジー
ヴァランタイン帝国の片田舎ダウスター領に最下階位の平民の次男として生まれたリクト。
しかし、両親は悩んだ。次男であるリクトには成人しても継ぐ土地がない。
このままではこの子の未来は暗いものになってしまうだろう。
そう思った両親は幼少の頃よりリクトにを鍛え上げる事にした。
父は家の蔵にあったボロボロの指南書を元に剣術を、母は露店に売っていた怪しげな魔導書を元に魔法を教えた。
それから10年の時が経ち、リクトは成人となる15歳を迎えた。
両親の危惧した通り、継ぐ土地のないリクトは食い扶持を稼ぐために、地元の領軍に入隊試験を受けると、両親譲りの剣術と魔法のおかげで最下階級の二等兵として無事に入隊する事ができた。
軍と言っても、のどかな田舎の軍。
リクトは退役するまで地元でのんびり過ごそうと考えていたが、入隊2日目の朝に隣領との戦争が勃発してしまう。
おまけに上官から剣の腕を妬まれて、単独任務を任されてしまった。
その任務の最中、リクトは平民に対する貴族の専横を目の当たりにする。
生まれながらの体制に甘える貴族社会に嫌気が差したリクトは軍人として出世して貴族の専横に対抗する力を得ようと立身出世の道を歩むのだった。
剣と魔法のファンタジー世界で軍人という異色作品をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる