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11 独占欲とご褒美
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◇◇◇
鷹保は今日も別邸の窓から、ハナがマスターの自転車の後ろに乗って駆けていく所を見ていた。
しかしハナは、今日はいつもと雰囲気が違っていた。
それから幾時間が経って、寝支度を整えた鷹保はベッドに寝転んだ。しかし、その光景を思い出しては胸がモヤモヤして寝付けない。
鷹保は夜更けにも関わらず別邸を出ると、ガゼボのベンチに横になった。
もう随分と、ハナともここで話していない。
頭上で星がまたたいている。今夜は月が明るい。ふわりと、夜風が鷹保の頬を撫でてゆく。
「おひいさんは、私のものだろう……?」
ぽつりと独り言ち、そんな言葉が漏れたことに苦笑した。
すると、なにやら門の辺りが騒がしいことに気づいた。
――記者か。もう来たか。
ハナがマスターに自分の秘密を漏らした。それをマスターが記者にリークした。きっとそうだ。もう、中條家も終わりかもしれない。
鷹保は億劫ながらに門戸まで向かうと、なぜかハナが夜警に捕らえられていた。その目は潤んでいる。ハナも大概、自分に恰好悪いところばかり見せるなと、面白くなる。
彼女を引き取り門に入れてやると、ハナは必死にマスターの色仕掛けに乗ってしまったことを詫びた。
――ああ、やはりそうだったか。
諦めと絶望。もう終わりだ。中條家の行く末を想像しながら、鷹保は悲しき笑みを浮かべる。
それなのに。
「でも、私、鷹保様に『秘密だ』と言われたことは、一切漏らしていないですから!」
鷹保は一瞬目を見張った。ハナがあまりにじっと自分を見つめるので、いつもの笑みを顔に貼り付けようとした。
けれど、なぜか心が彼女を愛しいと思い、口元と同時に目元が綻んでしまった。
――こんなのは、二度目だ。
鷹保は胸が高鳴るのを感じた。どうしようもなく、彼女が愛おしい。
これは、恋という媚薬のせいだけではない。自分の秘密を守ってくれた、彼女だからだ。
けれど、自分は公爵で彼女は女中。この気持ちは、バレてはいけない。
鷹保は平静を装って、ハナに告げた。
「そうかい、そうかい。それじゃあ、そんなおひいさんには褒美をやらないといけないねえ」
そう言ってようやく胸が落ち着いて、いつもの笑みを顔に貼り付けることができた。けれども、ハナの方が普通ではない。
月明かりだけでも分かるくらいに、ハナの顔が真っ赤になっている。
「し、し、失礼します!」
ハナは急いで使用人棟へ駆けていく。鷹保はそれを見送って、自分も別邸に戻っていった。
「……鷹保、様」
部屋に入ろうと別邸のドアノブに手を掛けた所で、なぜか戻ってきたハナが控えめに言った。見れば、もじもじと申し訳無さそうに体をくねらせる。
「どうした? 私が恋しくなったのかい?」
からかうように目を細めれば「ち、違いますっ!」と前のめりで否定される。
「使用人棟の戸口の鍵が閉まってて、入れなくて……鷹保様なら、何とかしてくれるのではないかと、思いまして……」
威勢がいいと思えば、もじもじと恥じらう。
先程まで恋人に騙されていたと泣いていたとは思えない。強かな女だ。
――ああ、面白い。
「それなら今夜はこちらへどうぞ、おひいさん」
鷹保はわざと西洋のおとぎ話の王子のように、腰を折り左手を胸に当て、右手でハナの手を優しく取った。
使用人棟の鍵など、じいやの部屋の窓を3度叩けば開けてもらえる。けれど鷹保は、ハナがどんな反応をするのか、もう少し知りたくなった。
いつものように微笑めば、ハナは頬を染める。
――ほら、おひいさんは私のものだ。
彼女は私の手の中で転がされている。それでいい、それがいい。誰にも渡さない。例え、女中と主という関係だとしても。
鷹保はそのままハナを自室のベッドルームまでエスコートした。
ベッドを見て、ハナは目を見開き立ち止まる。
――そういえば、彼女は遊女にされかけていたとか。一応、警戒心はあるのか。
「安心なさい。私は向こうの部屋で寝るから」
「……あ、あ、そうですよね! 鷹保様のお屋敷ですもの、いくつ寝室があってもおかしくないですよね!」
ハナはそう言うと、ほっと息をつく。
別邸にベッドルームは1つしかない。けれど、そんなことは言えなかった。
鷹保は紳士の笑みを崩さず、ハナに告げる。
「奥の風呂を使いなさい。ここにローブを置いておくから」
ハナは「ローブ?」と首を傾げる。「寝間着のことだよ」と言うと、ああ、と納得してから、自身の姿を見下ろして見て慌てた。
泥だらけだということを、思い出したらしい。
「おやすみなさい、おひいさん」
鷹保はクスクス笑いながらそう言って、寝室を出た。
しばらくしてローブをベッドに用意してから、鷹保はリビングルームのソファに腰掛けていた。
手にしているのは、幼い頃に母親に読んでもらった『灰かぶり姫』の絵本だ。
灰かぶりは王子と結婚し、幸せに暮らす。もしも現実に、それが許されるなら――。
おとぎ話は、子供に夢を見させるだけ見せる虚空なものだ。現実には、うまくいかない。あり得ない。
鷹保も幼い頃は、その嘘に惑わされ生きてきた。
鷹保はベッドルームへ向かった。
そうっとその戸を開けると、ベッドの上にハナが横になっているのが見えた。その胸が静かに上下している。
――灰被りの次は眠り姫、か。どうか毒林檎は食べないでおくれよ、私はお前を目覚めさせる自信はないのだから。
そんなことを思いながら、そっとベッドの脇に寄る。頭を撫でてやると、ハナは眠っているにも関わらず、気持ちよさそうに微笑んだ。
◇◇◇
それから1ヶ月ほどが過ぎた。
アーモンドの木はすっかり花が落ち、青々と茂る葉が優しく4月の爽やかな風に揺れている。
ハナの仕事から花弁の掃き掃除は無くなったが、言いつけられた仕事は相変わらず庭仕事だった。暖かな陽気に誘われて、雑草が生命力たっぷりに生い茂り始めたのだ。
ハナは庭だけでなく、本邸と別邸の中庭の手入れも言いつけられた。やることは花壇に花を植えたり、雑草を抜いたりと同じなのだが、別邸での仕事の時だけ、ハナは気が重くなった。
1ヶ月前、別邸に泊まった時のことを思い出すからだ。
十蔵の元から逃げ帰り、別邸に泊めてもらった翌日のこと。目覚めると目の前に綺麗な寝顔があって、ハナは飛び起きた。
「た、た、鷹保様!?」
鷹保のまぶたがぴくりと動いて、ゆっくりと開いていく。
「もう起きたのかい、おひいさん」
いつものように微笑みながら、しかしまだ微睡むように目を薄く閉じたりしながら、鷹保が言う。
ハナは羞恥でいっぱいになった。意中の男性が、起きぬけの顔を自分に晒している。胸が飛び出しそうなくらいバクバクしているのだが、どうやらその理由はそれだけではないらしい。
(鷹保様が、なぜここに!?)
もしかしたら自分が寝ていたのは鷹保のベッドかもしれない。もしかしたら昨夜あんな目に遭ったにも関わらず安眠できたのは、鷹保の香りに包まれていたからかもしれない、などと思考がおかしな方向へ向いていく。
しかし最後には、ハナは鷹保が布団もかけずに床に膝をついて眠っていたことに罪悪感でいっぱいになった。
「鷹保様、申し訳ございませんでした!」
ベッドの上に正座をして、これでもかと額を布団の上に擦りつけながら言った。
「構わないさ、私がそうしたかっただけだ」
鷹保は優しい口調で言い、ふわりと優しくハナの頭を撫でる。
それで、ハナは耳まで熱くなって、慌てて別邸から使用人棟に走って帰ったのだった。
(腹の底では何を考えているのか分からない人。だけれど、本当はとても優しいお方――)
別邸の中庭で草むしりをしながら、ハナの顔はまたぽっと熱くなる。
(あれに特別な意味なんてないの! 鷹保様は、ただ優しいお方だから……。それだけ……)
「精が出るねえ、おひいさん」
たった今脳裏にいた人物の声がして、ハナは大きく肩を震わせた。
振り向けば、別邸の窓から鷹保がこちらに微笑んでいた。
「鷹保様……」
鷹保はちょい、ちょいとハナを自分の方へ手招きする。そちらへ行けば、鷹保が窓枠に頬杖をつき、ハナを見下ろした。
「今晩、何か用事はあるかい?」
「いえ、ありませんけど……」
ハナがモゴモゴそう言うと、鷹保は満足そうに鼻から息を漏らした。
「夕飯後にガゼボで待っていなさい。遅くなってしまったが、お前さんには秘密を守ってもらった褒美をやらなければならないからね」
夕飯後、ガゼボに向かうとなぜか鷹保は正装服でハナの前に現れた。紺色の立て襟に、黄金のボタンが輝く。両肩にも黄金の糸飾りが揺れていて、それだけで高貴な雰囲気を醸し出している。
女中姿のままだったハナは、以前鷹保邸で行われた夜会を思い出しぎょっとしたが、何かを聞く間もなく鷹保によって馬車に乗せられた。
日の暮れた帝都の街を進んだ馬車は、やがて銀座の大通りで停まる。
「おいで、おひいさん」
鷹保に手を取られ馬車を降りると、大きく立派な、西洋風の建物がそびえ立つ。
「ここは、デパートメントというんだよ」
そう言いながらハナの手を引き、鷹保はデパートメントの中をずんずん進んでいく。中にいた店員らしき人たちは、鷹保が通る度にみな頭を下げていく。ハナはその光景に呆然としながら、鷹保の後をついてゆく。
「さて、どれにしようかねえ、おひいさん」
鷹保が立ち止まりハナにそういったのは、女性用の洋装を扱う売り場の前だった。
「あ、あの……」
「『褒美をやる』と言ったろう?」
戸惑うハナに、鷹保はすでに何着か服を手に言う。
「おひいさんにはこっちかな、いやこっちの色も合いそうだ」
鷹保はその場に立ちすくんだハナの方へ、手にした洋装をあてがった。
「おい君、」
声をかけられた店員がすぐさま鷹保の元へ飛んでくる。
「このドレスに合う、靴と帽子はあるかな?」
「すぐにご用意致します」
店員は小走りで何処かへ行ってしまう。鷹保は満足そうにその姿を見つめてから、ハナへと視線を移した。
「うん、やはり青い瞳のおひいさんには、ライトブルーが良く似合う」
鷹保は手にした空色の洋装をハナに向けている。生地だけでキラキラと輝きを放つそれは、きっと想像を絶するくらいの値がするのだろうと、ハナは恐れおののいた。
「鷹保様、それ、は……お高いですよね?」
「まあ、それなりの値はするだろうな」
「受け取れません、そんな高価なもの!」
「誰が渡すと言った?」
鷹保の言葉に、ハナは先走ったと顔を真っ赤に染めた。
自分は一女中だ。きっと、あの素敵なお召し物はどこかのご令嬢への贈り物で、こういう場に連れてきてもらったこと自体が褒美に違いない。
とんだ勘違いをした。恥ずかしい。
そう、思ったのに。
「今からお前が着るんだよ、おひいさん」
鷹保は今日も別邸の窓から、ハナがマスターの自転車の後ろに乗って駆けていく所を見ていた。
しかしハナは、今日はいつもと雰囲気が違っていた。
それから幾時間が経って、寝支度を整えた鷹保はベッドに寝転んだ。しかし、その光景を思い出しては胸がモヤモヤして寝付けない。
鷹保は夜更けにも関わらず別邸を出ると、ガゼボのベンチに横になった。
もう随分と、ハナともここで話していない。
頭上で星がまたたいている。今夜は月が明るい。ふわりと、夜風が鷹保の頬を撫でてゆく。
「おひいさんは、私のものだろう……?」
ぽつりと独り言ち、そんな言葉が漏れたことに苦笑した。
すると、なにやら門の辺りが騒がしいことに気づいた。
――記者か。もう来たか。
ハナがマスターに自分の秘密を漏らした。それをマスターが記者にリークした。きっとそうだ。もう、中條家も終わりかもしれない。
鷹保は億劫ながらに門戸まで向かうと、なぜかハナが夜警に捕らえられていた。その目は潤んでいる。ハナも大概、自分に恰好悪いところばかり見せるなと、面白くなる。
彼女を引き取り門に入れてやると、ハナは必死にマスターの色仕掛けに乗ってしまったことを詫びた。
――ああ、やはりそうだったか。
諦めと絶望。もう終わりだ。中條家の行く末を想像しながら、鷹保は悲しき笑みを浮かべる。
それなのに。
「でも、私、鷹保様に『秘密だ』と言われたことは、一切漏らしていないですから!」
鷹保は一瞬目を見張った。ハナがあまりにじっと自分を見つめるので、いつもの笑みを顔に貼り付けようとした。
けれど、なぜか心が彼女を愛しいと思い、口元と同時に目元が綻んでしまった。
――こんなのは、二度目だ。
鷹保は胸が高鳴るのを感じた。どうしようもなく、彼女が愛おしい。
これは、恋という媚薬のせいだけではない。自分の秘密を守ってくれた、彼女だからだ。
けれど、自分は公爵で彼女は女中。この気持ちは、バレてはいけない。
鷹保は平静を装って、ハナに告げた。
「そうかい、そうかい。それじゃあ、そんなおひいさんには褒美をやらないといけないねえ」
そう言ってようやく胸が落ち着いて、いつもの笑みを顔に貼り付けることができた。けれども、ハナの方が普通ではない。
月明かりだけでも分かるくらいに、ハナの顔が真っ赤になっている。
「し、し、失礼します!」
ハナは急いで使用人棟へ駆けていく。鷹保はそれを見送って、自分も別邸に戻っていった。
「……鷹保、様」
部屋に入ろうと別邸のドアノブに手を掛けた所で、なぜか戻ってきたハナが控えめに言った。見れば、もじもじと申し訳無さそうに体をくねらせる。
「どうした? 私が恋しくなったのかい?」
からかうように目を細めれば「ち、違いますっ!」と前のめりで否定される。
「使用人棟の戸口の鍵が閉まってて、入れなくて……鷹保様なら、何とかしてくれるのではないかと、思いまして……」
威勢がいいと思えば、もじもじと恥じらう。
先程まで恋人に騙されていたと泣いていたとは思えない。強かな女だ。
――ああ、面白い。
「それなら今夜はこちらへどうぞ、おひいさん」
鷹保はわざと西洋のおとぎ話の王子のように、腰を折り左手を胸に当て、右手でハナの手を優しく取った。
使用人棟の鍵など、じいやの部屋の窓を3度叩けば開けてもらえる。けれど鷹保は、ハナがどんな反応をするのか、もう少し知りたくなった。
いつものように微笑めば、ハナは頬を染める。
――ほら、おひいさんは私のものだ。
彼女は私の手の中で転がされている。それでいい、それがいい。誰にも渡さない。例え、女中と主という関係だとしても。
鷹保はそのままハナを自室のベッドルームまでエスコートした。
ベッドを見て、ハナは目を見開き立ち止まる。
――そういえば、彼女は遊女にされかけていたとか。一応、警戒心はあるのか。
「安心なさい。私は向こうの部屋で寝るから」
「……あ、あ、そうですよね! 鷹保様のお屋敷ですもの、いくつ寝室があってもおかしくないですよね!」
ハナはそう言うと、ほっと息をつく。
別邸にベッドルームは1つしかない。けれど、そんなことは言えなかった。
鷹保は紳士の笑みを崩さず、ハナに告げる。
「奥の風呂を使いなさい。ここにローブを置いておくから」
ハナは「ローブ?」と首を傾げる。「寝間着のことだよ」と言うと、ああ、と納得してから、自身の姿を見下ろして見て慌てた。
泥だらけだということを、思い出したらしい。
「おやすみなさい、おひいさん」
鷹保はクスクス笑いながらそう言って、寝室を出た。
しばらくしてローブをベッドに用意してから、鷹保はリビングルームのソファに腰掛けていた。
手にしているのは、幼い頃に母親に読んでもらった『灰かぶり姫』の絵本だ。
灰かぶりは王子と結婚し、幸せに暮らす。もしも現実に、それが許されるなら――。
おとぎ話は、子供に夢を見させるだけ見せる虚空なものだ。現実には、うまくいかない。あり得ない。
鷹保も幼い頃は、その嘘に惑わされ生きてきた。
鷹保はベッドルームへ向かった。
そうっとその戸を開けると、ベッドの上にハナが横になっているのが見えた。その胸が静かに上下している。
――灰被りの次は眠り姫、か。どうか毒林檎は食べないでおくれよ、私はお前を目覚めさせる自信はないのだから。
そんなことを思いながら、そっとベッドの脇に寄る。頭を撫でてやると、ハナは眠っているにも関わらず、気持ちよさそうに微笑んだ。
◇◇◇
それから1ヶ月ほどが過ぎた。
アーモンドの木はすっかり花が落ち、青々と茂る葉が優しく4月の爽やかな風に揺れている。
ハナの仕事から花弁の掃き掃除は無くなったが、言いつけられた仕事は相変わらず庭仕事だった。暖かな陽気に誘われて、雑草が生命力たっぷりに生い茂り始めたのだ。
ハナは庭だけでなく、本邸と別邸の中庭の手入れも言いつけられた。やることは花壇に花を植えたり、雑草を抜いたりと同じなのだが、別邸での仕事の時だけ、ハナは気が重くなった。
1ヶ月前、別邸に泊まった時のことを思い出すからだ。
十蔵の元から逃げ帰り、別邸に泊めてもらった翌日のこと。目覚めると目の前に綺麗な寝顔があって、ハナは飛び起きた。
「た、た、鷹保様!?」
鷹保のまぶたがぴくりと動いて、ゆっくりと開いていく。
「もう起きたのかい、おひいさん」
いつものように微笑みながら、しかしまだ微睡むように目を薄く閉じたりしながら、鷹保が言う。
ハナは羞恥でいっぱいになった。意中の男性が、起きぬけの顔を自分に晒している。胸が飛び出しそうなくらいバクバクしているのだが、どうやらその理由はそれだけではないらしい。
(鷹保様が、なぜここに!?)
もしかしたら自分が寝ていたのは鷹保のベッドかもしれない。もしかしたら昨夜あんな目に遭ったにも関わらず安眠できたのは、鷹保の香りに包まれていたからかもしれない、などと思考がおかしな方向へ向いていく。
しかし最後には、ハナは鷹保が布団もかけずに床に膝をついて眠っていたことに罪悪感でいっぱいになった。
「鷹保様、申し訳ございませんでした!」
ベッドの上に正座をして、これでもかと額を布団の上に擦りつけながら言った。
「構わないさ、私がそうしたかっただけだ」
鷹保は優しい口調で言い、ふわりと優しくハナの頭を撫でる。
それで、ハナは耳まで熱くなって、慌てて別邸から使用人棟に走って帰ったのだった。
(腹の底では何を考えているのか分からない人。だけれど、本当はとても優しいお方――)
別邸の中庭で草むしりをしながら、ハナの顔はまたぽっと熱くなる。
(あれに特別な意味なんてないの! 鷹保様は、ただ優しいお方だから……。それだけ……)
「精が出るねえ、おひいさん」
たった今脳裏にいた人物の声がして、ハナは大きく肩を震わせた。
振り向けば、別邸の窓から鷹保がこちらに微笑んでいた。
「鷹保様……」
鷹保はちょい、ちょいとハナを自分の方へ手招きする。そちらへ行けば、鷹保が窓枠に頬杖をつき、ハナを見下ろした。
「今晩、何か用事はあるかい?」
「いえ、ありませんけど……」
ハナがモゴモゴそう言うと、鷹保は満足そうに鼻から息を漏らした。
「夕飯後にガゼボで待っていなさい。遅くなってしまったが、お前さんには秘密を守ってもらった褒美をやらなければならないからね」
夕飯後、ガゼボに向かうとなぜか鷹保は正装服でハナの前に現れた。紺色の立て襟に、黄金のボタンが輝く。両肩にも黄金の糸飾りが揺れていて、それだけで高貴な雰囲気を醸し出している。
女中姿のままだったハナは、以前鷹保邸で行われた夜会を思い出しぎょっとしたが、何かを聞く間もなく鷹保によって馬車に乗せられた。
日の暮れた帝都の街を進んだ馬車は、やがて銀座の大通りで停まる。
「おいで、おひいさん」
鷹保に手を取られ馬車を降りると、大きく立派な、西洋風の建物がそびえ立つ。
「ここは、デパートメントというんだよ」
そう言いながらハナの手を引き、鷹保はデパートメントの中をずんずん進んでいく。中にいた店員らしき人たちは、鷹保が通る度にみな頭を下げていく。ハナはその光景に呆然としながら、鷹保の後をついてゆく。
「さて、どれにしようかねえ、おひいさん」
鷹保が立ち止まりハナにそういったのは、女性用の洋装を扱う売り場の前だった。
「あ、あの……」
「『褒美をやる』と言ったろう?」
戸惑うハナに、鷹保はすでに何着か服を手に言う。
「おひいさんにはこっちかな、いやこっちの色も合いそうだ」
鷹保はその場に立ちすくんだハナの方へ、手にした洋装をあてがった。
「おい君、」
声をかけられた店員がすぐさま鷹保の元へ飛んでくる。
「このドレスに合う、靴と帽子はあるかな?」
「すぐにご用意致します」
店員は小走りで何処かへ行ってしまう。鷹保は満足そうにその姿を見つめてから、ハナへと視線を移した。
「うん、やはり青い瞳のおひいさんには、ライトブルーが良く似合う」
鷹保は手にした空色の洋装をハナに向けている。生地だけでキラキラと輝きを放つそれは、きっと想像を絶するくらいの値がするのだろうと、ハナは恐れおののいた。
「鷹保様、それ、は……お高いですよね?」
「まあ、それなりの値はするだろうな」
「受け取れません、そんな高価なもの!」
「誰が渡すと言った?」
鷹保の言葉に、ハナは先走ったと顔を真っ赤に染めた。
自分は一女中だ。きっと、あの素敵なお召し物はどこかのご令嬢への贈り物で、こういう場に連れてきてもらったこと自体が褒美に違いない。
とんだ勘違いをした。恥ずかしい。
そう、思ったのに。
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