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プロローグ
手術の成功
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目を開けると、自分の顔を見つめてくる沢山の大人たちの顔が見えた。笑顔を浮かべている人もいれば、涙を流している人もいる。でもその涙は決して悲しい涙なんかではなくて、どちらかというと嬉し涙のように見えた。
どの顔もすべて見覚えがあった。
誰よりも自分を愛してくれている両親の顔がある。いつも身体の状態を診てくれる先生の顔もある。いろいろと身の回りの世話をしてくれる優しい看護師さんたちの顔もある。
「──どうしたの……みんな、そろって……?」
声に出して聞いてみたが、その声は糸のようにか細かった。
なんで……ぼくの声は、こんなに……弱弱しいんだろう……?
自分でも不思議に思った。
「刻夢、お前の手術が終わったんだよ……」
いつもは頑固な父親の目に、今はうっすらと涙の膜が浮かんでいた。
「しゅじゅつ……?」
頭がぼーっとしていて、父親の言っている言葉が理解出来ずにいた。自分が今置かれている状況が、いまいち上手く把握出来ない。
「状況が分からないのも無理はないのよ。少し前に麻酔が切れたばかりなんだからね……」
母親の頬には大粒の涙がこぼれ落ちている。
手術……麻酔……?
頭の中でそれらの単語がクルクルと回りだして、あるひとつの輪郭が少しずつ浮かび上がってくる。
「そうだった……ぼく……手術、したんだ……」
ようやく状況を理解するだけの落ち着きが戻ってきた。
キザムの身体が難病に罹っていると分かったのは、まだ幼稚園に通っていた頃のことである。健康診断で異常が見付かり、総合病院で再度検査することになった。精密検査の結果、治療方法のまだ確立されていない遺伝的な難病だと発覚した。以来ずっと病院での入院生活を余儀なくされ続けてきた。
しかし時が経ち、ある一筋の希望の光が差し込んだ。
キザムが小学2年生になったとき、難病の治療方法が見付かったのである。そして、キザムは患者第一号として手術を受けることになったのだった。
「じゃあ……ぼく、治ったんだね……」
まだ自分の体の状態を自分で確認することは出来ないが、なんとなく体が軽くなったような気がしてきた。
「ああ、そうだよ。キザムくん、よく頑張ったね。君は病気に打ち勝ったんだよ」
担当医の馳蔵医師がキザムに微笑みかけてきた。馳蔵は国内の小児科医療ではトップクラスの腕前を持った医師なのだ。
「ねえ、ぼく……学校に……行けるの……?」
キザムは今までずっと病院内にある長期入院中の子供たちの為に作られた院内学級に通っており、本物の学校には一度も通ったことがなかったのである。
「そうよ、キザム……これからはちゃんと……外の学校に、通えるのよ……」
母親は涙混じりの声で喜んでいる。キザムの手術が成功したことが、よっぽどうれしかったのだろう。
「そうだぞ、キザム。これからは学校にちゃんと通って、しっかりと勉強しないと駄目だからな」
父親は威厳を保つべく、キザムを諭すように言ったが、目尻からは今にも涙が溢れそうになっていた。こんな父親の顔は初めて見た。
「うん……ぼく、頑張って……学校に通うよ……。そして、いっぱい……勉強するから……」
子供ながらにも両親をこれ以上悲しませてはいけないと思い、キザムはせいっぱいの声を出して答えた。
「キザム……」
「よし、キザム……。それでこそ、父さんの子供だ……」
両親が揃って声をあげて、揃って涙を流し始めた。若い看護師さんの中には、もらい泣きしている人もいた。
そうか……学校か……。ぼく……初めて、学校に行けるんだ……。たくさん、友達……出来るかな……? 勉強も……しっかり頑張れるかな……? それから……病気のことで、いじめられたりしないかな……?
学校に行けるという嬉しい気持ちもあったが、その反面、正直、不安の方が大きかった。
キザムが内心でこれからのことを考えていると、ふと両親の背後に立つ小さな人影が目に入ってきた。
あっ、来てくれていたんだ……。
人影の正体は、キザムと同じように院内学級に通っている同い年の少女だった。少女もまた難病を抱えていた。少女とは難病に立ち向かうという同じ境遇にあるせいか、院内学級内では一番親しかったのだ。
ぼくの病気が治って……病院を、退院しちゃうと……離れ離れに、なっちゃうんだ……。
キザムの胸に生まれて初めての淡い感情が芽生えた。
それは初恋にも似た、甘く切ない感情だった。
だが小学生のキザムにはまだ、その感情の正体が分からなかった。
ただ、少女ともう会えなくなるのはすごく悲しいな、ということしか分からなかった。
どの顔もすべて見覚えがあった。
誰よりも自分を愛してくれている両親の顔がある。いつも身体の状態を診てくれる先生の顔もある。いろいろと身の回りの世話をしてくれる優しい看護師さんたちの顔もある。
「──どうしたの……みんな、そろって……?」
声に出して聞いてみたが、その声は糸のようにか細かった。
なんで……ぼくの声は、こんなに……弱弱しいんだろう……?
自分でも不思議に思った。
「刻夢、お前の手術が終わったんだよ……」
いつもは頑固な父親の目に、今はうっすらと涙の膜が浮かんでいた。
「しゅじゅつ……?」
頭がぼーっとしていて、父親の言っている言葉が理解出来ずにいた。自分が今置かれている状況が、いまいち上手く把握出来ない。
「状況が分からないのも無理はないのよ。少し前に麻酔が切れたばかりなんだからね……」
母親の頬には大粒の涙がこぼれ落ちている。
手術……麻酔……?
頭の中でそれらの単語がクルクルと回りだして、あるひとつの輪郭が少しずつ浮かび上がってくる。
「そうだった……ぼく……手術、したんだ……」
ようやく状況を理解するだけの落ち着きが戻ってきた。
キザムの身体が難病に罹っていると分かったのは、まだ幼稚園に通っていた頃のことである。健康診断で異常が見付かり、総合病院で再度検査することになった。精密検査の結果、治療方法のまだ確立されていない遺伝的な難病だと発覚した。以来ずっと病院での入院生活を余儀なくされ続けてきた。
しかし時が経ち、ある一筋の希望の光が差し込んだ。
キザムが小学2年生になったとき、難病の治療方法が見付かったのである。そして、キザムは患者第一号として手術を受けることになったのだった。
「じゃあ……ぼく、治ったんだね……」
まだ自分の体の状態を自分で確認することは出来ないが、なんとなく体が軽くなったような気がしてきた。
「ああ、そうだよ。キザムくん、よく頑張ったね。君は病気に打ち勝ったんだよ」
担当医の馳蔵医師がキザムに微笑みかけてきた。馳蔵は国内の小児科医療ではトップクラスの腕前を持った医師なのだ。
「ねえ、ぼく……学校に……行けるの……?」
キザムは今までずっと病院内にある長期入院中の子供たちの為に作られた院内学級に通っており、本物の学校には一度も通ったことがなかったのである。
「そうよ、キザム……これからはちゃんと……外の学校に、通えるのよ……」
母親は涙混じりの声で喜んでいる。キザムの手術が成功したことが、よっぽどうれしかったのだろう。
「そうだぞ、キザム。これからは学校にちゃんと通って、しっかりと勉強しないと駄目だからな」
父親は威厳を保つべく、キザムを諭すように言ったが、目尻からは今にも涙が溢れそうになっていた。こんな父親の顔は初めて見た。
「うん……ぼく、頑張って……学校に通うよ……。そして、いっぱい……勉強するから……」
子供ながらにも両親をこれ以上悲しませてはいけないと思い、キザムはせいっぱいの声を出して答えた。
「キザム……」
「よし、キザム……。それでこそ、父さんの子供だ……」
両親が揃って声をあげて、揃って涙を流し始めた。若い看護師さんの中には、もらい泣きしている人もいた。
そうか……学校か……。ぼく……初めて、学校に行けるんだ……。たくさん、友達……出来るかな……? 勉強も……しっかり頑張れるかな……? それから……病気のことで、いじめられたりしないかな……?
学校に行けるという嬉しい気持ちもあったが、その反面、正直、不安の方が大きかった。
キザムが内心でこれからのことを考えていると、ふと両親の背後に立つ小さな人影が目に入ってきた。
あっ、来てくれていたんだ……。
人影の正体は、キザムと同じように院内学級に通っている同い年の少女だった。少女もまた難病を抱えていた。少女とは難病に立ち向かうという同じ境遇にあるせいか、院内学級内では一番親しかったのだ。
ぼくの病気が治って……病院を、退院しちゃうと……離れ離れに、なっちゃうんだ……。
キザムの胸に生まれて初めての淡い感情が芽生えた。
それは初恋にも似た、甘く切ない感情だった。
だが小学生のキザムにはまだ、その感情の正体が分からなかった。
ただ、少女ともう会えなくなるのはすごく悲しいな、ということしか分からなかった。
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