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エピローグ
最終話 死神と紫人と、あの2人
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美佳が病院前の車寄せに歩いていくと、そこに一台の黒塗りの高級車が止まっていた。美佳は助手席ではなく、当前のように後部座席に静かに乗り込んだ。
「お話の方はお済みになられたのですか?」
運転席に座る男がさっそく声を掛けてくる。
「ええ、終わったわ」
「あの少年も、自分が助けられたことにさぞかし驚いていたんじゃないですか?」
男の折り目正しい物言いから、2人の関係性が見て取れる。
「そうね、案外冷静だったわよ。決定的な部分には気付いていなかったけれど、薄々は分かっていた感じね」
美佳の言葉の響きには、話に出てきた少年に対する敬慕が感じられた。
「そうでしたか。確かになかなかに骨のある少年でしたからね」
「あなたも良いゲーム参加者をスカウトしたわね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
男がルームミラー越しに深く頭を下げる。
「それでは、そろそろお車の方をお出ししてもよろしいでしょうか?」
「とりあえず、その辺を軽く流してもらえるかしら」
「分かりました──」
運転席の男が車を優雅に発進させる。サラリーマン然とした男の正体は紫人である。
紫人――つまり、死人《しびと》というわけだ。
あるときは死神の代理人であり、またあるときは、イツカのお抱え運転手《ショーファー》であったりする。
美佳は後部座席の背もたれに深く体を預けた。ゆっくりと目を閉じて瞑想状態に入る。
十数秒後、再び目を開けたとき、その表情は一変していた。さきほどまで感じられた柔和な雰囲気は一切消えてなくなり、怖いくらいの冴え冴えとした表情が浮かんでいた。
まさに死神の顔である。
「そういえば県警の本部長から連絡はあったかしら?」
「はい。さきほど、ようやくすべて落ち着くところに落ち着いたと連絡がありました」
「三ヶ月も時間が掛かるなんて、本当にお役所仕事ね」
「悪徳刑事と暴力団組織の癒着に、さらに幾つかの詐欺事件との関わりなど、いろいろありましたからね。警察としても話の落とし所を探るのに、時間が掛かったのかもしれないですね」
「そして、県警の本部長はその成果が認められて、晴れて警察庁へ栄転になったのでしょ?」
「はい、そのようです。美佳様にもお礼の言葉を言ってましたよ」
「お礼なら言葉だけじゃなく、ちゃんとした行動で返してもらわないとね。彼の力を貸してもらうのはこれからなんだから。その為にも、彼にはもっと出世してもらわないと」
「警察庁の力を動かせるようになれば、こちらとしても俄然行動しやすくなりますね。美佳様はそこまでお考えのうえで、今回のゲームを実施した訳なんですね?」
「権力に擦り寄るつもりは毛頭無いけど、使える権力をしっかりと押さえておくことは無駄ではないから。死神が人間の魂を集めてそれで終わりというのは、人間が勝手に抱いた妄想なのよ。漫画やアニメの世界ならそれでもいいけど、現実の世界は権力者を中心として回っているのだから、私たちもそれに積極的に関わっていかないと置いていかれてしまうだけよ。死神の力と権力が合わさったとき、どんなことが出来るようになるか、今から楽しみでしょ?」
死神の顔に氷の笑みが浮いた。見る者全てに絶望を感じさせるような、そんな笑みだった。
「美佳様と一緒にいると、本当に勉強になります。これからもご指導のほど、よろしくお願いします」
紫人の言葉には、深い畏敬の念が込められていた。
「――それはそうと、私が頼んでおいた件はどうなったかしら?」
「それでしたら非常にいい会場が幾つか見付かりました。しかも、かなりの広さがある会場です」
「広い会場ね。今回の廃遊園地もかなり大きかったけれど、そこはどれくらいの広さなの?」
「一ヶ所は、住人がいなくなった廃島です。いわゆる無人島というやつです。島のあちらこちらに、住人が使っていた施設がそのままの形で残っています」
「無人島ね──。外部からの邪魔は入らないし、ゲームをするにはもってこいの会場だけど、余りにも広すぎるわね」
「それでは、もうひとつの候補地はどうですか? こちらは村民がいなくなった山奥の廃村なんですが──」
「廃村ね──」
「ええ、こちらも村民が使っていた住居がそのままの形で残っています」
「廃島に廃村──。どちらも13時間以内にゲームを決着付けるには、少し広すぎはしないかしら?」
「そういうことでしたら、ゲームのルールを少し変更するというのはどうでしょうか?」
「ルールの変更ね──。確かに会場が広い分、ゲーム時間や参加人数の調整をするのはいいかもしれないわね。ゲーム時間を13時間じゃなくて、130時間にするとか。あるいは13日にするとか。もしくは参加者を13人から130人に増やすとか。──まあ、いずれにしても、これは少し考察する必要がありそうね」
「わたくしも更なる会場の候補地を探すことにいたします」
「──ところで、その廃島と廃村だけど、ここからだとどちらが近いの?」
「廃村の方が近くになりますが──」
「それじゃ、とりあえず、そちらに車で向かってくれる? 実際に目で見てみないと、なんとも言えないから」
「分かりました。では、ナビを設定しますので──」
紫人がダッシュボードに取り付けられているカーナビに左手を伸ばした。現在、カーナビの画面は地図表示ではなく、テレビのニュース映像が映っている。
そのとき突然、臨時ニュースに切り替わった。
『本日、都内で妊婦が男に襲われる事件が発生しました。男は顔中に包帯を巻き付けており、年齢は不明とのこと。また事件現場では、妊婦を助けずに黙ってスマホを向けていた喪服姿の不審な女が目撃されており、警察は男との関係を調査中とのことです』
「こんな昼日中に、さっそく仕出かしたようですね。──あの男、本当に生かしておいてよろしかったのですか?」
紫人がカーナビの住所設定をしながら伺い立てる。
「世の中、善人ばかりでは余りにもつまらなすぎるでしょ? 少しくらいの刺激を与えてあげないと」
「──怖いことをさらっと仰る」
「私は死神なんだから怖いことを言うのは当然よ。それに世の中の人間がすべて善人だったら、そもそも死神の出る幕なんてないでしょ? いろんな人間がいるからこそ、私たちの出番があるのよ」
「それは仰るとおりでございますね」
「今の人間の世界を見る限り、当分の間、私たちの出番がなくなることはなさそうな感じがするけど。──それじゃ、私は現地に付くまでの間、少し休ませてもらうことにするわ」
美佳はシートに背中を預けて、再び目を閉じた。
もしも世界があの少年のような人間で溢れていたら──。
もしも自らの命も顧みずに他人を助けられる人間で溢れていたら──。
世界は変わるのだろうか? 世界は慈愛に満ちた平和な姿になるのだろうか?
いや、そんなことを考えたところで、劇的に人間の世界が変わるわけはないか。
まったく、私は何をつまらないことを考えているのか──。
それとも、あの少年に感化でもされたのか――。
美佳は心の中でひとりごちた。美佳本人は気付いていなかったが、死神と呼ばれる氷の美女の口元には、どこか人間くさい苦笑にも似た笑みがひっそりと浮いていた。
――――――――――――――――
紫人はルームミラー越しにご主人様の表情の変化に気付いたが、運転という職務に忠実に従事していたので、そのことについて敢えてご主人様に問うたりすることはなかった。
「それでは、これから廃村に向かいます──」
紫人がアクセルを踏み込むと、高級車は美しいエンジン音を奏でながら、スムーズに加速していった。
苦笑を浮かべる死神と、しかつめらしい顔をした運転手という、おかしな2人組によるドライブは、現地に到着するまで続くのだった。
終わり
「お話の方はお済みになられたのですか?」
運転席に座る男がさっそく声を掛けてくる。
「ええ、終わったわ」
「あの少年も、自分が助けられたことにさぞかし驚いていたんじゃないですか?」
男の折り目正しい物言いから、2人の関係性が見て取れる。
「そうね、案外冷静だったわよ。決定的な部分には気付いていなかったけれど、薄々は分かっていた感じね」
美佳の言葉の響きには、話に出てきた少年に対する敬慕が感じられた。
「そうでしたか。確かになかなかに骨のある少年でしたからね」
「あなたも良いゲーム参加者をスカウトしたわね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
男がルームミラー越しに深く頭を下げる。
「それでは、そろそろお車の方をお出ししてもよろしいでしょうか?」
「とりあえず、その辺を軽く流してもらえるかしら」
「分かりました──」
運転席の男が車を優雅に発進させる。サラリーマン然とした男の正体は紫人である。
紫人――つまり、死人《しびと》というわけだ。
あるときは死神の代理人であり、またあるときは、イツカのお抱え運転手《ショーファー》であったりする。
美佳は後部座席の背もたれに深く体を預けた。ゆっくりと目を閉じて瞑想状態に入る。
十数秒後、再び目を開けたとき、その表情は一変していた。さきほどまで感じられた柔和な雰囲気は一切消えてなくなり、怖いくらいの冴え冴えとした表情が浮かんでいた。
まさに死神の顔である。
「そういえば県警の本部長から連絡はあったかしら?」
「はい。さきほど、ようやくすべて落ち着くところに落ち着いたと連絡がありました」
「三ヶ月も時間が掛かるなんて、本当にお役所仕事ね」
「悪徳刑事と暴力団組織の癒着に、さらに幾つかの詐欺事件との関わりなど、いろいろありましたからね。警察としても話の落とし所を探るのに、時間が掛かったのかもしれないですね」
「そして、県警の本部長はその成果が認められて、晴れて警察庁へ栄転になったのでしょ?」
「はい、そのようです。美佳様にもお礼の言葉を言ってましたよ」
「お礼なら言葉だけじゃなく、ちゃんとした行動で返してもらわないとね。彼の力を貸してもらうのはこれからなんだから。その為にも、彼にはもっと出世してもらわないと」
「警察庁の力を動かせるようになれば、こちらとしても俄然行動しやすくなりますね。美佳様はそこまでお考えのうえで、今回のゲームを実施した訳なんですね?」
「権力に擦り寄るつもりは毛頭無いけど、使える権力をしっかりと押さえておくことは無駄ではないから。死神が人間の魂を集めてそれで終わりというのは、人間が勝手に抱いた妄想なのよ。漫画やアニメの世界ならそれでもいいけど、現実の世界は権力者を中心として回っているのだから、私たちもそれに積極的に関わっていかないと置いていかれてしまうだけよ。死神の力と権力が合わさったとき、どんなことが出来るようになるか、今から楽しみでしょ?」
死神の顔に氷の笑みが浮いた。見る者全てに絶望を感じさせるような、そんな笑みだった。
「美佳様と一緒にいると、本当に勉強になります。これからもご指導のほど、よろしくお願いします」
紫人の言葉には、深い畏敬の念が込められていた。
「――それはそうと、私が頼んでおいた件はどうなったかしら?」
「それでしたら非常にいい会場が幾つか見付かりました。しかも、かなりの広さがある会場です」
「広い会場ね。今回の廃遊園地もかなり大きかったけれど、そこはどれくらいの広さなの?」
「一ヶ所は、住人がいなくなった廃島です。いわゆる無人島というやつです。島のあちらこちらに、住人が使っていた施設がそのままの形で残っています」
「無人島ね──。外部からの邪魔は入らないし、ゲームをするにはもってこいの会場だけど、余りにも広すぎるわね」
「それでは、もうひとつの候補地はどうですか? こちらは村民がいなくなった山奥の廃村なんですが──」
「廃村ね──」
「ええ、こちらも村民が使っていた住居がそのままの形で残っています」
「廃島に廃村──。どちらも13時間以内にゲームを決着付けるには、少し広すぎはしないかしら?」
「そういうことでしたら、ゲームのルールを少し変更するというのはどうでしょうか?」
「ルールの変更ね──。確かに会場が広い分、ゲーム時間や参加人数の調整をするのはいいかもしれないわね。ゲーム時間を13時間じゃなくて、130時間にするとか。あるいは13日にするとか。もしくは参加者を13人から130人に増やすとか。──まあ、いずれにしても、これは少し考察する必要がありそうね」
「わたくしも更なる会場の候補地を探すことにいたします」
「──ところで、その廃島と廃村だけど、ここからだとどちらが近いの?」
「廃村の方が近くになりますが──」
「それじゃ、とりあえず、そちらに車で向かってくれる? 実際に目で見てみないと、なんとも言えないから」
「分かりました。では、ナビを設定しますので──」
紫人がダッシュボードに取り付けられているカーナビに左手を伸ばした。現在、カーナビの画面は地図表示ではなく、テレビのニュース映像が映っている。
そのとき突然、臨時ニュースに切り替わった。
『本日、都内で妊婦が男に襲われる事件が発生しました。男は顔中に包帯を巻き付けており、年齢は不明とのこと。また事件現場では、妊婦を助けずに黙ってスマホを向けていた喪服姿の不審な女が目撃されており、警察は男との関係を調査中とのことです』
「こんな昼日中に、さっそく仕出かしたようですね。──あの男、本当に生かしておいてよろしかったのですか?」
紫人がカーナビの住所設定をしながら伺い立てる。
「世の中、善人ばかりでは余りにもつまらなすぎるでしょ? 少しくらいの刺激を与えてあげないと」
「──怖いことをさらっと仰る」
「私は死神なんだから怖いことを言うのは当然よ。それに世の中の人間がすべて善人だったら、そもそも死神の出る幕なんてないでしょ? いろんな人間がいるからこそ、私たちの出番があるのよ」
「それは仰るとおりでございますね」
「今の人間の世界を見る限り、当分の間、私たちの出番がなくなることはなさそうな感じがするけど。──それじゃ、私は現地に付くまでの間、少し休ませてもらうことにするわ」
美佳はシートに背中を預けて、再び目を閉じた。
もしも世界があの少年のような人間で溢れていたら──。
もしも自らの命も顧みずに他人を助けられる人間で溢れていたら──。
世界は変わるのだろうか? 世界は慈愛に満ちた平和な姿になるのだろうか?
いや、そんなことを考えたところで、劇的に人間の世界が変わるわけはないか。
まったく、私は何をつまらないことを考えているのか──。
それとも、あの少年に感化でもされたのか――。
美佳は心の中でひとりごちた。美佳本人は気付いていなかったが、死神と呼ばれる氷の美女の口元には、どこか人間くさい苦笑にも似た笑みがひっそりと浮いていた。
――――――――――――――――
紫人はルームミラー越しにご主人様の表情の変化に気付いたが、運転という職務に忠実に従事していたので、そのことについて敢えてご主人様に問うたりすることはなかった。
「それでは、これから廃村に向かいます──」
紫人がアクセルを踏み込むと、高級車は美しいエンジン音を奏でながら、スムーズに加速していった。
苦笑を浮かべる死神と、しかつめらしい顔をした運転手という、おかしな2人組によるドライブは、現地に到着するまで続くのだった。
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