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第二章

160話 雲蒸竜変

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 そして季節は過ぎ、春を迎えた。

 亜人・獣人との戦争から半年が過ぎ、私たちの生活も落ち着きを取り戻しつつあった。それは人間だけでなく、彼らを含めた全ての民衆が豊かな生活を送れているという意味だ。
 住居問題や生活スタイルの違いから生まれる衝突、法律の想定外の事態も度々起こったが、その度に何度も協議を重ね今の社会を作り上げた。

「エル、少し街を歩かないか? このところ箱詰めだったから気分転換したい」

「良いわね。私もそうしたい気分だったの」





 折角のデートと言えども相変わらず護衛は付いてくる。
 しかしかつてのようにびっちりくっついているのではなく、路地裏や人混みに特別に兵を配すぐらいで、後は平時の見回り程度だった。
 それはファリアの治安の良さだからできることだ。これも歳三や団長らの日々の取り組みの賜物である。

「ねえ、向こうのお店を見てみてもいい?」

「ああ。もちろん」

 ファリア一大きな商店に入ると、中は大勢の人で賑わっていた。しかし客の一人が私を顔を見た瞬間頭を下げたので、すぐに店の者も私たちに気付き店の主人を呼んだ。

「これはこれは、レオ様にエルシャ殿下、よくぞお越しになられました」

「突然悪いな」

「いえ、レオ様のお力でここまで繁盛させて頂いておりますので、いつなんどきであってもレオ様を最優先で対応させて頂きます」

 主人がかえって面倒なまでに低姿勢でこう言うのには理由がある。

 単純なファリアの人口増加に留まらず、亜人・獣人と人間の共生社会という一つのロールモデルとして多くの他領地から視察が来ている。それは領主である人間の貴族だけでなく、まだ帝国に移住していない亜人・獣人の種族も様子を見に来ていた。
 ある意味での観光業として人々の往来が増え、街全体の経済が活性化されているのだ。

 お土産として亜人・獣人たちの手芸品なんかもこの店に置いているので店の主人は大層儲けていることだろう。
 もちろんその売上は亜人・獣人たちに還元されており、私たち行政の手を介さずとも民間でシステムが成立している。私の努力はこうして実を結んでいるのだと実感できた。

「──ねえ、どれか一つ私にプレゼントして?」

「うーん、そうだな……」

 行商人が屋敷に売り込みに来た時は目もくれないのだが、こういう時は良く欲しがる。だが彼女は普段から着飾るタイプではないので何を買えばいいか迷う。
 そんな時はネックレスあたりが無難だと思っている。

「これなんてどうだ」

「貴方が選んだのならそれがいいわ」

 彼女の瞳と同じサファイア色に輝く小さな魔石が埋め込まれたネックレス。
 金貨一枚の値段が付けられたそれは決して高いものではないが、彼女は喜びの笑みをこぼした。

「ではこれを」

「お買い上げありがとうございます。今包装してお渡し致しますので少々お待ちを」

「いえ、着けて帰るわ。……ね、レオ?」

「そうだな」

 私は店主に金貨を手渡しネックレスを受け取る。
 そしてエルシャの長い黒髪をかき分け、白く細い首にそっとネックレスを回して着けた。

「ありがとう」

「似合ってるよエル」

「いやいやこれはこれは! 流石はレオ様の選んだ逸品! お美しいですエルシャ殿下! ……それにしてもレオ様とエルシャ殿下は本当に仲がよろしいようで!」

 店主は手をこねくり回しながらそう言う。

 私たちのこのこれみよがしなデートには、民衆に私たちの仲を見せ安心させる意図も確かにあった。むしろ最初は孔明に言われるがままその目的で外を出歩いていたものだ。
 だが今は私もこの時間を確かに楽しんでいた。

「それじゃあ今日はこの辺で。また来るよ」

「はい! またのお越しをお待ちしております!」

「行こうか、エル」

「ええ」




 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 屋敷に戻ってからも、エルシャは首元に光る宝石を大切そうに撫でていた。

「レオくんこの算数の教科書の問題なんだけど……、──あっ、ごめん、邪魔しちゃったかなぁ……?」

 私の仕事部屋は常に解放している。一々「レオ様お時間よろしいでしょうか」から始められてはそれが時間の無駄に思えたからだ。
 だから誰でも自由に入るよう言ってあるが、エルシャはこうして半ば住み着いてしまった。仕事の話をしずらく思う人もいるようで少々問題だ。

「大丈夫ですよシズネさん」

 屋敷に女性しか入れない事情から、シズネと私が直接やり取りすることが増えた。昔は彼女にこの世界のあらゆることを教わったが、今は私がこうして何か教えることが多い。
 私が手招くと彼女はとたとたと小走りで私のデスクまでやって来た。

「ここなんだけどねぇ……」

「ああこれですか……」

 皇城のような壮大な建築物を作っているあたり、決してこの世界の学問レベルが低いなどということはない。
 しかしよりまだ発見されていない、簡単に解ける公式や定理などを伝えることは文系の私であっても役に立てる部分だ。

「シズネさん、私がお教えしましょうか?」

「え、エルシャ様が……?」

「ええ。それはもうレオに教えてもらったの。忙しい彼に変わってきっと私でも解決できるはずよ」

「いや別に今は私も手隙だからだいじょ──」

「じゃあ休んでいていいわよ。疲れているでしょう?」

 何故だかこうしてエルシャは私からシズネを引き離そうとする。

 ミーツもエルシャに酷く怯えていることを考えると、エルシャは獣人と折り合いが悪いのかもしれない。だが決してエルシャは差別意識を持っているだとかいうことはない。
 では何故このようなことをするのか。謎である。

「では少し横になってくるよ……」

「で、でもこれはきっとレオくんじゃないと……」

「じゃあレオ、ここで寝ててくれるかしら。特別に私の太ももを貸してあげるわ分からなかったら聞けばいい。そうでしょ?」

「う、ううん……」

 エルシャは少し気の強いところがある。気丈とも言えるがこういう時は決して折れないので諦めるしかない。
 それに美人の膝枕を断るのももったいない。

 ……そうは思っていたが、実際やってみるとかつての師であるシズネの前にこの醜態を晒すのはいかんとも言い難い恥辱であった。

 しかし私も気分転換をしたくなるほど仕事が重なっていたため、その疲れからかエルシャの膝元で深い眠りについた。






「……れ……ま……! …………さま! ………………レオ様!」

「ん、んん……?」

 私は耳元で叫ぶミーツの金切り声で目を覚ました。

「なんだ……」

 エルシャの腕に支えられながら重たい体を起こす。

「大変なことになりましたにゃ……!」

 ミーツは大きく息を乱し目が定まっていない程に動揺していた。

「落ち着け。何があった?」

「皇帝が……! このプロメリア帝国皇帝が亡くなったとの知らせがありましたにゃ!!!」

「なッ……!」

 またひとつ、時代の歯車が大きな音を立てて動き出した。
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