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第二章

96話 決起

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「────うォー!痛てェ!」

 私が食堂で軽食をつまみながら、母に近況報告をしていると歳三がやってきた。
 服はボロボロで、所々から血が滲んでいる。

「勝敗は?」

 私はすかさずそう聞いた。

「俺がここに居るって事は……」

「……おめでとう歳三」

 歳三は満足気に笑ってみせた。どうやら今回は父が医務室送りになったらしい。
 しかし、刀を腰元で握る手がカタカタと震えている辺り、かなりの激戦であったと伺える。

「お代わりのお茶をお持ち……まぁ!」

 歳三はすぐさまマリエッタに首根っこを掴まれて、医務室まで連行されていった。

「歳三は毎日あんな調子?」

「いえ、普段は真面目に兵たちに稽古をつけています。今のファリア軍なら、ウィルフリードの兵士にも負けませんよ。……ただ、ファリアには歳三や父上に匹敵するほどの人物はいないので、抑えきれなかったのでしょう」

「ふふふ、そう……。戦争は何があるか分からないわ。レオも今のうちにしたいことはしときなさい」

 母はそう言いながら目を細めた。
 美しく透き通ったその全てを見通す瞳の奥に、微かに悲しみの色が見て取れた。

「母上はこの度の出兵には同伴を?」

「いいえ。今回は私まで名指しで呼ばれていないから行かないわ。むしろ前回の魔王領討伐の命が特殊だったのよ」

「そうですよね……」

 本来であれば、戦場は女子供が来るべき場所ではない。……と、少なくとも男である私はそう思う。

「レオも気がつけばもう十二歳。帝国法では立派な成人よ。だから従軍命令には背けないわ……」

 母は悲しそうな、しかし息子の成長を優しく眺めるように目を細めた。

「戦争が始まって、レオも領主としての地位と責任がある。これでは貴族学園にも行けないわね……。だから、今だけはやりたいことをやっておきなさい?」

「私のしたいことですか……」

 私はそっと目を瞑る。
 瞼の裏に浮かぶのは、家族や、歳三、孔明、タリオ、シズネらとの団欒の景色ばかりだ。

「──今夜は、みんなで楽しく食卓を囲みたいです」

「そうね。そうしましょう。……きっとその頃には孔明も来るわ」

 夜から明日の出立まで、熱い議論がこの部屋や会議室で行われるのだろう。アルガーともその時に会えるだろうか。
 それまでの、ほんの少しの幸せな日常。

 そんな瞬間も、東の果てでは帝国の兵士と、罪もなき亜人・獣人たちが命を落としている。

「マリエッタ、準備してちょうだい」

「かしこまりました」

 僅かばかりの平和に浸っていたい。それだけが私の願いだ。




 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「皆様、大変お待たせ致しました。諸葛孔明、到着しました。」

 日はすっかり傾いて、屋敷中のランプには日が灯されている。
 そのうち幾つかの食堂のシャンデリア、はヘクセルお手製の光の魔石ランプに置き換わっていた。

「遅かったな孔明。さあ、もう食事にしよう」

「はい、頂きます」

 食堂には続々と料理が運ばれて来る。

「ふぅ……!いやぁ負けた負けた!」

 思ったよりもだいぶ重症な父が現れた。包帯グルグル巻きの父は、歳三の肩を借りてやっと立っているようだ。

「ち、父上……、その傷は後々響きませんか……?」

「ははは!大丈夫だ!長い行軍には十分な休息が必要だ。休み休み行くから、エルフの森に着く頃にはまた万全になるはずだからな!」

「一応、互いに深手は避ける戦い方をしたいしなァ?はは!」

 それなら大将は最初から万全な状態で出軍すべき……、という言葉は飲み込んだ。
 父のその言い訳も、今だからこそ言えることだ。戦場へ行けば否応なしに剣を握り続けなければならないのだから。

「良かったら、マリエッタや他の家の者も参加してくれないか?皆で食べた方がきっと楽しい」

「……かしこまりました。準備が出来次第、手隙の者を集めます」

「うん、頼むよ」

 こうして、複雑な心中の中、最後かもしれない晩餐会が開かれた。




「──ふむ!これは美味ですね!流石はレオが考えた“すいーつ”なるものです!」

「あぁ。私自身がどうしても甘いものが食べたくなってな。いやいや、砂糖が作れる作物があって良かったよ」

 前年からファリアでは果物や穀物とは別に、輸出用の商品作物にも手をつけた。そのひとつが砂糖の製造という訳である。

 あまり知られていないが、砂糖にはわずかながら依存性がある。一度世間に受け入れられれば、間違いなく恒久的な財源になりうる。
 生産の拡大は即ちファリアの発展に直結するだろう。

 ちなみに、例に習ってこれも製造法は私たちが独占している。
 ……特許などの仕組みがないからね、仕方ないね。き、聞かれれば答えるよ。

「母上、マリエッタ、スイーツは食べすぎると太ってしまうから気をつけてくださいね」

 私の言葉も聞かずに、母はリンゴを砂糖に漬けたコンポートを頬張る。

「これを軍に導入すれば兵たちの士気も上がりそうだな!」
「おいおい、そんな事より俺お手製のたくあんも食べてくれよ!」

「奥様、こちらもどうぞ」
「あら、ありがとうマリエッタ」

「こんなに立派なものを僕が頂いて良いのでしょうか……」
「えぇ、私も初めてで……」
「いいから食べよう!……あぁ!ウィルフリード家に仕えられて俺たちは幸せ者だ!」

 この光景を目の前にして、私は思わずクスリと笑みがこぼれた。
 これを守る為に、私は敵を殺めなければならない。

「──それでは私はこれで失礼します。お休みなさい」

 私はその場をそっと立ち去った。

 浸っていたい日常と、
 これから向かう残酷な戦場との落差に絶望しないうちに、
 何も考えず、
 今日は、
 ……眠りたい。
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