ずっと、欲しかった

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『森本先生、今日も残業ですか?』

 1人で黙々と書類と戦っていた森本が、驚いて振り返った。時間は夜8時を過ぎたころだったが、職員室には倉田と森本以外、もうすでに残っている教員はいなかった。

『あれ。倉田先生もですか?』
『はい。月曜日の実験の準備があるんで』
『ああ、そうなんですか。お疲れ様です』

 森本が笑顔を向けた。倉田も微笑み返す。普段、ほとんど自分から話しかけたこともなかったので、森本が若干戸惑っているのが分かった。倉田は構わず話を続ける。

『毎日、大変ですね。部活の顧問だけでも大変なのに』
『部活は自分も好きでやってるんで。運動不足の解消にもなりますし』
『見ましたよ。全力で一緒に走ってましたよね』
『まだまだ負けられないなと思って。でもおかげで汗だくになってしまったんで、さっき部室のシャワー借りてきました』

 ああ、だからか。いつも部活後、そのままジャージ姿で残業することが多いが、今日は珍しくスーツに戻っていた。よく見ると、髪もまだ少し濡れている。

『あ、そうだ。森本先生、コーヒーどうですか? 僕、煎れましょうか?』
『え? いや、そんな、お手数かけますし……』
『僕も今飲もうかと思ってたところなんですよ。だから、ついでなんで』
『そしたら……お願いします』

 倉田は森本のコーヒーに微量の睡眠薬を入れた。何も知らない森本はそれを美味しそうに飲んでいた。

 カチッカチッと壁時計が立てる音が妙に耳に付く。相変わらず気持ち良さそうに眠り続ける森本を見つめたまま、倉田は眉を寄せた。

 今夜、森本が手に入ったら。そのまま去るつもりでいた。森本ともう二度と会わないようなところへ。仕事も辞めて、過去を捨てて、何もなかったかのように残りの人生を過ごすつもりでいた。

 ところがどうだ。計画は順調だったのに。完全な自分の気持ちが萎えるなんて。

 唇を重ねた時の、反応のなかった森本を思い出す。

 倉田の中に息苦しさが広がる。ぐっと何かに胸を掴まれたかのように苦しい。森本を襲おうとした瞬間に、自分の気持ちに気付くなんて思ってもみなかった。

 自分はただ、森本に欲情していただけだと思っていた。理由は分からないが、森本に触りたい、森本の体を手に入れたい、ただそれだけの生理的な欲なのかと思っていた。

 まさかそれ以上のものを求めているなんて。

 森本を襲おうとした時に感じたあの虚しさは、自分のしていることが意味のないことに気付いたからだ。反応のない森本を無理やり襲ったところで、『本当に欲しかったもの』は手に入らない。きっとそういうことだったのだろう。
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