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第七章 激突
接敵
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パトリア王国の新型ゴーレムを前方に認め、帝国軍は停止した。
霧のような細かい雨が赤茶けた荒れ地に白いヴェールをかけている。
銀色の鎧兜に槍を手にした女神像が、固唾を呑む帝国将兵に向かって恐るべき速さで接近してきた。
「ゴ、ゴーレムが走っている!?」
小走りだが「ゴーレムは鈍重である」との常識が覆された驚愕の光景だった。
帝国軍ゴーレムが止まって以来静まっていた荒れ地に、規則的な音が響く。
新型ゴーレムが水しぶきを立てる音だ。
「地響きを立てないだと!?」
ゴーレムとは大地を震撼させて歩くものだが、まるで宙を浮いているかのように地響きを立てずに走っている。
そしてゴーレムが近づくにつれ前方より強い風が吹いてきた。
微小な雨粒でも、強風で吹き付けられると視力を奪う。
シノシュはゴーレム車の扉に身を隠した。ポケットのハンカチを探る。
「どうぞ、お使いなさい」
政治将校のファナチがハンカチを差しだした。
(罠だ!)
咄嗟に少年は口走る。
「ご厚意感謝いたします。ですが、政尉殿のハンカチを汚すまでもありません」
「構いません。あなたには良く見ていただきたい」
これ以上の固辞は逆効果だ。
シノシュは震える指でハンカチを受け取った。
支給品とはまるで違う柔らかな布地で額から目を拭いた。
「来たあ!」
前方で悲鳴をあげたのは、敗走した第七師団の兵か。
さらに強まった向かい風とともに、霧雨が横殴りに襲って来た。
アロガン師団長は舌打ちして車内に戻る。
だがシノシュは、風に押される扉を支えて前方を見るしかなかった。
政治将校に命じられた以上、死ぬまで続けねばならない。
規則正しい水音が続く。
程なくして前方からの圧力が減じた。
(風向きが変わった?)
正面から吹き付けていた風は、やや左からになっている。
シノシュはゴーレム車の風下側となった。
「ああ、くそ!」
風上のアロガン将軍は毒づいて扉を閉めた。
風が回り部隊の正面が見えるようになったが、新型ゴーレムの姿は無い。
風上の位置に移動しているのだとシノシュは推測した。
(否、新型ゴーレムの移動に合わせて風向きを変えているのだ)
グラン・シルフは征北軍にもいたが、能力に歴然たる差があった。
風は真横から吹き付けだした。それは「新型ゴーレムが部隊の左側面に回った」ことを意味する。
(シルフを自在に使えるのだから、我が軍の布陣は分かっているはず。隙をうかがっているのか?)
疑問の答えは左翼から聞こえてきた。
兵の悲鳴と、それを叱る将校の怒声とが幾度となく響いてくる。
(ああ、兵の心を折る腹か)
戦わずして兵力を減らせるのだから、策としては十分あり得る。
(今の征北軍に対しては下策だが)
残り少ない食料を保たせる一番の方法は、兵を減らすことだ。
末端の指揮官にとって兵の逃亡は大失点だが、軍の首脳には追い風となろう。
風はさらに回り、後ろから吹いている。
その追い風は、シノシュにとっても追い風になっていた。
新型ゴーレムの――否、ルークス・レークタの能力が常識を超えるほど、敗北の責任が軽減される。
天候さえ操る精霊使いなど前代未聞だ。
少なくともシノシュは知らない。
ならば今戦役が敗北に終わったとしても、部隊の責任は軽くなるはず。
戦力の算定を誤った参謀本部の責任が重くなるから。
(上手くすれば、俺一人の命で済むかも)
味方を恐れる少年は、敵に期待を寄せた。
さらに風は回った。
新型ゴーレムは征北軍の右側を、北へと走っているらしい。
雨足が強まり水の礫がシノシュやゴーレム車に叩き付けられる。
風向きが変わるたびに、部隊に動揺が走るのを少年は感じた。
いつ強敵が突撃してくるか分からない。しかも姿が見えないのだ。
自分の側からは来ないでくれ、と将兵が祈っているのは間違いない。
その後新型ゴーレムは前方に戻り、また左へと回りこむ。
夕刻、北へと走り去るまでに征北軍の周囲を二度も回った。
それだけで新型ゴーレムは帰還したのだ。
戦闘行動には出ず、ただ周囲を二周しただけで。
風が止み小雨が降る路上でシノシュは周囲を確認していた。
将兵たちには安堵以上に不安が見て取れた。
敵の意図が分からないためだろう。
「敵の狙いは何でしょうね?」
ゴーレム車内から政治将校のファナチが尋ねて来た。
シノシュにとっては最後通牒も同然である。
下手な回答をして無能を晒せばそれで終わり。
かと言って、上手すぎる答えはさらに悪い結果をもたらす。
そして時間をかける訳にもゆかない。
少年は大きく息を吸った。
「正直、敵の狙いは計りかねます。事実として言えるのは『我が軍は半日近くも足止めされた』です」
「確かに。今夜はここで野営するしかありませんね」
政治将校が満足そうにうなずくので、シノシュは内心で胸を撫で下ろした。
どうにか今日も、家族の命を保てたのだ。
霧のような細かい雨が赤茶けた荒れ地に白いヴェールをかけている。
銀色の鎧兜に槍を手にした女神像が、固唾を呑む帝国将兵に向かって恐るべき速さで接近してきた。
「ゴ、ゴーレムが走っている!?」
小走りだが「ゴーレムは鈍重である」との常識が覆された驚愕の光景だった。
帝国軍ゴーレムが止まって以来静まっていた荒れ地に、規則的な音が響く。
新型ゴーレムが水しぶきを立てる音だ。
「地響きを立てないだと!?」
ゴーレムとは大地を震撼させて歩くものだが、まるで宙を浮いているかのように地響きを立てずに走っている。
そしてゴーレムが近づくにつれ前方より強い風が吹いてきた。
微小な雨粒でも、強風で吹き付けられると視力を奪う。
シノシュはゴーレム車の扉に身を隠した。ポケットのハンカチを探る。
「どうぞ、お使いなさい」
政治将校のファナチがハンカチを差しだした。
(罠だ!)
咄嗟に少年は口走る。
「ご厚意感謝いたします。ですが、政尉殿のハンカチを汚すまでもありません」
「構いません。あなたには良く見ていただきたい」
これ以上の固辞は逆効果だ。
シノシュは震える指でハンカチを受け取った。
支給品とはまるで違う柔らかな布地で額から目を拭いた。
「来たあ!」
前方で悲鳴をあげたのは、敗走した第七師団の兵か。
さらに強まった向かい風とともに、霧雨が横殴りに襲って来た。
アロガン師団長は舌打ちして車内に戻る。
だがシノシュは、風に押される扉を支えて前方を見るしかなかった。
政治将校に命じられた以上、死ぬまで続けねばならない。
規則正しい水音が続く。
程なくして前方からの圧力が減じた。
(風向きが変わった?)
正面から吹き付けていた風は、やや左からになっている。
シノシュはゴーレム車の風下側となった。
「ああ、くそ!」
風上のアロガン将軍は毒づいて扉を閉めた。
風が回り部隊の正面が見えるようになったが、新型ゴーレムの姿は無い。
風上の位置に移動しているのだとシノシュは推測した。
(否、新型ゴーレムの移動に合わせて風向きを変えているのだ)
グラン・シルフは征北軍にもいたが、能力に歴然たる差があった。
風は真横から吹き付けだした。それは「新型ゴーレムが部隊の左側面に回った」ことを意味する。
(シルフを自在に使えるのだから、我が軍の布陣は分かっているはず。隙をうかがっているのか?)
疑問の答えは左翼から聞こえてきた。
兵の悲鳴と、それを叱る将校の怒声とが幾度となく響いてくる。
(ああ、兵の心を折る腹か)
戦わずして兵力を減らせるのだから、策としては十分あり得る。
(今の征北軍に対しては下策だが)
残り少ない食料を保たせる一番の方法は、兵を減らすことだ。
末端の指揮官にとって兵の逃亡は大失点だが、軍の首脳には追い風となろう。
風はさらに回り、後ろから吹いている。
その追い風は、シノシュにとっても追い風になっていた。
新型ゴーレムの――否、ルークス・レークタの能力が常識を超えるほど、敗北の責任が軽減される。
天候さえ操る精霊使いなど前代未聞だ。
少なくともシノシュは知らない。
ならば今戦役が敗北に終わったとしても、部隊の責任は軽くなるはず。
戦力の算定を誤った参謀本部の責任が重くなるから。
(上手くすれば、俺一人の命で済むかも)
味方を恐れる少年は、敵に期待を寄せた。
さらに風は回った。
新型ゴーレムは征北軍の右側を、北へと走っているらしい。
雨足が強まり水の礫がシノシュやゴーレム車に叩き付けられる。
風向きが変わるたびに、部隊に動揺が走るのを少年は感じた。
いつ強敵が突撃してくるか分からない。しかも姿が見えないのだ。
自分の側からは来ないでくれ、と将兵が祈っているのは間違いない。
その後新型ゴーレムは前方に戻り、また左へと回りこむ。
夕刻、北へと走り去るまでに征北軍の周囲を二度も回った。
それだけで新型ゴーレムは帰還したのだ。
戦闘行動には出ず、ただ周囲を二周しただけで。
風が止み小雨が降る路上でシノシュは周囲を確認していた。
将兵たちには安堵以上に不安が見て取れた。
敵の意図が分からないためだろう。
「敵の狙いは何でしょうね?」
ゴーレム車内から政治将校のファナチが尋ねて来た。
シノシュにとっては最後通牒も同然である。
下手な回答をして無能を晒せばそれで終わり。
かと言って、上手すぎる答えはさらに悪い結果をもたらす。
そして時間をかける訳にもゆかない。
少年は大きく息を吸った。
「正直、敵の狙いは計りかねます。事実として言えるのは『我が軍は半日近くも足止めされた』です」
「確かに。今夜はここで野営するしかありませんね」
政治将校が満足そうにうなずくので、シノシュは内心で胸を撫で下ろした。
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