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第二章 学園の軋み

高等部で問題発生

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 その夜はフェクス家で過ごす最後の夜だった。
 九年間、我が家であった小さな家から明日ルークスは巣立つのだ。
 夕食の席でルークスはアルタス、テネル、アルティ、パッセルに感謝を告げた。
「僕を我が子として育ててくれて、本当にありがとうございました。屋敷に移っても、変らず皆は大切な家族です」
 アルタスは鼻をすすって言う。
「しみったれた事を言うな。男は独り立ちするもんだ」
 テネルは「いつでも帰ってきなさい」と言ってくれる。
 ルークスは押し寄せてくるバンシーから目を逸らし、家族に笑顔を作った。
 悲しみを司る精霊バンシーに、アルタスもアルティも気付いていない。
 普通の精霊使いでは感情を司る精霊が分からないのだ。
 五才で両親を失ったルークスは、その悲しみの深さゆえにバンシーが見えるようになった。
 シルフより希薄な精霊はオムより小さく、十数人もがルークスの周囲を飛び回り、隙あらば心に飛び込んでこようとする。
 精霊に敏感なため、心に入られたら悲しみに囚われてしまう。
 ルークスは意識を左肩のオムに向け、その頭を撫でた。
「ルールー、いつものですか?」
「ああ、いつものだ」
「あっち行け、です」
 ノンノンは両手で追い払う仕草をした。
 しかし属性が違う精霊同士は干渉できない。
 圧倒的な力を持つグラン・シルフであっても、感情の精霊を追い払うことはできないのだ。
 感情の精霊は対象にその感情を与えるのみで、意思疎通も困難である。
 学園の教師も本も、感情の精霊については存在を伝えるだけで、付き合い方は教えてくれない。
 会話を試みても感情が強まるだけなので、無視するしかルークスには対処法がなかった。

                  א

 バンシーに邪魔されたお別れの夕食から一夜明けた安息日、ルークスの引っ越しが始まった。
 とは言え平民未成年の荷物など衣類くらいだし、歩いてすぐの距離である。
 出がけにテネルと最後の別れをしていたので、屋敷にはアルティとパッセルが先に来ていた。
 ちょうどフォルティスが馬車で自分の荷物を運んでいたところだ。
 そこで何故かルークスは「騎士が貴婦人にする挨拶」の練習を妹たち相手にする羽目になった。
 アルティの手の甲にキスをするというだけで、ルークスの心臓は飛び出そうになった。
 今までにない経験で、アルティの真っ赤な顔もルークスは初めて見る気がした。
 少し落ち着けたのはパッセルと練習してからだった。

 二人と別れ、興奮冷めやらぬルークスは敷地に入る。
 ゴーレム工房に負けないくらいの音を立てて、大勢の大工が離れを建てていた。
 庭では庭師が頭を抱えている。鳥に運ばれた種が芽吹き無秩序に枝を伸ばしているのを全部切り倒したいのに、当主が「絶対に切らねばならない木しか切るな」と無茶な注文をしたためだ。
 通行の邪魔になる、他の木の発育を妨げる、物干しのスペースが必要など、理由をひねり出すことに庭師の頭は使われていた。
 ルークスは庭を回って木の精霊ドリュアスたちと言葉を交す。
「あの人間切り過ぎよ」
「今度は私が切られるの?」
 などの苦情にルークスは謝るしかない。
 フォルティスは早く実務に入りたがったが、ルークスからしたら「先住者に挨拶しないのはおかしい」のだ。

 挨拶回りが終わり、やっと二人は屋敷に入った。
 母屋は二階建てに屋根裏、古い作りで廊下がない。
 まだ修繕中で、使える部屋は限られていた。
 玄関を入ってすぐの居間で、年配の執事から修繕と増築、使用人の人選の状況を説明される。
「召使いは決まりましたが、メイドは選別に時間がかかります」
 フェルームは鉱山やゴーレム関連など男の働き口は多いが、女の働き口が少ない町だ。
 針子や子守くらいしかないところに、作法も教えてくれる住み込み職場ができるとあって希望者が多いそうだ。
「その分選べますので、質は期待できるかと」
 ソファはクッションがふかふかで、慣れないルークスには座りが悪く、気が逸れてしまった。
「そうだ。候補者に妹も加えてくれたよね? もちろん質に達していなければ、落としていいから」
「失礼ながらルークス様」執事のクビクリが眉をひそめる。「妹さんはその、弱点になると思われます。害意ある者に狙われる懸念があります」
「なる、じゃなくてもうなっているよ。どうせ弱点なら、屋敷にいる方が守るのに都合が良いさ。パッセルが屋敷にいれば、外にいる家族は三人。うち二人は大人だ」
「そこまでお考えでしたら是非もありません。パッセル嬢を入れましょう」
「さっきも言ったけど、入れるのは候補まで。水準に達していないなら落としてくれ。いくら守るのに好都合だからって、無理な仕事に就けるのは可哀想だ」
 聞いていてフォルティスはルークスへの認識を新たにした。
 敵に対して有効な戦術を発案するように、味方を守る思考ができている。
 友人関係はからきし・・・・ダメなルークスだが、そこに敵対軸を設定するや対処法を見つけられるらしい。
(彼は乱世の人物なのか?)
 ゴーレムを得るまで時間がかかったものの、得るやたちまち実戦投入してのけたのも、戦いを前提に知識を付けていたからだろう。
(そう考えると見えてくるな)
 この扱いづらい主人に、どう言葉をかけるべきかが。
 執事が下がり、やっとフォルティスの用事ができる。
「夕食までに軽く汗を流しましょう」
 フォルティスはルークスを庭に連れだした。
「陛下の剣を賜った以上、それが振れぬとあれば恥をかくのは陛下です」
 従者の指示でルークスは腰の剣を抜いた。鞘にも柄にも宝石が散りばめられた細身の剣だ。
 騎士叙任時にフローレンティーナ女王から下賜された儀式用の剣である。
 フォルティスはブロードソードを握っている。彼には重すぎるが、ルークスと同じ立場になるにはそのくらい必要である。
 上から正面に振る。何回も。
 ルークスは切っ先がぶれて安定しない。握力不足だ。
 左から右に横振り。
 ルークスの剣は下を向いてしまう。水平にもできないほど筋力が不足していた。
「下半身がおそろかになっています」
 剣は腕ではなく腰で振るものだ。下半身で踏ん張り体重移動で力を出す。
 剣を収めさせて体重移動だけを練習させる。
 地味な練習だが、基礎を固めるべきとのフォルティスの判断だ。
「どう移動するのかが分からないな」
「そうですね。剣を振ったときに分かるものですから」
「イノリなら一度やった動きは正確に繰り返せるのに……」
 ルークスが黙り込んだのでフォルティスは顔を覗き込んだ。
「ルークス卿?」
「ノームが扱えるのは固体、ウンディーネは液体。人体は液体と固体とでできているから、制御するとしたらどちらだ?」
「ルークス卿、思考が暴走しています」
 ゴーレムに関わらないことでも、すぐゴーレムに関連付けてしまうのが主人の思考の癖だ、と従者は学習した。

                  א

 王立精霊士学園の土精科は、高等部になると町の北にある軍の駐屯地で大型ゴーレムの実習がある。
 二倍級から始め、三倍級、五倍級をノームが制御できてやっと、七倍級での実習が許可される。
 五年かけて訓練し、優秀者がゴーレムコマンダーに選ばれてきた。
 例年だと欠員を補充するだけなので狭き門だった。
 その原因だった「リスティア大王国に強いられたゴーレム保有数の枠」が撤廃されたので、門戸は大きく開かれている。
 とは言え七倍級ゴーレムは「ちょっとした」事故でも惨事になりかねず、一度芽生えたゴーレム部隊への不信は国家存亡に直結してしまう。
 ゆえに軍は実力主義に徹し、生まれや経歴に関わらず、基準に達しない人間は容赦なく落としてきた。
 高等部五年には六人が編入したが、二倍級で二人が、三倍級で残る四人が不合格となった。
 卒業までの一年足らずで、五年の実習に匹敵する訓練は不可能である。
「間の大きさなど身につける必要はありません。七倍級なら扱えます!」
 平民の編入生レズールゲンスが食い下がった。
 訓練所で貴族を差し置いて最優秀だった彼は、リスティア軍に入隊が決まっていた。その自分がパトリア軍に不採用になるなんて、納得できない。
 だが教官を務める女性将校は譲らない。
「三倍級が扱えない人間に七倍級を扱わせることは認めない」
「七倍級なら完璧なんです! それで試験をしてください!」
「七倍級を扱えるのは、五倍級の試験に合格した者だけだ。そして五倍級の試験を受けられるのは、三倍級の試験に合格した者だけだ」
「僕らの事情を汲んでください!」
「これは軍規だ。軍人になろうと言う者が軍規に従わないでどうする?」
「僕が平民だからダメなんですか!?」
「そんな性根では話にならん。私も平民だ。実力本位、それがパトリア軍ゴーレム大隊だ。そもそも精霊を扱うのに、生まれに何の意味がある?」
「ですが――」
「我がゴーレム大隊を生み育てた英雄ドゥークスは平民だった。現大隊長も平民出身だ。以上」
 教官は切り上げたが、レズールゲンスは地面をにらんだまま言った。
「ルークス・レークタは戦場で活躍した! 試験も受けずに! それは彼が貴族だからですか!?」
 これには教官も顔をしかめる。
「事実関係も知らずに言うことではないぞ。戦場の功績で騎士に任じられるまで、彼は平民だった」
「でも戦場に行けた! 中等部なのに!」
「彼は軍人ではないし、彼のゴーレムも軍の所有ではない。よって彼の行動は軍の管轄外だ。
 また本来なら指揮系統を混乱させる行為だが、彼は風の大精霊契約者でもある。司令部と連絡を取り合うのはもちろん、敵グラン・シルフによる妨害を排除、シルフによる連絡や偵察を復活させてもくれた。
 さらに彼は、ゴーレムの扱い方を我々と同等なレベルで熟知している。
 その上で、従来のゴーレムを一蹴する新型ゴーレムの投入だ。
 君らがその域に達していると言うなら、検討はするが?」
 レズールゲンスは奥歯を噛み砕かんばかりに歯を食いしばった。
「僕らは今年度で卒業です! 一年足らずで途中のゴーレムが扱えるようになるはずがありません!」
「卒業後も機会はある。既に卒業生の入隊が二人決まっている」
「ですが、学園で訓練する機会がありません!」
「それは学園の都合だ。学園と交渉するのだな。所管が異なるので軍は口を出せない」
 沙汰は下った。
 その実習で在校生から一人の合格者が出た。
 当落線までこぎ着けた者は十人近くいる。
 その誰もが自分以上には思えず、レズールゲンスは怒りをかき立てるのだった。

 同様のトラブルは四年生でも起きた。
 こちらはもう一年猶予があるが、技能が一年生程度なので、三年の差を埋めるのは絶望的だった。
 編入生たちの訴えに学園は「夏冬の休暇期間に補講をする」と回答した。
 それで満足した編入生は三年生以下で、残り時間が少ない四、五年生は納得しない。
 だがそれ以上の対応を学園首脳はする気がなかった。
 理由は「軍が特別な配慮を要請しなかった」からである。

 学園は王宮精霊士室の所管なので「軍が口を出せない」のは事実である。
 ただし、学園は「軍に優秀な精霊士を供給する」のが設立目的なので「要請」ならできるのだ。
 それをしなかったのは軍が「編入生たちの帰属意識を懸念した」からだ。
 教官の指示に従わず、自分の都合を述べる編入生たちが「祖国のために身命を賭す」とは思われなかった。
 守りの切り札であるゴーレム大隊に、いざと言う時に頼れない人間を抱えるわけにはいかない。
 ましてや「七倍級が扱える」と「七倍級を安全に扱える」とでは、天と地ほどの差があることを理解しない人間ならなおのこと。
 それでも「技能を満たせば入れる」と公平性は保ったのだ。
 学園首脳は「軍が要請しなかった」事実をもって回答と受け取った。
 ゴーレム大隊には不要との回答に。
 あとは補講で「ガス抜き」をして卒業させてしまえば良い、と結論した。

 学園が編入生に冷淡なのは「ここまで使い物にならない」のが想定外だからだ。
 土精科のトップであるランコー教頭が学問の人間で「ゴーレムは使えれば良い」程度の認識だったのが齟齬の主な原因である。
 しかもゴーレムコマンダーに固執しているのは平民生徒ばかりだった。
 貴族生徒は精霊士以外の選択肢もある。
 だが平民には精霊士が、特にゴーレムコマンダーが最も出世できる道なのだ。
 生まれが伯爵家であるだけで「自分は特別」と思い込んでいるランコーには、平民の為に骨を折る理由がない。
 それに学園は来年以降の心配をしていた。
 読み書きも怪しい平民生徒の大量編入で、初等部と中等部のクラスが倍になるのだ。
 さらにゴーレム大隊の増員を知った卒業生が訓練を希望している。
 ここで編入生に「卒業後も面倒を見る」と門戸を開いたら、収拾が付かなくなってしまう。

 つまり学園首脳は平民編入生を見捨てたのだ。

 これに難色を示す教師がいた。
 元ゴーレムコマンダーのマルティアルである。
 軍の事情を説明したのは彼だし、編入生が基準に及ばない――それも一年やそこらの補講で補えるレベルではない――のも分かっている。
 ただ同じ拒絶でも「納得させねばならない」と考えていた。
 祖国を恨む精霊使いを野に放つのは、あまりにも危険である。
 軍で彼は「無駄に敵を作るな」と叩き込まれていた。
 しかし学問畑の人間は、学術論争以上の争いを知らない。
 マルティアルは「敵国に間諜候補リストを渡すことになる」と警告した。
 そして実技の責任者として、切り札を出すことを学園首脳に承認させた。

                  א

 昼休みに教室に教師が来るのは珍しい。
 マルティアルはルークスに用があり、食事が終わったら部屋に来るよう言った。
「今でも構いませんよ」
 とルークスが言うので、一緒に食事をしているアルティとフォルティスが苦笑する。
「他の生徒に聞かれちゃ困る話よ」
 アルティがたしなめる。
 地元の生徒五人が、少し離れた場所で男女に分かれて食事をしていた。
「聞かれて困る話でもないのだが――」
 マルティアルは言葉を濁す。
 生徒たちに勘ぐらせるくらいなら、聞かせた方が早いだろう。
 意を決して編入生についての事情を説明した。
「また厄介なこと」
 と眉をしかめるアルティに、フォルティスが言う。
「ルークスの活躍を広めるには良い機会だと思いますよ」
 二人をよそにルークスは石板に要点を書いた。
「目的は三つですね。
 一、帰属意識を持たせること。
 二、七倍級操作の実力を教えること。
 三、卒業後に危険な真似をさせないこと。
 三は七倍級を勝手に動かすこと、ましてや僕の真似をさせないことですね?」
「ま、そういう訳だ。前例があると真似する奴は必ず出る。それが七倍級の怖さを知らないとなれば」
 マルティアルは「敵国に利用される心配」までは言わずにおいた。
 ルークスは天井を見上げて考えこむ。
「僕に振ったとなると、イノリを使えってことですか? 新型ゴーレムの性能を見せれば、三は思いとどまるでしょう。でも編入生の実力を測るなら、同じゴーレムでないと。ゴーレムコマンダーか、在校生のゴーレムと戦わせるしか、二は実現できないでしょう。一になると、もう」
「一は、イノリを見せれば達成できると考えている。パトリア軍は新型ゴーレムの量産化を計画しているのだからな。祖国が歴史を変えるとなれば、帰属意識も芽生えるだろう」
 そのつもりでマルティアルはルークスに話を持ってきたのだ。
「でも量産は――」
 ルークスは「不可能だ」と言いかけ、フォルティスの咳払いで言葉を切る。
「――そうか。王宮工房で検討中だったっけ」
 と棒読みで言った。
「ルールー、変なこと言うです」
 と肩でノンノンが怪訝な顔をした。
 新型ゴーレムの量産は不可能だが、外交カードにするため「検討中」ということになっている。
 マルティアルはそこまで知らされていないが、グラン・シルフが必要な時点で無理だと分かっていた。
「お前さんに敵意を持っている奴らも、新型ゴーレムを見れば考えを変えると期待できるさ」
「どうだろう? あれだけフューリーを常駐させている人たちは、そう簡単に変らないと思いますよ」
「そんなに多いのか?」
「ラウスは七人。デルディなんか一ダースも。おまけにバンシーもいるから、かなり複雑」
「さすがですね」
 と感心するフォルティスは、勘違いをしていた。
 ルークスは感情を司る精霊の全部が見えるわけではない。
 分かるのは、怒りのフューリーと悲しみのバンシーだけ。
 両親の死以後、両者が群がってきたので分かるようになったのだ。
 それらを何とかいなして・・・・生きてきたのがルークスである。
 悲しみと怒りから目を逸らすため、ゴーレムのことだけを考えてきた。
 しかし意識から排除しても、無意識の領域では感情の嵐が吹き荒れたままだ。
 ルークスの精神は、ゴーレムオタクという薄皮一枚の意識の下で、悲しみと怒りが荒れ狂っている状態なのだ。
 それには本人はおろか周囲の人間も、友達の精霊たちさえも気付いていなかった。
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