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成人編

晩餐

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我に帰った時、寺崎は荒垣宅のシャワーを浴びながら突っ立っていた。

あの後しどろもどろになりつつ、先に気を取り直した荒垣に家に上げられた。
脱ぎ散らかされた寝巻きを片付ける荒垣に促されるまま、ワンルームの座椅子に座らされ、待つ事数分。
奥から水音が聞こえ、居心地悪くなってしまい、何かしようと立ち上がりかけた時。作業着の上着を脱いだ荒垣が戻ってきた。
「先に風呂入れよ。今、湯沸かしてるからシャワー浴びたらちょうど溜まり切ると思う」
「あ、ああ……」
「あ、着替えが必要だよな。ちょっと待ってろよ。服は俺の使えばいいとして、新品の下着あったかな……」
ブツブツと呟きながら荒垣がクローゼットを漁る。面倒見の良い後ろ姿は、寺崎の記憶の中の荒垣とは齟齬があった。
寺崎の知る荒垣とは、粗暴で、自分勝手で、どうしよもないバカだった。
それがどうだ。寺崎を家に上げて、一番風呂を譲り、着替えのことまで考えている。
数年見ないうちに人は随分変わるものだと感心していると、「あったあった」と満足げに荒垣が振り向いた。
「これ、着替え。服はちょいサイズデカいかも。下着は新品だからもう貰っていいからな。あ、スーツは……このハンガーにかければいいか?」
「ああ……なんで新品の下着があるんだ」
「ダチがたまに来て泊まってくんだよ。その時の予備。ホラ、風呂入れって」
着替えのスウェットと下着を手渡された寺崎は洗面所へと押し込まれた。
遠慮するのも失礼な気がして、大人しく服を脱いでシャワーを浴び始めて、冒頭に戻る。

緩んでいた思考が戻ってきたのは、温かい湯を被ったからだ。気づかぬうちに力んでいた全身の力も反比例するように緩んでいく。
冬も間近の公園に長時間放置された身体は、寺崎も知らないうちに芯まで冷え切り、筋肉もガチガチに固まってしまっていたようだ。
それにしても、いくら荒垣は知人とはいえ信用しすぎだろうと頭を抱える。

荒垣と出会ったのは8年前のちょうど今のような時期だった。
喧嘩を売ってきた荒垣を軽くいなしたのをきっかけに、隠れて休憩していた図書準備室まで探し出して押しかけるようになった。
当時は散々嫌がって追い出しても次の日には忘れたかのようにまた現れるので、いつの日か追い出すのも諦めていた。
だが、荒垣はある日突然姿を現さなくなった。
特に仲がいいとか、思い入れがあった訳でもなかったので放置していたら、いつの間にか学校に在籍すらしていなかった。
その時は学年全体が荒垣の噂で持ちきりになった。
曰く、喧嘩のしすぎで退学になったとか。
犯罪をして少年院送りになったとか。
はたまた、喧嘩のしすぎで指定暴力団に目をつけられたとか。
ろくでもない、根も葉もない噂が広まり過ぎて、結局真相はわからないまま噂は風になって受験シーズンの到来と同時に消えていった。
恐らく寺崎であれば探ろうと思えば真相を知る事はできただろう。しかし、荒垣のその後に対して特に興味も湧かなかったのが本音だ。
特に調べもせずに、今日再会するまですっかり忘れていた。
結局噂は噂でしかなく、荒垣は割とまともに生きていることがわかった。
……今日までの8年間に何があったかまでは流石に予測できないが。

シャワーを浴び、沸いた湯に浸かり温まりきってから風呂を出る。
いつの間にか渡された着替えの上に一枚のバスタオルが置かれている。これを使えということか。
バスタオルでガシガシと乱暴に頭を拭く。タオルの触り心地は良く、特に嫌な臭いなどもしない。きちんと洗われている証拠だ。
ある程度全身の水滴を拭い切ったところで渡された衣類に着替える。スウェットは寺崎には少しサイズが大きかった。荒垣のものなのだろう。
ウエストも多少緩かったが、紐で調節できるタイプだったので大した問題ではない。
念の為洗面所にまで持ってきた鞄や財布の中身を確認するが、特に荒らされた形跡はない。ほっと一息吐いた。
勝手にドライヤーを使うのは憚られたので、荒垣に許可を貰おうとした。
洗面所を出ようと引き戸を引いて1歩出ると、ふわりと食欲をそそる香りが寺崎の鼻腔をくすぐった。
「おっ、出たか。ちょうど飯できたんだけど、食う?」
ほれ、と掲げられたのは大きなどんぶりに乗せられた麻婆茄子と、茶碗にそこそこ多めに盛られた湯気立つ米だ。
これを作ったのか。あの荒垣が。
視覚に入った艶々と輝く麻婆に食欲は抑えられず、寺崎は黙って頷いた。昼に吐いてから水しか飲んでいなかった為、今にも胃袋が鳴ってしまいそうだった。
時間は既に日付を跨ごうとしていたが、健康を気にかけている余裕はなかった。人間食わねば死んでしまう。
荒垣に招かれるまま、先ほど待っていた時に座っていた座椅子に再び座る。
机の中央には既に山になったサラダが置かれており、荒垣は手に持っていた麻婆茄子と米を寺崎の目の前に置いた。
「酒飲む?ビールしかないけど」
「いや……遠慮しておく」
「ふぅん」
再びキッチンに戻りながら声を張って問いかける荒垣の問いに断りを入れる。
一応昼に吐いた身なので、これ以上自身の体調の悪化の原因を作るわけにはいかない。
戻ってきた荒垣はおぼんに自分の分の麻婆と米、缶ビール。そして2人分の味噌汁と箸とスプーンを乗せていた。
「レンゲはないからスプーンで我慢してくれな。夜遅いしこんだけあれば足りるよな?」
「ああ、ありがとう」
「ぅえっ……!?」
「おい!」
寺崎が感謝の言葉を告げた瞬間、こちらに手渡そうとしていた味噌汁を荒垣が落としそうになった。
幸いにも味噌汁の中身が少しこぼれただけで、荒垣は中身があふれた器をそっと自分の席の前に戻した。
「どうしたんだ急に」
「いや、寺崎から礼を言われるとか思ってなくて……」
「俺をなんだと思ってるんだ。普通に世話になってるんだから感謝の1つでも伝えるのが常識だろう」
「まあ、確かに……」
もう1つの味噌汁の器を受け取りながら、失礼な奴だと内心ごちる。寺崎から荒垣に失礼な態度をとったことはない……ハズだが。はてさて。
今度こそ荒垣から味噌汁と箸、スプーンを受け取り、手を合わせる。
「いただきます」
スプーンを手に取り、麻婆茄子をひと掬い。
口に入れれば一口サイズに切り分けられた茄子がほろほろと崩れ、ピリッと程よくスパイスの効いた味が広がる。
「うん、上手い」
「そ、そっか!よかった!」
あからさまにホッとした様子の荒垣に内心不思議に思いながら、白米を口に含む。やはり麻婆には米が合う。
続けて味噌汁を啜れば、しっかりと出汁の取れた汁が体を温める。味噌汁がよく染みた油揚げは寺崎の好きな具だ。
「お前、こんな料理が作れたんだな」
「あ?あー……ダチがさ、『お前は独り立ちしろ!』って生活の仕方を叩き込んでくれたんだよ。料理はそのうちの1つ」
「それでもできるようになったのはお前の努力の結果だろ。意外だけど」
「……意外は余計だっつの」
寺崎の素直な称賛に、荒垣は明らかに照れている。その証拠に、顔を隠すかのように荒垣はビールを煽った。
「そういえば敬語」
「ん?」
「公園で見つけたときは堅苦しいほど畏まってたのに、今はもうタメ口だなって」
「ああ……まあお前だしいいだろ」
「なんだそれ。扱い雑だな」
まあいいけど。と、特に気にした様子のない荒垣は中央に置かれたサラダの山を崩して取る。寺崎も真似をするようにサラダを取った。
それにしても、人生何が起こるか分からない。まさか高校時代に倒してしまい因縁?ができた不良と、こうして大人になって突然食卓を囲むことになるなど、誰が予想できようか。
「ごちそうさま」
完食して手を合わせる寺崎に、荒垣はまた照れたように笑った。
 
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