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 一週間ほど前のことである。

「……は? 婚約者が横領を? そしてその罪を私になすりつけたがっている?」

 突如として執務室に入ってきた銀髪の男が私に告げた内容に驚いて、そのままおうむ返ししてしまった。
 最初に聞いた時はこれは夢を見ているのかと思った。だが頬をつねってもあいにく現実。

「サリオン様、これは確かなことなのですか?」

 それを告げた宰相サリオンに向けて私は半信半疑でそう言葉を返す。
 しかしサリオンは銀髪を揺らし、首を縦に振った。
 
「残念ですが本当ですフィオナ・ロジエル。私はそれを王国宰相として調べています」

「嘘でしょう。あのドルムがそんな巧妙なことをできるはずが」

 最初に私を襲ったのはそうした感慨だ。
 正直な所信じられなかった。お金の流れは痕跡が残りやすい。
 そんな素振りを見せたら、私がわからないはずがない。
 
「ドルムの横領について、この報告書を」

 不思議がっていると書面を渡される、素早く読み込んだ私は納得した。
 
「なるほど、そうですか。彼のお気に入りの女の実家が、裏で手を回して……」

 彼が以前より骨抜きにされていたリゼリアという女性の実家が関わっているらしい。
 勢力を急拡大した商会だと聞く。そういう裏の技に詳しいようだった。

「そうです。アマン商会が裏で手を引いているらしいのです」

 さらに書類を読み込んで私は唸る。

「これは……王家が主催するパーティの費用に少しずつ紛れ込ませて、抜いている」

 催事の費用に合わせて少しずつ不審ギリギリのラインでお金が不正に出ている。
 その事態のややこしさを理解した私は思わず叫んだ。

「なんてこと。この件を何も考えずに告発したら、いらない所まで火をおこすことになるわ」

 パーティは様々な貴族が絡む場だ。
 主催の他にも、料理は何々家で、音楽家は何々家といった便宜が図られることが多い。
 功績を独り占めすることなく、関係各家にばらまくことで貴族は派閥を強化する。
 つまり王子のやらかしを掘った結果、“いらない”ことが起きる可能性が大変高い。
 王家主催のパーティを掘ったら、その関係者は国の重鎮だ。考えうる限りの“いらんこと”が起こるだろう。

「ひと目でそこまで判りますか。さすがですね」

 サリオンは目を細め感嘆の声を上げた。
 冷徹で人を人とも思わない宰相と聞いていたが、なんとも素直な賛辞に私は驚いた。
 同時に……目の前の男の意図が知りたくなった。

「サリオン。なぜ……私にこの件を話しました?」

「ふむ?」

「この報告書の内容を作れる貴方なら、いつでもドルムを仕留められるでしょう?」

「買いかぶってくださる」

「私にいうことでもむしろ不利になる事が多いはず」

 腐っても私はドルムの身内だ。
 ――彼の怒鳴り声に疲弊し、愛情をかけらも感じていない内心は、周囲に知られていないはず。
 そう見えるように努力してきたつもりだ。
 サリオンの立場からは、私がドルムの忠実な味方に見えているはずだ。
 なのに、なぜ――。

「そこまで理解してしまいますか。その通りです。このまま内偵を進めればいずれ確固たる情報を掴み、彼を“詰ませる”ことができるでしょう」

「先に私を捕らえに来ましたか?」

 私は椅子に崩れ落ちそうになりながら最悪の結末を覚悟した。
 ドルムを逮捕するのためにまず、私を捕らえにきたのだろうか。
 実際に婚約関係ということは連帯責任を背負いあう関係でもある。
 ドルムの罪は私の罪と言われれば拒否できない。
 眼の前の男の異名を思い出す。
 冷血宰相サリオン。“血が凍っている”と言われるほど辣腕で情のない仕事ぶりをするとうわさの男。
 じっくりと私からいたぶろうというのだろうか。

「そんなわけでは……」

 しかし以外にもサリオンは言葉を濁した。
 
(噂と違う顔つきををする)
 
 おや、と思った。噂とは随分と違う感情豊かな所作だった。
 彼は言葉を選ぶように口ごもって、そして口を開いた。

「……お話を通したのは、貴女に興味があった、というのもあります」

「私に、興味?」

 意外すぎる言葉に私はぽかんとした。
 宰相府の新進気鋭――将来は王の補佐に上り詰めることは確実と言われている男が、私にに興味と。
 
「貴女は非常に優秀であると聞き及んでいます」

「それは、どうも」

 急に褒められて私はぽかんとした。
 その意外さに言葉が続かない。サリオンはさらに言葉を続ける。
 
「対して――失礼ですが、貴方の婚約者である第二王子は無能である、と宰相府ではもっぱらの評判でした」

「それは……そうでしょうね」

 ドルムの仕事ぶりを知っている私はその評価に納得する。

「ドルム様には正直なところ、王族の責務を果たす能力はないという見立てでした。しかし、いま……その業務が滞り無く回っている」

 そう言ってサリオンは私を見つめた。
 青い――どこまでも涼やかな瞳が私を射抜くように覗きこむ。

「それもこれもすべて貴女のお陰と聞いた」

 澄んだ湖畔のような青色の瞳に射抜かれ、どきん――と胸が高鳴った。
 一度目の称賛は驚きで実感がなかった。
 この二度目の称賛は、すとんと胸に落ちてきて、とても嬉しい。

「色々な人の力を借りての成果ですから」

「ご謙遜を。こうして直に話してわかります。優秀なお方だ。本当に貴女のおかげのようですね」

「そんな……貴族学校も出ていない非才の身です」

 サリオンの瞳には私への尊敬の色がある。
 今まで関わってきた男性と違うその眼の色に私はかしこまった。

「貴族学校を辞めたのは貴女の意志ではない。辞めさせられたのでしょう?」

「そこまでご存知で」

 そのとおり、私はドルムと婚約の話がなければ学院に通い続けるつもりだった。
 だがドルムのためにその道をすっぱりと諦めたのだ。

「非才などとんでもない。貴女は、学院の主席を期待されるほどの学力があった」

 そんなことまで知っているのかと私は驚いた。
 私はドルムとの婚約話が出なければ貴族学院に残り、大学に行く予定だった。
 家庭教師からの評価が非常に良く、ぜひにと進学を推薦されていた。
 
「……昔の話です。それより未来が不安ですわ」

 戻らぬ過去に感傷が動くのを感じて私は慌てて話題を変えた。
 青春は戻らず、現実は続く。
 この先、切実な未来が迫っている。
 
「これから私は、婚約者様の犯した罪の片棒を担がされて、社交界の鼻つまみ者でしょう」

 ドルムが逮捕されたら他人事ではない。
 王族が女に入れ込んで、貢ぐために横領なんて大スキャンダルだ。
 婚約者である私に“なぜ女が付け入る隙を作った”と連帯責任が降り注いでくるのは自明の理だ。
 執務室に縛り付けられ、ドルムと一緒にいる時間などほとんど無く。
 ――顔を合わせれば、仕事を投げつけられ、何かあれば怒鳴られるだけの関係だったとして。
 それでも私のせいになる。

「だから貴女が心配だったのです」

 俯いた私を、サリオンは覗き込んだ。
 優しい声。

「心配って……なぜそこまで」

 聞きなれない響きだった。
 誰も私を心配するなんてしてくれなかった。
 思わず目を上げた私の目がサリオンの視線と交錯した。
 サリオンの瞳は真摯に、私を見ている。
 
「ねえフィオナ。貴女はドルム王子とこのまま婚約を続けたいですか?」

 続けたいわけがない。
 あんな男の罪を背負って地獄に落とされたいわけ、ない。
 だけど疑問が浮かぶ。

「なんで、そんなことを聞くんですか」

 せり上がってくる言葉を既のところで押し留める。
 この人は、サリオンは、なぜそこまで私にしてくれるのだろう。
 地獄へと私を誘うための策略なのだろうか。
 
「私は貴女を助けたい」

 揺れる私に、まるですがりつきたくなるようなことを彼は言う。

「私から見れば貴女は何も悪くない。あんな男に貴女が縛られていい道理がない」

「っ……なんで、そんな優しい言い方」

 ああ――でも、サリオンの言葉は、真摯で、真剣で。
 私を助けようとしてくれているのではないかと、信じたくなっている。
 
 本当のことを言っていいのだ、と思わせてくれる。だから私は。

「だから聞きます。貴女は、彼を――愛していますか?」

「私、は……」

 その言葉に、封じ込めていた気持ちがせり上がってくる。
 ついに感情が決壊した。

「嫌いです! いつも、いつだってあの人は……どれだけ尽くしても、私を省みることがなかった!」

 衝動的に言葉が口をついて出た。
 5年間、ずっと――ずっと心の奥に封じ込めていた言葉が、思いが止まらなかった。

「そんな人の罪を一緒に背負って地獄に行くなんて……私は嫌!」

 吐き出し終わり、地面を向く私にすっと影がさした。
 そして、次の瞬間わたしの手が握られる。

「それを聞けて安心しました。――失礼」

 思わず私は顔を上げた。
 私の手をサリオンが、エスコートするように握っている。
 
「え、あ……」

 驚くほど胸が高鳴る。
 そしてダンスに誘われるように手を引かれる。

「私についてきてください、フィオナ・ロジエル。約束しましょう、貴女をお助けします」

 その言葉にはサリオンの涼やかな外見には似合わぬほど力が入っていて、私は言われるがままに連れだされた。


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