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第3話

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「ひろし、お前……お前、ひろしだよな?」
「はい。でも、まさかこんな所で健二さんがバスに乗ってくるなんて、びっくりしましたよ」
「いやいやいや。驚いたのは、こっちだよ。最初はなんとなく、ひろしに似た人が運転してるなと思って、親戚の可能性も考えて一応運転席の近くに貼ってある名前を見たら『山田広志』と書いてあるし。それでも他人の空似ってこともあるから、半信半疑だったけどな」
「この仕事を始めて一年ほどの間、誰にも気づかれなかったから安心してたのに。さすがは健二さんですね」
「何がさすがか分からないけど、同業者なら誰でも気づくんじゃないかな。まあ、伊達メガネ一つで気づかれないなんて、俺もお前もまだまだということなんだろうな」
 そう、僕は健二さんと同業で『山田ひろし』という名の俳優でもある。健二さんと違って知名度は……。
「いえいえ。健二さんがきづかれなかったのは、たまたまですよ。この朝一番のバスに乗られる人は眠かったり仕事の事を考えていたりで周りに目をやる余裕がないんですよ。それにこの辺りと健二さんを結ぶ付けられないから、もし気づいても、ただのそっくりさんだと思いますね」
「じゃあ、そういう事にしておいてもらおうかな。そんな事よりも、これはどういう事なんだ? ひろしなら本業の方で十分にやっていけてると思ってたけど、よりによって東京からこんなに離れた所でアルバイト?してるなんて、分からない事だらけだよ」
「そうですよね。詳しくは、また今度話しますよ。でも一つだけ、これは好きでやってるんです」
「そうなのか? うーん、いまいち概要がつかめないけど……。あんまり邪魔したら悪いから、また今度な。あれ? 今度というのは明日だよな?」
 明日の僕の撮影はそんなにかからないが、主役の健二さんは忙しいので、健二さんの言っている『明日』は僕の詳しい話を聞く日ではなくて、お互いに撮影がある日という意味で言っているのだろう。僕も健二さんも決して社交辞令のつもりで言ったわけではないが、現実的に健二さんには僕の詳しい話を聞く時間は半永久的に無いような気がしたし、僕自身は無理に話すような事ではないような気がした。
「健二さんは、今日も撮影があるんじゃないですか?」
「ああ、そうだ。急いで東京に戻らないといけなかったんだ。じゃあ、頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
 足早に駅構内へ向かう健二さんの背中をしばらく眺めてからバスを降車場から待機場へ持っていってすぐに、僕はものすごく大事な事に気づいた。走って追いかければ追いつけるかもしれないけど、それでは目立ってしまい、周囲の人に健二さんや僕が気づかれてすべての苦労が水の泡になってしまうかもしれない。
 こうなったら、今の僕に、いや、山田ひろしが頼れるのは一人しかいない。次の運行の出発時刻までは10分ほど時間があるので、まずはマネージャーの塚谷君に電話をしようと、カバンに入れてある携帯電話を手に取った。しかし、画面に表示された時計を見て躊躇せざるを得なかった。起きている可能性は高いけど万が一まだ寝ていたらかわいそうだし、さすがに仕事の電話を取らせるのにはまだまだ早すぎる時間だ。それに、今すぐ塚谷君に相談しても、健二さんへの口止めや説明をできるはずもない。健二さんは、たった今、東京に向かってここを出発したばかりなのだから。
 僕が俳優とバス運転士の二足の草鞋を履いているのを知っているのは塚谷君だけなので、このバス会社の同僚や所属事務所の社長にも相談できるはずもなく、ただただ焦るばかりだ。こんな事では安全運転なんてもってのほかなので、藁にもすがる思いで落ち着け落ち着けと何度も自分に話しかけていると、まるで催眠術にでもかかったのか、少しだけど冷静に考える余裕が生まれてきたようだ。
 健二さんは僕の表情を見て察してくれたはずで、人が内緒にしてほしいと思っている事を他人に話すような人ではない。そういうのもあって人望があり人気もあるんだ。ただの男前ではない。だから、あんな大スターになったのだ。きっとなんとかなる。
 今日は、取り乱しそうになったり落ち着いたりと忙しい。それでも、僕はなんとか安全運転をできるまでには再び落ち着いて、一本また一本といつも通りに丁寧にバスを走らせた。バスの運転に集中できていたようで、気づけば仕事の電話をしても差し支えない時間になっている。なので明日の撮影の確認を兼ねて塚谷君に電話をかけると、ほんのワンコールするかしないかのうちに塚谷君は出てくれた。さすが敏腕マネージャーだと驚き笑いちょっと感動してしまった事は、塚谷君に悟られたくない。
「あっ、もしも……」
 僕からは滅多にかけないけど、僕が最後まで話すのをあっさり遮り塚谷君が話し始めるのは恒例行事だ。なので、ここからはしばらく大人しく塚谷君のひとり言を聞く時間だけれども、次の出発時刻までは十分に時間があるので問題ないはず。
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