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天才リーダーの脳細胞は、必ず名案を思いつく
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私はカートを戻し、阿部君か阿部君パパに合流するつもりだったが、レジ前で全員が揃うのを大人しく待つことを選んだ。電話をかけてショッピングのじゃまをしたら反感を買うかもしれないし、私からの着信ということで無視されたら悲しくなるだけだ。明智君もそうだったが、阿部君も阿部君パパも、私の食べたい物をきっと買ってくれているはず。心から私を喜ばせたいからか、単なるご機嫌取りかは気にしない。結果がすべてだ。ただ真相を追求しないのが精神的に良いのだ。
レジ前で待つこと3分、見覚えのある人が現れた。先ほどぬいぐるみもどきの明智君と同じぬいぐるみを欲しがって女性だ。カートにゴールデンレトリバーらしきぬいぐるみを乗せている。
えっ! 本当にあったのか? いやいや、どうせ普通にかわいい顔をしたゴールデンレトリバーのぬいぐるみだろう。私の方からは後ろ姿しか見えないので断言はできない。なんかやけに気になる。まさか明智君本人ではないと思うが。しかし万が一があるのが明智君なので、確かめたいのは山々だな。
私から声をかけて変質者扱いされないだろうか。ほんのさっき会ったばかりの私を忘れてはいないだろうけど、でもリスクは冒せない。こんな事で騒がれ変質者として逮捕されたなら、無実だと立証されても、私は『リーダー』の肩書きを奪われてしまう。そうなると私は何と呼ばれるのだろう? 『下っ端』、『三下』ならまだいい方かもしれない。『おい』とか『ワン』とか呼ばれるまであるのだ。絶対に嫌だ。
しかし気になる。もう確かめないと寝れないかもしれないくらいになってきた。向こうが私に気づいてくれたら言うことなしなのに。きれいで素敵で知的で華のあるお嬢さん、私に気づいておくれ。心の中で言うお世辞って、本当に意味がないもんだな。あんまり凝視してたら、それはそれで本当の変質者じゃないか。
ああー、忘れてた。認めたくはないが、私は明智君と似ているらしい。バカ面なところが。そんな私が声をかけても、喜びこそすれ逃げ惑わない。この短い間に、どこかで頭をぶつけて軽い記憶障害があって、私を忘れていたとしても。
阿部君一家と明智君のせいで少し卑屈になっていたかもしれないな。私は清水の舞台から飛び降りた。
「ゴールデンレトリバーのぬいぐるみ、見つかったんですね?」
私は女性の目をしっかり見て声をかけたのに、その女性は何故か後ろを向いた。えっ! 自分の後ろにいる人に話しかけたとでも思ったのか。希望的観測で。まずい。後ろに誰もいないから、声をかけられたのは自分だと分かる。すると悲鳴を上げながら逃げ惑うんじゃないか。どうしようか。知っている人に似てたのでとか言ってごまかそうか。と悩んだのは一瞬だった。
「あっ、ああー、さっきの」
ほとんど明智君ばかりを見ていて、私の印象が薄かったのだろう。もしくは本当に頭をぶつけたのかもしれない。でも思い出してくれた。それだけで十分だ。変質者にならなくて済んだぞ。『おい』とか『ワン』にならなくて、本当に良かった。
「はい。説明できなかったことが心残りだったんですよ。でも、自力で見つけたんですね?」
「そうなんです。偶然目に入ったんです。ぬいぐるみコーナーではなく、特設コーナーにあったんですよ。ほら、顔を見てください。これがチャームポイントなのでって、あなたは知ってますよね」
「あ、あ・け・ち・くん?」
「え?」
「あっ、いえ……やっぱりバカ面ってかわいいですよね」
「はいっ! 限定で3個だけ作ったそうですよ。なんでも、このスーパーの社長がたまたま街なかで、とびきりぶさいくでバカ面のゴールデンレトリバーと飼い主の似た者コンビを見かけたのが始まりだそうですよ。その時はとてもじゃないけど堪えきれなくて、周囲の目を気にせず大笑いしてしまったと。でもそんなに面白いのなら、そこにいる人たち全員が笑って、笑いの渦ができていると思うんですけどね。よほどその社長のツボにハマったのかもしれないけど、ほとんどの人は見た目を笑うのは失礼だと思って必死で見ないようにしていたんですよ。まあ、それは置いとくとして、続きがあるんですよ。たまたま大口の契約交渉が3つあって、その最高に良い気分で臨んだら、なんと立て続けに最高の条件でまとまったんです。それで気を良くした社長が、記念にバカ面のゴールデンレトリバーのぬいぐるみを3つ作って。そして一つを社長室に、一つを自宅に、最後の一つを自分のような幸運に恵まれますようにという願いを込めて売りに出したそうなんです。……。え? あなたも、一つ持ってましたよね? ということは、4つあるじゃないですか。え? どういうこと? もしかしてあなたが社長? いや、さすがにないか。社長面とかけ離れ過ぎてるし……」
「悪口のひとり言は声に出さない方が……」
「あっ、ごめんなさい。でも、おかしくないですか? これだけの大きな会社の社長が、3つと言って4つ作るようなアコギな商売をするとは思えないし。今思えば、あなたのぬいぐるみは、やけにリアルだったような。あー、もしかして……。誰にも言わないので、正直に言ってくださいね。あのさっきのぬいぐるみは実は本物で、このぬいぐるみのモデルになったゴールデンレトリバーでしょ? 答えないなら、ここで『変質者ー』と騒ぎますよ」
痛いところをつくじゃないか。私は速攻で答えた。
「モデルかどうかは分からないですけど、あれは本物のゴールデンレトリバーです。絶対に内緒でお願いしまう。決して吠えないし暴れないし噛まないので。私以外には」
「やっぱりー。本物に会えるなんて、めちゃくちゃ嬉しいです。あの子の名前を聞いてもいいですか? このぬいぐるみにも付けたいので。教えてくれないなら、『変質者ー』と……」
ワンパターンな奴に手玉に取られるのは、私のプライドが許さないな。
「あ、『明智君』です。『君』までが名前です」
食い気味で答えてしまった。平和が一番だな。うんうん。
「明智君かー。ありがとうございます。あっ、最後に握手をしてください。あなたで我慢しておくので、後であなたが明智君と握手してくださいね」
意味があるのだろうか。まあそれであの女性が喜ぶなら、後で明智君と握手をしてやろう。分からないからといって、やったことにするのは私の流儀ではないからな。明智君も分かってくれる。きれいな女性には優しいから。私の手を舐めてくるかもしれないな。私が我慢すればいいことだな。まさかカジるまではしないと期待しよう。
明智君ファンの女性が去ってしばらくすると、まず阿部君がレジ前にやって来た。と言っても、阿部君が見えたわけではない。商品がカートに山盛りになっていたので押している人間が見えなかったのだ。どうやってあんなに積んだのか方法が分からないくらい高く、少なく見積もっても3メートルはあるだろう。積み方も完璧で、揺れこそすれ崩れる気配はない。さらに人の目の高さに、ぎりぎり向こう側が見える隙間があるのだ。その先にいる人の顔を判別できるほどの大きさではないけど。
ではどうして阿部君だと分かったのかだって? その辺りにいるお客さん全員が注目するほどたくさんの商品を一つのカートに積むやつが、世界にどれだけいるんだ? それもあんな芸術的に。
一人しかいないだろと言おうとしてすぐに、阿部君の後ろにもう一つの同じようなカートが目に入った。うん、親子だな。顔は全く似ていないが、DNA鑑定などしなくても親子だと分かる。
まるで山車のようなカートが2つも連なっているのだから、注目されるのは当然だな。お店側がお客さんを喜ばせるための出し物だと勘違いしている人だっているだろう。感嘆のあまり固まっている人もちらほら散見される。誰か一人が拍手をすれば、それに続いて拍手が巻き起こるにちがいない。どうせならかっこよくスタンディングオベーションと言っておくか。買い物中なんだから誰も座ってるわけないだろなんて、無粋な事を言うやつには、阿部君からの説教が待っているかもしれないぞ。異論がないようなので続けるか。
阿部君が柄にもなくたくさんの人を喜ばせているのを見て、私は閃いたことがある。それは明智君を店内から脱出させる方法だ。別にうっかりして明智君の脱出方法を考えてなかったわけではないからな。明智君には野良犬のごとき一目散に逃げてもらうという、完璧でスマートな作戦があったのだ。結構楽しみにしていたけど、万が一失敗したなら、明智君は平気で私を売るからな。より安全な作戦があるなら、そっちを取らないと。
では、より安全で画期的で独創的な作戦を発表しよう。それは、拍手だ。さっきも触れたが、誰かが拍手をすれば、きっとここにいるすべての人が無意識に追随するはずだ。そうなると、ここはノルマンディー上陸作戦の渦中かのような大騒動だろう。それに乗じて、明智君は鼻歌交じりのスキップアンドターンで脱出できる。
それしかない。明智君野良犬作戦は、正直言って穴が多すぎる。なにせ美味しいものがたくさん売っているスーパーマーケットだからな。買い物中はじっと我慢できていたが、一度動いてしまったならタガが外れて逃げるついでにいろいろ試食するはず。それが、明智君だ。
もう一つ作戦候補がないことはない。おもいきって素知らぬ顔をして、私の視界には明智君がいないと思い込む作戦だ。何食わぬ顔をしてレジに並ぶとどうなるのだろう。店員さんは流れ作業で次々に商品をレジに通していく。そして明智君に手が伸びる。一瞬戸惑うかもしれない。しかし客である私は無表情だ。となると、明智君がぬいぐるみだと思う。ここまではいい。しかしバーコードもなければ金額を示すタグなどが一切ない。
私がこの店員さんの立場だったなら、どうするだろう。この道何十年のベテランなのだから、適当に自分なりの金額を手打ちしてやる。この大きさのぬいぐるみの金額は大体把握しているし、こんなに大量の商品を購入しているのだから、少しくらいの差ならいちいちクレームなんて言ってこないと熱望するだろう。いや、クレーム上等。かかってこい。でも想定よりもいくらか少なめの金額を打ち込んでおこう。1円でも多く取られるとクレームを入れてくるのに、少なくなると何も言ってこないからな。別にクレーマーが怖いわけではない。関係ないが『クレーマークレーマー』という映画は3度も観たんだ。関係がなさすぎたか。動揺していると感づかれかねないぞ。
そんな訳で、『そんな訳で』とはなかなか便利な言葉だな、店員さんも何食わぬ顔で明智君をレジに通す。いや、違う違う。明智君そっくりのぬいぐるみが販売されていたじゃないか。それも、たったの一つだけ。いくら商品数が多いと言っても、ベテラン店員さんなら金額を把握している可能性が高い。今さら、いくらで売られていたのか気になってきた。あの女性に聞けば良かった。
限定3個でそのうち売りに出しているのは1個だけなのだから、それなりの金額だとは思う。いや、でも、あんな若い女性が何の迷いもなく買えるのだから、良心的な金額にしているはず。あのぬいぐるみで利益を上げるというよりは、自分の幸せを分け与えてあげたいという社長の思いで販売されていたし。レジを通しても痛くも痒くもない。支払いは明智君だし。
だめだ。店員さんが把握しているのは金額だけではない。数だ。むしろ金額よりも数の方が印象が深い。なにせ、1個だけなのだから。そしてその1個を、さっきの女性が買っていった。どんなに控えめに言っても、私たちは窮地に陥る。そもそも、明智君はぬいぐるみにしては重いじゃないか。お腹の中に高そうな商品を隠していると勘ぐられ、明智君が振り回されたり叩かれたり押さえつけたりして確認されてしまう。それでも見つからないから、切り刻まれるかもしれない。
明智君はどこまで我慢してくれるだろうか。どんなに頑張っても、ハサミを見せられるまでだな。明智君が支払うので、その場面に立ち会わせてあげたい。しかしこんな所で命を危険に晒している場合ではない。ちなみに命の危険があるのは、私だ。明智君の八つ当たりによって。明智君が支払うのは、すでにマリ先生にはアピールしてあるし、明智君リアルぬいぐるみ作戦は却下だな。明智君だって分かってくれる。
消去法で、拍手大爆音作戦に決定だ。阿部君、阿部君パパ、素晴らしい働きだったぞ。待ってろよ、大観衆。いいものを見れたのだから、ほんの少し私たちに協力しておくれ。
レジ前で待つこと3分、見覚えのある人が現れた。先ほどぬいぐるみもどきの明智君と同じぬいぐるみを欲しがって女性だ。カートにゴールデンレトリバーらしきぬいぐるみを乗せている。
えっ! 本当にあったのか? いやいや、どうせ普通にかわいい顔をしたゴールデンレトリバーのぬいぐるみだろう。私の方からは後ろ姿しか見えないので断言はできない。なんかやけに気になる。まさか明智君本人ではないと思うが。しかし万が一があるのが明智君なので、確かめたいのは山々だな。
私から声をかけて変質者扱いされないだろうか。ほんのさっき会ったばかりの私を忘れてはいないだろうけど、でもリスクは冒せない。こんな事で騒がれ変質者として逮捕されたなら、無実だと立証されても、私は『リーダー』の肩書きを奪われてしまう。そうなると私は何と呼ばれるのだろう? 『下っ端』、『三下』ならまだいい方かもしれない。『おい』とか『ワン』とか呼ばれるまであるのだ。絶対に嫌だ。
しかし気になる。もう確かめないと寝れないかもしれないくらいになってきた。向こうが私に気づいてくれたら言うことなしなのに。きれいで素敵で知的で華のあるお嬢さん、私に気づいておくれ。心の中で言うお世辞って、本当に意味がないもんだな。あんまり凝視してたら、それはそれで本当の変質者じゃないか。
ああー、忘れてた。認めたくはないが、私は明智君と似ているらしい。バカ面なところが。そんな私が声をかけても、喜びこそすれ逃げ惑わない。この短い間に、どこかで頭をぶつけて軽い記憶障害があって、私を忘れていたとしても。
阿部君一家と明智君のせいで少し卑屈になっていたかもしれないな。私は清水の舞台から飛び降りた。
「ゴールデンレトリバーのぬいぐるみ、見つかったんですね?」
私は女性の目をしっかり見て声をかけたのに、その女性は何故か後ろを向いた。えっ! 自分の後ろにいる人に話しかけたとでも思ったのか。希望的観測で。まずい。後ろに誰もいないから、声をかけられたのは自分だと分かる。すると悲鳴を上げながら逃げ惑うんじゃないか。どうしようか。知っている人に似てたのでとか言ってごまかそうか。と悩んだのは一瞬だった。
「あっ、ああー、さっきの」
ほとんど明智君ばかりを見ていて、私の印象が薄かったのだろう。もしくは本当に頭をぶつけたのかもしれない。でも思い出してくれた。それだけで十分だ。変質者にならなくて済んだぞ。『おい』とか『ワン』にならなくて、本当に良かった。
「はい。説明できなかったことが心残りだったんですよ。でも、自力で見つけたんですね?」
「そうなんです。偶然目に入ったんです。ぬいぐるみコーナーではなく、特設コーナーにあったんですよ。ほら、顔を見てください。これがチャームポイントなのでって、あなたは知ってますよね」
「あ、あ・け・ち・くん?」
「え?」
「あっ、いえ……やっぱりバカ面ってかわいいですよね」
「はいっ! 限定で3個だけ作ったそうですよ。なんでも、このスーパーの社長がたまたま街なかで、とびきりぶさいくでバカ面のゴールデンレトリバーと飼い主の似た者コンビを見かけたのが始まりだそうですよ。その時はとてもじゃないけど堪えきれなくて、周囲の目を気にせず大笑いしてしまったと。でもそんなに面白いのなら、そこにいる人たち全員が笑って、笑いの渦ができていると思うんですけどね。よほどその社長のツボにハマったのかもしれないけど、ほとんどの人は見た目を笑うのは失礼だと思って必死で見ないようにしていたんですよ。まあ、それは置いとくとして、続きがあるんですよ。たまたま大口の契約交渉が3つあって、その最高に良い気分で臨んだら、なんと立て続けに最高の条件でまとまったんです。それで気を良くした社長が、記念にバカ面のゴールデンレトリバーのぬいぐるみを3つ作って。そして一つを社長室に、一つを自宅に、最後の一つを自分のような幸運に恵まれますようにという願いを込めて売りに出したそうなんです。……。え? あなたも、一つ持ってましたよね? ということは、4つあるじゃないですか。え? どういうこと? もしかしてあなたが社長? いや、さすがにないか。社長面とかけ離れ過ぎてるし……」
「悪口のひとり言は声に出さない方が……」
「あっ、ごめんなさい。でも、おかしくないですか? これだけの大きな会社の社長が、3つと言って4つ作るようなアコギな商売をするとは思えないし。今思えば、あなたのぬいぐるみは、やけにリアルだったような。あー、もしかして……。誰にも言わないので、正直に言ってくださいね。あのさっきのぬいぐるみは実は本物で、このぬいぐるみのモデルになったゴールデンレトリバーでしょ? 答えないなら、ここで『変質者ー』と騒ぎますよ」
痛いところをつくじゃないか。私は速攻で答えた。
「モデルかどうかは分からないですけど、あれは本物のゴールデンレトリバーです。絶対に内緒でお願いしまう。決して吠えないし暴れないし噛まないので。私以外には」
「やっぱりー。本物に会えるなんて、めちゃくちゃ嬉しいです。あの子の名前を聞いてもいいですか? このぬいぐるみにも付けたいので。教えてくれないなら、『変質者ー』と……」
ワンパターンな奴に手玉に取られるのは、私のプライドが許さないな。
「あ、『明智君』です。『君』までが名前です」
食い気味で答えてしまった。平和が一番だな。うんうん。
「明智君かー。ありがとうございます。あっ、最後に握手をしてください。あなたで我慢しておくので、後であなたが明智君と握手してくださいね」
意味があるのだろうか。まあそれであの女性が喜ぶなら、後で明智君と握手をしてやろう。分からないからといって、やったことにするのは私の流儀ではないからな。明智君も分かってくれる。きれいな女性には優しいから。私の手を舐めてくるかもしれないな。私が我慢すればいいことだな。まさかカジるまではしないと期待しよう。
明智君ファンの女性が去ってしばらくすると、まず阿部君がレジ前にやって来た。と言っても、阿部君が見えたわけではない。商品がカートに山盛りになっていたので押している人間が見えなかったのだ。どうやってあんなに積んだのか方法が分からないくらい高く、少なく見積もっても3メートルはあるだろう。積み方も完璧で、揺れこそすれ崩れる気配はない。さらに人の目の高さに、ぎりぎり向こう側が見える隙間があるのだ。その先にいる人の顔を判別できるほどの大きさではないけど。
ではどうして阿部君だと分かったのかだって? その辺りにいるお客さん全員が注目するほどたくさんの商品を一つのカートに積むやつが、世界にどれだけいるんだ? それもあんな芸術的に。
一人しかいないだろと言おうとしてすぐに、阿部君の後ろにもう一つの同じようなカートが目に入った。うん、親子だな。顔は全く似ていないが、DNA鑑定などしなくても親子だと分かる。
まるで山車のようなカートが2つも連なっているのだから、注目されるのは当然だな。お店側がお客さんを喜ばせるための出し物だと勘違いしている人だっているだろう。感嘆のあまり固まっている人もちらほら散見される。誰か一人が拍手をすれば、それに続いて拍手が巻き起こるにちがいない。どうせならかっこよくスタンディングオベーションと言っておくか。買い物中なんだから誰も座ってるわけないだろなんて、無粋な事を言うやつには、阿部君からの説教が待っているかもしれないぞ。異論がないようなので続けるか。
阿部君が柄にもなくたくさんの人を喜ばせているのを見て、私は閃いたことがある。それは明智君を店内から脱出させる方法だ。別にうっかりして明智君の脱出方法を考えてなかったわけではないからな。明智君には野良犬のごとき一目散に逃げてもらうという、完璧でスマートな作戦があったのだ。結構楽しみにしていたけど、万が一失敗したなら、明智君は平気で私を売るからな。より安全な作戦があるなら、そっちを取らないと。
では、より安全で画期的で独創的な作戦を発表しよう。それは、拍手だ。さっきも触れたが、誰かが拍手をすれば、きっとここにいるすべての人が無意識に追随するはずだ。そうなると、ここはノルマンディー上陸作戦の渦中かのような大騒動だろう。それに乗じて、明智君は鼻歌交じりのスキップアンドターンで脱出できる。
それしかない。明智君野良犬作戦は、正直言って穴が多すぎる。なにせ美味しいものがたくさん売っているスーパーマーケットだからな。買い物中はじっと我慢できていたが、一度動いてしまったならタガが外れて逃げるついでにいろいろ試食するはず。それが、明智君だ。
もう一つ作戦候補がないことはない。おもいきって素知らぬ顔をして、私の視界には明智君がいないと思い込む作戦だ。何食わぬ顔をしてレジに並ぶとどうなるのだろう。店員さんは流れ作業で次々に商品をレジに通していく。そして明智君に手が伸びる。一瞬戸惑うかもしれない。しかし客である私は無表情だ。となると、明智君がぬいぐるみだと思う。ここまではいい。しかしバーコードもなければ金額を示すタグなどが一切ない。
私がこの店員さんの立場だったなら、どうするだろう。この道何十年のベテランなのだから、適当に自分なりの金額を手打ちしてやる。この大きさのぬいぐるみの金額は大体把握しているし、こんなに大量の商品を購入しているのだから、少しくらいの差ならいちいちクレームなんて言ってこないと熱望するだろう。いや、クレーム上等。かかってこい。でも想定よりもいくらか少なめの金額を打ち込んでおこう。1円でも多く取られるとクレームを入れてくるのに、少なくなると何も言ってこないからな。別にクレーマーが怖いわけではない。関係ないが『クレーマークレーマー』という映画は3度も観たんだ。関係がなさすぎたか。動揺していると感づかれかねないぞ。
そんな訳で、『そんな訳で』とはなかなか便利な言葉だな、店員さんも何食わぬ顔で明智君をレジに通す。いや、違う違う。明智君そっくりのぬいぐるみが販売されていたじゃないか。それも、たったの一つだけ。いくら商品数が多いと言っても、ベテラン店員さんなら金額を把握している可能性が高い。今さら、いくらで売られていたのか気になってきた。あの女性に聞けば良かった。
限定3個でそのうち売りに出しているのは1個だけなのだから、それなりの金額だとは思う。いや、でも、あんな若い女性が何の迷いもなく買えるのだから、良心的な金額にしているはず。あのぬいぐるみで利益を上げるというよりは、自分の幸せを分け与えてあげたいという社長の思いで販売されていたし。レジを通しても痛くも痒くもない。支払いは明智君だし。
だめだ。店員さんが把握しているのは金額だけではない。数だ。むしろ金額よりも数の方が印象が深い。なにせ、1個だけなのだから。そしてその1個を、さっきの女性が買っていった。どんなに控えめに言っても、私たちは窮地に陥る。そもそも、明智君はぬいぐるみにしては重いじゃないか。お腹の中に高そうな商品を隠していると勘ぐられ、明智君が振り回されたり叩かれたり押さえつけたりして確認されてしまう。それでも見つからないから、切り刻まれるかもしれない。
明智君はどこまで我慢してくれるだろうか。どんなに頑張っても、ハサミを見せられるまでだな。明智君が支払うので、その場面に立ち会わせてあげたい。しかしこんな所で命を危険に晒している場合ではない。ちなみに命の危険があるのは、私だ。明智君の八つ当たりによって。明智君が支払うのは、すでにマリ先生にはアピールしてあるし、明智君リアルぬいぐるみ作戦は却下だな。明智君だって分かってくれる。
消去法で、拍手大爆音作戦に決定だ。阿部君、阿部君パパ、素晴らしい働きだったぞ。待ってろよ、大観衆。いいものを見れたのだから、ほんの少し私たちに協力しておくれ。
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