上 下
20 / 62

明智君の失態。明智君自らの。

しおりを挟む
 うーん、どうしようか……。こんなに引っ張って関係なかったなんて言ったら、せっかく取り戻した私の尊敬にひびが入るかもしれない。贅沢は言ってられないな。関係者に話を聞くか警察署に行って証拠物件を見せてもらうまでの短い間だけでもいい。あの二人の尊敬の眼差しを浴びていたいのだ。どうせ事件が解決したら、二人の性格からして、以前に戻るのが目に見えている。だからどんなに長くても一週間だ。ただ、この一週間が私の人生のハイライトかもしれないんだぞ。たまたま目に入ったボールが事件に関係があるないのような些細な事でつまづきたくない。
 ボールを前にして私が黙考していると、興味津々の二人がいつの間にか私と横並びになっていた。まずい。素人目にも、このボールが事件と関係ないと分かってしまう。何か策はないのか。あった。処理能力の速い私の脳細胞に感謝だ。
 幸いなことに、阿部君は私の左隣り、明智君は右隣りにいたのだ。完全に明智君が阿部君の手を離れている。私は明智君をそっと足で押した。明智君は犬の本能を抑えきれなかった。私が押したのを合図とばかりに、ボールをパクっだ。
「ああー、明智君! なんてことをー!」
 明智君は自分が何をしてしまったのかをすぐに理解した。さすが『名犬あけっちー』だな。
 申し訳なさそうに、私ではなく阿部君に許しを請うように見ている。さらに震えているようだ。阿部君の恐ろしい折檻が明智君の頭の中に湧いてきている証拠だ。シラフなら阿部君は決して明智君に意味のない虐待をしない。だけどワインを飲んで酔っ払うと、阿部君の辞書から『理不尽』という言葉が無くなるのだ。そして趣味が説教となる。自分の事は棚に上げて、他の人の本当に小さな失敗を責め立て続ける地獄が始まる。
 例えこの事件が無事に解決しても、明智君は犠牲になるだろう。阿部君はお祝いとか言ってワインを必ず飲むのだから。それは、私だけでなく明智君も理解しているのだ。何の失敗をしていなくても、むりやり説教をするのに、今回は私に嵌められたとはいえ、このザマだ。今の明智君にはこのボールが事件と関係がないとか、私に押されたとかなんて気にする余裕がない。許せ、明智君。その時は、私もきっと横で同じ目に合っている。私のおかげで事件が解決しただなんて関係がない。この時には、阿部君の頭の中では自分が活躍して解決に導いたことになっているのだから。
 こうまでして尊敬が欲しかったのかと思われるかもしれない。欲しかったに決まってるだろ。分かる人には分かる。分からない人には、例え100万文字くらいで説明しても例え何十年かけて訴えても、分からないだろう。
 しかし私がこんなにダラダラと世間の人に言い訳をしている間も、阿部君がずっと無言なのが気にかかる。怒り心頭に発するさんを満喫していて、どのような虐待や折檻にするか考えているのだろうか。それとも、うっかり明智君から目を離してしまって反省しているのだろうか。阿部君が反省するわけない。怒りだ。明智君9、私1の。
 私が明智君を押したのは気づかれていない。それでもなぜか、阿部君は私に対する怒りがあるのだ。阿部君とはそういう人で、私もそんな不幸な人なのだ。それを分かったうえで、私は事に及んだのだ。私の勇気を見習いたい人は、遠慮せずに見習いたまえ。何があっても自己責任だぞ。私にクレームを入れても相手する暇もない。少しでも阿部君の怒りを鎮めるのと、少しでも明智君に元気になってもらうのと、私に対するとてつもない尊敬を継続するために、軽く演説をしないといけないのだ。
「大丈夫だよ、阿部君。ほんの一つだけ手がかりが無くなったに過ぎない。私にとっては、これしきのハンデはハンデにならないよ。むしろこれで事件を解決する使命感に、拍車がかかったと言ってもいいくらいだ。だから、私たちの大事な仲間の明智君を責めないでくれるかい」
「そうですね。私には、解けない謎なんてないし。なので全然全くこれっぽちも怒ってないですよ。ただ犯人が分かっても肝心の証拠がなくて、疑わしきは罰せずになってしまうかもしれないですね。まあその時は、明智君を私そっくりに改造してから刑務所に送るのも……。ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ……」
「ワ……ン……」
「明智君、心配するな。私が、いや、私たちが力と頭脳を合わせれば、できない事なんてないじゃないか」
「ワッオーン!」
 おおー。久しぶりに明智君が私に対して心から愛情を示している。明智君を罠にはめて良かった。
 私を悪魔だなんて思わないでほしい。いや、思われてもいいか。明智君と以前のように仲良くなれるのなら、私は悪魔にでも警察の犬にでもなる。あっでも、私と明智君が仲良しのそんな時代があったのかは疑わないでくれるかい。本当にあったんだよ。本物の悪魔と言っても差し支えない、阿部君が来るまでは。悪魔と契約するとか形容することはあるが、私は本当の意味で契約したのだろう。今さら後悔しても遅いし、何もかもが悪かったわけではない。良いこともあったのだ。
 あわや命を落としそうになっても、怪盗の初陣は大成功を収めた。別のミッションでは、大金を手にそそくさと退散した阿部君と明智君から大怪盗の私にしかなし得れない事後処理を頼まれ、見事成功した末に分け前をゲットした。さらに何と言っても、阿部君と明智君に借金したとはいえ大豪邸を手に入れた。なんかこんな事を言ってると、本当に悪魔と契約したみたいに聞こえるな。私は、ただ正義の怪盗として頑張っていると、言いたいだけだ。
 今は名探偵として頑張る時だったな。この明智君が自らの意思で台無しにしたボールを、私はひとまずポケットにしまい込んだ。この事件でもそうだし、この屋敷に盗みに入るとしても、都合のいいものではないのだから。
 明智君は微妙な表情をしている。明智君が疑われないためだと分からないのだろうか。いや、明智君ならそれくらい分かっているはずだ。それよりも、アジトに戻った時に阿部君の前で、このボールを出されないかと心配しているのだろうか。明智君にとっての修羅場になるのは確実だ。それとも全く違って、もう明智君のおもちゃとなってしまったのだから、ただ単にたった今このボールで遊びたいのだろうか。
 忙しいので明智君の事を考えて時間を無駄にしていられない。例え仲良しだとしても。
「今ここで、できる事はない。次は家の人に話を聞きに行こう。阿部君も明智君も、この家の人間が犯人だと疑ってるんじゃないか? 少なくとも無関係だとは言えないと。だけど今はそういう素振りを見せないでおくれ。意固地になって話を聞かせてくれなくなるからな。犯人だと確信できて、それでも証拠だけが足りないって時は、カマをかけるのもありだ。自ら墓穴を掘るだろうからな。でも今は警戒させても何も良いことがない。お茶菓子はおろかお茶すらも出てこなくなるぞ。いや、違う違う。ボールという証拠が使えなくなってるんだから、ここからはどんな小さな証拠証言を大事にしたい。分かるな、明智君? だからまずは世間話から始めるんだぞ。今日は世間話だけでも良いっていうくらいの気持ちで。頼むぞ、正直者の阿部君? 嘘をつけなさそうなら、すぐにお口にチャックだ」
 あっ、まずい。またもや『お口にチャック』を使ってしまった。この肝心な時に。阿部君にバカにされる。明智君に白い目で見られてしまう。せっかくの尊敬がー。名探偵ひまわりがしゃしゃり出てくるのか。
 ……。あれ? 何も言ってこないな。勇気を振り絞って、私は阿部君と明智君を見た。なんとも言えない表情だ。私をバカにしたい気持ちがあるが、今はその時ではないと判断したのだな。どうせなら嘘でも尊敬の眼差しを送り続けてくれればいいのに。こいつらのささやかな抵抗だな。それも無言の。
 仕方ない。続けるか。
「よーし、第一容疑者に私たちの恐ろしさを見せてやるぞ」
「はい、リーダー!」「ワン、ワンワワンワワワワンワーワンワンワンワッワッンワンワワッワンワンワン……」
「明智君、長いぞ。それに、私は明智君が何を言ってるのか分からない。阿部君、通訳しなくていいからな」
 阿部君と明智君の返事を聞く前に、私は一歩踏み出した。背中越しだけど、阿部君が半笑いで明智君をたしなめているのが分かる。明智君は言わずもがなだ。ポケットの中のボールを分かりやすく叩きながら、私は振り返らない。
「ポケットの中にはフフッフーン、フフフ……」とハミングをしただけだ。少なくとも明智君の半笑いは、ひきつり笑いになったようだ。しばらくこのボールは使えるな。これだけは言っておく。私は明智君が大好きだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友よ、お前は何故死んだのか?

河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」 幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。 だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。 それは洋壱の死の報せであった。 朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。 悲しみの最中、朝倉から提案をされる。 ──それは、捜査協力の要請。 ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。 ──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

学園ミステリ~桐木純架

よなぷー
ミステリー
・絶世の美貌で探偵を自称する高校生、桐木純架。しかし彼は重度の奇行癖の持ち主だった! 相棒・朱雀楼路は彼に振り回されつつ毎日を過ごす。 そんな二人の前に立ち塞がる数々の謎。 血の涙を流す肖像画、何者かに折られるチョーク、喫茶店で奇怪な行動を示す老人……。 新感覚学園ミステリ風コメディ、ここに開幕。 『小説家になろう』でも公開されています――が、検索除外設定です。

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

雨の向こう側

サツキユキオ
ミステリー
山奥の保養所で行われるヨガの断食教室に参加した亀山佑月(かめやまゆづき)。他の参加者6人と共に独自ルールに支配された中での共同生活が始まるが────。

処理中です...