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Episode1

【Prologue(1)】

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 Episode 1

 人生には、思ったよりも時間がない。
 そう思った事はないだろうか?

「いやぁぁぁ‼︎」

 目の前で。
 壊れた人形の様に動かなくなる、人間だったそれを目にすると。

 人生には、思ったよりも時間がない。

 いつも、そう思う。

 穏やかな、初春の昼下がり。
 閑静な住宅街で、一人の人が、姿を消した。



 律、という暗殺者がいる。

 黒いベレー帽を深めに被り、銀のアタッシュケースなんて今時そうそう持ち歩かないものを片手に、公園のベンチを独占している。タートルネックの黒いセーター、黒いズボン、黒い靴、黒い手袋、黒いウェストポーチと、仕込みナイフとワイヤーの入った茶色のベルト以外全身真っ黒なそいつの手足は、服の上からでもよく分かるくらいに細長い。ベレー帽の下から覗く顏は不気味なくらい青白く、折れた煙草を一本咥え、覇気なく空を見つめている。

「よぅ、律」

 話しかけてきた筋肉質な男の顏には、傷跡が一筋、目を貫いて走っている。スーツに赤いネクタイ、誰が見ても悲鳴を上げそうな厳つい顔の大男が、手持ちのライターに火を付けた。

「また禁煙は失敗か?」
「あぁ、そうらしい」

 ジジジッと嫌な音を立て、折れた煙草に火がつく。白く重い溜息ためいきが、長々と尾を引いた。
 男がすっと、タバコを一本律に手渡す。このタバコは嗜むための物じゃない。タバコの表面に書かれた文字は、別の依頼へのアクセスキーだ。

「煙草が不服そうだ」
「また妙なことを。で、どうする?」

 折れた煙草を地面に転ばせた。
 律は、何も言わずに受け取った物をポケットへと突っ込んだ。

 大男は、顔を横に逸らす。ホッとした表情を隠しきれない。顔と体こそ厳ついが、この男が人を殺したことなど一度もない。律と関わり合いになりたくないというのが、この男の本音だった。

「じゃぁな。死神」

 大男が去った後、律は暫くそこにいた。



 殺し屋、アサシン、凶手、刺客。色々な呼ばれ方をしているが、律は決まって“暗殺者”と名乗る。
 それがしっくりくるらしい。
 律がどういう経緯で暗殺者になり、どういう経緯で今の場所までたどりついたのか、知っている奴は誰もいない。だが、暗殺者の律を知っている人間ならば、誰もが口をそろえて“死神”という単語を使う。見た目が死神に見えるということも、確かに律をそう呼ばせる理由にはなっているだろう。
 ただし、勿論。それだけではない。

「今回の報酬についてなのですが」

 律が困った顔をする。それはさながら、ふてぶてしく言い逃れをする上司に向かって、なけなしの勇気を振り絞ってセクハラを辞める様に訴える女性社員の様だ。

「あ”ぁ”?」

 もっとも、太った課長などという可愛げのあるのもではない。顔に刀で斬りつけられた様な傷、剃り上げられた眉に厳つい体、相手はヤクザの幹部だ。
 律はヤクザの事務所に、依頼料の取り立てに来ていた。殺し屋が依頼料を受け取りに行く事はなんら珍しいことではない。それは依頼主がヤクザであっても変わらない。
 しかし律は一人だった。見た目は力も無さそうな華奢な男性が、一人、法外な額の依頼料の請求に来ている。
 やくざの幹部はしたり顔をしていた。

「提示されていた金額の半分というのは、困ります」
「あぁ? 何言ってんだねぇちゃん?」
「来る場所間違えてんじゃねぇのか?」

 依頼料の請求といっても、律が取り立てに来たのは足りなかった分の依頼料だ。タチが悪い相手ヘの依頼料の請求に、律は敢えて一人で来ていた。
 律が黙っていると、痺れを切らせた組員が律の肩を掴もうと手を伸ばす。
 すると、ずっと奥で黙っていた老人、組長が突然声を荒らげた。

「触るんじゃねぇ‼︎」

 男たちの動きがぴたりと止まる。

「でも、おじき」
「葛西、もってこい」
「わかりやした」

 周囲が不服そうな顔をする中、葛西と呼ばれた男が銀色のアタッシュケースを持ってくる。
 じっと律の顔を睨み続ける組長。
 常時では見られない組長の気迫に押されて、黙り込む組員。
 律の前でアタッシュケースを開き、律義に金の数を数えた葛西は、そのアタッシュケースを律に渡した。

「これで全部だ。とっととけぇんな」
「はい。確かに。ありがとうございました」

 ホッとした表情で笑う律。
 まるで本当に危ない橋を無事渡り終えた一般人かたぎの様な顔で、それを見た葛西を除く組員たちの顔は、一斉に曇った。

「組長! こんなか細い、女みたいなやつに渡すことはありませんぜ!」
「そうですぜ、組長!」
「おまえ、こいつらへの報酬しょっ引きやがったな」
 
 ズバリ当たっていたのだろう。組員数名の顔が曇る。

「ですが」
「それでは、失礼いたします」

 気まずい雰囲気に、慌ててその場を去ろうとするかの様に振る舞う律の言動に、組員たちの顔が渋った。

 組員が組の金を失敬したのが組長にバレた。
 組の金を失敬した奴が、後でどうなるか。
 指が無くなるか、腕がなくなるか、それとも初めからそんな奴は存在していなかった事になるか。
 それは想像するに硬くない。

「こちらです」

 葛西が律を外へ連れ出し、組長が奥で終始律のことを睨み付ける。
 その間、組員数人は内心冷や汗をかいていた。
 使われた金は戻って来ない。
 組を抜けて逃げるには全く足りない。
 自分達が失敬した分、それが補填出来る十分な額を、一人のひ弱そうな細い男が持ち帰ろうとしている。
 この金が有れば、海外に高飛びする事位は出来る。

 バタバタバタッ‼︎

「おい! 待ちやがれ‼︎」

 追い詰められた数人の組員達は、組長が冷や汗を流す理由も、葛西と呼ばれる組の最高幹部が素直に金を支払う理由も、律という男がどんな男かも、そして、これから自分達に起こる事もまるでわかっていなかった。
 


 分かっていなかったからだろう。
 まさにその組から少し離れただけの公園で、空のアタッシュケースとともに悠々と午後の空気を吸っていた律のところに、その組員たちが現れたのは。

「みつけたぁ!」

 律は慌ててアタッシュケースを持ちあげ、走る。
 組員たちはしたり顔で追いかけてきた。

「逃がすか‼︎」
 
 だが、組員達は気が付かない。
 逃げる方向に迷っていなかったという不自然さに。
 薄暗い行き止まりの路地に入る。
 その奥で、律は走るのをピタッと辞めた。

「追い詰めた‼︎ それをよこしな!」
 
 律は黙って俯いている。
 怯えているからだろうと思った組員はしたり顔になった。
 男が肩で息をして、律の肩を掴んだ。
 掴んだ次の瞬間、男は自分の手の感触に違和感を覚えた。
 さっき律を掴んだ手が、腕ごと、律の肩から滑り落ちた。

「えっ」

 にたぁと笑ってこちらを向いた、律の手には細長いナイフが握られていた。
 ただのナイフではない。超音波式の超振動ナイフという、力を入れなくてもよく切れるナイフだ。
 律が胸ぐらを掴むと同時に、「ぎっ」と叫びかけた男の喉を素早く切り裂く。喉がパックリと割れ、口だけ動かして声の出ない男の首から血が吹き出した。
 暗がりに、何が起こったのかわからない残り二人組員の額に静かに穴が開く。律が死体越しに使用した拳銃。それはサイレンサー付きのコルトパイソンというリボルバー式の拳銃で、律の愛用している仕事道具だ。
 それは驚く間もない早技だった。
 何が起こったかを理解する時間もなかった組員だったそれ・・が地面へ倒れた。
 律は、ゆっくりと愛用しているコルトパイソンをしまう。

「依頼完了」

 律は、足りなかった依頼料の徴収とは別に、もう一つ依頼をうけていた。

『組員の数を減らして欲しい』

 この依頼は、あっけなく終了した。

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