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第六章:決戦の火蓋が斬って落とされる

第75話「決着とようじょ」

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 頭に上った血が、令水でも浴びせられたかのように一気に引いてゆく。

 地面に這いつくばりながら、僕は呼吸もできないほどに凍えていた。

 太陽はさんさんと照り付け、木々はそよ風にこずえを揺らす。小さな鳥のさえずりが、草原に響いていた。

「……あっくん」

 いつの間にか〈魔法少女プリヒール〉の変身を解き、いつもの4歳の姿に戻ったりんちゃんが、地面に伏せたまま顔も上げられない僕の横にかがみこむ。
 土と自分の涙でどろどろに汚れた顔を、僕はゆっくりと持ち上げた。

「りんちゃん……ヴェルディアナが……死んじゃった……僕が……殺した……」

 一瞬、僕の背後へ視線を向け、りんちゃんは汚れた僕の顔を両手でぎゅっと抱える。
 その体は震えていたけど、とても暖かくて、柔らかくて、僕は我慢しきれず大声で泣いた。

 りんちゃんは何も言わずにただ僕を抱きしめていてくれる。
 その僕とりんちゃんをいい香りのする腕がふわりと包み込んだ。

「あはは、あっくん……りんちゃんに我慢させて自分ばっかり泣いてたらだめでしょ」

「せやで、泣き虫あっくんめ」

「……りんちゃんも、こういう時は我慢しなくていいのよ」

 マリアステラの言葉に、僕を抱きしめていたりんちゃんの腕が緩み、彼女は僕以上に大きな声で泣く。
 僕は急に恥ずかしくなって2人の腕の中から体を起こし、抱きしめあって泣いているマリアステラとりんちゃんを逆に抱きしめた。

 鼻をすすり、振り返れば、そこは赤い花が咲いているかのような血の海。
 しかし、予想していたような屍は無く、ただ赤い色が広がっているだけだった。

 その中心で何かがうごめく。

 血の海の中心で、最初は小さな血の塊だったそれは、ずるずると何かをすするような音をたてながら集まり、ついにはヴェルディアナの着物の中でもぞもぞと動く白いモノになった。

「なんや?! 魔王め、また復活しよったんか?!」

 同じものに気付いたチコラが叫び、近くの岩に寄りかかっていたエドアルドが、剣を杖にして無理やりに体を起こそうとしているのが見える。
 でも、僕にはそれが違うとわかっていた。
 この感覚。
 これは、魔王じゃない。

 僕はデスサイズを投げ捨て、慌ててヴェルディアナの着物に駆け寄り……真っ白な肌の赤ちゃんを抱き上げた。
 赤ちゃんは、小さなキツネの耳ともふもふの尻尾をゆらゆらと揺らして僕を見ている。

「ヴェルディアナ……!」

 思わず力いっぱい抱きしめた僕の腕の中で、その赤ちゃん――チート名に〈神〉の名を持つ〈鬼神〉の能力の一つ〈再誕リバイヴ〉の能力で、転移直後の姿に戻ったヴェルディアナ――は、大きな声で元気よく泣いた。

「よかった……ヴェルディアナ……でも……どうして?」

「どうしてって何や? 神の名を持つ永遠の存在や、復活して当たり前やんか」

 僕の死神の鎌デスサイズのチート能力を知らないチコラたちに、「輪廻を断ち切る」能力のことを説明する。
 それを聞いて、ずっと魔王を警戒して周囲を見回っていたクリスティアーノは、やっと合点が行ったように腰を落ち着けた。

「アクナレート、そう言う大切な情報はもっと早く教えてもらいたいものだな」

「あぁ、うん。ごめん。でも……」

「そうだな。ヴェルディアナのチートが働いたということは、魔王のチートも働いた可能性は低くない。そう考えれば……魔王も生きているだろう」

「なんやそんなん『あっくんとヴェルディアナの愛が起こした奇跡やぁ!』でええやないか」

「……チコラ、君は時々理屈に合わないことを言うのだな」

「人をアホみたいに言うたらアカンで」

 はぁ……とため息をついたクリスティアーノは、生き残っていた大アルカナの将軍ジェネラーレ、〈世界〉のタヴを呼び出す。
 タヴはしばらく周囲を探っていたが、額を押さえて首を振った。

「マスター、申し訳ございません。残っている災厄の魔王のエネルギーポテンシャルが小さすぎて、場所を特定することが出来ません」

「うむ、そうか……いや、やはりと言うか、まだ生きているのだな」

「はい、ご明察の通りです。ただ、場所は特定できませんが、悪意の残滓をたどる限り、西の方角へ向かった可能性は高いと思われます」

 まだ、戦いは終わっていないようだった。
 ヴェルディアナの現世の命を犠牲にしてまで、やっと追いつめたんだ。僕だってここで引く気はない。
 僕たちはりんちゃんにグリュプスを呼び出してもらい、魔王を追うことに決めた。

 マリアステラのインベントリから取り出したポーションで怪我を癒して待つ僕らの元へと、遠い西の空からグリュプスの馬車が近づいてくる。

 ……西から?

 今から自分たちが向かおうと言う方向の空から現れた空飛ぶ馬車を見て、僕は嫌な予感を感じた。

「……ちょっと待って。この方向……」

「なんや……よりにもよって……」

「街の方角だわ……」

 大きくいななくグリュプスの馬車が地面につくのも待ちきれず、僕らは馬車を駆り、一路西へと飛んだ。


  ◇  ◇  ◇


主人マスター。目標は少しずつ力を取り戻している様子です」

 目をつむって神経を集中している〈世界〉のタヴは、馬車の中で静かにそう言った。
 相変わらず正確な位置は分からない。それでも、魔王ディスペアの力はほんの僅かずつ回復し、移動速度を上げながら僕らの『街』へと向かっているのは感知できている。
 この調子で速度を上げてゆけば、僕らより早く街へと到着するのは間違いなかった。

「しかしよ、なんでわざわざ街へ向かってんだ? 逃げるならもっといい場所がいくらでもありそうじゃねぇか」

 ポーションを何本も飲んで、ずいぶん回復したエドアルドが柄頭つかがしらに手を乗せたまま不安げに疑問を口にする。
 魔王が通ったであろう道に点々と続く、モンスターを何匹も薙ぎ倒した痕跡を見下ろしながら、僕も同じような目で皆を見回した。

「……回復……やろな」

「あぁチコラ。間違いないだろう」

 魔王のチートか、ベースとなった眷属の特性か、それは分からない。
 しかし現状を見る限り、魔王はモンスターを倒す度にチートの力を回復していると考えられる。
 モンスターを倒す事によるエネルギーの補給方法。そんなものがあるとしたら、魔宝珠を摂取することによって、と言う結論に達するのは自明だった。

 今はまだ、チートを発動するのに必要な魔宝珠は手に入っていないのだろう。
 しかし街には、以前の女王アリのような眷属を倒した時に街を埋め尽くすほどに集まった魔宝珠がある。
 さらに、消耗しきっているとはいえ、仮にも魔王と呼ばれる者を倒せるようなチートを持った転移者も居ないのだ。

 街を守っているアンジェリカやジョゼフ、今頃もう探索を終えて街に戻っているであろう、ルーチェやルカやトリスターノやオルコのことも、僕は頭に思い浮かべてデスサイズをぎゅっと握る。
 ジリジリとした気持ちで窓の向こうを見ていた僕たちに、山の端にしがみつくように建っている街の姿が見えたのはその時だった。

「煙が……」

「戦っとるんや。災厄の魔王と、この世界の人間が……」

「りんちゃん! もっと急がせて!」

「ぐりりん、もうむりって!」

 それは分かっている。この状況で、りんちゃんの意をくんだグリュプスが余力を持って飛んでいるはずもない。
 そんなことは分かり切っているのだ。それでも、僕は口に出さずにはいられなかった。

「あと15……いや、13分ほどか……そうだ、アクナレート。水晶球で街の様子は見られないのか?」

 クリスティアーノが距離と時間を測りながら思い出したようにそうつぶやく。
 どうして思いつかなかったんだろう?
 僕は慌てて水晶球を取り出して、街の様子を映し出した。


  ◇  ◇  ◇


 最初に水晶球を埋め尽くしたのは、炎と黒煙だった。

 人々は逃げまどい、自警団は長い黒髪を揺らした一人の少女へ向かって槍衾を築いている。
 鋭く尖った金属の壁を潜り抜け、一人、また一人と人間を殺し、少女が進む先には大きな神殿のような建物が映っていた。

「大丈夫だよ! まだ持ちこたえてる」

「間に合うか間に合わんか、微妙なところだな」

 ほっと胸をなでおろした僕に、クリスティアーノの冷静な一言が突き刺さる。
 それでもそれが現実だとわかっている僕は、一瞬彼を睨んだだけで水晶球に視線を戻した。

 背景に迫る神殿の地下に魔宝珠は蓄えられている。
 その真っ白な大理石の柱が並ぶ建物の前に、同じくらい白い肌と汚れたドレスを纏った少女が現れた。

「アンジェ! 無事だったんだ!」

 街のおさであるアンジェリカ――転移前は40過ぎのおっさんで、完璧に美しい少女の姿とカリスマ性と言う、戦闘に全く向かないチートを持つ転移者――は陣頭に立って戦いの指揮を執っている。
 その隣から、いかにも冒険者と言う出で立ちの長身の戦士、盗賊、そして神官衣とブレストプレートに身を包んだ美しい僧侶と、まるで僕とお揃いのような黒いフードをかぶった少年が先陣に向かって駆け出すのが見えた。

 長身の戦士、トリスターノが崩れかけた戦列に身を躍らせる。盗賊オルコの援護を受け、魔王へと雄々しく剣を振り下ろすと、魔王の進行速度はわずかに遅くなった。
 周囲の兵士たちに僧侶ルーチェが回復の魔法を振りまき、ルカが……僕のこの世界の子供がクロスボウを放つ。肉体的にも精神的にも回復した兵士たちは、鋭い槍の先を魔王へ向けた。

「ほら! クリスティアーノ! 見て! ル……トリスターノたちが!」

 本当は「ルカが」と言いそうになったけど、親ばかだと思われたくない僕は無理やりトリスターノの名前を口にする。
 僕らが見つめる水晶球の中で、トリスターノの剣は、何度も魔王の柔肌に傷をつけていた。

「トリスターノ……やるじゃねぇか」

 同じ剣を使うものとしての素直な感想なのだろう、エドアルドがその鋭い剣捌きに舌を巻く。
 もしかすると、今の弱体化した魔王相手ならば、トリスターノたちだけで勝てるかもしれない。

 僕の頭をそんな考えがよぎったその瞬間、水晶球は魔王を中心にした強烈な光に、ハレーションを起こしたように真白く染まった。

「え?」

 少し遅れて馬車の外から地鳴りのような重低音が空中に居る馬車をも揺るがす。
 さらにそこから少し遅れて、爆風がグリュプスの馬車を大きく押し戻した。

 僕たちは荒波に揉まれる木の葉のように、馬車の中を転げまわる。
 グリュプスがバランスを取り戻し、やっと落ち着いた僕たちが窓の外を見ると、もう防壁の上に陣取る兵士まで見分けられるほどに近づいた街の中、いつも見慣れた大きな建物がほとんど崩れているのが分かった。

「やりおった。残しとった精霊力ジン魔法力マナも何もかも解放して、周囲の人間を一掃しおったで」

「当然だな。この場さえしのげばすぐに魔宝珠を補給できるんだ、私でもそうするよ」

 こんな時ですら落ち着いているチコラとクリスティアーノを無視して、僕は馬車の屋根の上にある見張り台へと出る。
 あと1~2分で着くだろう街を肉眼で確認して水晶球を見直すと、死屍累々と黒焦げの兵士たちが転がる中、悠然と神殿へ向かう魔王ディスペアの後ろ姿が映っていた。

 トリスターノも、オルコも、ルーチェも、アンジェリカも……そしてルカの姿もそこには見えない。
 僕は奥歯を食いしばって水晶球の中と少しずつ近づく街を何度も見比べた。

「……ダメだ……間に合わない……」

 もう魔王には普通の人間程度の力しか残っていない。僕があそこに届きさえすれば、息をするより簡単にとどめを刺すことが出来る。
 それなのに、魔王が元の力を取り戻すのを阻める者は、そこには誰もいないのだった。

 神殿の地下への扉に魔王が手をかける。

 僕らのグリュプスの馬車はやっと城壁を横切った。

 ほんのちょっと。わずか数十秒。僕らの力は届かない。

「ルカ……ルーチェ……ヴェルディアナ……ごめん。間に合わなかった……」

 思わずそうつぶやいた僕の見る水晶球の中で、魔王ディスペアの黒髪から覗くなめらかな背中に何本ものクロスボウの矢が突き立った。
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