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第四章:新しい街での暮らしが始まる

第39話「気配とようじょ」

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 僕たちの生活も落ち着き始めた冬のある日、僕たちは千年王国ミレナリオの街へと行商に行っていたジョゼフの部下から、久々に友達の名前を聞いた。

 それは、クリスティアーノがまた『災厄の魔王』の眷属を一人で倒したと言う、英雄譚とも言えるものだった。
 彼が居れば、災厄の魔王も恐れるに足らない。
 ミレナリオは今、そんな雰囲気に包まれ、街は戦勝景気とでもいうような活気に包まれているそうだ。

 でも、僕たちは知っている。
 彼がどれほど命を削るような思いで眷属と戦っているのかを。
 そして、この噂が届いた今頃、クリスティアーノは屋敷で身動きもとれないような酷い疲労にさいなまれていることも。

「……ねぇファンテ、聖杯サンテグラールのネットワークで向こうと連絡はとりあってる?」

「いえ、アマミオ様のお言いつけのあった場合を除いては、連絡をしておりません」

「そう、じゃあクリスティアーノに勝利のお祝いとお見舞いの連絡を兼ねて、容体を聞いておいてくれないかな」

「……あまり何度も連絡をいたしますと、現在地が特定される恐れもありますが」

「構わないよ。クリスティアーノの容体によっては、僕たちがミレナリオの警護に向かわなきゃいけないかもしれない。連絡して」

「……かしこまりました」

 ファンテが下がるのを見届けて窓を開ける。夏の暑さと冬の寒さを防ぐ二重窓に遮られていた冷たい外の空気があふれるように部屋へと流れ込んだ。
 僕たちが転移してきたこの世界、『ジオニア・カルミナーティ』で人が住むエリアは驚くほど狭く、その大半は温暖な地域に密集している様子で、冬と言っても日本の冬のような身を斬る冷たさは無い。
 それでも白くなった息を窓の外へ大きく吐き出して、僕はずいぶん高くなった空を見上げた。

 この名も無い『街』に来てから、僕らは自分たちの生活に関すること以外何もしていない。
 安全で豊かな生活をりんちゃんたちに過ごしてもらうと言う僕の一つの目標からすれば、それは歓迎すべきものではあったけど、それに終始してしまって『神様に恩を売り、りんちゃんを日本に戻してもらう』と言うもう一つの目的のための挑戦もせず、目の前に迫っているはずの『災厄の魔王』による脅威からも目をそらして、ただ安穏としている自分の現状は、クリスティアーノの活躍を聞いた僕の心をざわつかせていたのだ。

 街の中心から離れた僕らの住居にも、遠い広場の喧騒がかすかに聞こえてくる。
 その音にまぎれて、階段を上ってくる不思議な足音が耳に届いた。

――コッ、とん。コッ、とん。

 ゆっくりと、規則正しいその足音は僕の部屋の扉の前で止まり、身なりを整える僅かな沈黙の後、控えめなノックを鳴らす。
 僕は思わず笑顔になり、「どうぞ」といつも通りの返事を返した。

「失礼します。あっくん……空気を入れ替えていたんですか? あまり寒いとお体に触りますよ」

 片手に小さな杖を突きながらもドアを開け、自分の足で歩いてきたのはルカ。
 僕の目の前でノールと言う半人半獣のモンスターになぶりものにされ、両手両足に千切れていないのが不思議なほどの大怪我を負った、あの6歳の少年が、今自分の足で歩き、自分の手でドアを開いて微笑んでいるのだ。
 半死半生の彼を「諦めます」と見捨てた両親に、この姿を見せてやりたい。子供は労働力であり、経済的な生産性を生まなければ捨てると言う常識を持つ、ミレナリオの人々に、この姿を見せつけてやりたい。
 僕は彼が運んできた一通の手紙を受け取り、思わず涙ぐんでしまった目を見られないように、窓の外へ顔を向け、手紙を明るいところで読んでいる風を装った。

「アンジェリカ様のお使いの方からです」

「うん。返事が必要かもしれない。そこに座って待ってて」

「はい」

 ルカが椅子に座る気配を背中に感じながら、薔薇の模様が刻まれた蝋封ろうふうを剥がし手紙を開く。
 アンジェリカは、普段転移者に関することを文章に残すような事はしないんだけど、よほど時間がなかったのか、そこには次のように書かれていた。

『石に人の気配。一両日中に移る可能性。アクナレート、マリアステラ両名に助力斯う ――アンジェリカ』

 石に、つまり転移者を人為的にここへ導こうとしている『魔宝珠まほうじゅ』に、僕たちの様に『能力チート』を持った『転移者』が現れる気配がある。
 そしてそれは、今日明日中にも『転移』が行われる可能性を示している。
 転移者を他の時代や他の転移世界ではなく、この時代のこの世界へ導こうと言うアンジェリカの計画が始まってから、実際に転移者が現れる兆しが見えたのは初めてのことだ。
 その一大事に対して彼女は、元転移トラック神である僕とマリアステラに助けを求めたのだった。

「ルカ、マリアは?」

「先ほどはリビングでチコラとお酒を飲んでいました」

 また飲んでるのか。
 まぁ僕もこの世界に来てからは、水の様にワインを飲んでいるから人のことを言えた義理じゃないけど、マリアステラは飲みすぎだと思う。
 僕はいつも着ているローブの上に外套を羽織ると、水晶球と死神の鎌デスサイズを無造作に掴み、手紙をルカに手渡した。

「ルカ、この部屋の片づけと、手紙の処分をお願い。ちゃんと燃やしてね。あと、僕とマリアはアンジェリカに呼ばれて教会の地下に行く。2~3日帰れないかもしれないから、ファンテと協力して家の事もお願いするよ」

 静かに頷くルカを部屋に残して、僕は飛ぶように階段を下りる。
 3階の僕の部屋から一気に1階のリビングまで駆け下りてドアを開くと、そこに居るマリアステラの腕をつかんだ。

「あは、なに? あっくん、突然の告白?」

「冗談やってる場合じゃないんだよマリア。アンジェの転移室に転移者が現れる予兆が出てるんだ。行くよ、用意して」

 アルコールで顔を赤くしながらも、即座に真面目な顔になったマリアステラは、空中に指を滑らせ、現れた青い光のプレートをちょいちょいと操作する。
 なんのエフェクトも無く一瞬で外出用の衣服に着替えた彼女は、「ちょっと酔い覚まし。顔だけ洗ってくる」と、僕の自慢の浴室へと足早に駆けて行った。

「……現れるんか? 新しい転移者」

「わからない。何しろアンジェも初めての事だからね」

「ワイも行った方がええんちゃうか?」

「いや、チコラはりんちゃんたちのこと、お願い」

 とりあえず頷いたチコラとマリアステラを待っていた僕たちの部屋に、ファンテが現れる。
 事情を説明して家のことを頼もうとした僕を制して、彼は口を開いた。

「馬車を呼んでおきました。家のことはチコラ様の指示で行います。お任せください。それから、クリスティアーノ様の容体はやはり悪く、2週間は身動きが取れないだろうとのことでございました」

 僕たちの騒いでいた言葉だけで、全容を理解していたらしいファンテの立て板に水のような説明に、僕は「う……うん」とだけ答える。
 用意していたような説明をしたファンテと違って、それを予想していなかった僕の方は、それに答えるのにちょっと時間がかかった。

「え……と、うん。家のことはファンテに任せる。指示が必要ならチコラやルーチェと相談して。クリスティアーノの事は、今はちょっと手伝えないかな……、毎日連絡を取って、何か急を要する事態に陥っていないかだけは確認しておいて」

「はい。しかしそれではこちらの場所が特定されてしまいますが……」

「……りんちゃんにお願いして、ぐりりんで少し離れた場所から連絡を取るようにしてみてよ。それならいいでしょ? 緊急事態なんだ。僕は友達のピンチを傍観するような人間にはなりたくないんだ。ごめんね、心配かけて」

「……いえ、かしこまりました」

「うん、必要ならすぐに僕たちにも連絡をお願いね」

 もう一度深く頭を下げるファンテの後ろ、開けっ放しのドアから「お待たせ」と入ってきたマリアステラと連れ立って、僕らはファンテの用意してくれていた馬車に乗り込んだ。

 中庭で遊んでいたりんちゃんとルーチェ、僕の頼んでいた用事を終えて降りてきたルカも加えて、僕らは玄関を出て、車止めで全員に見送られる。
 少し大げさなような気はしたけど、そこにツッコんでいる時間的な余裕も無いし、それはそれでなんだか気持ちよかったので、あえて口には出さなかった。

「りんちゃん、ちょっと僕とマリアはお仕事でお出かけするけど、みんなの言う事を聞いてお利口さんにしててね」

「あっくん、しゅっちょう?」

「あ、うん」

「いってらっしゃい! おしごとがんばってね!」

 チコラに抱っこされ、空中を漂いながら手を振るりんちゃんに僕も手を振りかえして、御者に「行って」と告げる。
 走り出した馬車の後ろから、りんちゃんの「おみやげかってきてね~!」と言う声と、ルカの「明日の朝にはお着替えをお持ちします!」と言う声が聞こえて、こんな時なのに僕はなんだか嬉しくなって笑ってしまった。

「かわいいね。りんちゃんも、ルカくんも」

「うん、僕の子供たちだからね」

「あはは、あっくんは親ばかだね」

「子供が居るのに親ばかにならない人の気がしれないよ」

「私も、りんちゃんとルカくんを見てると、姪っ子や甥っ子にメロメロになる人の気持ち、わかる気がするわ~」

 2人で「だよね~」と笑い、狭いブルーム型馬車の椅子に深く腰を下ろして、ふぅと一息つく。
 僕は一度体の力を抜いてから首をゴキッと鳴らして気を引き締めた。

 これから、新たな転移者に会うかもしれないんだ。転移者の性格や能力によっては、戦うことになるかもしれない。
 絶対にそんな状況になってほしくは無かったけど、りんちゃんたちやアンジェリカ、そしてこの街の人たちを守るためだ。僕はデスサイズの柄をぎゅっと握りなおした。

 絶対に理解できないと思っていたけど、今ならクリスティアーノの言っていた言葉が分かる。
 彼も僕と会う時にはこんな気持ちだったんだろう。

 もし、新たな転移者が悪意を持った人で、世の中を不幸にする力を持っているのなら、殺してでもそれを阻止する。
 今の僕には仲間がいるけど、あの時のクリスティアーノは一人きりだったんだ。
 その決意に、そしてそれを包み隠さずに僕に話してくれた彼の人柄に、僕は改めて敬意を抱いた。

 僕たちを乗せた馬車は石畳の敷かれた街の中心部へと差し掛かる。
 鉄で補強された車輪を軋ませながら、頭上にのしかかるように高くそびえる、教会の尖塔の元へと、僕らは進んだ。
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