転移世界のトラック神と、ひかれたようじょ

寝る犬

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第四章:新しい街での暮らしが始まる

第36話「名もなき街とようじょ」

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 この街に名前は無い。
 そして、街を治める組織にも名前がない。

 街はただ『街』と呼ばれ、組織はただ『組織』と呼ばれているようだった。

 アンジェに「固有名詞がないと不便じゃない?」と聞いてみたが、組織以外に組織がなく、街以外の街には千年王国ミレナリオが定めた名前がある以上、それを知っている者たちにとって不便はなく、逆にミレナリオの治める街へと行商に行った者たちが、会話の中からボロを出す心配も少なくなるので、あえてそうしているのだと教えられた。

 その街の外壁近く、ここにある建物としては珍しい、小さな中庭のあるアパートを丸ごとひとつ、僕らは買い取った。
 僕らがボルデローネを発つ際に、ファンテがそつなく全ての財産を馬車に詰め込んでくれたおかげで、ミレナリオの通貨は何百ゴードもあり、財産的にはまだ余裕がある。
 この街でも通貨としてゴード金貨、シーバ銀貨、ブローヌ銅貨が使用されていて、その点で僕たちに不安は無かった。

 そして意外なことに、この街には上下水道が整備されている。それもボルデローネよりもよほど立派なものがだ。
 山肌から流れるいくつもの川の水を石作りの水道を通して上水道として使い、地下を縦横に走る下水道の汚水は一か所に集められ、沈殿や曝気式の生物濾過などを行った後に川へ流す。
 それはまるで現代の汚水処理施設のようだった。

 もちろんこれはアンジェの――完璧な美が顕現したような美少女で、転移する前は40過ぎのおっさんだった、この街の長を務めるアンジェリカの――発案によるもので、それは現代日本の施設を記憶だけで再現したものだ。
 彼女は「あたくしには能力チート美の具現化ビューナスだた一つしかないのですわ」などと言っていたが、民主主義的なこの街の政治形態。動力源に魔法を使用しているものの、街を防衛するための防壁や門と、屯田兵のような制度を軸にした軍事力の強化。そして人々の生活を豊かにするための、物流の整理やこの上下水道の整備など、それらは十分知識チートと呼べるだけのレベルにあり、僕は改めてアンジェリカの手腕に心の中で賛辞を送った。

「あっくん! あっくん! あっくん! ただまー!」

 窓から街の雑踏を見ていた僕の背中に、たたたたっと言う軽やかな足音に続いて、皆で買い物に出かけていたりんちゃんが飛びつく。
 僕は「おかえり、りんちゃん」と振り返り、両手を伸ばす彼女を抱き上げると、次々に玄関ホールに現れた家族を迎えにエントランスへと向かった。


  ◇  ◇  ◇  ◇


 元々が3LDKくらいの家が12個集まった3階建てのアパートだ、僕、りんちゃん、チコラ、ルカ、ルーチェ、マリア、それにファンテと住込みのメイドを何人か雇っても、全体として広すぎだし、使い勝手は悪い。
 それでもここに決めたのは、他に良さそうな大きさの建物がなかったことは確かに大きな理由の一つではあるけれど、りんちゃんやルカが安全に遊べる中庭があること、僕たちの使うグリュプスの馬車をしまえる大きなガレージがあること、そして、いざと言うときにすぐ外へ出られるようにと、外壁の出入り口が近いことが決め手になった。
 内装は魔法の使える業者に入ってもらい、間取りから大きく変えてもらうことになっている。
 今は一番大きなリビングダイニングのある一階の部屋に全員で集まって、家の平面図を前にああでもないこうでもないと好き勝手な要望を出し合っていた。

「うん、これでだいたいオッケーかな、ね、ファンテ」

「珍しい作りですが、よろしいかと存じます」

 急遽ファンテ自ら面接して選んだメイドにその図面を渡して明日から入ってもらう業者に届けてもらう。
 あの図面に僕たちが好き勝手に書いた要望がどのくらい叶うのかは未知数だけど、僕はものすごくわくわくしていた。

「しかしあっくんってホントお風呂にこだわるよね~。なによ、浴室2つ? シャワー? ミストサウナ? 女子なの?!」

「いや、さすがに女湯と男湯は分けたいでしょ? せっかく上水道が通ってて水が使い放題な上に、湯沸しのマジックアイテムもアンジェから提供してもらえるんだから、使わなきゃ損だよ。当然脱衣所も分けたいし、どうせ中途半端な大きさにするくらいなら、男湯と女湯の間に湯上りにのんびりできる部屋も作ったっていいじゃない」

「いえ、あっくん、私はそれ贅沢だと思います」

「え~、ルーチェまでそんなこと言うの? ……そんなに贅沢かな?」

「まあ、ええてええて! どうせ邪魔なくらい家は大きいんや、それくらいええやろ」

「あはは、まぁねぇ。いっそのこと卓球台とマッサージ椅子も置いちゃおう!」

「あとあれや! ビンのコーヒー牛乳やな!」

「そうそう! 私はフルーツ牛乳派だけどね~」

「お、邪道やな!」

「王道だよ~」

「りんちゃんは! 『にゅーさんよーぐる』が飲みたいです!」

「うわっ? アレりんちゃんの世代でも知ってるの? なつかしいなぁ~」

「にゅーさんよーぐるってなんですかっ? 飲み物なんですかっ?」

 日本ネタで盛り上がる転移組、全くついていけないながらも、やはり珍しい単語には食いついていくスタンスのルーチェを含む現地組。
 そしていつものことだけど、僕も日本の記憶がじわじわと頭の奥の方から染み出してくるまで、現地組の方に近い反応をしていた。

 りんちゃんやマリアが何気なく口にする様々なキーワード。クリスティアーノやアンジェが見せてくれた、この世界ではオーパーツとでも呼べそうな品々。
 そういうものを感じた時、僕はまるで封印されていた記憶が蘇るように、日本での暮らしを思い出す。
 それでもそれは、自分の顔や家族の顔には霞がかかったようになっていて、懐かしさは感じるものの、あまり現実感のない記憶に過ぎなかった。

「……あっくん、どうしました?」

「ん? なんや? どないした?」

「あ、ううん。マッサージ椅子はともかく、卓球台は良いかも……あ、でもピンポン玉が無いね」

「なんや、そんなこと考えこんどったんか」

「あははっ、あっくんもノリノリだね~」

「うん、今度こそ……みんなで楽しく、ずっと住めるような家にしたいから」

 思わず口に出たその言葉を聞くが早いか、チコラが「ほぁちゃぁ~!」と空中を飛んで僕のおでこを蹴りあげる。
 首が「ぐきっ」と音を立て、おでこが赤くなった僕は、なんで蹴られたのか分からないまま、空中にふんぞり返るチコラを見上げた。

「ほんま辛気臭いねんお前はぁ!」

「あ、ごめ……ん」

 思わず謝ってしまう。
 でも、だんだんと苛立ちがこみ上げ、僕は立ち上がる。
 その時には、膝の上に座っていたりんちゃんが床にとんと降り、不安げに僕を見上げているのにも気づかないほど頭に血が上っていた。

「……そ……そんなこと! 分かってるよ自分が暗い事くらい! だからって蹴ること無いじゃない! それに、僕だってやれることは全部やろうとしてるよ! そりゃあチコラやファンテに助けてもらうことも多いけど、これ以上出来ないよ! これでも頑張ってるんだよ!」

「うっさいボケェ! お前はがんばっとる! そんなことくらい皆わかっとるわ! 口に出すなや! 安ぅなるで!」

「どうせ僕は安っぽい人間だよ! 戦うための能力チートしか持ってないのに、その戦いだってチコラの援護がないと全然勝てないし、しゃべったってどもっちゃうから交渉は苦手だし、この世界の常識も無いし! 日本に居たころから全然変わらないんだよ、僕は世の中に不要な人間なんだ!」

 ……日本に居たころから?
 自分の発した言葉に、僕は涙目のまま首をひねるり、口ごもる。
 僕って日本に居たころ、そんな分かりやすいダメ人間だったんだろうか。

 黙った僕を見下ろして、チコラは鬼のような形相で睨みつけた。
 りんちゃんがひくほどの顔。
 今までにチコラがここまで怒ったのを見たことがない。

 彼はプルプルと震えると、自分の口で「ぷっつーん!」と叫び、ものすごい勢いで僕の顔面に殴り掛かった。

「ボケェカスコラァ! お前それ本気で言うとんかぁ?! お前はすごいんじゃコラァ! ええかげん自覚せぇ! お前は強い! お前は皆に好かれとる! お前が居ないと皆困る! だいたいお前がおらんかったらりんちゃんはどないすんねん!」

 精霊力ジン魔法元素マナも込められていない、素のパンチ。
 やわらかい肉球と軽い体重そのままのパンチは、僕の顔にぽかぽかと何度も当たったけど、それは普段のツッコミ以上に何のダメージも僕に与えなかった。
 当然、それくらいではチコラの怒りは収まらない。

「アホあっくんコラァ! 聞いとんのか?! 耳付いとんかワレェ! お前のおかげでワイがどんだけ助かったか、一から説明せなあかんか?! りんちゃんがどんだけお前のことが好きか、一から説明せな分からんか?! ルカが、ルーチェが、マリアが、ファンテが、どんだけお前を信頼しとるか……一からか?! 一から説明せな分からんのか?! せやったらお前ぇ! お前、そんなんやったらなぁ……お前、ほんまの要らん人間やで!」

 ぱっちん! と、僕の頬を叩いたチコラが引きはがされるようにルーチェに抱きとめられ、胸に埋もれた彼は肩で息をする。
 ずっとされるがままになっていた僕が、ふと足元に感触を感じて視線を下げると、僕の足にしがみついているりんちゃんの姿が目に入った。

「……いる。りんちゃん、あっくん要るよ。いらなくないよ」

「りんちゃん……」

 僕はゆっくりと屈みこみ、りんちゃんをそっと抱きしめる。
 ファンテに差し出されたハンカチで、僕は涙を拭いた。

「あっくんが居ないとぼくも困ります。僕の手足が動くようになったら、ご恩返しをする相手が居なくなってしまいますから」

「そうですよ。りんちゃんのお父さん! 私だって……あっくんが居なくなったら……悲しいです」

 車いすで僕らのそばまで自分で移動したルカと、チコラを抱きしめたままのルーチェにもそう言われて、僕は顔が赤くなっていくのを感じた。
 なんて恥ずかしい。
 皆に慰められてる。まるで駄々をこねる子供じゃないか。
 何も返事が出来ず、ただ赤くなる僕を見下ろしていたチコラは、呆れたように「ふん、かまってちゃんめ」と横を向いた。

「あはは、チコラも、言い過ぎたと思ったらちゃんと謝った方がいいよ~」

 マリアがルーチェの胸からチコラを引き抜き、今度は自分で抱きしめる。

「誰が言いすぎや! まだ千分の一も言うとらんわ!」

「うんうん。チコラはあっくん大好きだもんね。分かるよ、自分の好きなものをけなされるやるせなさ」

 まだ何かを反論しようとしていたチコラをぎゅっと抱きしめて黙らせると、マリアはそのまま僕の隣に屈みこみ、僕とりんちゃんとチコラを一緒に抱きしめた。

「まぁたまにはいいよ~、こういうのも。ね、あっくんも、頑張りすぎはもうやめよう! 前にも言ったと思うけど、もっと皆をたよっていいんじゃないかな? 私も、もう千年王国ミレナリオの常識に合わせた『あるじ家人かじん』みたいな立場はやめるからさ。この『街』は、日本みたいな平等の国なんでしょ? みんなが出来ることをやって、何でもみんなで決めようよ」

「……それがよろしゅうございます。つきましては、本日のご夕食のメニューは、わたくしの独断で決めさせていただきました」

 ファンテが開いたリビングのドアを通って、廊下から香草の良い香りが漂ってくる。
 マリアのお腹が「ぐぎょるるぅ」と結構な音量で鳴るのが僕にも聞こえた。

「……っくぷふぅっ」

 堪えきれずにルーチェが噴き出す。
 久々に笑いが止まらなくなったルーチェを追いかけてマリアが部屋を出ていくのを見て、僕は肩から力が抜けていくのを感じた。
 隣でチコラが大きくため息をつく。
 りんちゃんは僕らの表情を確かめると、にぱっと笑ってルカの車いすを押して食事のある部屋へと走って行った。

 リビングに、僕とチコラだけが残され、ちょっとの沈黙の後、僕は口を開いた。

「ごめん」
「かんにんやで」

 ほぼ同時に僕らは謝る。
 顔を見合わせた僕はソファに腰を下ろし、頭の上にチコラが乗っかるのを黙って見ていた。

「……あっくんにいろいろ任せすぎっちゅうんは気付いとった。ほんでもワイはこんなナリやろ? 人間の世界ではどうにも上手うもうないんや。でもな、必要な相談は出来とる思とったんや。結局は思とっただけなんやけどな。……なぁ、1人で溜めんなや。相談くらいしたってや」

 珍しくチコラがしおらしい。
 僕は色々と言い訳をしようとしたけど思い直し、チコラを頭に乗せたまま立ち上がった。

 頭の上のチコラの鼻先を狙って、人差し指をピンとはじく。

「いたっ! なんやねんな!」

「ははっ、うん、これからはもっと相談する」

「……せや、何でもワイの指示を仰がなあかん。ワイはあっくんのお兄ちゃんやからな」

 廊下の向こうから聞こえる「あっく~ん! チコラちゃ~ん! ごはんですよ~!」と言うりんちゃんの声に、僕はチコラを乗せて足早にみんなの待つ食卓へと向かったのだった。
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