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伊佐屋 凪(いざや なぎ)の場合(◇恋愛◇ホラー)
伊佐屋 凪(いざや なぎ)の場合
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父は3時間前に死んだ。義母はさらにその1時間前に死んでいる。
僕は義妹の正面に正座して、自分の左手の薬指から繋がる赤い毛糸の先が、彼女の左手の薬指へと繋がっているのを視線でたどった。
そのまま腕、体、顔と視線を上げる。
最後にたどり着いた僕の視線を受け止め、しっかりと見つめ返す義妹に僕は頷いた。
「……菜実。綺麗だ」
心の底からそう思い、僕は彼女に優しく笑いかける。
菜実も、震えながら微笑み返してくれた。
僕らの住むこの鹿翅島には、今やゾンビが溢れている。それはいつも通りの金曜日の朝に突然始まった。
◇ ◇ ◇
1か月前に再婚したばかりの父が台所に立つ義母に「おはよう」と声をかけると、帰ってきたのは「ヴぁぁアァぁぁ!」と言う唸り声だった。
父と義母の争う声に義妹が慌てて駆け付けると、頬肉の無くなった義母が濁った瞳の端正な顔で、今まさに父の肩を噛み千切っている所に出くわした。
義妹の悲鳴に遅ればせながら僕が階段を降りると、開かれたドアからもみ合いになっている3人の姿が見えた。
父が偶然手にしたフライパンで義母の頭を何度も何度も殴りつけると、ゾンビは倒れ、動かなくなる。
震えながら大きく肩で息をしていた父は、頭のつぶれた義母の横に膝をついて「あぁ……!」と一言叫ぶ。そのまま義母の遺体を抱きかかえると無言で書斎にこもり、しばらくの間大暴れしていた。
その後、急に静かになった父の書斎を僕が恐る恐る確かめると、そこには折り重なるように義母のゾンビと父の死体が転がっていた。
喉を掻き切ったらしい父の死体は、義母のゾンビを抱きしめる様に倒れていて、僕は黙ってドアを閉めることしかできなかった。
「……お父さんは?」
義妹の質問に、僕はただ頭を振る。
手を取り合って2階の僕の部屋へ移動すると、僕らは心細い思いをしながらお互いを抱きしめあい、ただ救助を待った。
父に「凪、今日からお前の妹になる菜実だ」と紹介されたその日から、お互いにずっとこうしたいと思っていた義妹との抱擁ではあったけれど、今は単純に喜んでいられる状況でもない。
なぜこうなってしまったのか?
これから僕たちはどうなってしまうのか?
そんな疑問が頭に浮かんだが、そのどれ一つとして回答が思い浮かぶことは無かった。
「ねぇ、おにいちゃん。……私、お母さんに噛まれてたみたい」
しばらくして、義妹が手首に小さくついた傷を撫でながらそう呟く。
父と一緒に義母を押さえようと奮闘したあの時についたのだろう、紫色に変色し始めたその傷を僕に見せ、菜実は笑い、そして僕にすがって泣いた。
◇ ◇ ◇
「結婚しよう。菜実」
ゾンビになる前に父と同じように死にたいと言う彼女の肩を抱いて、僕はそう提案した。
このまま義妹が死んでしまうのなら、僕だって生きては行けない。
たとえ僕らがここで死んでしまうとしても、来世でまた巡り合えるようにと、僕らは夫婦になることを選んだ。
「おにいちゃんと結婚できるなんて、思ってなかったな」
ゾンビになるのも悪い事ばかりじゃないねと笑う義妹が、僕の左手の薬指に、赤い毛糸の端を結びつけた。
僕は黙ったまま、反対側の端を義妹の左手の薬指に結び付ける。
2人の間をゆったりとつなぐ赤い糸を見て、僕らは微笑みあい、お互いの体をしっかりと抱きしめた。
「おにいちゃん……私……怖い」
「大丈夫。何も怖くないよ。僕が居る」
「うん……でも……もう……ダメ。あぁ……お願い……見ないで……」
義妹の体はもう冷たくなり始めていた。
それをむりやり温めようと、僕は力を込めて彼女を抱きしめる。
しばらく何も考えることなくただ抱きしめあっていると、突然ぶるっと身じろぎした義妹が、何かを囁いたように僕には聞こえた。
「……菜実?」
見ないで、と、彼女は言ったけど、僕は思わず体を離し、彼女の顔を覗き込む。
目が合った。
義妹の目は白く濁り、もう何も見ていない。
僕は思わず悲鳴を上げて義妹を突き放そうとしたけれど、彼女が僕を抱きしめていた両手に今までとは違う力が籠められ、僕はもう一度しっかりと抱きしめられた。
「ヴぁアァあ……」
唸るような声。
そして首から肩にかけて走る激痛。
見ないで、と、彼女は言った。
そうだ、僕は見てはいけなかった。
美しい義妹と結ばれ、そのまま一緒に死んで行けるはずだった僕は、恐ろしいゾンビへと変わってしまった彼女に殺される未来を選んでしまったのだ。
ごりっ……ぼぎっ……。
自分の骨が砕ける音を聞きながら、僕の意識は闇に沈む。
最後に僕の脳裏に浮かんだ義妹の顔は、美しいあの顔だったのか、ゾンビとなった悍ましいあの顔だったのか。
それも、今となっては全て闇の中だった。
――伊佐屋 凪(いざや なぎ)の場合(完)
僕は義妹の正面に正座して、自分の左手の薬指から繋がる赤い毛糸の先が、彼女の左手の薬指へと繋がっているのを視線でたどった。
そのまま腕、体、顔と視線を上げる。
最後にたどり着いた僕の視線を受け止め、しっかりと見つめ返す義妹に僕は頷いた。
「……菜実。綺麗だ」
心の底からそう思い、僕は彼女に優しく笑いかける。
菜実も、震えながら微笑み返してくれた。
僕らの住むこの鹿翅島には、今やゾンビが溢れている。それはいつも通りの金曜日の朝に突然始まった。
◇ ◇ ◇
1か月前に再婚したばかりの父が台所に立つ義母に「おはよう」と声をかけると、帰ってきたのは「ヴぁぁアァぁぁ!」と言う唸り声だった。
父と義母の争う声に義妹が慌てて駆け付けると、頬肉の無くなった義母が濁った瞳の端正な顔で、今まさに父の肩を噛み千切っている所に出くわした。
義妹の悲鳴に遅ればせながら僕が階段を降りると、開かれたドアからもみ合いになっている3人の姿が見えた。
父が偶然手にしたフライパンで義母の頭を何度も何度も殴りつけると、ゾンビは倒れ、動かなくなる。
震えながら大きく肩で息をしていた父は、頭のつぶれた義母の横に膝をついて「あぁ……!」と一言叫ぶ。そのまま義母の遺体を抱きかかえると無言で書斎にこもり、しばらくの間大暴れしていた。
その後、急に静かになった父の書斎を僕が恐る恐る確かめると、そこには折り重なるように義母のゾンビと父の死体が転がっていた。
喉を掻き切ったらしい父の死体は、義母のゾンビを抱きしめる様に倒れていて、僕は黙ってドアを閉めることしかできなかった。
「……お父さんは?」
義妹の質問に、僕はただ頭を振る。
手を取り合って2階の僕の部屋へ移動すると、僕らは心細い思いをしながらお互いを抱きしめあい、ただ救助を待った。
父に「凪、今日からお前の妹になる菜実だ」と紹介されたその日から、お互いにずっとこうしたいと思っていた義妹との抱擁ではあったけれど、今は単純に喜んでいられる状況でもない。
なぜこうなってしまったのか?
これから僕たちはどうなってしまうのか?
そんな疑問が頭に浮かんだが、そのどれ一つとして回答が思い浮かぶことは無かった。
「ねぇ、おにいちゃん。……私、お母さんに噛まれてたみたい」
しばらくして、義妹が手首に小さくついた傷を撫でながらそう呟く。
父と一緒に義母を押さえようと奮闘したあの時についたのだろう、紫色に変色し始めたその傷を僕に見せ、菜実は笑い、そして僕にすがって泣いた。
◇ ◇ ◇
「結婚しよう。菜実」
ゾンビになる前に父と同じように死にたいと言う彼女の肩を抱いて、僕はそう提案した。
このまま義妹が死んでしまうのなら、僕だって生きては行けない。
たとえ僕らがここで死んでしまうとしても、来世でまた巡り合えるようにと、僕らは夫婦になることを選んだ。
「おにいちゃんと結婚できるなんて、思ってなかったな」
ゾンビになるのも悪い事ばかりじゃないねと笑う義妹が、僕の左手の薬指に、赤い毛糸の端を結びつけた。
僕は黙ったまま、反対側の端を義妹の左手の薬指に結び付ける。
2人の間をゆったりとつなぐ赤い糸を見て、僕らは微笑みあい、お互いの体をしっかりと抱きしめた。
「おにいちゃん……私……怖い」
「大丈夫。何も怖くないよ。僕が居る」
「うん……でも……もう……ダメ。あぁ……お願い……見ないで……」
義妹の体はもう冷たくなり始めていた。
それをむりやり温めようと、僕は力を込めて彼女を抱きしめる。
しばらく何も考えることなくただ抱きしめあっていると、突然ぶるっと身じろぎした義妹が、何かを囁いたように僕には聞こえた。
「……菜実?」
見ないで、と、彼女は言ったけど、僕は思わず体を離し、彼女の顔を覗き込む。
目が合った。
義妹の目は白く濁り、もう何も見ていない。
僕は思わず悲鳴を上げて義妹を突き放そうとしたけれど、彼女が僕を抱きしめていた両手に今までとは違う力が籠められ、僕はもう一度しっかりと抱きしめられた。
「ヴぁアァあ……」
唸るような声。
そして首から肩にかけて走る激痛。
見ないで、と、彼女は言った。
そうだ、僕は見てはいけなかった。
美しい義妹と結ばれ、そのまま一緒に死んで行けるはずだった僕は、恐ろしいゾンビへと変わってしまった彼女に殺される未来を選んでしまったのだ。
ごりっ……ぼぎっ……。
自分の骨が砕ける音を聞きながら、僕の意識は闇に沈む。
最後に僕の脳裏に浮かんだ義妹の顔は、美しいあの顔だったのか、ゾンビとなった悍ましいあの顔だったのか。
それも、今となっては全て闇の中だった。
――伊佐屋 凪(いざや なぎ)の場合(完)
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