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本編

7 人狼族の裏切り者

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 気絶してしまったラヴィは、サーフィが馬車に運んでくれた。
 再び狼に変化し、人狼たちが戻ってくる気配がない事を確認したあと、ルーディはラヴィが寝かされているのとは違う馬車へ入る。

 幌馬車の中では、アイリーンが待っていた。
 ルーディは人間に戻り、アイリーンの用意してくれた衣服を身につけた。
 狼に変身する時、衣服は身につけれないので、戻ったあとは当然裸になってしまうのだ。

「ルーディ、人狼と公爵が関係している証拠品は、みつけられましたか?」

 仕事の話をする時のアイリーンは、普段のざっくばらんな口調とまるで違う。
 これは彼女の中ではとても大事な習慣らしい。

「いいえ。……兄は用心深いですから」

 今は人狼の長となっている兄を思い出しながら、ルーディの口調も自然と改まる。
 サーフィが持ってきた手紙は、悪い知らせが一つ。
 それからフロッケンベルク王からの指示が一つだった。

 悪い知らせは、人狼族が遠いこのイスパニラ国まで来ているという事。
 一族が今までルーディの行方を放っておいたのは、彼ら自身も種の存亡の危機にあり、それどころでは無かっただけだ。
 しかし、ひとたび目にすればどうなるかは、先ほどの戦闘が物語っている。
 そしてフロッケンベルク王からの指示は、バーグレイ商会と共に、ソフィア姫の暗殺計画を防げという内容だった。
 この二つは、互いに深く関係している。

 イスパニラ王の弟……つまりソフィアの叔父であるギスレ公爵が、人狼と手を組み、彼女が帰国する際に暗殺をもくろんでいるのだというのだ。
 そして、ソフィアの兄や姉たちを犯人にしたてあげる、偽の証拠も作り上げているらしい。
 ソフィアが死に、他の兄弟達が投獄されれば、自分が次期王になれるという、甘い野望を抱いている事は見え透いている。

 ギスレ公爵は、深い教養があり頭のキレる策士……と、本人は思っている。
 だが実際は、軍師としても人間としても今ひとつ底が浅い、ただのインテリ気取りの男だ。
 プライドの高い人狼が、そんな人間の言いなりになるなど、ルーディもアイリーンも信じられない。
 何か裏があるとは思うが、実際に人狼たちはイスパニラ王都に来ている。
 無能者と影口と叩かれていようとも、ギスレ公爵は仮にも王弟殿下だ。起訴するにはそれなりの証拠品が必要となる。

 ルーディはアイリーンの手紙を受け取った後、指示通りにギスレ公爵の屋敷に忍び込み、目当ての品を探していたのだ。
 そしてルーディは自分の考えが甘かった事を知る。
 人狼たちがイスパニラ王都に着たのは、ギスレ公爵との契約のためだが、十数匹はルーディを探して王都中をうろついていた。

 彼らの追跡は、執拗で苛烈を極めていた。
 ラヴィがあのまま家に残っていたら、すぐ見つかって惨殺されていただろう。
 もはや彼らにとって、ルーディは単なる敵以上に憎い裏切り者だし、彼らが住みなれた地を追われたのすら、ルーディのせいだと信じていた。


 アイリーンとの話を終えた後も、ルーディはラヴィに会う決心がつかなかった。
 彼女は気絶したあと、ずっと馬車に寝かされている。
 だが、向かおうと足を向けるたびに、あの脅えきった顔が脳裏に蘇って、結局引き返してしまうのだ。
 しまいにアイリーンから『鬱陶しい!』とたたき出され、ルーディはようやく、ラヴィの寝かされている馬車に向う。
 足どりは今日の天気のように、どんより鉛色に重い。

「ラヴィ……」

 入り口の垂れ幕を避けて、そっと中に入ると、ラヴィは寝台に腰掛けていた。
 まだ夜には早いが、厚い布で覆われた幌馬車の中は暗い。
 しかし、夜目の利くルーディの目は、ラヴィがかすかに震えているのさえ判別できた。

「……ルーディ」

 ラヴィの小さな声も、かすれて恐怖に震えている。
 ため息を無理に飲み込んだ。
 正体を明かせば、こうなるのはわかっていた。それでも、あのまま騙し続けるのはどうしても嫌だった。

「ごめん。何度も……言おうと思ったんだ……」

 ラヴィの顔をまともに見れなくて、目を逸らして、早口で告げる。

「今回の件が終われば、アイリーン姐さんが、ラヴィの育った家まで連れて行ってくれるはずだ。俺はもう君に触れないし、姿も現さないから安心して……」

 目を逸らしていてもラヴィが動いた気配は感じたが、次の瞬間抱きつかれて、ルーディは仰天する。

「ラヴィ!?」

 ハクハク開け閉めされる彼女の口からは、一声も出てないけれど、ポロポロ涙を零して、ラヴィは無言で泣いていた。
 ふわりと香る、ラヴィの甘い香りに誘惑される。

「ラヴィ……ダメだ……離れてくれ……」

 ルーディの腕力なら、小柄なラヴィを引き離すくらい造作もないのに、どうしても身体はいう事を聞かない。
 それどころか、抱きしめたい欲求を抑えるのが精一杯だ。
 一緒に過ごした二週間、何度となくこの誘惑と戦った。
 時には、こんなに苦しいならいっそ、さっさとラヴィと離れようとさえ思った。
 それでも……結局はなんのかんのと言い訳を考えて、彼女を引きとめ続けていた。

「俺は、ラヴィの嫌いな人狼だし……一族から追われる裏切り者なんだ……」

 追われ続ける身として、他人を危険に巻き込みたくないから、今まで深入りしすぎる関係は作らなかった。
 広く浅く。
 たまに気の合った行きずりの女性と寝ても、同じ相手と二度目はない。
 諜報員という立場からも、それはうってつけの生き方だった。
 ただ、時折どうしようもない空しさに襲われる……それだけ。
 ラヴィに惹かれたのは寂しかっただけだと、そう思おうとした。
 けれど、ラヴィが狼の牙に引き裂かれそうになったのを見た時、全身が沸き立つような怒りがこみ上げた。

“俺のつがいに手を出すな!!”

 ラヴィには吼え声にしか聞えなかっただろうが、気づけばそう叫んで噛み付いていた。
 人狼は、基本的に同族以外とは交わらない。
 もし交わったとしても、それは性欲を満たすだけの目的で、一生を添い遂げる“つがい”に選ぶ事はないはずだった。
 それでも、もう彼女しか選べない。
 同族でなくとも、つがいに成り得るのはラヴィだけだ。

 ラヴィと過ごした二週間、初日のようにいきなり押し倒すような理性のなくし方はなかった。
 正直で真面目で一生懸命な彼女へ、愛しさが一日一日と募り、それが手に入れたい欲求をふくらめると同時に、彼女を傷つけまいとするブレーキになっていた。

 狼を嫌うラヴィに断られても、無理やり手に入れてしまいたい。それが獣の本能。
 愛しているラヴィを傷つけたくない。それが人間としての理性。
 
 しかしもう、とても耐えられそうに無い。

「離れてくれ……」

 掠れて上擦った自分の声は、本心からかけ離れたものなのが、見え透いていた。
 耐え切れず、ラヴィを抱きしめ、小さな唇を貪る。

「ん……ん……」

 震えている舌を吸い上げ、甘い唾液を夢中ですする。
 いますぐ喰らい尽きたい獣の本能を必死に抑えながら、口付けの合間合間に懇願した。

「ラヴィ……俺のつがいになって……」

 じんじん疼く、気が狂いそうな飢えを、すぐにでも満たしたくてたまらない。

「愛してる……ラヴィが欲しい……」

 
 ルーディが狼から人に変貌する姿を見たら、頭の中が白くなってクラリと視界が揺れ、気づいたらラヴィは幌馬車の寝台に寝ていた。
 そばには、ベールを被ったままのソニアがいた。どうやら付き添いをしていてくれたらしい。
 彼女は相変わらず黙ったままだったが、そっと暖かい湯を渡され、優しい手つきで髪を撫でられたら、やりきれない感情が爆発してしまった。

『ルーディが人狼だなんて信じたくない! 狼が……あの姿が怖かった……どうしてあの優しいルーディが、私の一番怖い狼なの!? ねぇ! 誰か教えて!!』

 混乱の極みで、関係ない彼女に切々と訴えた。それでもソニアは辛抱強く聴いてくれた。
 一言も発さないソニアは、もしかして口が聞けないのかと思ったが、ラヴィが泣く気力さえ失くすと、唐突に立ち上がった。と同時に、流麗で気品に満ちた静かな声がベールを抜ける。

『そなたは、あの青年を愛しているから悩むのじゃな』

 たったそれだけだったけれど、穏やかにラヴィの心にしみわたった。
 たちこめていた心の霧が、晴れていく。

 彼女が馬車を出て行って少しすると、入れ替わりにルーディが来た。
 思わず震えてしまったラヴィを見て、ルーディは泣きそうな顔になったが、文句一つ言わなかった。
 命を助けてもらったクセに、人狼だなど悩んだ恩知らずな自分が、心底情けなくなった。
 胸が詰まって一声も出ない。

『愛してる、ラヴィが欲しい』

 その要求を拒否する理由なんか、どこにもなかった。
 必死で頷いたとたん、押し倒され寝台に逆戻りになった。

「ラヴィ……ラヴィ……このまま抱きたい」
 情欲に掠れた低い声は、聴覚から侵入し、ラヴィの理性を奪って羞恥を剥ぎ取っていく。
 性急に衣服の紐が解かれ、首筋を甘噛みされる。
 柔らかくあたる犬歯は、痛みでなく火のような快楽を植え付け、身体中がどうしようもないほど熱くなる。

「んっ!」

 固く立ち上がっている乳首を吸い上げられ、喉を逸らせて喘いだ。
 自分で触れても、何も感じないのに、唾液に濡れ光る先端へ吐息を吹きかけられると、それだけでビクンと身体が震えてしまう。
 慎ましやかな桜色だった突起は、苺のように真っ赤に色づいて固く尖りきり、淡く色づいている周囲までも、プクリと膨らんでいた。

「あ……あ……あんっ!」

 片側を吸い上げられながら、もう片方も指で柔らかく引っ張られた。
 心臓をキュゥっと鷲づかみされるような、切ない感覚が走る。

「っは……はぁ……」

 じんわり熱を帯びた下腹部に、ルーディの指が伸びる。

「ひぁっ!!」

 秘められていたスリットをなぞられ、ちゅくんと沸き立った水音に、両手で顔を覆った。

「や……ぁ……媚薬使ってないのに……どうして……」

 自分の身体がひどい淫乱だと証明されている気がして、このまま消えてしまいたくなる。

「感じやすいって、俺は嬉しいけど」

 顔を覆った手を避けられ、嬉しそうに顔を覗き込まれた。

「で、でも……っぁ!」

 ぬめった花弁の合間に指を一本埋め込まれ、声が跳ね上がる。

「あ、あ、あ……っ!」

 撫でられるだけだった以前と違い、しっかりと体内に受け入れてしまった指は、最初こそ違和感を与えたが、すぐに慣れた
 身体の中をかき回す指が、あのとき以上の快感をくれる。

「――だぁめです、ぼっちゃん!」

 不意に、外からかすかにサーフィの声が聞え、ここがどこかやっと思い出した。
 厚いとはいえ、ただの布で覆われた馬車の中だ。外には他の馬車もあるし、隊商の人間も大勢いる。
 ルーディも表情だけで苦笑いしていた。だけど、止めるという選択肢はどうやらないらしい。
 かき回されていた指が、ゆるやかに抜き差しされる動きへと変わっていく。

「っん! ぁ……」

 あわてて指を噛んでこぼれ出した喘ぎ声を押し殺そうとしたが、うまくいかなかった。
 ルーディに手を掴まれて引き剥がされたからだ。

「ラヴィ、声を出したくないなら、こっちにしよう」

 どうしようもなくラヴィを煽る低い声で囁かれ、唇を同じもので塞がれる。

「ん……ん……」

 口内を貪られながら、ゆっくり指を抜き差しされると、たまらなかった。食べて欲しいと言うように、夢中で自分から舌を差し出してしまう。
 蜜が量を増すと共に、指の本数も増やされ、ぐちゅぐちゅに蕩かされる。

「ん、ん、んーーっ!」

 絡ませた舌に声を吸い取られながら、なんなく絶頂に押し上げられた。瞼の裏に白い星が散る。
 ガクガク痙攣する身体を、必要な筋肉だけがついた腕に抱きしめられる。

「あ……ぁふ……んっ」

 激しく上下する胸の動悸も静まらないうちに、指がズルリと引き抜かれた。切なさにラヴィは眉をひそめる。
 もっと身体にルーディの存在を植えつけて欲しくてたまらない。

「ルーディ……」

 思わず、ねだるように見上げてしまった。
 飢えた琥珀の瞳と視線がかち合った瞬間、片膝を掴まれ、大きく足を開かされた。

「ぁんっ!?」
「ラヴィは誘い方が上手すぎる」
「えっ!?」

 咎めるように囁かれた小声に、思わず反論した。

「そんな……違……っ!」

 また唇を塞がれ、抗議は途中で途切れる。
 そのまま、じんじん疼いている場所へ、熱をもった固い肉が有無を言わせずに押し当てられた。

「ん、んん……は……ぁ……」

 押し込まれ始めた性器は、処女には辛すぎる大きさで、小柄なラヴィには、なおの事厳しい。力の抜けていた体にも相当の苦痛を強いた。
 引き裂かれる痛みに、きつく閉じた目じりから、涙がいくつも流れ落ちる。

「ぅ……」

「痛い……?」

 頬に優しい口付けが落とされた。
 深く刻まれた爪痕に、ぬるりと舌を這わせられ、恍惚感にゾクリと背が震えた。
 心配そうなルーディの顔を引き寄せて、初めて自分から口付けてみた。

「だい……じょうぶ……だから……」

 貴方が欲しい……。

 深くなった口付けに、最後まで言えなかったけれど、ちゃんと伝わったらしい。

「ん、ん……ふ……」

 粘膜が破かれ、膣壁をいっぱいに押し広げながら、根元まで埋め込まれる。

「ラヴィ……愛してる……」

 抱きしめられ、うわ言のように熱っぽく囁かれるうち、痛みの奥に見え隠れしていた感覚が、次第に引きずりだされてきた。
 熱くて甘ったるくて、きもちよくてたまらないのに、あと少し足りない。
 もどかしさに身じろぎすると、ルーディの腰も次第に動きだす。

「は…ぁぁ…ふぁっ!あっ!」

 仰け反って喘いだ拍子に唇が外れ、悲鳴に似た快楽の声がほとばしる。唾液が口はしから滴り落ちた。
 声を殺す余裕など微塵もなかった。
 むせび鳴く淫らな声が聴覚を刺激し、さらに快楽へ追い討ちをかけられ、思わず内部の男を締め付けてしまう。
 繋がった場所から、次第に痛みが消え、純粋な快楽だけが提供される。
 ルーディの手が、緩やかに肌を撫でていく。
 頬、腕、わき腹、腿など、触れられる所から次々と悦楽の波が押し寄せ、ラヴィを身悶えさせる。

「ああああっ!」

 両の乳首を摘まれ、ズクンと子宮が凄まじい快感に突き刺される。
 胸を嬲られながら、揺さぶられると、もう理性は欠片さえ残らず壊されてしまった。

「あっ!あああっ!!!ひ、ぁぁっ!!」

 嬌声をあげながら、夢中で性感を貪る。
 浅い位置で軽く抜き差しされ、一気に最奥まで突きいられると、肉体も心も快楽に串刺しされた。
 何度も何度も、瞼の裏に白い火花が散り、ルーディと繋がっている事しか考えられなくなる。
 腰を抱えられ、息が止るほどの快楽にむせびないた。
 両腕を首に回し、逞しい身体に足を絡ませ、全身ですがりつく。

「ああっ!もう……もう……苦し……」

 何度も気を失いそうになりながら、過ぎる快感は、それさえも許さない。
 最奥を突かれるたびに、愛しい相手の遺伝子を欲しがる本能が、膣壁をひくつかせて誘惑する。
 相手に愉悦を与え、ここに精液を出して欲しいと、ラヴィの身体が必死で懇願している。
 不意に顎をつかまれ、乱暴にさえ思うほど激しくキスをされた。
 侵入した舌に口内をあますところなく舐められ、繋がった下腹部も深く押し入られると、全て貪り尽くされている気分になる。

「んっ、んっ、んんっ……!」

 最奥をえぐられ、全身を引きつらせながら、埋め込まれた雄を締め上げた。
 重なり合った唇の奥で、ルーディも獣の唸りにも似た低い呻き声をあげたのがわかる。
 いっそう膨らんだ性器が震え、熱い奔流が流し込まれた。

「ぁぁ、ぁ、ぁ……」

 いっぱいに注ぎ込まれながら、最後の一滴まで搾り取ろうと、ラヴィの体内は痙攣をくりかえす。
 まだ快楽の熱に打ち震えたまま、ルーディを見上げた。
 とても幸せそうな顔をした、愛しい人狼の青年に、抱きしめられる。

 狼に恐怖を植え付けられ、人に絶望へ叩き落された。

 その両方であり、どちらでもないルーディだけが、ラヴィの愛する“つがい”だ。


 しばらくして息が治まっても、ルーディはラヴィを抱きしめたまま離さない。
 裸の厚い胸に押し当てられていると、ひどく心地よい心臓の鼓動が伝わってくる。
 そしてルーディは、何もかも話してくれた。
 あの狂ってしまったような狼の行動……あれは『発作』と呼ばれる症状だという。
 それが全ての始まりだった。


*****

『 “発作” は、なぜ起こるんだろう?』

 こんな疑問を抱いた事こそ、ルーディが変わり者たる証拠だろう。
 プライドの高い人狼族は、他部族と血が混ざるのを嫌い、必然的に血族婚が多くなる。
 濃すぎる血は、人狼たちの凶暴性をいっそう強くし、いつしか『発作』と呼ばれる症状が出るようになっていた。
 人狼は昼夜を問わずに変身できるが、月の満ち具合が高い期間ほど、狼になった際に、凶暴な興奮を呼び覚まされる。
 しかし、興奮しすぎて理性を保てなくなり、敵見方かまわず襲い掛かる事がある。

 それが『発作』だ。

 特に満月の夜には、必ずと言っていいほど誰かが発作を起した。
 周囲の全てを殺すか、自分が死ぬまで興奮は止らない。まさに「狂う」という表現がピッタリだった。
 だが、発作がなぜ起こるのかを考える者も、止めようとする者もいなかった。

 凶暴性と強さは、人狼からみれば誇れる長所だ。
 発作は手放しで喜べない現象だが、それで死ぬのは、もっとも誇らしいとさえ言われていたのだ。
 族長の父でさえ、『そんな事を考えるより、自分の身を案じろ』と、鼻で笑うだけだった。

 父が死ねば、ルーディは他の兄弟と殺しあって、長の地位を争わなくてはいけない。
 北の山脈に住む人狼族は、全てを力で手に入れる。森の獣を狩り、旅人や周辺の国を襲って、生活に必要なものを略奪するのだ。
 長は一族を統治する、絶対的強者だ。一族を屈服させ、力でひれ伏させる存在。
 生き延びるためには、強く強くならなければ……。

 人狼の子どもたちは、狼に変身し、じゃれあいというには少々過激な力比べをしょっちゅうする。
 ルーディは五人兄弟の末っ子だったが、長兄以外の兄たちには楽々勝ててしまう。
 当時まだ八つにも満たない年齢だったが、人狼の子どもは成長が早い。代わりに青年期が長いのだ。すでに身体は大きく、考えもしっかりした一人前の少年になりつつあった。
 次の族長は、ルーディか長兄のヴァリオのどちらかだというのが、周囲の見解だった。
 だから、ルーディに期待していた父は“腹のたしにもならん事”を考えるのはやめろと忠告したのだ。

 誰にも相手にされなかったが、ルーディは考え続けた。

(だって、このままじゃ人狼は自分達で殺しあって、一人もいなくなっちゃうじゃないか)

 最盛期では、人狼の部族はいくつもあったらしい。
 しかし今ではルーディの父を長とする一部族が残るのみだ。老人から生まれたての赤子まで合わせても千人に満たない。
 それでも、人狼は生き方を変えようとはしない。血族婚を繰り返し、発作を起した同族と殺し合い、数は減り続ける。

(それに……俺は、怖いよ……俺ももうすぐ発作を起こす。きっと近いうちに……)

 発作を起こした同族を見るたびに、恐怖がヒタヒタと押し寄せる。
 変身するたびに、全てを殺せという狂気の声がだんだん大きくなっていく。
 ひどく凶暴な興奮につきうごかされる。
 それこそ、ルーディが他の兄たちより強い原因だった。

 発作は、もっとも人狼らしい誇らしい終わり方だって、“みんな”は言う。“他のみんな”もそう言ってるからって。
 けど、俺はそうは思わない。
 あれは誇り高い人狼なんかじゃない。ただの、血に飢えた怪物だ。
 そして俺も、そのバケモノになる日が近づいている……。

 それは明日かもしれないし、数分後かもしれない……。


 ルーディが幸運だったのは、ある薬草を見つけた事だった。
 狼に変化して夏の野山を駆け回っていたときに、とても良い匂いのする草を見つけた。
 花もつけていないのに、ふんわり甘い香りで、なんだかとても気分が穏やかになった。
 夜の変身で、凶暴な血に飲み込まれそうになるたびに、大慌てであの草を探して嗅いだ。
 しかし、野山が雪に覆われると、薬草は見つけられなくなってしまった。
 そこで仕方なく、一人でこっそりフロッケンベルクの王都まで、山を降りて行った。

 フロッケンベルクは昔、もっとも深刻に人狼の略奪被害を受けていた国だ。
 だが百年以上前に、「姿なき軍師」と呼ばれる者が現れ、手痛い思いをさせられる人狼の部族が続出した。中には壊滅させられた部族もある。
 人狼族にとって耐え難い屈辱だったが、どんなに歯軋りしようと敗戦は覆せない。
 しかも悪い事に、謎の軍師は時が経た今でも、その名のとおり姿を見せないまま、国を守り通す。
 人間がそんなに生きられるはずはないから、称号と才を継いでいるのかもしれないが、それにしてもかの軍師は、いつの時代も悪魔より腐れ外道な罠を張り巡らす根性悪だった。
 よって人狼達は、しだいにフロッケンベルクを襲うのを避け、かわりに他の近隣諸国を襲うのが常になっていたが……。

 フロッケンベルクの王城と錬金術ギルドには、薬草用の大きな温室がある。
 あそこなら、あの薬草もあるかもしれない……。

 錬金術ギルドの温室は、何か妙な結界が張られていて、忍び込めなかった。
 それより兵士の目を逃れるほうが楽で、王宮に忍び込んだルーディは、多種多様な草花がすくすく育っている温室で、やっとあの薬草を見つけた。
 持ち帰るために、首に下げていた布袋を床に振り落とし、人の姿へ戻ろうとした。
 ところが……

「子どもの人狼か?」

 久しぶりに嗅ぐ甘い芳香にほっとし、気を抜いたのがまずかった。
 狼から人の姿になる最中を、一人の若者に見られたのだ。
 どうみても使用人ではない身なりで、明るい巻き毛の下には、陽気そうな両眼が興味に煌いている。
 ルーディは反射的に、もう一度狼に変わろうとした。

「その草が欲しかったのか?なら持って行ってかまわない」

 ところが兵を呼ぶかわりに、若者はそんな事を言ったのだ。

「――え……」

「とても幸せそうな顔をしていた。人狼は何も感じない凶暴な種族と聞いていたが、そんな事はないようだな」

「……俺たちだって、生きてるんだ。何も感じないわけない」

 なんとも言えない気まずさで、ルーディはもごもご呟く。

「ああ、もっともだな。失礼した」

 若者は苦笑した。

「私が王になる前に、国はもう人狼もの襲撃をうけなくなっていたから、君の一族と話をする機会はなくてね」

「え!じゃ、あんた……ヴェルナー王!?」

 フロッケンベルクを襲撃しなくなって久しいとは言え、人狼たちも仇敵の情報は集めつづけている。
 数年前、まだ少年の身で即位したフロッケンベルク国王の名は、ルーディも聞いていた。

「ああ。ヴェルナーだ。君は?」

「……ルーディ」

 気さくに話しかけられ、思わず正直に答えていた。
 それから……聞かれるままに、なぜこの草が欲しいのかも話してしまった。『発作』の事さえも……。
 もしかしたら本当は、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
 敵の王に情報を与えるのが間違ってる事くらい、子どもの身でもわかる。
 しかし、一族の誰一人、耳を貸してくれなかったルーディの悩みを、彼は真摯に聞いてくれた。
 ヴェルナーは全て聞き終わると、二日後にまたここへ来る気があるかと尋ねた。

「私を信用してくれるなら、君に紹介したい人がいる」

 妙な国王は、ルーディに薬草をくれ、そのまま本当に黙って逃がしてくれた。
 それから二日間、罠ではないかと悩んだが、結局行く事にした。どのみち、持ち帰った薬草は根づかずにすぐ枯れてしまったのだ。
 しばらく花壇に身を潜めていると、ヴェルナーがやってきたが、若い男を一人、伴っていた。
 濃いグレーの髪とアイスブルーの瞳をした男は、天使の彫像もかくやというような冷たい美貌で、きっちりした服装の上に長い白衣を羽織っていた。

「ヘルマン・エーベルハルトと申します。以後、お見知りおきを」

 男は丁重に名乗った。服装からそうではないかと思ったが、やはり錬金術師だという。

「またの名を、世界で一番敵に回したくない男。とも言う」

 茶化すヴェルナーを横目で見て、ヘルマンは軽く肩をすくめた。
 優雅で丁重な物腰で、人当たりの良さそうな笑顔を浮べているが、なんだか胡散臭い。人狼の鋭い嗅覚が、それを告げる。
 ただの人間じゃないような……氷河に落ちて凍りついた死体を思わせる、不気味な匂いがした。

「国王から、君の事を伺いました。君の言う『発作』の症状は、僕も一度しか拝見しませんでしたが……非常に興味深いお話ですね」

「……だったら、なんだよ」

 やっぱり罠だったんじゃないかと、疑いが強くなってきたが……

「君は、錬金術を学ぶ気はありますか?君があの薬草から、発作をもっと効果的に抑える鎮静剤を作りたいというなら、協力いたします」

「なっ!?なんで!?」

 唐突な話に驚き、ルーディはヘルマンとヴェルナーを交互に見比べる。

「これは、我が国の為にもなる事だ」

 ヴェルナーは、静かに言った。

「君の言うとおり、人狼はこのままでは確実に滅ぶ。この近隣諸国としては、人狼被害がなくなるのは大変喜ばしい事だ」

「……ぅ」

「しかし、我が国にとっては必ずしも吉とは出なくてね」

「え?」

「人狼の被害がなくなれば、余力を取り戻した各国に、今度はこの国が襲われる」

 ヴェルナーの横で、ヘルマンが苦笑した。

「つまり、君たちはいい防波堤という事でしてね。無論、この国で略奪されるのは困りますが、いなくなっても不都合という事です」

「ちょ……なんだよ、それ!」

「おや、お情けの慈悲で、君たちを救いたいとでも言って欲しかったのですか?」

「見くびるな!!」

 犬歯をむき出して、思わず唸った。

「ええ。プライドの高い人狼でしたら、そう言うでしょうねぇ」

 ヘルマンは整った口元に、人の悪い笑みを浮かべる。匂いで思ったとおり、とことん性格の悪い男らしい。

「ですから、君は自分で選びなさい。フロッケンベルクに利用されるとしても一族の存命を救う薬を作るかどうか」

「…………錬金術なんか、やった事ない」

「誰しも初めて学ぶ事はあります。用はやる気があるかどうかですよ」

「……俺がそんな薬を作れるって、本当に思ってんのか?」

「君より優秀な錬金術師は、腐るほどおりますが、作れるのは君だけです」

「意味、わかんないんだけど」

「人狼の発作に効く薬は、発作を起したくない人狼の協力なしでは作れません。そして僕には他にやるべきことが山ほどありますし、人狼と手を組むような薬を作っている事を公にするわけにはいきませんからね。君が作らねば他にやる者はおらず、我が国としては人狼と手を切って他の手段を考えます。それだけですよ」

 あっさりと返答された。

「それに、たとえ発作を抑える薬が出来たとしても、それによってさらに大きな問題が起こります」

「……どういう意味だ?」

「君は薬を使用して、仇敵である我が国と手を組むよう、一族を説得しなくてはなりません」

 ルーディを挑発的に射抜くアイスブルーの瞳が、酷く冷酷な色に見える。

「君は、人狼部族の一つを率いる長の息子だそうですね。時期族長候補ならば、普通の人狼よりも多少は発言権や影響力はあるでしょう。それでも皆が、君と同じ考えを持ってくれるとは限りませんよ。発作の解決よりも死を選び、最悪は君を裏切り者と罵り処刑する可能性もあります」

「ヘルマン殿、相変わらず手厳しいな」

ヴェルナーが見かねたように口を挟んだが、錬金術師は吹雪のように冷ややかな視線と返事を返した。

「陛下。僕としてはこの場で彼を殺し、人狼はじきに発作で自滅するという有益な情報だけを得て、早々に人狼が滅んだあとの諸外国への対策を練っておくほうが、よほど確実だと意見したのをお忘れなく。しかし、その限りなく低い確率と高いリスク、加えて全てが無駄になるかもしれない苦労をしても、彼が薬を作る方に命運を賭けるというのならば、ルーディの味方をしたいという貴方の案をとるのです」

 冷徹な返答に、ヴェルナーは苦笑して肩を竦め、ルーディはゾッとした。
 どうしてか、この場で細身の優男のヘルマンに襲い掛かられたら、逃げられる気がしなかったのだ。

(……てゆーか、これってもうやるしかないじゃん)

 ルーディは黙って二人を眺めた。
 変な敵王に、胡散臭い冷酷錬金術師。気の遠くなるような難題。
 一か八かで隙をついて逃げ、全てなかった事にしろと、もう一人のルーディが囁く。
 こんな無謀な賭けをするより、皆にあわせ発作を崇めろと。
 人狼は、まだ滅んでいないんだから……。 
 
「さぁ、どうしますか。ルーディ」

 ニコリと、ヘルマンの笑みが少し優しいものに変わった。
 この胡散臭い男に、内心の動きは全て見抜かれているらしい。

 ルーディは頷いた。

 人狼は、まだ滅んでいない。
 滅んでからでは遅いのだ。

 ルーディを満足そうに眺め、ヘルマンは持っていた包みを渡す。中には衣服と、錬金術師がつけるフロッケンベルクの紋章入りブローチが入っていた。

「生憎と僕は、来月には他国へ出向かなくてはいけないので、君に教えられる期間は一ヶ月です。その間に基礎を学び、後は錬金術ギルドで知識を深めなさい」

 そして、小さく独り言のように、ヘルマンは呟いた。

「周囲に流されず、自身でよく考えましたね……君はなかなかに見所があります」


 その日から、ルーディはフロッケンベルク王都でヘルマンの家に住み込み、錬金術やその他の知識を叩き込まれた。
 これは厳しいものだった。
 何しろヘルマンは情け容赦というものを一切しなかったし、ルーディはフロッケンベルク語の会話はともかく、読み書きはだいぶ怪しかったから。
 しかし、厳しい事は確かだが、ヘルマンは教え方が大層上手く、一ヶ月で飛躍的にルーディは進歩した。

 初めての師は、本当に風変わりな男だった。
 学問だけでなく、剣術や魔法……なんと家事まで完璧で、なんでも一人で出来てしまう。
 人当たり良く見えるのに、内面は酷く冷酷で、そのクセ変に面倒見は良かったりする。
 錬金術は勿論、各種の知識に精通しているのに、立場はしがない下級錬金術師。なのに、王と個人的に親しくしていたり……。
 年齢すらよく解らない男だった。
 若く見えるが、ときおり非常に歳をとっているようにも見えた。
 彼が不老不死の身体を持ち、もう百年以上も生きていると知ったのは、随分後になってからだ。

 一ヶ月があっという間に経ち、ヘルマンは遠いシシリーナ国へ旅立った。
 家はそのまま使っていいと言われたから、ルーディはヘルマンの家に一人で住み続け、錬金術ギルドでひたすら薬学を学んだ。
 その頃には、人狼だとばれない用に生きる術も叩き込まれていたが、もちろん協力者もいた。ヴェルナーだ。
 ヘルマンも数年に一度は帰国し、色々な手助けをしてくれたが、ヴェルナーがいなくては、とうの昔に人狼とバレて袋叩きに会っていただろう。
 彼は王として多忙な身だったが、時折こっそり抜け出しては、ルーディに会いにきた。

「『お忍び』というのは、古来から庶民の夢でもある。だから、王として民の期待に応えるための義務だ」

 とか、わけのわからない理屈をこねていたが、用は堅苦しい宮廷生活の息抜きがしたかったらしい。

 ルーディからすれば、ヴェルナーはまったく王らしく思えなかった。
 少なくとも人狼の常識では、統治者というものは力で周囲を屈服させる者だ。
 しかし、彼は相手が誰であれ、きちんと話をし、互いに一番納得の出来る道を選ぼうとする。
 面食らう部分も多かったが、彼にとても好感を抱けた。

 ヴェルナーも完璧な善人ではない。
 雪に覆われ作物もロクに実らないフロッケンベルクは、他国に傭兵や錬金術師を送り出し、戦によって収益を得る。それで命を繋ぐ。
 平和的な農耕で生きる人たちからすれば、極悪非道なやり方だ。
 それでも、ヴェルナーは国民の命を繋ぐために、王としての職務を果たす。
 時には彼の意向に反する出来事もある。肯定もされれば、一方で非難もされる。

 生きるために奪うが、必要以上には奪わない。

 それは人狼たちと、とても似通った生き様だった。
 歳は離れていたが、いつしか彼と親友になっていた。

「なぁルーディ。『友人をつくる。』というささやかな事が、王にとっては案外難しいのだな」

 ある年、ヴェルナーがふとそんな事を言った。
 鎮静剤の研究が煮詰まっていたルーディを、やや強引に魚釣りへ連れ出した時のことだった。

 まだ寒い季節だったが天気は良く、冷たい水の中で魚達が元気に泳いでいた。
 なかなか餌に喰いつかない魚たちに、いっそ狼になって直に取ってしまおうかと思いつつ、ルーディは尋ねた。

「ふぅん。他の国ならともかく、フロッケンベルクは特にそうだろうな。ここの民にとっちゃ、王は神さまも同然だし。……なんかあったのか?」

「神さま、か……」

 ヴェルナーが苦笑した。

「実は今朝、昔の友人に会ったんだ。学生時代は机を並べて勉強し、何でも話し合った相手だ。彼の父が亡くなり爵位を継いだと挨拶に来てね。せっかくだから謁見の後で昔話でもしようと、私室に招いてチェスをしたんだが……明らかに恐縮されてしまったよ」

「……へぇ。忠実な家臣ってわけだ」

「ああ。王と友人は兼業できないらしい。まぁ、今に始まった事ではないのだが……」

 ぼんやり釣り糸を眺めながら、フロッケンベルクの若い王は寂しげに呟く。
 チラリと、その横顔にルーディは視線を走らせた。
 
 ヴェルナー王はすでに、歴代の王で最高の名君として国民から認められている。
 領土をむやみに増やしたりはしないが、外交も内政も見事にこなし、どんな飢饉の年にも一人の餓死者もださなかった。
 だが親しかった友人たちは、ヴェルナーに好意を存続させても、彼が立派な王になればなるほど、どこか一線をおいて接するようになってしまった。

 大陸全土に知れ渡っている有名な事実だが、フロッケンベルクの国民達は、国王への忠誠心が忠犬のごとく厚い。
 よってフロッケンベルク人を嘲る時は『北国の狗』となるくらいだ。
 極寒の不毛な領土で、国民に生活の糧を与え、仕事を与えるのが、フロッケンベルク王の役目だった。
 彼らに恩恵を与える引き換えに忠誠心を受け、それを次の糧へと繋げる。 
 国王はいわば全国民の養い親であり、要となる柱で、命綱だ。
 そんな守護神にも等しいと崇める主君を、同時に対等な友人として見れる器用な人間は、残念ながらいないようだ。

「仕方のない話だな。裏返せば、民たちが王家に抱く忠誠心の厚さなのだから……喜ばしいと受けるべきだろう」

 自身に言い聞かせるよう呟いたヴェルナーに、思いっきり川の水を跳ね飛ばしてやった。

「ぎゃぁ!何をするか!冷たいじゃないかっ!!」

「ニヒヒ。俺は人狼だぜ?フロッケンベルクと共存してるだけで、ヴェルナーを神さまだなんて思わないからな。せっかく息抜きに来てるのに、隣でしけたツラなんかしてれば、悪戯くらいするさ」

「……ほぉー。なるほど」

 ヴェルナーがニヤリと笑い、ひょいと手を伸ばす。
 活きの良い釣れたての魚が、ルーディの襟首から放り込まれた。

「ふぎゃぁぁぁ!!??」

 背中でビチビチのたくる気味悪い感触に、ルーディは飛び上がって悲鳴をあげる。

「わーっはっはっは! 狼というより、猫みたいな悲鳴だな」

「にぎゃぁぁ! いいから早く取ってくれぇぇ!!」

 時にケンカもして、仲直りし、かけがえない時が積み重なっていく。
 十年以上の歳月をかけ、効果が高く日持ちする鎮静剤が出来たときも、彼はルーディ以上に喜んでくれた。



 十年以上も姿をくらまし、突然戻ってきたルーディを、父親をはじめ一族は驚きと警戒を持って眺めた。
 鎮静剤の効能から、フロッケンベルクの意向まで全てを話すと、長年の宿敵に一族を売るのかと、大部分から非難が相次いだ。
 しかし、ほんの少数だが興味を示した者もいた。
『発作』を怖れる者はちゃんといたのだ。ただ、他にあわせて平気な振りをしていたのだろう。

 渋る父に、必死で訴えた。

「フロッケンベルクと協力すれば、人狼は未来を得られる! 発作さえ起こさなければ、母さんも死ななくて済んだじゃないか!!」

 族長としての責務から、父は発作を起した母を絶命させ、涙の一つも流さなかった。
 しかし母は最高の“つがい”だったと、常々言っており、太い首には今も、皮ひもを通した母の牙が大切に下げられていた。

「裏切り者と思うなら、俺を処刑しても良い。でも、この鎮静剤だけは使ってくれ!これ以上、人狼を減らしたくないんだ!」

 その言葉に、父は心を動かされたようだった。
 一族を振り返った瞬間、漆黒の影が父の喉に深く喰らいついた。
 狼の姿をとった、長兄のヴァリオだった。
 ヴァリオは漆黒の毛色をした人狼で、涼やかな顔立ちはどちらかといえば母親似だった。しかし、懐が広く豪胆で思慮深いところは、父親に一番似ていた。
 だが、ルーディが里を離れていた間に、ヴァリオは幾分か変わっていたらしい。
 陰惨な残忍さが、その顔に影を落としていた。

 ヴァリオは父の頚骨を噛む顎に力を加え、絶命させた。
 族長の交代した瞬間だった。

「ルーディ、貴様の身勝手な価値観を、我らに押し付けるな」

 腹の低に響く重低音で、ヴァリオはルーディに唸り声を向ける。
 そしてルーディが反論する前に一族の皆に吼えた。

「命惜しさに狼の誇りを忘れ、仇敵の飼い犬に成り下がる気か!」

 空気が一変した。
 先ほどまで興味を示していた者さえも……ルーディに味方する気配は、一瞬で消え去った。

「フロッケンベルクこそが、人狼の数を大幅に減らした悪因だ! 俺はすでに何国かの支配者と極秘に話をつけた。“族長として命じる! ”人間どもを支配し、フロッケンベルクを叩き潰せ!!」

 考えてみれば、ルーディとヴァリオは同じだ。二人とも人間と手を組もうと一族に言った人狼。
 しかし、言い方が決定的に違っていたのだ。

 ルーディは人間と『協力』しようと言った。
 ヴァリオは人間を『支配』せよと命じた。

 人狼という種の操り方を、どちらが心得ていたか、言うまでも無かった。

「ルーディはすでに我が弟ではない! 一族の誇りすら失った裏切り者だ!!」

 ヴァリオの咆哮に、全員が雄たけびを上げて答える。
 長年、フロッケンベルクに対してくすぶっていた不満の、絶好の捌け口が目の前にあるのだ。
 狼に変化し、ルーディは必死で逃げた。何匹にも深く噛まれ、崖からも落ち、ヴェルナーの元にたどり着いた時には半死半生のありさまだった。

 だが、悲劇はそれに止まらなかった。
 ヴァリオは一族をまとめ上げ、宣言を実行したのだ。
 近隣のいくつかの国を煽り、フロッケンベルクを総攻撃しはじめた。
 このままではルーディが人狼とバレるのも時間の問題で、そうなればフロッケンベルクの人間と同族、両方から狙われる。

 ルーディを逃がすために、ヴェルナーはイスパニラ国での諜報員という仕事をくれた。
 北の山岳を愛する人狼達は、この遠い西の国まで足を伸ばすことはまずない。
 ルーディは旅立ち、その後フロッケンベルクはかなりの被害を受けたが、「姿なき軍師」の指示の元、諸外国をことごとく退ける事に成功した。
 人狼族もほぼ壊滅状態で、住み慣れた山脈を追われたと聞いた。

 バーグレイ商会を通じ、ヴェルナーと手紙のやりとりは今も続いている。
 フロッケンベルクに帰るよう勧められた事もあったが、断ってこの地に住み続けた。

 帰れるはずなどない。
 もう帰るべき場所も、目的も全て失ってしまったのだから。

 それに、ヴァリオの死体が見つからなかったと聞き、兄はきっとまだどこかで生きているという確信があった。

 誰よりも強かった兄が、そう簡単に死ぬはずはない。
 そして生きている以上、ルーディを裏切り者として狙い続けるだろう。
 フロッケンベルクを攻撃したように、ルーディの愛する者も全て皆殺しにしようと、牙を研いでいるはずだ。

 だから、大切な相手はもうこれ以上作らないと決めていたのに……。

*****

 人狼族の変身を初めて目の当たりにしても、サーフィはそれほど驚かなかった。
 この隊商にはワケありの人間が多いし、今でこそ普通の人間として生活しているサーフィ自身も、生粋の人間ではないのだから。
 ほんの四ヶ月前まで、毎日人間の血を分けてもらわねば生きていけない身体だった。それに比べれば人狼など、微笑ましいとさえ思う。

……人間に戻ったルーディの裸を見てしまった時には、さすがに困ったけれど。

「だぁめです!坊ちゃん!」

 腰に手をあて、サーフィはアイリーンの息子の前にたちはだかる。

「今、ルーディ殿はラヴィさんと……ええと、とても大切なお話の最中ですから」
「だって俺、狼になったルーディ兄ちゃんに、背中に乗っけてもらいたいのに!」
「いい子ですから、明日になさってください」

 隊商の生活は、プライバシーというのを得るのが難しい。
 よって誰かが『しけこんでいる』時は、見て見ぬ振りをするのが暗黙の了解だ。

 四ヶ月もここにいれば、いいかげんピンク色の空気を読むのもうまくなる。

 お子さまを引きずるようにして、ルーディ達のいる馬車から遠ざけた後、サーフィは仮眠を取るために自分の馬車へ戻った。
 ここではいつも数人で雑魚寝しているが、人狼の襲撃に備えて交代で見張りをしているため、今は一人だった。
 上着を脱ぎ、胸を固定していたさらしを外すと、締め付けが楽になってほっとする。
 クタクタの身体を横たえたが、漏れ聞えた息遣いやかすかな喘ぎ声が耳にこびりついて、なかなか眠れない。

(ヘルマンさま……)

 声に出さず、忘れられないその名を胸のうちで呟く。

 ヘルマン・エーベルハルト。
 不老不死の身体を持つ孤独な錬金術師を、一日たりとも忘れた日は無い。

 ヘルマンの錬金術で造られたサーフィにとって、彼は創造主であり、さまざまな分野の師であり……そして唯一、サーフィを蔑まない相手だった。

 ラヴィをここに連れてくる事を主張したのは、本当に身勝手な感情からだった。すがりつくようにルーディを見ているラヴィに、自分の影を重ねたのだ。
 世界の全てに等しいヘルマンと別れた時の自分を見ているようで、いても立ってもいられなくなってしまった。
 ルーディがヘルマンの弟子であると聞いていた事も、きっと影響していた。

「ん……」

 そっと衣服の中に手を滑り込ませ、肌をなぞる。
 こういう事をするようになったのは、処女を失くした四ヶ月前から。ヘルマンに抱かれてからだ。
 たった三日間。
 それも片手を鎖に繋がれ、無理やり犯されたも同然だった。

 ヘルマンは、サーフィを愛していたから抱いたわけではないそうだ。
 あれは、サーフィを人間にする薬を摂取させるために仕方なくで、それから少しばかり、ヘルマンの欲情を満たすのにも都合が良かっただけらしい。
 あんなに優しく抱かれながら、愛しているとは、最後まで一度も言われなかった。
 それなのに、サーフィの身体はヘルマンとの行為が忘れられず、すっかり猥らに作りかえられてしまった。

『サーフィ……』

 耳元に囁かれた、色気の滴る男の声を思い出すと、自分の手がヘルマンのそれであるように錯覚する。
ひんやり冷たい手。凍てつくようなアイスブルーの瞳……。全部全部、憶えてる。

 片手は重い胸をすくい上げて愛撫しながら、もう片手の指を二本口に入れ、十分に唾液をまとわりつかせた。
 眩暈がしそうな記憶の中の快楽を求め、足の間に指をそろそろ埋め込みはじめた。
 唾液とすでに蕩け出していた愛液が潤滑剤になり、すんなりそこは指を飲み込む。

「ん、ん……」

 服を噛んで息を殺しながら、掛け布の下で背を丸めて快楽を貪る。
 自分の指で与えられるのは、あの方がいとも簡単に植えつけた甘美な快楽から程遠い。
 中途半端でもどかしい苦しさに涙が滲む。
 ヘルマンの指の動きを思い出しながら、彼に抱かれているのだと自分を誤魔化し、指をかき回す。
 ちゅくちゅくと聞える小さな水音が、羞恥を煽って妄想に拍車をかける。
 優しい口付けや、繊細な手の動き、中に埋め込まれた雄の熱さを思い出し、だんだん抜き差しする指が激しくなる。

「っく……」

 やっと小さく達した。
 とくんとくん、と膣奥が物足りなさげに痙攣している。

 声は口に咥えた布で押し殺せたけれど、溢れ出した涙は止められなくて、嗚咽を殺すために、服をかみ締め続ける。

 私はひどい贅沢者だ。

 ここには、あんなにも渇望した生活がある。

 気さくに接してくれる仲間。
 信頼できる雇用主のアイリーン。
 自分の稼いだ給金で買った、気楽な衣服。

 休みの日には仲間と市場や町をはしゃぎ歩いて楽しむ。
 他の隊商と焚き火の周りで歌を歌ったりダンスする事もある。とてもとても楽しい。
 鳥篭のような城から自由になり、孤独に泣く事もなくなった。まるで夢のよう。


 なのに……その全てを与えてくれたヘルマンだけがいない。


 彼は故国のフロッケンベルクに帰ったらしいが、バーグレイ商会とフロッケンベルク王家の橋渡しはヘルマンから他の人に替わってしまった。
 彼と旧知のアイリーンでさえも、連絡手段がないそうだ。

(ヘルマンさま……貴方のくださった新しい世界は、とても美しく楽しいです……)

 それでも、心から幸せだと言えない。
 この新しい世界は未完成だ。決定的なものが欠けている。
 
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