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本編

2 絶望の奴隷少女

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 大陸の南西端。
 紺碧の海にまぶしい太陽が照り付けるこの地に、イスパニラ国は王都を構えていた。
 海に面した一角以外は、グルリと高い塀で覆われており、大陸行路からつながる道に作られた門で、通行のチェックがなされる。
 中心にある王城は、さらに堀で防御され、高く掲げられた赤い国旗が、いつでも雄雄しくはためいていた。
 その旗ざおの天辺に昇っても、王都を端まですっかり見渡す事は難しい。
 イスパニラ王都は呆れるほど広く、さまざまな地形に富んでいる。
 城付近のきちんと区画整備がなされた市街地、のどかな郊外の別荘地はもちろん、自然の地形をそのまま残している部分も多い。原っぱ、小高い丘、峡谷までもさまざまだ。
 昔の境界線だった塀が各所に残り、巨人が作ったつぎはぎパッチワークのようにも見える。

 かつてイスパニラは農耕に明け暮れていた平和な小国だった。
 だが昔、野心的な王が現れた事で運命は一変した。
 イスパニラの民は鍬を剣に持ち替え、ワインの替わりに人血を流し、近隣諸国を次々に攻め落とした。 それ以来、百数十年も続いた流血時代が、このツギハギ王都を縫い上げたのだ。
 そして血に飽く事のないイスパニラは、壮大なパッチワーク作りをまだまだ作り続けている。

 地図を広げ、イスパニラの国土部分を赤く塗れば、大陸の南西一帯を統べている他に、各所へ大小の植民地を無数に持っている事が一目でわかる。まるで、貫いた大地から飛び散る鮮血のようだ。
 植民地と本国の合間にある国は、もちろん心穏やかではいられない。
 いや、遠かれ近かれいずこの国も同じだった。いつ何時、どんな口実で攻め入られてもおかしくはないのだ。

 イスパニラの一挙一動に冷や汗をかかなくて良くなる時は、すなわち自国が滅ぼされ諦めた時だ。


 大陸に名だたる軍事大国だけあり、イスパニラ国の王都は、軍人や兵士が多い。
 もちろん、彼らを相手にする商売人や家族もいるし、観光客もいる。場所によっては少々物々しいが、とにかく賑やかで活気がある大都市だ。

 気持ちの良い秋晴れの日だった。
 道端で遊ぶ子どもたちが、流行り歌のリズムに合わせて縄跳びをしている。

“イスパニラの赤い甲冑を見れば、賢い者は戦わず逃げる
 逃げずに死ぬのは青い傭兵
 愚かな北の忠犬たち“

 袖の短い衣服から、小麦色に日焼けしたむき出しの腕がのぞき、その腕にも額にも、汗が浮かんでいた。
 この地は冬でも霜の降りない温暖な気候だが、秋も深まった季節なのに、今日は真夏のような気温だ。
 強い日差しが、背の高い石づくりの建物と、オレンジの街路樹に降り注ぐ。
 賑やかで広い表通りから裏通りに移ると、立ち並ぶ店の種類も売春宿をはじめとして、怪しくいかがわしいものに移り変わる。

 その中でもひときわ場所をとっているのが、奴隷市場だ。
 老若男女を問わず、あらゆる種族、あらゆる用途に使われる為の奴隷がここで揃うと言われていた。
 円形の青空広場を、石づくりの建物がグルリと取り囲んでいる。
 広場の中央では、新たに連れて来られた奴隷たちが縄につながれて並び、検疫を受け、片隅には真っ赤な火を炊いた炉がある。炉からはむわっと熱があがり、陽炎がゆらめく。

 奴隷市場に漂う空気の匂いは、とても芳しいとはいいがたい。
 伝染病などが流行らないよう、最低限の衛生は保たれているが、汗や垢の匂い、それにときおりは血の匂いが入り混じった生臭い空気が充満している。
 建物は細かく仕切られ、それぞれの店になっていた。
 客達は広場や店で奴隷商人達と交渉にいそしんでいる。

 店によって取り揃えている『商品』の傾向はやや異なる。
 エルフ・ピクシー・ドワーフなど亜種をそろえた店。肉体労働用の健康な男を揃えた店。子どもばかりを扱う店……。
 なかでも特に需要がある、女を揃えた店は、何件もあった。

 少女がつながれていたのは、そのうちの一軒だった。
 ここに揃えられているのは、見た目がいまいちだったり、健康を患っていたり、年齢が高すぎる女たちだ。よって値段は他より格安に設定されている。
 どの店の奴隷達も、怒りと悲しみの混じった暗い表情をしているが、この店の女達は特に落胆していた。
 下働きの女中や、農家の雑役用に買われるのは、この店では幸運な部類だ。
 運が悪ければ、質の悪い売春宿で使い捨てられる。もっとも運が悪いのは、特殊な性癖をもつお客に買われて、拷問死だ。
 そういうわけで、少女は絶望のどん底にいて、陰鬱な考えに浸りながら、虚ろに両手を戒める木製の手枷を眺めていた。
 前も後も長く伸ばした黒髪が、小柄な身体にまとわりついて、彼女をいっそう不気味に貧相に見せている。

「処女が欲しい?だったら、三軒隣りの店にいったらどうだい。綺麗どころが並んでるぜ。目ン玉飛び出る値段だけどな」

 長く伸ばした前髪ごしに、奴隷商人が客と話しているのが見えた。
 ちなみに、三軒隣りは高級娼婦用の美しい処女達を取り揃えた店で、ここより奴隷への扱いも格段に良い。

「生憎だけど、そこまで予算がなくって、ここを紹介された。処女だったら、見た目や年齢は問わないんだけど……」

 話しているのは、二十代半ばとおぼしき青年だった。
 暗灰色の髪は無造作に短く切られ、金色がかった琥珀色の両眼は、どことなく優しげな印象を与える。
 彼は襟裳のボタンをいくつか外した白いシャツに、タイを軽く巻いて青いブローチで留めていた。その服装から、北国フロッケンベルクの錬金術師だとすぐにわかる。

 大陸のどこでも、大きな町にはたいてい、フロッケンベルクの錬金術師か傭兵がいる。
 作物もロクにとれない故国から出稼ぎに来ている彼らは、錬金術師は青いブローチを、傭兵は青いバックルのベルトをしている。どちらもフロッケンベルクの国旗を象ったものだ。
 しかしこの青年は、机の前に張り付いて薬品調合よりも、剣でも振っているほうがよほど似合いそうな、長身で逞しい体つきだった。
 しなびた小男の奴隷商人は、一見の客を胡散臭そうにジロジロ見上げた。

「兄さん。ぶっちゃけた話、いくら払えるんだ?」

 青年の告げた予算は、確かにこの店なら十分に買い物は出来るが、高級娼婦の半額にも満たない金額だった。

「だから、見た目は別に気にしないよ。でも、性格は良いと嬉しいなぁ」

 お気楽な調子で青年がおどける。

「これっぽっちで贅沢言わんでくれよ、兄さん。……ああ、そうだ」

 何か思い出したといった調子で、奴隷商人は手を叩いた。

「おい、『爪痕』!こっちに来い!」

 少女には、ちゃんとした本名がある。しかし、奴隷にきちんとした名など必要とされない。
『爪痕』
 数週間前にここに来てから、ずっとそう呼ばれていた。
 少女が返事をしなかったのは、ただ自分が呼ばれるだなんて思ってもおらず、反応が遅れたせいだった。
 しかし、奴隷商人の方は、そう好意的には思ってくれなかったようだ。

「爪痕!!」

 ムチが音を立てて床を殴り、その音に店の奴隷達がいっせいに身をすくめ、非難がましい目で少女を睨む。
 お前のせいで、何かとばっちりが来たらどうしてくれるのだ、と。
 こんな環境では、心は荒んでささくれ立つ一方だ。

「……」

 少女は規則どおり、両足を枷の上に一度すり抜けさせ、後手になってから立ち上がろうとした。
 だが、地面に長い時間座っていたせいで、不様によろめいて転んでしまった。
 他の奴隷達から嘲りの小さな笑い声が聞え、奴隷商人が苛立たしげに舌打ちする。

「チッ!何やってんだ。さっさと来い」

 奴隷商人の水分の少ない手に肩を掴まれ、店先に引き摺りだされた。
 薄暗い店内から、急に日の当る場所に出たため、眩しさに目が眩む。

「こいつがお勧めだ。処女だし、まだ若い。なんなら確かめてくれ」

 奴隷商人が目で合図すると、屈強な体格の助手が進み出て、後から少女の膝裏に腕をかけ抱えあげた。そのまま両足を左右に大きく広げられる。

 この数週間でボロボロになってしまった衣服の下には、もう何もつけていないので、青年の目の前に、秘所が突き出される事になった。

 年頃になっても、なぜか少女のそこはいつまでもツルリと無毛のままだった。
 一切隠すもののない薄桃色のワレメが、陽光に照らされる。

「……」

 前髪に隠れたまま、少女の頬が赤く染まる。
 変態!バカ!見るな!
 大声で叫んで怒鳴り散らしてやったら、さぞスッキリするだろう。
 だが、それをやった奴隷が後でどんな目にあうか、この数週間で何度も見てきた。
 だから、黙って唇を噛んで耐える。

「ほら、処女膜がちゃんとあるだろ」

 少女の体がビクリと震えた。
 ふしくれだった奴隷商人の指が、華奢な花弁を指で割り開いて見せたのだ。
 柔らかい媚肉が左右にのけられ、赤い内壁と未使用の粘膜までもが晒けだされた。
 青年の視線が、開かれた膣内にじっとそそがれた。
 羞恥で死ねるなら、即死してる。

(我慢、我慢しなさい!)自分に言い聞かせた。

 広場で検疫を受けた時にも、同じ事をやられたじゃないか。
 価値がなお下がるからと、処女を犯されこそしなかったが、あの時は丸裸にされ、もっと色々と触られた。

 青年は顔を赤くするわけでもなく、平然と膣内の処女膜を確認し、「うん。確かに処女だね」事もなげに言った。
 市場で買うリンゴに、「傷がついてないね」というのと同じような口調で。
 やっと降ろされた少女は、黙ったまま地面を向いて青年の靴と自分の裸足の足を睨む。
 裸足の足裏に、強い陽射しに焼けた石床がじりじり熱い。

 ああ、最初に見た一瞬だけ、優しそうな人だと思ったけど、コイツだってやっぱり最低な男だ。
 だいたい、奴隷市場に来るような男なんか、ロクなものじゃない。

「兄さんの予算と、値段もピッタリ一緒だ。見た目は気にしないんだよな?」

 念を押すように言って、奴隷商人は少女の黒髪を掴んで持ち上げた。

「っ!」

 乱暴に引っ張られた前髪の痛みに、顔が歪む。更にみっともない顔になっただろう。
 右頬に深く刻まれた、四本の獣の爪痕が、明るい陽射しの元に晒された。
 これが、呼び名の意味だった。

「ああ。別にかまわない」

 青年が頷く。

「それじゃ、この娘を買うよ」
「毎度あり。焼き印はどうする?」

 奴隷商人が、広場の炉へ顎をしゃくる。
 ちょうどその時、真っ赤にやけた焼きごてが、一人の奴隷女性へ押し当てられたところだった。
 絶叫が女性の喉からほとばしり、肉の焦げる嫌な匂いが風に乗って漂ってきた。青年は顔をしかめ、片手で鼻をこする。

「それとも枷を一緒に買うか?手かせなら銀貨一枚、首かせなら二枚だ」

 この国で、奴隷の逃亡を防ぐための常套手段は、焼き印を押すか枷をつけておくかのどちらかだ。
 少女は青ざめ、あとずさろうとしたが、助手達の太い腕がそれを許さない。
 思ったとおり、青年の言葉は残酷だった。

「あー、手持ちはさっき渡したので全部なんだ」
「じゃ、焼印だな。おい……」

 炉の係りを呼ぼうとした商人を、青年が押し留める。

「いや、両方いらない。そう言おうとしたんだ」
「あ?んな事言ったってなぁ、逃げられたってウチは返金なんかしねーぞ」

 顔をしかめる商人の前で、青年は苦笑して頭をかいた。

「うーん、逃げられるのは困るなぁ」

 そして背の高い体を少しかがめて、少女の顔を覗き込んだ。

「だから、逃げないって約束してくれるかな?」

「おいおい、そんな口約束で逃亡を防げるんなら、俺たちゃ苦労してねーよ」

 奴隷商人が、あきれ返ったように口を挟んだ。

「俺は彼女に聞いてるんだよ。ねぇ、君に枷も焼印も付けないけど、逃げないと約束してくれる?」

 ――こんな、真夏の太陽みたいな笑顔を見たのは、いつ以来だろう。

 もう随分と一言も喋っていなかったから、パクパクと口を開け閉めしても、なかなか声が出なかった。

「……ハ……ィ」

 ひび割れたザラザラの声が、やっと一言だけ絞り出せた。
 それでも、青年はいっそうニッコリと輝くように笑って頷く。
 彼は笑うと、発達した犬歯がちらりと口元に覗いて、余計に愛嬌が増す。

「よし、じゃぁ行こうか。枷を外してよ」
「へーへー。後で泣いてもしらんぜ」

 呆れ顔で商人が枷を外す。
 数週間ぶりに自由になった手首には、真っ赤な擦り傷がグルリと出来ていた。

「あれ?この娘の靴は?」

 少女の足元に気づいた青年がかけた声に、商人はついにこらえ切れなくなったらしい。
 助手達と共に、手を叩いて大笑いする。

「兄さん、奴隷に靴をわざわざ用意してやるバカがどこにいんだよ。欲しけりゃ自分で買ってやりな」

「手持ちはさっきので全部だってば」

 青年は少し考えてから、ひょいとしゃがんで少女に背中を向けた。

「おぶってあげるから、掴まって」

 店中の奴隷と従業員だけでなく、近くの店の者たちまで、いまや全員がこの光景に注目していた。
 奴隷をおぶって歩くと申し出る主人など、喜劇にすら出ないだろう。
 少女がためらっていると、「ほら、早く」と、軽く促された。
 もうどうにでもなれと覚悟し、目を瞑って広い背中に飛びつく。
 擦り傷でいっぱいの手首が青年のシャツに擦れて痛かったけれど、背中から伝わる暖かい体温に、涙が零れそうになった。
 唇を噛んで我慢していると、見かねたらしい奴隷商人が、青年に囁いた。

「兄さん。忠告しとくけどな、情けなんぞかけたところで、あだにして返されるのがオチだぞ」

「情け、ねぇ……俺は、自分のやりたい事やってるだけだよ」

 そして青年は、首をよじって少女をチラリと見た。

「大丈夫だよ。約束したから」

 珍妙な青年客が帰ると、奴隷商人は大きくため息をついた。
 長くこの商売をやっているが、あんな客は初めてだ。
 まともに見えたが、あの男は頭がイカれてるに違いない。もう二度と来ないで欲しいもんだ。
 そう思ったが、厄介払いが出来てよかったとも、内心で頷く。

 『爪痕』は大人しく、暴れて手を焼かせたりする事もなかった。
 顔の傷にしろ、あの程度ならいくらでも誤魔化しようがある。
 深いアメジストの瞳はぱっちりと大きく、小動物のような愛らしい顔立ちだ。
 小柄で体つきは少々凹凸に欠けるが、その手が好きな客も多い。しかも若いし処女。安く仕入れたときには、儲けものとさえ思ったが……とんだ計算違いだった。
 彼女のかもしだす陰鬱な雰囲気は、商人を辟易させた。
 陽気な奴隷などいないが、それにしても限度というものがある。そこまで絶望するのは、主人の元にいった後でいいのだ。

“もしかしたら”

 どれほど絶望しているように見えても、市場にいる間はまだ、奴隷たちはわずかな希望をもっている。
 もしかしたら、優しい主人に買われて、夢物語のような未来を手に入れられるかもしれないと……。
 その砂粒ほどの希望を、誇大に膨らませてチラつかせ、女衒や子買い人たちは、貧しい家庭から『商品』を仕入れてくるのだから。
 そしてそれは、奴隷たちの間に伝染する。
 最初は絶望しかもっていない奴隷も、数日すれば小耳に挟んだその希望にすがり出す。
 地獄のような絶望から自分を慰撫するために、幻想の希望を麻薬のように舐めしゃぶる。

 しかし、爪痕にはそれが一切なかった。
 何日たっても、ひたすら真っ黒い絶望しかない。
 わざと耳に入るように、『嘘っぱちな希望』を囁いてやった事もあった。
 なのに、彼女はそれが自分におこるかもしれないと、微塵も欠片も、まったく思わなかったようだ。 
 いい加減にしろ、と怒鳴りつけたくなるほど、不愉快だった。
 せめて、あの鬱陶しい前髪をなんとかして、少しは商品価値をあげようとも思った。
 しかし、急にハサミが壊れたり、商人自身に腹痛が襲ったりと、なぜか期を逃し続けていたのだ。

 偶然の一致にしても、あの陰気な雰囲気が余計に不気味さに拍車をかける。
 店にいられるだけで、こちらの運気まで悪くなりそうだった。
 残虐な買い手だって、その僅かな希望を叩き潰すところに喜びを感じるのだ。最初から絶望しきっている女なんか、面白くないのだろう。
 この数週間、何人か来たお得意さんにも薦めたが、誰しもあの少女には首をふった。

 銀貨をしまい、奴隷商人は首を一つふって、また商売にもどる。
 なんにせよ。当分笑い話のネタには出来そうだ。


 ボロボロの少女をおぶって歩く青年に、街を行き交う人々が時折振り返る。

「……し……た」

「ん?なんか言った?」

 少女が背中でかすれた声を発すると、青年は僅かに首を傾けて聞き返した。
 今さらこんなこと言うなと不愉快がられるかもしれないが、あの場で自分も立場上、余計なことを言うわけにはいかなかった。
 しかし、このまま黙っていようかなとも思ったけれど、この変てこでお人好しな青年が、また同じような目に遭ったら気の毒だ。
 だから、思い切って告げる事にした。
 
「わ……たしの………は……でした」

「え?」

「わたしの……ねだん、本当はあの半がくでした……」

 彼が、とんでもなくぼったくられた事実を。
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