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シーズン1

2 偏食吸血鬼とキラキラ狼 2

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 ――吸血鬼の泉が集う場所は世界に何ヶ所か存在し、それぞれに違う吸血鬼の一族が住み、最も美しく賢い者が長を務めている。

 ある日。
 黒く染まった泉から生まれた、ろくに喋れず胡乱な目つきで一言も発さない不気味な女吸血鬼を、その地に住む同族は一目見て醜いと嫌悪した。
 だが、一族の長を務めるオリヴァルスタインという吸血鬼は、泉から生きて生まれた以上は同胞だと言い、彼女を泉から抱き上げて世話をし『キルラクルシュ』と名を与えた。

 オリヴァルスタインは飛びぬけた美貌と賢さを持つ青年の姿をした吸血鬼で、数年前に泉から生まれてすぐに長の地位を引き継いでいた。
 キルラクルシュが吸血鬼として絶対に必要な生き血を吸うのに使う『魅了』もうまく出来ないと知り、オリヴァルスタインはそれも教えてくれようとした。
 夜を待ってキルラクシュを連れて人間の街へ行き、ある館で美しい少女の寝室に忍び込んだ。

 窓は閉まっていたが、オリヴァルスタインはガラス越しに観葉植物のツル草を操って掛け金を外し、目を覚ました少女へ魅了の魔法をかけた。

 吸血鬼の魅了魔法は、凄まじい快楽を相手へもたらす。
 それをかけられた娘は、侵入してきた吸血鬼に怯えながらも、恍惚の表情を浮べて悶えはじめた。

 こうして獲物に魅了をかければ簡単に捕獲できる。
 しかも生き血を吸う時、普通なら牙を突き立てるので鋭い苦痛を伴うが、魅了をかければ獲物はそれを快楽に感じるのだと、オリヴァルスタインは教えてくれた。
 異性を選ぶほうが得られる快楽も多いし血も美味いが、慣れないうちはこれくらいの少女がいいと。少し吸うくらいなら死なないから、加減してやれとも言った。

 吸血鬼は寿命が長く、魔法を使えると言う特殊な能力をもち、とても器用だ。
 だから吸血鬼はこの世で最も優れた種であり、その獲物になるのは下等な種にとって光栄で喜ぶべきことだと青年吸血鬼は言った。
 
 その言葉に、キルラクルシュは心の中で疑問を抱いた。
 光栄で喜ぶべきことなら、無理やり捕まえなくても向こうからすすんで血をくれるのでは?

 それに、泉で知識の大半を落としてしまったけれど、吸血鬼が他の魔物に比べれば意外と脆弱な生物だという知識は残っていた。
 吸血鬼は確かに特殊に優れた面を持つが、他の魔物にだってそれぞれ優れている能力がある。
 なにより、吸血鬼は日光を浴びればすぐに内臓から焼けただれ、人間の血を飲まねば死んでしまう。
 人間という種の存在なしに、吸血鬼は存続しえない種族なのだ。

 とはいえ、その疑問を口にしようとしても、やっぱりうまく喋れない。
 一族の長の教えを、キルラクルシュは黙って聞くだけしか出来なかった。

 それに、首から血を流す人間の娘は少しも美味そうには見えなかった。
 それよりも、夢中で人間の娘を犯しているオリヴァルスタインの首筋から目が離せなかった。

『欲しい……ちょうだい……』

 キルラクルシュが我慢できずに囁くと、オリヴァルスタインは頷いた。
 思えば、キルラクルシュの足りない言葉は、「人間の血を吸いたい」と解釈されたのだろう。
 了承を得たと判断し、キルラクルシュは魅了のことも忘れ、夢中で彼の首筋に噛み付きいた。

 牙をつきたてた途端、オリヴァルスタインが苦痛の絶叫をあげたのにも殆ど気づかず、口に広がる甘い血の味に恍惚となった。
 飢えを満たす恍惚に脳髄が痺れ、干からびかけていた身体中に力が満ちる。

 思い切り血を啜った。すごく美味しかった。

 オリヴァルスタインの叫びを聞きつけて家人が駆けつける気配がし、キルラクルシュはぐったりとした彼を抱え、とっさに窓から飛び出した。
 先ほどまで身体中が重くぎこちない動きしかできなかったのに、魔力がみなぎった今は、長身のオリヴァルスタインを抱えても軽々と跳躍できる。
 街中で警備兵たちが騒ぎだしても平気だ。
 屋根から屋根へと飛び移り、魔力で石壁や瓦を崩して足止めし、そのまま黒い森の奥にある城へ帰った。

 ところが、オリヴァルスタインは城についてから意識を取り戻すと怒り狂い、話を聞いた同族全員も嫌悪と侮蔑の目を向け、口々にキルラクルシュを責め立てた。

――吸血鬼が吸血鬼の血を飲むのは異常なことで、苦痛を与えられたら相手は怒るのだと、その時にキルラクルシュは初めて知った。

 キルラクルシュは中庭に引きずり出され、狂った危険な吸血鬼にこの場で死を与えるかどうか、一族の評決をとる事になった。
 わざわざ決議をとらずとも満場一致で死刑は目に見えていたが、一度は同胞と認めた者を処罰するのには、正式な手続きを踏むのが鉄則だったからだ。
 キルラクルシュは皆の魔力で拘束されていたものの、今の自分ならそんなものは簡単に解いてこの場の全員を殺すくらい出来ると解っていた。
 でも、自分の無知が仲間を怒らせたのが悪かったのだとも解ったから、悲しかったけれど大人しくしていた。
  
 だが、どういう運命の悪戯か。
 長々と罪状を読み上げ、キルラクルシュを死刑にするかの評決をまさにとろうとした寸前、武装した多数の人間が城へ攻め込んできたのだ。

 前々からこの周辺の人々は、人間を犯し生き血をすする吸血鬼を憎んでいた。
 吸血鬼は弱点が多く弱い魔物と言っても、人間よりは強い。魔力を駆使し、森の木や石を操り戦える。
 過去に何度かあった襲撃は、いつもなんとか撃退できていたが、今回の人間達は非常に数が多く、強力な武装をしていた。そのうえに夜明けが近く、しかも今は一年でも数少ない黒い森の奥まで陽が当たる時期だ。
 国の王は、その貴重な陽の当たる時期を選び、ついに本格的な討伐に乗り出したのだ。

 吸血鬼たちが狼狽えるなか、キルラクルシュは即座に拘束を解き、仲間を守って精一杯戦った。
 たとえこの後にすぐ仲間から殺されるとしても、自分はまぎれもなく、ここの泉から生まれた吸血鬼の一族だ。
 そしてまた、頭の奥底で何か聞こえ辛い声が響き、彼女を突き動かした。
 
  ――仲間を守り、繁栄させよ。お前は吸血鬼の――――だ――

 吸血鬼達は自分を不要だと、まだ正式に評決を下していなかった。
 それまでは彼らを守る義務があると、真っ黒に染まった泉の奥底で、誰かに囁かれていた気がした。

 結局、キルラクルシュは殆ど一人で討伐隊を撃退し、呆然としていた吸血鬼たちの中で、オリヴァルスタインがいち早く動いた。

『長を傷つけた罪は、同族を守った功績で償えた。私はキルラクルシュを許す』

 彼はそう宣言し、他の者が異論を唱えることはなかった。
 そればかりか、その後でキルラクルシュが人間の血を飲むと具合を悪くすると知ったら、皆は自分たちの血を飲ませてくれるようにさえなった。

 その後、思わぬ反撃に脅威を抱いた王国の軍は、さらに強力な武装をして繰り返し攻め込んでくるようになり、 キルラクルシュは一生懸命に戦い続けた。

 人間の返り血が口に入らないように、黒鉄の仮面で顔を覆い、何万もの兵士を相手取った。
 闇色の長い髪を翻す、鬼神のごとき女吸血鬼の悪名は、いつしか遠い国々までも広がるようになっていた。
 他の国の人間までも、吸血鬼の討伐に手を貸すようになり、何度も何度も戦った。

 そうやって、百年以上もキルラクルシュは戦い続けた。

 吸血鬼たちは、キルラクルシュを褒めてくれた。人間と戦って魔力を使い果たすと、すぐに自分たちの血を飲ませてくれた。
 そしてついに、人間のほうから講和条約を申し込んできた。供物と生贄の人間を毎年差し出す変わりに、この国では人間を襲わないでくれと言われ、吸血鬼たちは大喜びした。
 キルラクルシュも嬉しかった。人間を殺すのはうんざりしていたし、戦いはいつも辛くて怖かったから。

 条約は結ばれ、吸血鬼たちは一年に一度、差し出された生贄だけを喰らうようになった。
 財宝や食べ物も差し出され、雨の日には正体を隠して、人間の街へ買い物に行けるようにもなった。

 キルラクルシュは城の一室を与えられ、静かな日々を過ごしていた。城にはいっぱいの本もあって、大昔に旅に出た吸血鬼の手記もあった。
 魔物たちを生む泉が世界中にあることや、その一部は人間の管理下に置かれていることも知った。
 そこで生まれた魔物の運命は悲惨だ。実験体か、殺されるか、奴隷に売られるか、だ。 

 魔道具の作り方を書いた本もあり、ふと興味をそそられて作ってみた。
 キルラクルシュの部屋は城の一番高い塔にあり、訪れる仲間もいなく静かで、少し退屈だった。
 夜になってカーテンを開けると、仲間たちが月明かりの下を連れ立って歩いたり、談笑する様子が見えた。

 ――楽しそうだなぁ。

 そう思ったが、話すのが苦手な自分が、楽しくあそこに混ざれるとは思えない。皆もそれで、気を使ってくれているのだろう。
 食事も、話すのが苦手なキルラクルシュのために、いつも無言で生の野菜を置いていってくれる。
 きゅうりやニンジンやトマトを、一人で静かに食べた。

 皆と一緒に過ごすのは一年に一度、供物の来る日だけ。
 あいかわらず人間の血は吸えないし、財宝にも興味はないけど、仲間はそんなキルラクルシュのために、自分たちの血を吸わせてくれるのだ。
 そうやって、静かに静かに数十年を過ごした。

『――今年は俺だよ。まったく、気が滅入る……』

 供物の夜まであと一週間という晩。魔道具の材料が足りなくなってこっそり部屋を出たところ、城の一室から、ふとそんな声が聞えた。
 しっかり閉まっていないドアから、数人の声が漏れ聞える。
 こっそり隙間から除くと、部屋の中では、安楽椅子に腰掛けた男女数人の吸血鬼たちが、苦い表情を浮べていた。

『人間達はとうに襲ってこなくなっても、キルラクルシュはいつまでもいるんだからな』

『本当ね。アイツさえこなければ、最高に楽しい夜なのに。同族の血を吸うなんて、気持ち悪い』

『やめてよ、あんなのを同族だなんて言わないで。あれはただの番犬よ』

 吸血鬼たちは溜め息を吐き、苦笑した。

『もう、番犬キルラクルシュはいらないのにね』

 ――そっか。

 キルラクルシュは胸中で一言だけ呟き、無言で静かに部屋へ戻った。
 きゅうりを喉につかえさせたような感じで、苦しくてすごく嫌な気分だった。

 ――私、気がつかなかったよ。皆と、いつまでも仲間だと思っていた。でも……違ったんだね。

 キルラクルシュは仲間よりずっと頑丈で、傷もすぐ治った。だから、不死身の吸血鬼なんて言われていたけど、百年もの戦いで負った怪我は、いつもすごく痛かった。

 ――わたし、いっしょうけんめい、がんばったよ? 

 仲間を庇って、槍で串刺しにされたこともある。足を潰され、半身を火で焼かれたことだってあった。両手の骨が粉々になった時は、あんまり痛くて大声で叫んだっけ。

 でも、仲間の血を飲めばすぐ治ったし、皆は喜んで飲ませてくれていると思っていた。

 人間を追い払うたびに、褒めてくれたから、すごく、すごく、うれしくて……。

 目の奥が熱くなって、ポタポタ涙が零れてきた。
 カーテンを開けると、いつのまにか夜があけていて、眩しい陽射しが肌をジリジリ焼いた。

……そして一週間後。
 供物の祭壇前に現れたキルラクルシュを見て、仲間たちは驚愕した。
 いつもの無表情だがやつれきり、黒く長かった髪は真っ白に変わって、短く切られている。
 そして手には、大きな空の袋を持っていた。

『キ、キルラクルシュ……今年は、俺の血を……』

 おずおずと近寄る吸血鬼の青年に、首を振った。

『いらない。欲しいの、それ』

 彼女が指差したのは、供物の金貨と銀貨だった。キルラクルシュが、今まで一枚も手に取ったことのないものだ。

『わたし、ごはんを買いにいく……お金、ちょうだい』

『……は?』

 わけがわからないと言った顔をする青年と、ざわめく吸血鬼たちに、説明しようとした。
 でも、何度も部屋で練習したのに、つっかえつっかえ単語を吐き出すのが精一杯だ。喉が変にひくついて、胃がムカムカして、ひたすら嫌な気分だった。

『もう、みんなの血、いらない。わたし、外に、いく。ここに、もどらない』

 一人きりの部屋で、考えたのだ。
 世界には人間に捕まって、酷い目にあっている魔物たちがいるらしい。
 だったら、その魔物に優しくしてあげれば、キルラクルシュを好きになって、喜んで血をくれるのではないだろうか。
 ここの皆が人間の襲撃に脅えていたころ、キルラクルシュを頼って好きだと言ってくれたように……。

 うまく言えなかったけれど、たどたどしい言葉の一部は、皆の望んでいたことだったらしい。
 オリヴァルスタインを始め、キルラクルシュが生まれた時からいる古参の吸血鬼は随分と少なくなっていたが、彼らも嬉しそうに出て行くことを勧め、袋いっぱいに金貨と銀貨を入れてくれた。

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