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番外編
オオカミさんの ほしいもの (ジークとマルセラの九年後)
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おきにいりの あかいぼうしをかぶって おばあちゃんのおうちに いくはずだった。
パパとママといっしょに ショッピングモールで おみやげのケーキをえらんだの。
それから おとなのワインと わたしのブドウジュースも。
お花やさんで、すてきな花たばも
『あらあら、よりみちしずぎちゃったわ。そろそろいきましょう』
ママがいったとき きゅうに でんきがきえて まっくらになった。
とおくでだれかが さけんで くさいにおいがして へんなおとが、たくさんきこえた。
パパがまほうのひかりをだして まわりが みえた。
ちだらけの くさった おばけで いっぱい
……たすけて
***
マルセラは幼い日、英雄に出会った。
惨劇から救ってくれた彼は、世間一般の『英雄』とは、およそかけ離れた人物だ。
精悍な顔立ちは、よく見ればかなり整っているのに、異様に目つきが悪いせいで、例外なく極悪人面のレッテルを貼られる。おまけに外見だけでなく、中身も本当に凶暴だ。
彼の少年時代を知る人によれば、信じられないほどマシになったらしいが、それでも退魔士の制服を着ていないと、まずカタギには見てもらえない。
一度など、私服の彼に動物園へ連れて行って貰ったら、いきなり警備員に囲まれて保護されかかった。その頃ちょうど事件になっていた、連続幼女誘拐犯と思われたらしい。
あんまりだと思うが、感じの悪かった警備員を猿山に投げ入れたりしたから、あの時は大騒動になった……と、つい遠い目になってしまう。
しかし彼は、乱暴でがさつで気が荒いけれど、マルセラに手をあげた事は一度もないし、いつだって優しくしてくれる。
ひどく不器用でぎこちないやり方だけれど、一生懸命に優しくしようと努めているのを知っている。
だからマルセラにとって、彼――ジークは、まぎれもない英雄なのだ。
いつしかジークへ憧れ以上の感情を抱いていることに気づき、やがてその想いの名を知った。
大好きな英雄に恋した女の子は成長し、十七歳の少女になった。
***
窓からは朝日が差し込み、今日は絶好の秋晴れと告げている。
扉の前に立ち、マルセラは深呼吸をした。あどけなさの残る童顔を、大きな目が余計に幼くみせていた。身体つきも華奢で小柄だ。絹糸のような栗色の髪が、小さな渦をくるくる巻き、細い肩に落ちている。
白いブラウスに、膝上丈のジャンパースカート、スカートと共布でできた、赤いタータンチェックのリボンタイ。
魔法学校の女子制服はなかなか可愛く、黒いローブマントだけが時代錯誤めいている。
ドキドキしている胸を服の上から押さえた。
(今日こそ……)
気合満点で、勢いよく扉をあける。
「朝ごはんできたよーっ! あ・な・た♪」
途端に悲鳴と共に、鈍い音がした。
「……~っ」
床に転げおちたジークが、後頭部をさする。
一緒に落ちた布団をひきはがすと、ズボンだけを身につけた引き締まった身体が見える。
退魔士という危険な職業にありながら、長身の身体には比較的傷が少なかった。目立つのは右上腕部の縫い傷と、胸にある獣につけられたような傷跡、それから、うなじの下にある十字架型の古い火傷くらいだ。
「大丈夫?」
ジークの傍らにしゃがみこんで尋ねた。
「大丈夫じゃねぇよ! 毎日毎日、朝っぱらから、俺の心臓を止めようとするな!」
寝起きの襲撃を喰らい、ただでさえ悪い目つきが、さらに凶暴になっている。マルセラ以外の女の子だったら、まず泣いて逃げ出すだろう。
その長身と迫力のせいか、少年時代からやたら年上に見られていたらしいが、単に早熟だったのだろうか。マルセラが出会った時から、彼はあまり変わらない。今ではむしろ、三十という実年齢より若く見えるくらいだ。
「だって、『おにいちゃん』も禁止でしょう?」
「ぐ……」
ジークが顔を真っ赤にし、言葉に詰まる。しかし、すぐに猛烈な勢いで反論した。
「普通に名前を呼べ! それに、自分で起きれるって言ってるだろ」
涙目で怒鳴るジークに、マルセラは頬膨らませた。
「エメリナおねえちゃんが言ってたよ。朝から好きなだけイチャつけるのは、新婚さんの特権なんだって」
「……あいつ等は何年たっても新婚継続中じゃねーか。とにかく他所は他所、うちはうち! だいたい寝室も別で、まだ手を出しちゃいねぇ!」
「……出して欲しい」
こうすると相手がキスしやすいと、本に書いてあったとおりに、目を瞑って少し顔を上にむけてみせた。
ジークが無言で立ち上がる気配がし、そのままふわっと身体がもちあがる。
「ひゃっ!?」
小脇に担がれ、廊下にぽいっと追い出された。
「エロガキ」
バタンと扉が閉められ、マルセラは肩をすくめた。『奇襲してチューくらいはしてもらう作戦』は、今朝も失敗だ。
「遅刻しちゃうから、先に食べてるね」
「ああ」
閉まった扉の向こうから、まだ少し不機嫌そうな声が帰ってくる。
溜め息を押し殺し、リビングへときびすを返した時だった。
「――マルセラ」
気まずそうな咳払いが届いた。
「そんな呼び方しなくても、お前が嫁だってくらい、ちゃんと覚えてる」
「……うん」
頬を緩ませ、マルセラは小躍りしながら朝食に向った。
***
そもそもの発端は、マルセラの祖母が夏風をこじらせ、肺炎を患った事からだ。
祖母は元々、田舎でのんびり育った人だった。慣れない都会で、娘夫婦の残した孫を育てるのは、かなり大変だったはずだ。
医者は今までの疲れが出たのだと良い、王都から空気の良い田舎へと転地を進められた。
祖母の実家は田舎で大きな農場を営んでおり、現在は叔母夫婦が継いでいるが、快く戻るよう勧めてくれた。
マルセラも一緒にくれば良いと、叔母は言ってくれたが、学校の問題があった。
魔法学校に入れる者は非常に厳選され、学校自体の数も非常に少ない。大国のイスパニラにさえも、王都にたった一つあるだけだ。
マルセラの父は魔法学校の教員であり、魔力は娘にも受け継がれていた。
田舎に住んでいた祖母が、残された孫と王都で暮らすことにしたのは、両親の遺志を汲んで魔法学校に通わせるためだ。
マルセラ自身も、できれば魔法大学に進み、父と同じ魔法教員になりたいと思っていた。
両親を亡くした惨劇の時、非常灯まで全て切られ暗闇と化したモールで、父があちこちに付けた魔法の灯りが、何人かの命を救ったと知ったからだ。
幸いにも成績は優秀だったから、奨学金が受けられそうだし、魔獣災害遺児の生活補助も出るから、卒業まで経済的にもなんとかなるはずだ。
しかし祖母は、マルセラを王都に一人で残すのを心配し、転地をしないと言い始めた。
療養が必要なのは明かなのに、妙な部分で頑固な祖母は、大丈夫だと言い張る。
ちょうど見舞いに来ていたジークは、黙って話を聞いていたが、急に顔をしかめ、一人でブツブツ呟きだした。
『……くそっ…………まだ早すぎ……せめて十八……いやしかし…………』
『ジークおにいちゃん?』
声をかけると、凄まじい勢いでジークは振り向き、噛み付きそうな声で怒鳴った。
『マルセラ、俺の嫁になって一緒に暮らせ! そうすりゃ悩む必要もねぇだろ!』
『……え?』
目を丸くして驚愕したマルセラと祖母を、ジークは更に険しく睨む。
もう慣れている二人は、彼が緊張しているだけだと解るが、凶暴そのものの目つきは、普通なら問答無用で防犯ブザーを押されるレベルだ。
『魔法学校ってヤツはたしか、男女交際禁止とか色々煩さいくせに、結婚相手の男となら一緒に暮らしても良いとか、変なこと言うんだろ? だからひとまず法的に、俺の嫁になれ。そうすればお前を独り暮らしさせずに済む』
唖然としたマルセラは、自分の耳が信じられなかった。
魔法学校には、男女交際禁止と古めかしい規則がある。
もっとも、昔はともかく今では、あまりに羽目を外さない限りは大目に見て貰えるのが現状だ。だが同棲ともなれば、流石に退学ものだろう。
そして確かに、厳しい規則に矛盾するような、妙な抜け道がある。
正式に結婚していれば、話は別なのだ。
魔法使いの名家では、この時代においても幼児期から婚約している者が多い。法で許される十六歳になると同時に結婚し、そのまま学生を続けることもあるからだ。
そういった魔法学校の事情を、ジークが知っているのも意外だったし、こんな提案をされるなど、思ってもいなかった。
『本気……?』
『こんな笑えねぇ冗談、言えるか! 学校はそのまま続けりゃいいし、魔法大学にも行け。お前はせっかく頭が良いんだ。学費くらい、俺だって稼いでる』
顔を真っ赤にし、ジークは唸るよう言う。
――ジークと恋人なのかと聞かれたら、マルセラは首を傾げてしまう。
休日はよく一緒に過ごすし、勝手に入っていいと部屋の合鍵まで貰った。
いつでも危険から守ってくれる。困ったことがあると助けてくれる。
けれどジークはマルセラに、一度も愛を語ったりしない。「好きだ」と言われたことすらない。
小さな頃は、おんぶや肩車をして貰ったけれど、いつしか手を繋ぐこともしなくなった。数センチの間をあけて、隣りを歩くだけ。
恋人には遠く、かといって他人にしては近すぎる微妙な関係だ。
『……俺の嫁になるのは、嫌か?』
驚きのあまり口も聞けないでいると、彼らしくも無い声音で尋ねられた。
どこか不安を滲ませたような、こんな声を聞くのは初めてだ。
『い、嫌じゃない!! 嫌なはず無いよ!!』
マルセラは激しく首を振る。
将来の夢は、魔法使い教員だ。けれど、小さな頃から願い続けてきた、もう一つの夢がある。
『ジークお兄ちゃんのお嫁さん』という願いは、未だに継続中だ。
『どうかなさいましたか!? さっきから大声が聞えると……』
慌てふためいた看護士が扉を開くのと、ジークが病室のベッドに上体を起こした祖母へ向き直るのは、ほぼ同時だった。
『お願いです……マルセラを嫁にください』
ジークが誰かに懇願する所も、マルセラは初めて見た。背を向けていたので、どんな顔をしていたのかは判らなかったけれど……。
祖母はやつれた顔に、静かな微笑みを浮べた。
『マルセラが選んだ貴方でしたら、私も依存はありませんわ。これからも、あの子を守ってやってください』
もしかしたら、祖母はもうとっくに、こうなる事を予感していたのかもしれない。
以前からジークをよく食事に招いたし、二人で出かけるのにも反対しなかった。
エメリナを通じて知り合ったウリセスが、綺麗なウェディングドレスのカタログを届けてくれ、細かな手続きや手配を全てそつなくこなしてくれた。
男性用の白いタキシードまで持ってきたのだが、『こっちは頼んでねぇ!』と、ジークは断固として拒み、内輪なのだから退魔士の制服を着ると言い張った。
しかしウリセスのニヤニヤ顔から察して、どうやらタキシードは、ジークをからかうために用意されたらしい。
こうして思いがけず、祖母に早々と花嫁姿を見せることが出来たのだ。
小さな教会で祖母の見守る中、ひっそりと結婚式をあげた。
妙に体格の良い神父は、少年時代はジークとよく殴り合いをした仲だそうで、真面目な顔で聖書を読み上げる時以外は、終始ニヤついていた。
ジークは我慢の限界といったしかめっ面だったが、誓いの言葉を無事に終えたあと、額に触れるか触れないかのキスを一瞬だけされた。
――それから三ヶ月。
慌しく二組の引っ越しを終え、祖母も田舎で静養を始めた。
大好きな祖母と離れるのは寂しかったが、長期休暇には遊びに行くと約束したし、祖母も体調が回復したら訪問すると約束してくれた。
マルセラは家事が得意なほうだったし、ジークも外見からは意外だが、結構マメにやってくれる。なんでも昔、退魔士養成所の寮で生活態度を叩き直されたらしい。
新婚生活は順調といっていいだろう……いまだに普通のキス一つされない他は。
***
「――それは夫というより、親戚のお兄さんポジションね。もしくはお父さん」
魔法学校の実験室で、薬の器材を片付けながら、友人のエレオノーラが断定する。
「うう……そうだよ。前とまったく変わらない……っていうか、むしろガードが硬くなった気すらする」
マルセラは教材本を抱えたまま、がっくりと戸棚に額をついた。
寝室は問答無用で別にされ、一緒に寝るどころではない。
さり気なくくっついても、すぐに身体を離される。
最初は我慢していたが、あまりの素っ気無さに、段々と不安になってきた。このままではいつまでたっても、単なる同居の子ども扱いだ。
もしかしたら、情事そのものが嫌いなのかとも思い、何でも知っているウリセスに、こっそりと相談したら、困ったように苦笑された。
『特定の恋人はいなかったようですが、そういう潔癖なタイプでもないでしょうね。小さな頃から知っている貴女だからこそ、大切で手を出せないんじゃないですか?』
そういう表現をされれば嬉しいが、つまりマルセラが今のままでは、その気になれないということだろうか。
とりあえず資料にと、ウリセスは恋愛系の本や雑誌を紙袋いっぱいくれたので、ありがたく持ち帰った。
資料には少女向けなのに、かなりきわどい物もあり、考えもしなかった男女の行為を、赤面しながら読んで研究した。
――なるほど、どうやら足りなかったのは、色気らしい。
しかし、恥ずかしいのを我慢して様々な努力もしたのに、どれも惨敗続きだ。
風呂に入っている時、背中を流すと言ったら、脱兎の勢いで逃げられた。
透け素材のベビードールを着て見せたら、毛布でぐるぐる巻きにされて部屋に叩き込まれた。
帰宅を待ち構え、下着にフリル付きエプロンの姿で出迎えたら、そのままドアをバタンと閉められ、服を着るまで帰らないと、電話で散々叱られた。
「はぁ~、なんで駄目なのかなぁ?」
「さぁ……しかし、これに見向きもしないとは、マルセラの旦那様は、なんと勿体無い」
突然、エレオノーラに背後から、ぐわしっと胸を鷲づかみされる。
「ふわっ!?」
「んふふふ~、マルセラったら、あいかわらず良い身体しておりますわね~」
エレオノーラのファンが見たら泣くだろう。
爵位まで持っている良家のお嬢様であり、外見も清楚な淑女な彼女だが、中身はエロオヤジだ。
むにむにと胸を揉まれ、くすぐったさにマルセラは笑い転げる。
「あははっ! やめてよっ! く、くすぐったい~!」
クラスどころか学校で一番背が低いマルセラだが、胸だけはなぜか平均以上に発達していた。おかげで合う下着を探すのが大変だ。
「何を食べたらこんな体型になれるか、白状なさい!」
「わかんないよ~! あ、あはははっ!」
とにかく好き嫌いは無い。昔は苦手だってピーマンも平気で食べられる。
笑いすぎて涙が出てきたが、それには別の感情も混ざっていた。
ツキンと胸の奥が痛んだのをエレオノーラにばれないように、こっそり歯を喰いしばった。
***
(――ジークから見れば、いつまでたっても私は子どもなんだろうなぁ……)
学校帰りに夕飯の買い物をしながら、マルセラは溜め息を押し殺した。
腕を組んで買い物している若い男女は、新婚夫婦なのだろうか。歳の差はせいぜい二つ三つといったところだろう。
大人になってしまえば、十三歳の差など珍しくないように思えた。
二十も三十も歳が離れた夫婦だって、ざらにいる。
けれどジークは、マルセラに性的な欲求を持って指一本触れようとはしない。
夕方のスーパーは、同じように夕飯の買い物に来ている主婦や家族連れが多いが、店内は比較的空いていた。
近くに大型のショッピングモールがあるせいだ。
しかしマルセラは、未だにどこのモールだろうと入れない。入ろうとすると、恐怖で足がすくんでしまうのだ。
『モールで買い物できなくたって、死にゃしねぇよ』――と、ジークがぶっきらぼうに言う通り、王都にはそれこそ無数の店があるから、生活には困らない。
どうしてもモールにしかない品が欲しい時は、ジークが買ってきてくれる。
惨劇の起きた建物はすでに取り壊され、今ではまったく別の建物になっているが、一緒に出かける時も、彼は絶対にその近くへ行こうとはしない。
ひどく気を使ってくれているのを、ちゃんと知っている。
皆に優しい人じゃないけれど、少なくともマルセラと祖母には優しい。
ベタベタじゃれつくのは拒否しても、普通になら近づいてくれる。マルセラの作るご飯を、美味いと喜んでくれる。
けれど……マルセラを恋愛対象に見れないのなら、どうして結婚までしたのか、ジークの本音がわからなくて不安なのだ。
(もしかしたら、あれも……私とお祖母ちゃんが困ってたのを、助けようとしてくれたのかな……?)
今までの経験からして、可能性ではゼロでないと青ざめる。
(どうして……?)
ジークだって、自分の幸せを優先すればいいのに。
どうしていつも、彼はマルセラの幸せを優先するのだろう……?
モヤモヤとした気分のまま、一人で夕食を作って一人で食べた。
ジークは今日、深夜までの勤務で、食事も署の食堂で済ませる。
新居も集合住宅の一室だが、以前に祖母と暮らしていた部屋よりも広く、部屋数も多い。
テレビの賑やかな番組を流しても、自分一人の家はやけに静かで落ち着かなかった。
明日は週末で、ジークも休みだといっていた。彼が週末に休めるなど珍しく、久々に一緒に過ごす休日を楽しみにしていたのに、ちっとも心が躍らない。
風呂を済ませ、自分の部屋で机に向うが、魔方陣の図も呪文の応用問題も、一向に頭に入らず、時計はまだ九時をさしていたが、ベッドに倒れこんだ。
枕もとのスイッチで、部屋の明りを小さくする。
小さくても電気の明りがついてないと眠れないのも、あの事件からだ。魔法灯火の偉大さを知っているが、電気が消えた部屋では息が出来ない。
重い瞼が自然に閉じ、数秒後にはもう眠りに落ちていた。
***
――生臭い匂いが鼻をつき、無数のうめき声や叫び声が聞える。
家族連れで賑わうモールのあちこちで、ゾンビが客たちに喰らいついていた。
何百回も繰り返し見た、あの日の悪夢が、久しぶりにマルセラを襲来した。
腐りかけた化物たちの身体は、何かの薬品か魔法をほどこされたらしく、異様に筋肉が膨張し、皮膚が裂けて赤い中身を見せている。
両親に連れられ、必死に逃げて逃げて逃げまわった。
怖くてずっと涙が出ていた。
(わるいこと、なんにもしてないのに! なんで!?)
悪い子には悪いこと。良い子には良いことが訪れると思っていた。それまでずっと、周りの大人はそう言ってくれた。
けれどモールに溢れている怪物たちには、善人も悪人も関係ない。子どもだろうと女の子だろうと、容赦しない者がいるのだと、生まれてはじめて思い知った。
ついに両親も食い殺され、口端から内臓をぶらさげた腐乱死体が、マルセラに注意を向けた。足に力が入らなくて、もう立てない。
しかし次の瞬間、化物の頭がザクロのように弾け割れた。
ゾンビが倒れると、頭から足の先まで、返り血で真っ赤にした青年が見えた。
退魔士の制服を着た青年は、手に持った斧を振るい、床でまだ動いていたゾンビの手足を叩き斬った。楽しくてしかたないと言うように、凄惨な笑みを浮べながら。
青年の後ろから、奇声をあげて別のゾンビが襲い掛かってきた。筋肉の異様に膨れ上がった化物の巨体は、青年の三倍はある。おまけに胴体から余分な手を二組ほど生やしていた。
しかし青年は軽々と化物の懐に飛び込み、その巨体を蹴り飛ばした。赤肉がむき出しの身体に大きな穴が空き、続いてあっさりと斧が首を分断する。
震えるマルセラの目に、青年も人外の者だと写った。
人間を喰らう腐乱死体よりも、もっと凶悪で、凶暴で、危険な怪物だ。
血染めになった髪は、もとが何色なのかもわからない。ただ、ツンと二箇所跳ねていた部分が、まるで獣の耳のように見えた。
真っ赤に汚れた顔で、切れ上がった琥珀色の両眼が、金色を帯びてギラギラ輝いている。
どこかでこんな目を見たような気がして、すぐ思い出した。
お祖母ちゃんの農場へ泊まりに行った夜だ。暗い窓の外に、金色の眼が光っているのが見えた。
『狼だ』と、叔父さんが銃を構えて飛び出していったが、農場の子羊を攫った狼は、すぐに逃げてしまった。
――これは狼だ。人間の身体に黒い退魔士の服を着ている、赤い狼の怪物だ。
怖くて両親の遺体に縋りついたけど、もう彼らはマルセラを守ることはできない。
赤い狼の青年は、震えているマルセラを見下ろし、軽蔑したように舌打ちした。
『そいつらはもう駄目だ。いくら泣いても、お前を助けちゃくれねーよ。それともだまって泣いてりゃ、英雄が助けにくるとでも思ってんのか?』
そのまま彼は立ち去ろうとした。マルセラなんか、見なかったというように。
この狼もやっぱり、ひどい意地悪な怪物だと思った。
いい人も悪い人も関係ない。子どもだろうと女の子だろうと、優しくしない。それでも……
気づいたら、立ち去ろうとした黒い上着の裾を、死に物狂いで掴んでいた。
(オオカミさんは、いじわるだけど、すごくつよいんだよね? きっとだれよりも、つよいんだよね!?
だから……おねがい! わたしのもってるもの、なんでもあげるから……おねがい、たすけて!
わたしの、えいゆうになって!!)
叫んだその声が、本当に伝わったのかはわからない。口が震えるだけで、一声も出なかった気もした。
狼青年は振り向き、凶暴な目がマルセラを鬱陶しそうに睨んだ。
苛立ったような舌打ちが聞え、殺されると思った。目を瞑った時、そっと手を握られて驚いた。
『いやはや、腰が抜けちまってんのか。これだから弱いガキは……』
おそるおそる目を開けると、狼青年はしゃがみこみ、不機嫌そうにマルセラを睨んでいた。
『仕方ねぇな。しっかり掴まってろ』
狼青年はマルセラを背負い、ちょうど襲い掛かってきた次の怪物を、片手でなんなく倒してしまった。
あの瞬間、狼の怪物は、マルセラの英雄になった。
ぼんやり霞かけた意識の中、必死で掴まっていると、黒い襟の中が見えた。うなじの下に、赤褐色の十字架が刻まれていた。周囲の皮膚がひきつれているそれは、古い火傷痕のようだった。
――夢は何もかも、あの時の事を忠実に再現しているのに、ジークの顔だけはいつも、赤い狼そのものになっている。
黒い退魔士の制服を着た人間の身体に、赤い狼の頭がくっついた姿だ。
そして夢は、いつでも十字架傷を見た場面で終わる。
しかし今夜は違った。
暗いモールの風景が消え、周囲の怪物たちも消える。
真っ白な空間の中で、赤い狼青年とマルセラだけが取り残された。
『ジークお兄ちゃん……?』
妙に心細くなり、広い背中にしがみつこうとしたが、すとんと降ろされた。小さな子どもになっているマルセラの頭を、赤い狼がポンポンと叩く。
『助けたぞ。お前の英雄になってやった』
『うん。ありがとう……やくそくしたから、わたしのもってるもの、なんでもあげる。
お母さんに習ったから、おいしい菓子だって作れるよ』
くくっと、狼青年が笑った。
『いらねぇよ』
『でも……』
黒い上着を握り締めると、そっと振り解かれた。
『俺は強いんだ。一人で生きて行ける。弱いお前から貰うものなんか、何もねぇよ』
「――マルセラ!!」
肩を揺さぶられ、マルセラは目を開けた。
目の前にジークの強張った顔がある。黒いタンクトップにジーンズの姿で、シャワーを浴びたばかりなのか、短い金髪からはまだ水滴が滴っていた。
「あ……」
ひどく息が切れ、心臓がドクドクと激しく脈打っている。頬に触ると、涙でベットリ濡れていた。
「いきなり叫び声が聞えたから、どうしたかと思ったら……」
ほっとした様子でジークは手を離し、首にかけたタオルで乱暴に髪を拭いた。
「悪い夢でも見たか?」
「うん……」
目端をこすり、マルセラは頷く。
優しい拒絶を聞き、夢の中で泣き叫んだ。
あれは、内心でずっと恐れていた言葉そのものだ。
ジークは誰よりも強く、マルセラの英雄でいてくれる。そして弱いマルセラから受け取るものなど、何も必要としない。
「……もう平気。驚かせて、ごめんね」
無理やり笑うと、ジークが深い溜め息をつく。
そして横を向き、唐突に自分の額を殴りつけた。
「えぇっ!? な、なに!?」
「なんでもねぇ! ……くそっ……落ち着け、俺…………っ!」
何度か自分の頭を殴りつけたあげく、ジークはようやく拳を止めて首をふった。ゼーハーと深呼吸し、眉間に深い皺を寄せたしかめっ面で口を開く。
「ちょっと詰めろ。一緒に寝るぞ」
「……え?」
「一緒に寝るだけだ! 妙なことはしねぇから、安心しろ。それとも嫌か?」
「う、ううん!」
慌ててベッドの片側に身を寄せると、ジークが隣りに身体を滑り込ませた。
いくらマルセラが小柄でも、長身のジークと一緒では、一人用のベッドは少し狭い。身体が密着し、鼓動が勝手に跳ね上がる。
(そういえば……)
小さな頃、温泉旅行に連れて行ってもらい、こんな風に一緒に寝た事を思い出した。
思わず口元が緩み、小さな笑いが漏れる。
「なんだ、いきなり元気になったじゃねぇか」
ジークが苦笑する。
「うん。昔、旅行に連れてってもらった時の事、思い出した」
「ああ、そんなこともあったな。あの時は大変だった」
「オークが来たし」
「お前は怖かったくせに、一人で大丈夫だって、部屋で震えてたし……今でも変わんねーな」
ジークが目を細めて笑うと、少し目立つ犬歯が口端から覗いた。
力強い腕に、そっと抱き締められた。
「傍にいるから、安心して寝ろ」
「……うん」
久しぶりにジークの体温をしっかり感じ、小さな子どもに戻った気がした。高鳴っていた鼓動が収まるにつれ、トロンと瞼が落ちてくる。
もっと起きていたいのに、眠くてたまらない。
「寝ちまえよ」
穏やかな声と共に、閉じた瞼へ柔らかい感触がそっと落ちた。
***
――青い草の香りが鼻をくすぐり、目を覚ましたマルセラは仰天した。
部屋で寝ていたはずなのに、いつのまにか、さんさんと太陽が照りつける草地に転がっていた。
そして周囲に見える何もかもが、やたらに大きい。ジャングルのような茂みの傍に、巨大な蝶が飛んでいるし、並んでそびえたつ木々も、見上げるような巨木だ。
(え? ……あれっ!?)
自分の手を見て、更に深刻な異変に気づいた。五本指のある人間の手ではなく、栗色の毛皮に覆われた猫の手が付いている。
近くの水溜りに、おそるおそる顔を映してみると、そこには薄汚れて痩せこけた一匹の子猫が写っていた。
周りの物が大きいのではなく、マルセラが小さくなっていたのだ。
(なにこれ!? 夢!?)
驚愕の声もニャアニャアとしか出ない。
途方に暮れて、もう一度周囲を見渡すと、遠くに荘厳な時計台が見え、ここがどこか解った。駅前にある記念公園だ。
夢にしては、照り付ける太陽も遠くから聞えるざわめきもリアルで、一向に醒める気配がない。おまけにお腹が空いてきた。
仕方なく茂みを抜けると、やっぱりモザイクタイルの美しい遊歩道に出た。
何度もこの道を歩いて公園に遊びに行ったが、猫の低い視線から見るのは新鮮だった。
(わっ!)
タイルにみとれていたら、誰かの靴とぶつかりそうになった。
「あっぶねー!」
子どもの焦り声があがり、汚れてボロボロの靴は、危ういところでマルセラを避ける。
見上げると、やたらと目つきの悪い男の子が、こちらを睨み降ろしていた。
年頃は六~七歳だろうか。短い金髪は自分で切ったのか、変に不ぞろいだったし、髑髏のプリントがされた黒いタンクトップも薄汚れている。
刺々しい気配を全身にまとった男の子からは、育ちの悪さがこれでもかというほど滲み出ていた。
遊歩道には何組かの親子連れや若者がいたが、浮浪時のような男の子を横目でちらっと見ては、すぐ目を背ける。
(嘘……この子、もしかして……)
ジークそっくりな男の子を前に、マルセラが呆然と座り込んでいると、男の子は舌打ちして去ろうとした。
その首筋に、まだ生々しい十字架型の火傷を見つけ、確信する。
(待って! わたしだよ! マルセラだよ!)
どうして自分が子猫で、ジークも小さくなっているのかわからないが、とにかく彼に違いない。
にゃあにゃあとしか鳴けないのがもどかしく、必死にジークの足に身体を擦り付けて訴えるが、やっぱりわかっては貰えないようだ。
「なんだよ、お前。邪魔だ」
小さなジークは鬱陶しそうに言ったが、マルセラを蹴っ飛ばさないように、気をつけて歩く。
やがてジークは人々で賑わう結界広場まで着き、マルセラの首根っこを掴んで持ち上げた。
「おい、もう付いてくんな。俺はメシを手に入れなきゃいけねーんだから」
小声でそう言われ、花壇の隅に置かれた。
(ご飯を? 誰か知り合いを探してるのかな?)
首をかしげ、マルセラは大人しく座ってジークを眺めていた。
ジークは両親がいないらしいが、子ども時代の話を詳しくして貰ったことはない。
ただ、会話の端々から、あまり良くない環境で育ったらしい事だけは察せた。
屋台の近くをうろうろしている彼を見て、やがて何をしようとしているのか気づいた。
(盗みなんて、駄目だよ!)
駆け寄って屋台の向こうからニャアニャア鳴いたら、額にタオルを巻いた中年店主がマルセラを眺めている隙に、ジークが素早くホットドックを一つかすめとった。
(うわっ、わぁぁっ! ごめんなさい! 違うんだって~!)
逆に盗みを手伝ってしまい、屋台のおじさんに猫語で詫び、慌ててジークを追いかけた。
ジークは広場の隅で花壇の縁に悠々と腰掛けており、マルセラを見るとニヤリと笑った。
「やるじゃねぇか。ほら、お前の分」
前足の先にホットドックを半分置かれ、喉がゴクリと鳴る。
夢のはずなのに、死にそうなほど腹ぺこだ。
(こ、これ……夢なんだよね……?)
そっと鼻先を近づけると、食欲をそそるいい匂いがし、堪えきれずにかぶりついた。
ソーセージも冷めてから残さず食べた。
今日の催し物は子供向けのお祭りで、広場にはピエロや動物の着ぐるみがウロウロし、家族連れで賑わっていた。
ジークは食べ終わっても動かず、花壇に腰掛けたまま、足をブラブラさせて周囲を眺めている。
(……もしかして、一人が寂しいの?)
通じないだろうけど、思わず尋ねてしまった。両親を失ってからしばらくは、マルセラも幸せそうな家族連れを見ると、辛くなるのが解ってるのに、つい見入ってしまった。
「……あいつ等は弱いから、誰かと一緒にいるしかないんだ」
不意に、ジークがそう言って、言葉が通じたのかとビックリしたが、彼はただ独り言を言っただけのようだ。
少し離れた場所から、家族連れの行き交う風景を悠然と眺めている彼は、なんだか野生動物のように見えた。
間違って都会の隅に産まれてしまったけれど、決して人に懐かず一匹で逞しく生きている子狼のようだ。
「お前も弱そうだなぁ」
マルセラを見下ろし、犬歯の少し目立つ口元で、小さな男の子のジークが笑う。
あまり綺麗じゃない手で、ぐりぐり頭を撫でられた。
「仕方ねぇ。俺がちょっとだけ一緒にいてやるよ」
夢はまだ醒めそうになく、ジークの後を付いていくと、公園の裏手にある寂れた横丁へ着いた。
汚れた看板はどれも、酒場や娼館など怪しげなものばかりで、空気は煙草と酒に嘔吐物の混じったような饐えた匂いがする。
マルセラが一度も入ったことのないような場所だ。
古い建物の影で、顔中にピアスがついた男と、刺青を腕にぎっしり入れた男が、商談らしきものをひそひそしていた。
ジークは平気な顔ですぐ脇を通り抜け、今にも崩れそうな建物の外階段を昇り始める。
マルセラも身を縮めながら男たちの足元を通りぬけ、ジークを追いかけた。
刺青男が面白そうに階段を見上げ、口笛を吹いた。
「おい、ジーク。汚ねー野良猫なんぞ拾ってくると、またお袋さんに殴られるぞ。アイツ、たしか猫嫌いだろ」
「拾ったんじゃねーよ。勝手についてきやがるんだ」
自分の親くらい年上の男へ、ジークが乱雑な言葉で答える。
「パメラはまだ帰ってこねーのか? たまには遊びてぇんだが……なんなら、お前でもいいぞ。上手く咥えられたら、小遣いくらいやるよ」
ピアスの男が耳障りな笑い声をたて、ジークが目つきの悪い顔をさらにしかめる。
「死ね」
舌打ちして吐き捨てると、刺青男が太った腹をゆすって笑った。ピアスの男が唾を吐く。
「ったく。可愛げのねーガキだぜ」
ジークはさっさと階段を昇り、ベルトに付けた鍵で、二階の隅にある扉を開けた。
入っていいものかマルセラは迷ったが、ジークが扉を手で押さえたまま待っているのに気づき、急いで湿っぽい室内に駆け込んだ。
マルセラが入ると、ジークは素早く扉を閉め、危うく尻尾を挟まれそうになった。
「お前、運が良かったな。あの女は旅行中だ。男と別れるか金が無くなるまで帰ってこねーから、それまでいて良いぞ」
『あの女』とは、母親のことだろうか。およそ子どもらしくないセリフに驚きつつ、室内を見渡したマルセラは、さらに驚いた。
壁紙はあちこち破け、床も傷だらけだ。あちこちについた褐色のしみは、血痕かもしれない。どうやったら、こんなに酷い部屋になれるのだろうか。
脱ぎっぱなしの衣類が散らばり、小さな台所もリビングらしき場所も、なにもかもがグチャグチャに散らかっていた。
幸いというか、子猫の身体は身軽で、床の障害物を踏まないようにピョンピョン飛びはねながら、マルセラは恐々と室内を探検しはじめた。
リビングの一角には、続き部屋らしい閉まった扉があったが、その前に行くとジークが首を振った。
「そっちはあの女の部屋だ。留守でも入ったのがバレたら、たたき出されるか殺される」
大人しくマルセラが扉を離れると、ジークがしゃがみこみ、感心したように頭をなでてくれた。
「お前、頭がいいな」
こんな奇妙な状態でも、ジークに褒められるのはヤッパリ嬉しい。ニャァと鳴いて身体をすりつけた。
――と、いきなり首の後ろを摘んで持ち上げられた。
「汚ねーから、洗ってやるよ」
ひびだらけの古いタイルが張られた浴室で、洗面器に石鹸と水と一緒に放り込まれる。
(ぷはっ! 冷たいぃっ! 痛い!)
ジークの荒い方は乱暴でメチャクチャだった。尻尾を引っ張られ、痛くて思わず暴れたら、爪で手の甲を思い切り引っ掻いてしまった。
ジークがマルセラを離し、血の滲んだ傷を眺める。
怒られると思って身をすくめたが、なぜか愉快そうな笑い声が響いた。
「弱いくせに、ちゃんと戦うんだな。悪かったよ」
びしょ濡れの毛皮を舐めて、ようやく全部乾かすと、ジークに呼ばれた。
「おい、猫」
どうやら名前をつける気はないらしい。浴室の隣りに、ベッドと小さな棚が入るくらいの狭い部屋があって、ジークはそこに寝転がっていた。
どうやら本来は物入れらしいそこが、彼にあてがわれた寝室のようだ。
「あのな……一緒に寝たかったら、来てもいいぞ」
少し顔を赤くして、しかめっ面で照れを誤魔化す表情が、まぎれもないジークそのものだった。
マルセラがベッドに飛び乗ると、自分で呼んだくせに、少し驚いたような顔をした。寄り添って身体をくるんと丸めると、おずおずと背中を撫でられた。
風呂場で乱暴に洗った手と同じとは、とても思えない気弱さだ。
「俺は強いから、一人で平気なんだ」
自分に言い聞かせているような、小さな声が聞えた。
「……でも、おまえが一緒に居たいって言うなら、仕方ねぇよな」
――それから数日間。
夢はちっとも醒められないまま、子どものジークと一緒に過ごした。
彼の母親は、本当に帰ってこない。
世の中には育児放棄とか酷い親がいると知っていたが、実際に目の当たりにすると衝撃的だった。
近所の大人たちが、ジークを助ける気が全くないのにも驚いた。
こんな生活を、マルセラは想像したことすらなかった。両親には大切に育てられ、彼らを亡くしてからも祖母が細やかに面倒を見てくれた。
良い子にしていれば、子どもは大人に守って貰えるのが当たり前だと思っていた。
けれどジークの住む世界では、子どもだからと優しくしてもらえないし、大人しい良い子にしていれば、自分が困るだけだ。
彼はあちこちで食べ物を盗んでいたけれど、マルセラはもう止めなかった。
盗みは悪いことだけれど、お行儀良く待っていたら、飢え死にしてしまうだろう。
外から鳴いて店主の注意を引いたりと、一生懸命手伝った。
彼は非常に凶暴で、ケンカもしょっちゅうした。
近所の子どもたちは、すでに酷い目に合わされているらしく、ジークを見ただけで逃げ出していたが、少し離れた裏町に行くと、その外見からか、すぐに絡んでくる相手がいた。
大抵は年上の不良少年で、数人でつるんでいることも多かった。女の子が混ざっていることもあった。
たまに負けそうになる時もあったが、どんなにボロボロになっても、ジークは最後には勝つ。相手が自分より大きければ、女の子でも平気で殴る。
相手を倒すまで殴り合うケンカなど、マルセラは一度もしたことがなかったし、凄みのある笑い声をあげて他人を殴るジークが、怖くなる時もあった。
けれどジークがベッドに寝転び、隣りをちょっと空けて、伺うようにマルセラを眺めている姿を見ると、急いで飛び込んで擦り寄ってしまう。
殴られて腫れた頬が痛々しくて、そっと舐めてみた。
「痛ぇよ」
ザリザリの舌がかえって痛かったらしく、ジークは顔を背けてしまったが、かわりに伸びてきた腕に、しっかり抱きしめられた。
「お前は本当に変な猫だよなぁ」
呆れたようにジークが呟く。
「なぁ……もしお前が人間なら、どんなヤツなんだろうな?」
抱き締める腕に、少しだけ力が篭る。
「でも、猫でもいいや。俺とずっと……」
その時だった、玄関の鍵をガチャガチャ回す音が聞こえ、ジークの顔が強張る。
薄汚れた布団の中へ押し込まれるのと、扉が開いたのはほぼ同時だった。
「ジーク! 学校はちゃんと行ってたでしょうね! アンタがサボると、うるさく言われるのはアタシなんだよ!」
やけにガラガラした女の声が響き、マルセラは布団の中で身体を震わせた。
「毎日行った」
ジークはそう答えたが、嘘だとマルセラは知っている。
学校なんか一度も行かなかったし、周囲の大人たちも、学校に行っている時間にジークがうろうろしていても、誰も何も言わなかった。
「ならいいけど……っしゅん!」
大きなクシャミと鼻をすする音が聞こえた。
「くしゅん……っ、ジーク! 猫を部屋に入れただろ! 母さんは猫アレルギーなんだよ!!」
「……猫なんか、知らねぇよ」
ジークがまたついた嘘は、あっさり見破られた。
「嘘つくんじゃないよ! くしゅっ! ほら、アンタの布団に、猫の毛がついてるじゃないか!!」
マルセラが潜った布団のすぐ傍で、ヒステリックなわめき声が響く。
「知らねぇって言ってんだよ!」
マルセラを庇うように座り込んだままジークが怒鳴り、続いて鈍い音がした。布団の隙間から覗くと、派手な化粧をした金髪の女が見えた。
怒り狂っている女は、自分の靴を片方脱ぎ、それでジークを殴りつけたようだ。
硬いヒールで殴られたジークからは、鼻血が出ていた。
「……知らねぇよ。それよりあの男は? また捨てられたのかよ」
「クソガキ!!」
立て続けに何度も靴が振り下ろされる。
(どうして……!?)
この数日間、ずっとジークのケンカを見ていたが、彼ならあれくらい避けれるはずだ。それに、殴られたら必ず殴り返していたジークが、黙ってシーツを握っているだけだ。
(やめてよ! やめて!! なんでわからないの!?)
どうすることもできないまま、布団の中で悔しさに涙を滲ませた。
ジークが殴り返さないのは、追い出されるのが怖いからじゃない。彼なら路上で一人きりでも逞しく生きて行けるだろう。
――あなたが、お母さんだから、殴らないんだよ!!
心の中で叫んだ瞬間、布団がばっと剥ぎ取られた。
「逃げろ!!」
ジークが叫び、マルセラは後ろ足をいっぱいに使って跳躍し、女の横をすり抜ける。
「この……っ! 出てけ!!」
怒鳴り声と共に、何かが宙を切って飛んでくる気配を感じた。
半開きだった玄関を飛び出すのと、ガラスが割れる派手な音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
強い酒の匂いに眩暈がし、外階段でマルセラの足がふらつき始める。
(あ、あれ……?)
すぅっと、身体が消えていくような感覚におそわれた。
「親に嘘つくガキなんて、いらないよ!」
周囲の景色がぼやけ、部屋の奥でジークの母親が怒鳴る声が、急速に遠のいていく。
マルセラが逃げた代わりに、彼がさらに殴られていることが容易にわかった。
(待ってよ! もう殴らないで!!)
駆け戻ろうとしたけれど、辺りがぼやけて足の感覚もなくなっていく。
「お願い!!」
――叫んだ自分の声で、目が覚めた。
隣りで眠っていたジークが目を明け、不思議そうにマルセラを見る。
「どうした」
「え……? あれ? 私、猫じゃない……」
両手を見たが、どうみても普通の人間の手だ。薄暗い部屋で、時計はまだ深夜を指していた。
夢の中で数日間が過ぎていたはずなのに、ほんの二時間ほど眠っていただけのようだ。
「猫? 何言ってんだよ」
ジークが可笑しそうに言い、横たわったまま片手をのばす。マルセラのクセっ毛を一房つまみ、軽く指先で弄んだ。
「そういやガキの頃、ちょっとだけ猫と暮らしたことがあった」
「暮らす? 飼ってたんじゃなくて?」
「俺は飼ってねぇ。公園にいた野良猫が、勝手にくっついてきただけだ」
有り得ない不思議な予感に、心臓がドキドキした。
「その猫は、どうなったの?」
「逃げた。親が猫嫌いでな。酒瓶をぶつけられそうになって、それきりどこかにいっちまった。今頃どうしてるかな」
懐かしそうに目を細めるジークが、小さな男の子に見えた。
「……もしかしたら、素敵なお相手を見つけて、けっこう幸せに暮らしてるのかもしれないよ」
ポツリと呟くと、ジークは少し目を丸くし、それから愉快でたまらないように笑った。
「そうかもな。頭のいい奴だったし、洗ったら毛並みも綺麗だった」
普段よりずっと陽気そうな顔だったのに、見ていたら胸が締め付けられるような気がした。『俺と一緒にいるより、幸せかもしれない』と、言っているような気がした。
「今度は、ずっと一緒にいようね」
ジークの首に両手をまわして、しっかり抱きつく。密着した体温が心地良くて幸せだった。
猫がするように、舌先でペロリとジークの頬を舐めた。
「っ!?」
暗い部屋でも、みるみるうちにジークが赤面していくのが判った。
「……あれ?」
妙に熱くて硬い感触が腹に当たり、マルセラは首をかしげる。
「くそっ! せっかく我慢してたのに!!」
苛立った声と同時に、両肩を掴まれ、シーツに押し付けられていた。
「んんんっ!?」
唇を同じもので塞がれているのに気づくまで、少し時間がかかった。熱い舌で唇をこじあけられ、口腔を貪りつくすように舐めまわされる。
自然と大きく口が開き、吸い上げられた舌を甘く噛まれる。呆然とされるがまま、上顎や歯茎にも舌が這う。
ようやく開放された時には、すっかり息があがっていた。
「わたしとは、こういう事、したくないと思ってた……」
痺れる舌で呟くと、同じように息を荒げたジークがギロリと睨んだ。
「抱きたくもねぇ女を、わざわざ嫁にするか」
「だって、いつも……」
わけがわからず尋ねると、ジークは眉間に深い皺を寄せる。
「お前は……その………初めてだろ?」
「う、うん」
「多分……いや、絶対に俺は、優しくしてやれねぇよ。ヤりはじめたら夢中になって、お前が痛がってもヤりまくる。
そんなのは嫌だろ? 俺も嫌だ。だけどな……お前を優しく抱ける他の誰かに渡すなんざ、死んでも嫌だ」
喉奥から搾り出すように、苦しげな声で告げられた。
「俺でも悩むことくらいあるんだぜ? なのに、人の苦労も知らず散々煽りやがって。もう許さねぇ」
首筋を舐められ、反射的に喉が反り返った。
「ん!」
「前言撤回だ。もうお前が泣いて嫌がっても抱く。後で好きなだけ、殴るなり罵るなりしろ」
視線を合わせて告げられ、心臓が壊れそうに動悸する。いざとなると不安がこみ上げたが、小声で返事をした。
「ジークなら、何されても嫌じゃないよ。わたし、がんばるから…………して」
勇気を振り絞って、正直な想いを口にしたのだが、ふと見上げたジークは、妙な顔をして固まっていた。
顎が外れそうに口を開け……まるで、思い切りぶん殴られて気絶寸前というような顔だ。
(え!? なに!? 何か変なこと言っちゃった!?)
いきなり大失敗かとうろたえていると、突然、息ができないほど強く抱き締められた。
「それ以上煽るな! マジでヤバイんだよ!」
「え? ただ、わたしも、したいって……」
ジタバタもがいて訴えると、さらに強く抱き締められる。
「あー、もう! いいから黙ってろ!」
またキスで口を塞がれた。散々口内を嬲られるうちに、背筋にゾワゾワと痺れるような感覚が沸いてくる。
口を聞く元気もなくなったマルセラを横抱きにし、ジークは隣りの自室へ連れて行った。
***
(――おいっ! なんつーセリフ吐きやがる!!)
マルセラを抱き抱え、ジークは心の中で盛大に怒鳴りまくる。
あんなに可愛らしく頬を染めて、ちょっと不安そうに潤んだ目で見上げながら、『がんばるから、して❤』とか、反則にもほどがあるだろうが!
――興奮しすぎて、危うく体中の古傷が全部開くかと思った。
だいたい、この三ヶ月間で我慢は臨界点にきていた。
我ながら、よく正気を保ったものだと感心するほどだ。
毎朝、無防備に寝室で擦り寄られるたびに、どれだけこの場で犯してやろうと思ったか。
だいたいマルセラは昔から、男に対する危機感が足りないのだ。
いつまでも子ども気分で、自分がどれだけ男の欲望をそそる存在に成長したか、まるで自覚していない。
子猫のような大きな瞳に、薄いピンクいろのふっくらした頬。昔から庇護欲をそそる可愛い顔立ちをしていたが、こういう無邪気で無垢な美少女は、メチャクチャにしてやりたいという男の支配欲だって、十分に刺激するのだ。
一緒に街を歩けば、ジークがちょっと目を離した隙に、男に声をかけられている。小柄な身体に不釣合いなほど豊かな胸元に、あからさまな視線を注ぐ輩も多い。
ジークが睨みつけると、大概の者は慌てて去っていくが、それでもしつこいバカは、マルセラに見せない位置で、速やかに拳をつかって駆除していた。
――俺がどれだけ、涙ぐましい努力をしてきたと思ってやがる!! ……と、マルセラが無自覚になってしまったのは、己が堅固にガードしすぎたせいなのを棚にあげ、ジークは憤慨する。
寄るな触るなと言っていたのは、もちろん嫌いだからではない。健全な男の生理現象として、大変困ったことになるからだ。
自分がいつからマルセラを『女』として見ていたのか、はっきりわからないが、気づいた時にはもう気軽に手を繋いだり抱きあげることもできず、薄着で無防備に近寄ってこられると、困惑するようになっていた。
ベッドに降ろすのさえも、焦りのあまり乱暴にしてしまいそうで、手が震える。
理性がいつ切れるかわからなかったから、幸いにも避妊薬は常備していた。苦い錠剤をペットボトルの水で流し込む。
組み敷いた身体は、十分に成長してもなお華奢で、少し手荒にすれば簡単に潰れてしまうのではないかと、不安になるほどだ。
緊張を孕んだ大きな瞳に見上げられると、まるで生まれて初めて女を抱くように緊張してくる。
とても視線を合わせられずに目を逸らし、首筋に口づけながらボタンを外していく。
薄桃色の先端をした豊かな胸が露になると、マルセラは軽く息を詰めた。とっさに手で隠そうとする。
今まで散々、ジークを煽ろうとしていたくせに、こうして脱がされると羞恥心を煽られたのだろう。それに、色っぽい下着姿は見せたけれど、裸体まではさすがに見せなかったのを思い出す。
あまりにも可愛い姿に、口元が緩む。喉を鳴らして笑うと、マルセラがビクリと肩を震わせた。
「今さら怖くなったか? 言っただろ、止めねぇって」
本当はもっと宥めて落ち着かせてやりたいのに、そんな言葉しか出てこない。
華奢な手首を掴んで引き剥がした。両手首を一まとめにして片手で掴み、頭上へ縫い付ける。
自由な右手で、片方の乳房をわし掴んだ。張りのある艶やかな肌の質感と、柔らかな弾力が気持ち良い。先端を指で弄ると、みるみるうちに尖ってきた。
「ふっ……ぅ……」
頬を紅潮させたマルセラが、泣きそうな顔で唇を噛み締めている。
ちゅ、と軽く乳首にキスすると、戒められた腕がもがき、身体を小さく跳ねさせた。そのまま硬くなった乳首に吸い付き、手ですくい上げるように胸全体を愛撫する。頭上でマルセラの息が、どんどん荒くなっていく。
「や……ど……して……違う……」
涙声で訴えられ、口と手を離した。
「何と違うんだ?」
「ん……だって、そこ……触られても、いつも、こんな感じしないのに……」
――は? いつも?
思いがけない言葉に、ジークは目を丸くしたが、一瞬後には凶暴な目つきがギリギリつりあがる。
(おいこらぁぁぁぁ!!! 誰だ、その命が要らない奴は!!!!!)
嫉妬を煽られ、つい声が恐ろしいほど低くなった。
「他の男に触らせたこと、あるのかよ」
「え? 女の子だけど……? エレオノーラがよくふざけて……」
まだ目に涙を浮かべたまま、キョトンとした声でマルセラが答える。
「……あいつか」
舌打ちが漏れる。マルセラの友人だというお嬢様は、一度だけ見かけたことがあった。
女友達とじゃれあうくらい、大した意味ではないのだろうが、それでもやっぱり、多少は面白くない気がする。
「どう違うんだよ、言ってみな」
乳首を舐め、もう片方も指で摘みながら、意地悪な質問を投げつけた。
「え、あ……っは……ドキドキして……っ!!」
乳輪ごとパクリと口に含むと、語尾が跳ね上がる。ぶるぶる震えて歯を喰いしばる姿が、
可愛くてたまらない。
「やっ、も……それ、や……ああっ……」
組み敷いた体が、逃げようとしてジタバタもがくが、子猫同然の非力な抗いだ。しつこいほど両胸を嬲り続けると、喉を大きく逸らせてマルセラが喘いだ。
「ひ……あ、あ、あ……きもちいいの! ジークにされると、きもちいいから、ちがうの!」
甘ったるい悲鳴の告白は、これ以上ないほどジークを満足させた。赤く充血した乳首から口を離し、涙でキラキラ濡れ光っている顔を覗き込む。
ニヤけてしまうのを抑えられない。
「そうか、気持ち良いのかよ」
さっきやられたように、火照った頬をペロリとなめあげると、マルセラが目を伏せたまま、コクンと小さく頷いた。
ゾワリと肌があわ立った。
もっと感じさせて、鳴かせて、この身体にいけない事をたっぷり教え込んでやりたいと、欲望が頭をもたげる。
俺だけしか知らないマルセラ。俺だけのものだ。
パジャマの上下を脱がせ、マルセラを抱き起こした。
膝の上に座らせて、唇を重ねながら、背中やわき腹を撫でていく。
「ん~、う~」
マルセラが発するぐもった声が、唇の隙間から漏れる。腕の中でくねくねと小さな身体がみじろぎするのが、ひどく心地良かった。
再びシーツの上に組み敷いた時には、マルセラは顔を真っ赤にして、ぐったりと横たわっていた。
下着を脱がし、顔を下腹に下げていくと、細いスリットから透明な蜜が滲み出していた。
濡れているのに安堵し、ちろりとそこにも舌を這わせる。
「っ!!」
マルセラが大きく息を飲み、腰を引こうとした。
「ちゃんと準備しねぇと、痛いぞ」
「で、でも……恥ずかしいし……あ、あ!」
しっかりと足を押さえ込み、かまわず雫を滲ませている場所に口をつけた。あまり強くしすぎないように注意しながら、ゆっくり舐める。自分を押さえつけるのが一苦労だ。
太ももがビクビク痙攣し、溢れる蜜が量を増す。肉の小さな蕾をそっと指で撫でると、喘ぐ声が一際大きくなった。
「や、だ……そこ……っは、あ、んあ……」
処女でもやはりここは感じやすいのかと、妙に感心しながら嬲っていると、シーツを握り締めたマルセラが、大きく全身を突っ張らせて悲鳴をあげた。
弓なりに反った身体をシーツに落とし、ヒクヒク痙攣しながら、ぼんやりと宙を見上げている。
力が抜けている隙に、ぬるつく内部に指を潜りこませた。
「っ!?」
我に返ったマルセラが、反射的に足を閉じようとしたが、片足を抱え上げて大きく開かせる。そのまま閉じられないように足の間に身体を挟みこませた。
(……おい、これ……本当に入るのか?)
あまりの狭さに、冷や汗が背中を伝った。
指一本しか入れていないのに、ぎちぎち締めつけてくる。性器などねじ込んだら壊れてしまいそうだ。
「う、く……っ」
マルセラは目を瞑り、違和感に耐えるように、きつく眉根を寄せている。
まだあどけなささえ残るこの少女の身体を引き裂く行為など、まさしく極悪非道な鬼畜の諸行に思えた。
これが他の男なら、殴るどころか、即座にチェーンソーで血祭りに上げているところだ。
「マルセラ、できるだけ力を抜け」
汗で張り付いた前髪を払ってやり、耳たぶを甘噛みしながら囁くと、健気にコクコクと頷かれた。
慎重に内部をかきまわしていると、トロリと奥から熱い蜜が溢れ、指の動きを助けた。
指を増やし、ゆっくりと攪拌を繰り返す。
ジークの額からも汗が滴り、三本目まで増やした所で、我慢の限界がきた。
指を引き抜き、かわりに張り詰めたものを押し当てると、マルセラが目を見開く。
「あ……」
脅えたような顔を見せ、フルフルと小さく首を振る。だが、止めてやれそうにはなかった。女を痛めつける趣味は無いし、マルセラだけは絶対に泣かせたくないのに、欲しくて気が狂いそうだ。
「悪ぃな。もう入れるぞ」
囁き、腰を抱える。マルセラは唇をきゅっと引き結び、小さく頷いた。『がんばる』と言ったのを思い出したのだろうか。
心臓の奥から、形容しがたい感情がこみ上げる。
ずっと前から、マルセラと一緒にいると、この名も知らぬ感情に襲われる時があった。
初めてこれを感じたのは……そうだった。
コイツが右腕を喰いちぎられた俺を見て、自分の英雄よりも俺に生きて欲しいと言ってくれた時だ。
唇を合わせながら、自身をこじ入れると、くぐもった悲鳴があがった。
「ん、んぅぅ……!!」
ひどく狭い内部で、ブツンと千切れるような感覚が伝わった。
熱く蕩けて十分に濡れているのに、痛いほど締め付けてくる。信じられないほどの快感に、目が眩んだ。
全部入れたところで耐え切れずに一度止め、マルセラの様子を伺った。白い額に汗が滴り、耳や首筋まで紅潮している。肩を大きく上下させ、荒い息を吐いていた。
「はぁっ……は……ぁっ」
腰を抱えなおし、さらに密着させると、涙をポロポロ流してシーツを握り締めた。
「……ほら、つかまれ」
両手をそっと取り、自分の背中に回させる。
「あ……」
「がんばったな。お前の中、最高にきもちいい」
額に口づけると、マルセラがふわりと微笑んだ。小さな花がほころぶような笑みに、思わず見惚れる。
抱きつく小さな身体が、すりすりと身を擦りつけた。
「ずっと一緒にいてね……」
そっと囁かれ、またじんわりと心臓から、あの感情が滲む。
「ああ。俺も……一緒にいたい」
普段なら、照れくさくてとても言えないような言葉が、するりとこぼれ落ちた。
繋がったまま抱き締めて、キスをする。
(ごめんな。お前の幸せを願ってやりたいのに……)
マルセラはジークが自分に優しくするというが、それは間違いだ。
彼女が嬉しそうだと、なんだか自分も嬉しくなるから、色々と手を貸すだけで、つまりあれは全部、自分のためだ。
あんな事件が起きず、両親が生きていた方が、きっと彼女は幸せだったろうけれど、そうしたらジークとは出会わなかった。
だから、そうであれば良かったのにと、ジークは思ってやれない。
とても可哀そうで、気の毒にと思うけれど、このがさつで凶暴な人型狼に捕われてくれたのが、嬉しくてたまらない。
――お願いだから……これから一生その笑顔を守り続けるから……最後には、俺と出会ったのも、そう悪くなかったと思って欲しい。
腕の中で、マルセラがひっきりなしに甘く鳴き続ける。
絡み付いてくる内部が気持ちよくて、緩やかな抽送が、徐々に激しくなっていく。
あまりの快感に、何も考えられなかった。
初めての相手を気遣う事も忘れ、夢中で貪った。マルセラが、うわごとのように何度もジークを呼んで、それに応えて手指を絡め、唇を重ねる。
聞えるのは言葉にならない喘ぎ声ばかりだったのに、あいしてる、と言われた気がした。
内部が大きく痙攣し、最奥まで突き入れたものが搾り取られる。
残らず注ぎこみ、くたりと脱力している世界で一番大切な相手を、壊さないようにそっと抱き締めた。
***
――真っ白い空間で、赤い狼の頭をした青年が、小さなマルセラを見下ろしていた。
『俺は一人でも平気なはずだったんだ』
なんだか悔しそうに、赤い狼がうな垂れる。
『お前のもってる物なんか、欲しくねぇんだよ』
拗ねた子どものように、赤い狼はそっぽをむいた。チラリと横目でこちらを見て、何度も躊躇ってから、ようやく鋭い牙の生えた口を開く。
『でも……な、どうしても欲しいのは、モノじゃなくて、お前だって言ったら……お前は自分をくれるのかよ』
『わたしを……?』
キョトンとしたマルセラに、赤い狼が噛み付きそうな声で唸る。
『婆さんのところに遊びにいったって良いさ。俺がどんな化物からも守ってやる。けど、最後は絶対に俺の所に帰ってくると約束しろ』
長身の狼は膝を折り、マルセラを抱き締めた。
『お前をくれよ。お前以外は、何にもいらない』
泣きそうな声で言う赤い狼に、マルセラも思い切りだきついた。
誰よりも強くて、ちょっとだけ意地悪な、この最高の英雄が、マルセラだって大好きなのだ。
『あげる! なんでもあげるって、やくそくだもん』
『……本当か?』
『うん!』
琥珀色の両眼をまっすぐ見て、約束する。
もうどこにも離れないように、大きな手を、ぎゅっと両手で握りしめた。
『だから、ずっと、いっしょにいようね!』
パパとママといっしょに ショッピングモールで おみやげのケーキをえらんだの。
それから おとなのワインと わたしのブドウジュースも。
お花やさんで、すてきな花たばも
『あらあら、よりみちしずぎちゃったわ。そろそろいきましょう』
ママがいったとき きゅうに でんきがきえて まっくらになった。
とおくでだれかが さけんで くさいにおいがして へんなおとが、たくさんきこえた。
パパがまほうのひかりをだして まわりが みえた。
ちだらけの くさった おばけで いっぱい
……たすけて
***
マルセラは幼い日、英雄に出会った。
惨劇から救ってくれた彼は、世間一般の『英雄』とは、およそかけ離れた人物だ。
精悍な顔立ちは、よく見ればかなり整っているのに、異様に目つきが悪いせいで、例外なく極悪人面のレッテルを貼られる。おまけに外見だけでなく、中身も本当に凶暴だ。
彼の少年時代を知る人によれば、信じられないほどマシになったらしいが、それでも退魔士の制服を着ていないと、まずカタギには見てもらえない。
一度など、私服の彼に動物園へ連れて行って貰ったら、いきなり警備員に囲まれて保護されかかった。その頃ちょうど事件になっていた、連続幼女誘拐犯と思われたらしい。
あんまりだと思うが、感じの悪かった警備員を猿山に投げ入れたりしたから、あの時は大騒動になった……と、つい遠い目になってしまう。
しかし彼は、乱暴でがさつで気が荒いけれど、マルセラに手をあげた事は一度もないし、いつだって優しくしてくれる。
ひどく不器用でぎこちないやり方だけれど、一生懸命に優しくしようと努めているのを知っている。
だからマルセラにとって、彼――ジークは、まぎれもない英雄なのだ。
いつしかジークへ憧れ以上の感情を抱いていることに気づき、やがてその想いの名を知った。
大好きな英雄に恋した女の子は成長し、十七歳の少女になった。
***
窓からは朝日が差し込み、今日は絶好の秋晴れと告げている。
扉の前に立ち、マルセラは深呼吸をした。あどけなさの残る童顔を、大きな目が余計に幼くみせていた。身体つきも華奢で小柄だ。絹糸のような栗色の髪が、小さな渦をくるくる巻き、細い肩に落ちている。
白いブラウスに、膝上丈のジャンパースカート、スカートと共布でできた、赤いタータンチェックのリボンタイ。
魔法学校の女子制服はなかなか可愛く、黒いローブマントだけが時代錯誤めいている。
ドキドキしている胸を服の上から押さえた。
(今日こそ……)
気合満点で、勢いよく扉をあける。
「朝ごはんできたよーっ! あ・な・た♪」
途端に悲鳴と共に、鈍い音がした。
「……~っ」
床に転げおちたジークが、後頭部をさする。
一緒に落ちた布団をひきはがすと、ズボンだけを身につけた引き締まった身体が見える。
退魔士という危険な職業にありながら、長身の身体には比較的傷が少なかった。目立つのは右上腕部の縫い傷と、胸にある獣につけられたような傷跡、それから、うなじの下にある十字架型の古い火傷くらいだ。
「大丈夫?」
ジークの傍らにしゃがみこんで尋ねた。
「大丈夫じゃねぇよ! 毎日毎日、朝っぱらから、俺の心臓を止めようとするな!」
寝起きの襲撃を喰らい、ただでさえ悪い目つきが、さらに凶暴になっている。マルセラ以外の女の子だったら、まず泣いて逃げ出すだろう。
その長身と迫力のせいか、少年時代からやたら年上に見られていたらしいが、単に早熟だったのだろうか。マルセラが出会った時から、彼はあまり変わらない。今ではむしろ、三十という実年齢より若く見えるくらいだ。
「だって、『おにいちゃん』も禁止でしょう?」
「ぐ……」
ジークが顔を真っ赤にし、言葉に詰まる。しかし、すぐに猛烈な勢いで反論した。
「普通に名前を呼べ! それに、自分で起きれるって言ってるだろ」
涙目で怒鳴るジークに、マルセラは頬膨らませた。
「エメリナおねえちゃんが言ってたよ。朝から好きなだけイチャつけるのは、新婚さんの特権なんだって」
「……あいつ等は何年たっても新婚継続中じゃねーか。とにかく他所は他所、うちはうち! だいたい寝室も別で、まだ手を出しちゃいねぇ!」
「……出して欲しい」
こうすると相手がキスしやすいと、本に書いてあったとおりに、目を瞑って少し顔を上にむけてみせた。
ジークが無言で立ち上がる気配がし、そのままふわっと身体がもちあがる。
「ひゃっ!?」
小脇に担がれ、廊下にぽいっと追い出された。
「エロガキ」
バタンと扉が閉められ、マルセラは肩をすくめた。『奇襲してチューくらいはしてもらう作戦』は、今朝も失敗だ。
「遅刻しちゃうから、先に食べてるね」
「ああ」
閉まった扉の向こうから、まだ少し不機嫌そうな声が帰ってくる。
溜め息を押し殺し、リビングへときびすを返した時だった。
「――マルセラ」
気まずそうな咳払いが届いた。
「そんな呼び方しなくても、お前が嫁だってくらい、ちゃんと覚えてる」
「……うん」
頬を緩ませ、マルセラは小躍りしながら朝食に向った。
***
そもそもの発端は、マルセラの祖母が夏風をこじらせ、肺炎を患った事からだ。
祖母は元々、田舎でのんびり育った人だった。慣れない都会で、娘夫婦の残した孫を育てるのは、かなり大変だったはずだ。
医者は今までの疲れが出たのだと良い、王都から空気の良い田舎へと転地を進められた。
祖母の実家は田舎で大きな農場を営んでおり、現在は叔母夫婦が継いでいるが、快く戻るよう勧めてくれた。
マルセラも一緒にくれば良いと、叔母は言ってくれたが、学校の問題があった。
魔法学校に入れる者は非常に厳選され、学校自体の数も非常に少ない。大国のイスパニラにさえも、王都にたった一つあるだけだ。
マルセラの父は魔法学校の教員であり、魔力は娘にも受け継がれていた。
田舎に住んでいた祖母が、残された孫と王都で暮らすことにしたのは、両親の遺志を汲んで魔法学校に通わせるためだ。
マルセラ自身も、できれば魔法大学に進み、父と同じ魔法教員になりたいと思っていた。
両親を亡くした惨劇の時、非常灯まで全て切られ暗闇と化したモールで、父があちこちに付けた魔法の灯りが、何人かの命を救ったと知ったからだ。
幸いにも成績は優秀だったから、奨学金が受けられそうだし、魔獣災害遺児の生活補助も出るから、卒業まで経済的にもなんとかなるはずだ。
しかし祖母は、マルセラを王都に一人で残すのを心配し、転地をしないと言い始めた。
療養が必要なのは明かなのに、妙な部分で頑固な祖母は、大丈夫だと言い張る。
ちょうど見舞いに来ていたジークは、黙って話を聞いていたが、急に顔をしかめ、一人でブツブツ呟きだした。
『……くそっ…………まだ早すぎ……せめて十八……いやしかし…………』
『ジークおにいちゃん?』
声をかけると、凄まじい勢いでジークは振り向き、噛み付きそうな声で怒鳴った。
『マルセラ、俺の嫁になって一緒に暮らせ! そうすりゃ悩む必要もねぇだろ!』
『……え?』
目を丸くして驚愕したマルセラと祖母を、ジークは更に険しく睨む。
もう慣れている二人は、彼が緊張しているだけだと解るが、凶暴そのものの目つきは、普通なら問答無用で防犯ブザーを押されるレベルだ。
『魔法学校ってヤツはたしか、男女交際禁止とか色々煩さいくせに、結婚相手の男となら一緒に暮らしても良いとか、変なこと言うんだろ? だからひとまず法的に、俺の嫁になれ。そうすればお前を独り暮らしさせずに済む』
唖然としたマルセラは、自分の耳が信じられなかった。
魔法学校には、男女交際禁止と古めかしい規則がある。
もっとも、昔はともかく今では、あまりに羽目を外さない限りは大目に見て貰えるのが現状だ。だが同棲ともなれば、流石に退学ものだろう。
そして確かに、厳しい規則に矛盾するような、妙な抜け道がある。
正式に結婚していれば、話は別なのだ。
魔法使いの名家では、この時代においても幼児期から婚約している者が多い。法で許される十六歳になると同時に結婚し、そのまま学生を続けることもあるからだ。
そういった魔法学校の事情を、ジークが知っているのも意外だったし、こんな提案をされるなど、思ってもいなかった。
『本気……?』
『こんな笑えねぇ冗談、言えるか! 学校はそのまま続けりゃいいし、魔法大学にも行け。お前はせっかく頭が良いんだ。学費くらい、俺だって稼いでる』
顔を真っ赤にし、ジークは唸るよう言う。
――ジークと恋人なのかと聞かれたら、マルセラは首を傾げてしまう。
休日はよく一緒に過ごすし、勝手に入っていいと部屋の合鍵まで貰った。
いつでも危険から守ってくれる。困ったことがあると助けてくれる。
けれどジークはマルセラに、一度も愛を語ったりしない。「好きだ」と言われたことすらない。
小さな頃は、おんぶや肩車をして貰ったけれど、いつしか手を繋ぐこともしなくなった。数センチの間をあけて、隣りを歩くだけ。
恋人には遠く、かといって他人にしては近すぎる微妙な関係だ。
『……俺の嫁になるのは、嫌か?』
驚きのあまり口も聞けないでいると、彼らしくも無い声音で尋ねられた。
どこか不安を滲ませたような、こんな声を聞くのは初めてだ。
『い、嫌じゃない!! 嫌なはず無いよ!!』
マルセラは激しく首を振る。
将来の夢は、魔法使い教員だ。けれど、小さな頃から願い続けてきた、もう一つの夢がある。
『ジークお兄ちゃんのお嫁さん』という願いは、未だに継続中だ。
『どうかなさいましたか!? さっきから大声が聞えると……』
慌てふためいた看護士が扉を開くのと、ジークが病室のベッドに上体を起こした祖母へ向き直るのは、ほぼ同時だった。
『お願いです……マルセラを嫁にください』
ジークが誰かに懇願する所も、マルセラは初めて見た。背を向けていたので、どんな顔をしていたのかは判らなかったけれど……。
祖母はやつれた顔に、静かな微笑みを浮べた。
『マルセラが選んだ貴方でしたら、私も依存はありませんわ。これからも、あの子を守ってやってください』
もしかしたら、祖母はもうとっくに、こうなる事を予感していたのかもしれない。
以前からジークをよく食事に招いたし、二人で出かけるのにも反対しなかった。
エメリナを通じて知り合ったウリセスが、綺麗なウェディングドレスのカタログを届けてくれ、細かな手続きや手配を全てそつなくこなしてくれた。
男性用の白いタキシードまで持ってきたのだが、『こっちは頼んでねぇ!』と、ジークは断固として拒み、内輪なのだから退魔士の制服を着ると言い張った。
しかしウリセスのニヤニヤ顔から察して、どうやらタキシードは、ジークをからかうために用意されたらしい。
こうして思いがけず、祖母に早々と花嫁姿を見せることが出来たのだ。
小さな教会で祖母の見守る中、ひっそりと結婚式をあげた。
妙に体格の良い神父は、少年時代はジークとよく殴り合いをした仲だそうで、真面目な顔で聖書を読み上げる時以外は、終始ニヤついていた。
ジークは我慢の限界といったしかめっ面だったが、誓いの言葉を無事に終えたあと、額に触れるか触れないかのキスを一瞬だけされた。
――それから三ヶ月。
慌しく二組の引っ越しを終え、祖母も田舎で静養を始めた。
大好きな祖母と離れるのは寂しかったが、長期休暇には遊びに行くと約束したし、祖母も体調が回復したら訪問すると約束してくれた。
マルセラは家事が得意なほうだったし、ジークも外見からは意外だが、結構マメにやってくれる。なんでも昔、退魔士養成所の寮で生活態度を叩き直されたらしい。
新婚生活は順調といっていいだろう……いまだに普通のキス一つされない他は。
***
「――それは夫というより、親戚のお兄さんポジションね。もしくはお父さん」
魔法学校の実験室で、薬の器材を片付けながら、友人のエレオノーラが断定する。
「うう……そうだよ。前とまったく変わらない……っていうか、むしろガードが硬くなった気すらする」
マルセラは教材本を抱えたまま、がっくりと戸棚に額をついた。
寝室は問答無用で別にされ、一緒に寝るどころではない。
さり気なくくっついても、すぐに身体を離される。
最初は我慢していたが、あまりの素っ気無さに、段々と不安になってきた。このままではいつまでたっても、単なる同居の子ども扱いだ。
もしかしたら、情事そのものが嫌いなのかとも思い、何でも知っているウリセスに、こっそりと相談したら、困ったように苦笑された。
『特定の恋人はいなかったようですが、そういう潔癖なタイプでもないでしょうね。小さな頃から知っている貴女だからこそ、大切で手を出せないんじゃないですか?』
そういう表現をされれば嬉しいが、つまりマルセラが今のままでは、その気になれないということだろうか。
とりあえず資料にと、ウリセスは恋愛系の本や雑誌を紙袋いっぱいくれたので、ありがたく持ち帰った。
資料には少女向けなのに、かなりきわどい物もあり、考えもしなかった男女の行為を、赤面しながら読んで研究した。
――なるほど、どうやら足りなかったのは、色気らしい。
しかし、恥ずかしいのを我慢して様々な努力もしたのに、どれも惨敗続きだ。
風呂に入っている時、背中を流すと言ったら、脱兎の勢いで逃げられた。
透け素材のベビードールを着て見せたら、毛布でぐるぐる巻きにされて部屋に叩き込まれた。
帰宅を待ち構え、下着にフリル付きエプロンの姿で出迎えたら、そのままドアをバタンと閉められ、服を着るまで帰らないと、電話で散々叱られた。
「はぁ~、なんで駄目なのかなぁ?」
「さぁ……しかし、これに見向きもしないとは、マルセラの旦那様は、なんと勿体無い」
突然、エレオノーラに背後から、ぐわしっと胸を鷲づかみされる。
「ふわっ!?」
「んふふふ~、マルセラったら、あいかわらず良い身体しておりますわね~」
エレオノーラのファンが見たら泣くだろう。
爵位まで持っている良家のお嬢様であり、外見も清楚な淑女な彼女だが、中身はエロオヤジだ。
むにむにと胸を揉まれ、くすぐったさにマルセラは笑い転げる。
「あははっ! やめてよっ! く、くすぐったい~!」
クラスどころか学校で一番背が低いマルセラだが、胸だけはなぜか平均以上に発達していた。おかげで合う下着を探すのが大変だ。
「何を食べたらこんな体型になれるか、白状なさい!」
「わかんないよ~! あ、あはははっ!」
とにかく好き嫌いは無い。昔は苦手だってピーマンも平気で食べられる。
笑いすぎて涙が出てきたが、それには別の感情も混ざっていた。
ツキンと胸の奥が痛んだのをエレオノーラにばれないように、こっそり歯を喰いしばった。
***
(――ジークから見れば、いつまでたっても私は子どもなんだろうなぁ……)
学校帰りに夕飯の買い物をしながら、マルセラは溜め息を押し殺した。
腕を組んで買い物している若い男女は、新婚夫婦なのだろうか。歳の差はせいぜい二つ三つといったところだろう。
大人になってしまえば、十三歳の差など珍しくないように思えた。
二十も三十も歳が離れた夫婦だって、ざらにいる。
けれどジークは、マルセラに性的な欲求を持って指一本触れようとはしない。
夕方のスーパーは、同じように夕飯の買い物に来ている主婦や家族連れが多いが、店内は比較的空いていた。
近くに大型のショッピングモールがあるせいだ。
しかしマルセラは、未だにどこのモールだろうと入れない。入ろうとすると、恐怖で足がすくんでしまうのだ。
『モールで買い物できなくたって、死にゃしねぇよ』――と、ジークがぶっきらぼうに言う通り、王都にはそれこそ無数の店があるから、生活には困らない。
どうしてもモールにしかない品が欲しい時は、ジークが買ってきてくれる。
惨劇の起きた建物はすでに取り壊され、今ではまったく別の建物になっているが、一緒に出かける時も、彼は絶対にその近くへ行こうとはしない。
ひどく気を使ってくれているのを、ちゃんと知っている。
皆に優しい人じゃないけれど、少なくともマルセラと祖母には優しい。
ベタベタじゃれつくのは拒否しても、普通になら近づいてくれる。マルセラの作るご飯を、美味いと喜んでくれる。
けれど……マルセラを恋愛対象に見れないのなら、どうして結婚までしたのか、ジークの本音がわからなくて不安なのだ。
(もしかしたら、あれも……私とお祖母ちゃんが困ってたのを、助けようとしてくれたのかな……?)
今までの経験からして、可能性ではゼロでないと青ざめる。
(どうして……?)
ジークだって、自分の幸せを優先すればいいのに。
どうしていつも、彼はマルセラの幸せを優先するのだろう……?
モヤモヤとした気分のまま、一人で夕食を作って一人で食べた。
ジークは今日、深夜までの勤務で、食事も署の食堂で済ませる。
新居も集合住宅の一室だが、以前に祖母と暮らしていた部屋よりも広く、部屋数も多い。
テレビの賑やかな番組を流しても、自分一人の家はやけに静かで落ち着かなかった。
明日は週末で、ジークも休みだといっていた。彼が週末に休めるなど珍しく、久々に一緒に過ごす休日を楽しみにしていたのに、ちっとも心が躍らない。
風呂を済ませ、自分の部屋で机に向うが、魔方陣の図も呪文の応用問題も、一向に頭に入らず、時計はまだ九時をさしていたが、ベッドに倒れこんだ。
枕もとのスイッチで、部屋の明りを小さくする。
小さくても電気の明りがついてないと眠れないのも、あの事件からだ。魔法灯火の偉大さを知っているが、電気が消えた部屋では息が出来ない。
重い瞼が自然に閉じ、数秒後にはもう眠りに落ちていた。
***
――生臭い匂いが鼻をつき、無数のうめき声や叫び声が聞える。
家族連れで賑わうモールのあちこちで、ゾンビが客たちに喰らいついていた。
何百回も繰り返し見た、あの日の悪夢が、久しぶりにマルセラを襲来した。
腐りかけた化物たちの身体は、何かの薬品か魔法をほどこされたらしく、異様に筋肉が膨張し、皮膚が裂けて赤い中身を見せている。
両親に連れられ、必死に逃げて逃げて逃げまわった。
怖くてずっと涙が出ていた。
(わるいこと、なんにもしてないのに! なんで!?)
悪い子には悪いこと。良い子には良いことが訪れると思っていた。それまでずっと、周りの大人はそう言ってくれた。
けれどモールに溢れている怪物たちには、善人も悪人も関係ない。子どもだろうと女の子だろうと、容赦しない者がいるのだと、生まれてはじめて思い知った。
ついに両親も食い殺され、口端から内臓をぶらさげた腐乱死体が、マルセラに注意を向けた。足に力が入らなくて、もう立てない。
しかし次の瞬間、化物の頭がザクロのように弾け割れた。
ゾンビが倒れると、頭から足の先まで、返り血で真っ赤にした青年が見えた。
退魔士の制服を着た青年は、手に持った斧を振るい、床でまだ動いていたゾンビの手足を叩き斬った。楽しくてしかたないと言うように、凄惨な笑みを浮べながら。
青年の後ろから、奇声をあげて別のゾンビが襲い掛かってきた。筋肉の異様に膨れ上がった化物の巨体は、青年の三倍はある。おまけに胴体から余分な手を二組ほど生やしていた。
しかし青年は軽々と化物の懐に飛び込み、その巨体を蹴り飛ばした。赤肉がむき出しの身体に大きな穴が空き、続いてあっさりと斧が首を分断する。
震えるマルセラの目に、青年も人外の者だと写った。
人間を喰らう腐乱死体よりも、もっと凶悪で、凶暴で、危険な怪物だ。
血染めになった髪は、もとが何色なのかもわからない。ただ、ツンと二箇所跳ねていた部分が、まるで獣の耳のように見えた。
真っ赤に汚れた顔で、切れ上がった琥珀色の両眼が、金色を帯びてギラギラ輝いている。
どこかでこんな目を見たような気がして、すぐ思い出した。
お祖母ちゃんの農場へ泊まりに行った夜だ。暗い窓の外に、金色の眼が光っているのが見えた。
『狼だ』と、叔父さんが銃を構えて飛び出していったが、農場の子羊を攫った狼は、すぐに逃げてしまった。
――これは狼だ。人間の身体に黒い退魔士の服を着ている、赤い狼の怪物だ。
怖くて両親の遺体に縋りついたけど、もう彼らはマルセラを守ることはできない。
赤い狼の青年は、震えているマルセラを見下ろし、軽蔑したように舌打ちした。
『そいつらはもう駄目だ。いくら泣いても、お前を助けちゃくれねーよ。それともだまって泣いてりゃ、英雄が助けにくるとでも思ってんのか?』
そのまま彼は立ち去ろうとした。マルセラなんか、見なかったというように。
この狼もやっぱり、ひどい意地悪な怪物だと思った。
いい人も悪い人も関係ない。子どもだろうと女の子だろうと、優しくしない。それでも……
気づいたら、立ち去ろうとした黒い上着の裾を、死に物狂いで掴んでいた。
(オオカミさんは、いじわるだけど、すごくつよいんだよね? きっとだれよりも、つよいんだよね!?
だから……おねがい! わたしのもってるもの、なんでもあげるから……おねがい、たすけて!
わたしの、えいゆうになって!!)
叫んだその声が、本当に伝わったのかはわからない。口が震えるだけで、一声も出なかった気もした。
狼青年は振り向き、凶暴な目がマルセラを鬱陶しそうに睨んだ。
苛立ったような舌打ちが聞え、殺されると思った。目を瞑った時、そっと手を握られて驚いた。
『いやはや、腰が抜けちまってんのか。これだから弱いガキは……』
おそるおそる目を開けると、狼青年はしゃがみこみ、不機嫌そうにマルセラを睨んでいた。
『仕方ねぇな。しっかり掴まってろ』
狼青年はマルセラを背負い、ちょうど襲い掛かってきた次の怪物を、片手でなんなく倒してしまった。
あの瞬間、狼の怪物は、マルセラの英雄になった。
ぼんやり霞かけた意識の中、必死で掴まっていると、黒い襟の中が見えた。うなじの下に、赤褐色の十字架が刻まれていた。周囲の皮膚がひきつれているそれは、古い火傷痕のようだった。
――夢は何もかも、あの時の事を忠実に再現しているのに、ジークの顔だけはいつも、赤い狼そのものになっている。
黒い退魔士の制服を着た人間の身体に、赤い狼の頭がくっついた姿だ。
そして夢は、いつでも十字架傷を見た場面で終わる。
しかし今夜は違った。
暗いモールの風景が消え、周囲の怪物たちも消える。
真っ白な空間の中で、赤い狼青年とマルセラだけが取り残された。
『ジークお兄ちゃん……?』
妙に心細くなり、広い背中にしがみつこうとしたが、すとんと降ろされた。小さな子どもになっているマルセラの頭を、赤い狼がポンポンと叩く。
『助けたぞ。お前の英雄になってやった』
『うん。ありがとう……やくそくしたから、わたしのもってるもの、なんでもあげる。
お母さんに習ったから、おいしい菓子だって作れるよ』
くくっと、狼青年が笑った。
『いらねぇよ』
『でも……』
黒い上着を握り締めると、そっと振り解かれた。
『俺は強いんだ。一人で生きて行ける。弱いお前から貰うものなんか、何もねぇよ』
「――マルセラ!!」
肩を揺さぶられ、マルセラは目を開けた。
目の前にジークの強張った顔がある。黒いタンクトップにジーンズの姿で、シャワーを浴びたばかりなのか、短い金髪からはまだ水滴が滴っていた。
「あ……」
ひどく息が切れ、心臓がドクドクと激しく脈打っている。頬に触ると、涙でベットリ濡れていた。
「いきなり叫び声が聞えたから、どうしたかと思ったら……」
ほっとした様子でジークは手を離し、首にかけたタオルで乱暴に髪を拭いた。
「悪い夢でも見たか?」
「うん……」
目端をこすり、マルセラは頷く。
優しい拒絶を聞き、夢の中で泣き叫んだ。
あれは、内心でずっと恐れていた言葉そのものだ。
ジークは誰よりも強く、マルセラの英雄でいてくれる。そして弱いマルセラから受け取るものなど、何も必要としない。
「……もう平気。驚かせて、ごめんね」
無理やり笑うと、ジークが深い溜め息をつく。
そして横を向き、唐突に自分の額を殴りつけた。
「えぇっ!? な、なに!?」
「なんでもねぇ! ……くそっ……落ち着け、俺…………っ!」
何度か自分の頭を殴りつけたあげく、ジークはようやく拳を止めて首をふった。ゼーハーと深呼吸し、眉間に深い皺を寄せたしかめっ面で口を開く。
「ちょっと詰めろ。一緒に寝るぞ」
「……え?」
「一緒に寝るだけだ! 妙なことはしねぇから、安心しろ。それとも嫌か?」
「う、ううん!」
慌ててベッドの片側に身を寄せると、ジークが隣りに身体を滑り込ませた。
いくらマルセラが小柄でも、長身のジークと一緒では、一人用のベッドは少し狭い。身体が密着し、鼓動が勝手に跳ね上がる。
(そういえば……)
小さな頃、温泉旅行に連れて行ってもらい、こんな風に一緒に寝た事を思い出した。
思わず口元が緩み、小さな笑いが漏れる。
「なんだ、いきなり元気になったじゃねぇか」
ジークが苦笑する。
「うん。昔、旅行に連れてってもらった時の事、思い出した」
「ああ、そんなこともあったな。あの時は大変だった」
「オークが来たし」
「お前は怖かったくせに、一人で大丈夫だって、部屋で震えてたし……今でも変わんねーな」
ジークが目を細めて笑うと、少し目立つ犬歯が口端から覗いた。
力強い腕に、そっと抱き締められた。
「傍にいるから、安心して寝ろ」
「……うん」
久しぶりにジークの体温をしっかり感じ、小さな子どもに戻った気がした。高鳴っていた鼓動が収まるにつれ、トロンと瞼が落ちてくる。
もっと起きていたいのに、眠くてたまらない。
「寝ちまえよ」
穏やかな声と共に、閉じた瞼へ柔らかい感触がそっと落ちた。
***
――青い草の香りが鼻をくすぐり、目を覚ましたマルセラは仰天した。
部屋で寝ていたはずなのに、いつのまにか、さんさんと太陽が照りつける草地に転がっていた。
そして周囲に見える何もかもが、やたらに大きい。ジャングルのような茂みの傍に、巨大な蝶が飛んでいるし、並んでそびえたつ木々も、見上げるような巨木だ。
(え? ……あれっ!?)
自分の手を見て、更に深刻な異変に気づいた。五本指のある人間の手ではなく、栗色の毛皮に覆われた猫の手が付いている。
近くの水溜りに、おそるおそる顔を映してみると、そこには薄汚れて痩せこけた一匹の子猫が写っていた。
周りの物が大きいのではなく、マルセラが小さくなっていたのだ。
(なにこれ!? 夢!?)
驚愕の声もニャアニャアとしか出ない。
途方に暮れて、もう一度周囲を見渡すと、遠くに荘厳な時計台が見え、ここがどこか解った。駅前にある記念公園だ。
夢にしては、照り付ける太陽も遠くから聞えるざわめきもリアルで、一向に醒める気配がない。おまけにお腹が空いてきた。
仕方なく茂みを抜けると、やっぱりモザイクタイルの美しい遊歩道に出た。
何度もこの道を歩いて公園に遊びに行ったが、猫の低い視線から見るのは新鮮だった。
(わっ!)
タイルにみとれていたら、誰かの靴とぶつかりそうになった。
「あっぶねー!」
子どもの焦り声があがり、汚れてボロボロの靴は、危ういところでマルセラを避ける。
見上げると、やたらと目つきの悪い男の子が、こちらを睨み降ろしていた。
年頃は六~七歳だろうか。短い金髪は自分で切ったのか、変に不ぞろいだったし、髑髏のプリントがされた黒いタンクトップも薄汚れている。
刺々しい気配を全身にまとった男の子からは、育ちの悪さがこれでもかというほど滲み出ていた。
遊歩道には何組かの親子連れや若者がいたが、浮浪時のような男の子を横目でちらっと見ては、すぐ目を背ける。
(嘘……この子、もしかして……)
ジークそっくりな男の子を前に、マルセラが呆然と座り込んでいると、男の子は舌打ちして去ろうとした。
その首筋に、まだ生々しい十字架型の火傷を見つけ、確信する。
(待って! わたしだよ! マルセラだよ!)
どうして自分が子猫で、ジークも小さくなっているのかわからないが、とにかく彼に違いない。
にゃあにゃあとしか鳴けないのがもどかしく、必死にジークの足に身体を擦り付けて訴えるが、やっぱりわかっては貰えないようだ。
「なんだよ、お前。邪魔だ」
小さなジークは鬱陶しそうに言ったが、マルセラを蹴っ飛ばさないように、気をつけて歩く。
やがてジークは人々で賑わう結界広場まで着き、マルセラの首根っこを掴んで持ち上げた。
「おい、もう付いてくんな。俺はメシを手に入れなきゃいけねーんだから」
小声でそう言われ、花壇の隅に置かれた。
(ご飯を? 誰か知り合いを探してるのかな?)
首をかしげ、マルセラは大人しく座ってジークを眺めていた。
ジークは両親がいないらしいが、子ども時代の話を詳しくして貰ったことはない。
ただ、会話の端々から、あまり良くない環境で育ったらしい事だけは察せた。
屋台の近くをうろうろしている彼を見て、やがて何をしようとしているのか気づいた。
(盗みなんて、駄目だよ!)
駆け寄って屋台の向こうからニャアニャア鳴いたら、額にタオルを巻いた中年店主がマルセラを眺めている隙に、ジークが素早くホットドックを一つかすめとった。
(うわっ、わぁぁっ! ごめんなさい! 違うんだって~!)
逆に盗みを手伝ってしまい、屋台のおじさんに猫語で詫び、慌ててジークを追いかけた。
ジークは広場の隅で花壇の縁に悠々と腰掛けており、マルセラを見るとニヤリと笑った。
「やるじゃねぇか。ほら、お前の分」
前足の先にホットドックを半分置かれ、喉がゴクリと鳴る。
夢のはずなのに、死にそうなほど腹ぺこだ。
(こ、これ……夢なんだよね……?)
そっと鼻先を近づけると、食欲をそそるいい匂いがし、堪えきれずにかぶりついた。
ソーセージも冷めてから残さず食べた。
今日の催し物は子供向けのお祭りで、広場にはピエロや動物の着ぐるみがウロウロし、家族連れで賑わっていた。
ジークは食べ終わっても動かず、花壇に腰掛けたまま、足をブラブラさせて周囲を眺めている。
(……もしかして、一人が寂しいの?)
通じないだろうけど、思わず尋ねてしまった。両親を失ってからしばらくは、マルセラも幸せそうな家族連れを見ると、辛くなるのが解ってるのに、つい見入ってしまった。
「……あいつ等は弱いから、誰かと一緒にいるしかないんだ」
不意に、ジークがそう言って、言葉が通じたのかとビックリしたが、彼はただ独り言を言っただけのようだ。
少し離れた場所から、家族連れの行き交う風景を悠然と眺めている彼は、なんだか野生動物のように見えた。
間違って都会の隅に産まれてしまったけれど、決して人に懐かず一匹で逞しく生きている子狼のようだ。
「お前も弱そうだなぁ」
マルセラを見下ろし、犬歯の少し目立つ口元で、小さな男の子のジークが笑う。
あまり綺麗じゃない手で、ぐりぐり頭を撫でられた。
「仕方ねぇ。俺がちょっとだけ一緒にいてやるよ」
夢はまだ醒めそうになく、ジークの後を付いていくと、公園の裏手にある寂れた横丁へ着いた。
汚れた看板はどれも、酒場や娼館など怪しげなものばかりで、空気は煙草と酒に嘔吐物の混じったような饐えた匂いがする。
マルセラが一度も入ったことのないような場所だ。
古い建物の影で、顔中にピアスがついた男と、刺青を腕にぎっしり入れた男が、商談らしきものをひそひそしていた。
ジークは平気な顔ですぐ脇を通り抜け、今にも崩れそうな建物の外階段を昇り始める。
マルセラも身を縮めながら男たちの足元を通りぬけ、ジークを追いかけた。
刺青男が面白そうに階段を見上げ、口笛を吹いた。
「おい、ジーク。汚ねー野良猫なんぞ拾ってくると、またお袋さんに殴られるぞ。アイツ、たしか猫嫌いだろ」
「拾ったんじゃねーよ。勝手についてきやがるんだ」
自分の親くらい年上の男へ、ジークが乱雑な言葉で答える。
「パメラはまだ帰ってこねーのか? たまには遊びてぇんだが……なんなら、お前でもいいぞ。上手く咥えられたら、小遣いくらいやるよ」
ピアスの男が耳障りな笑い声をたて、ジークが目つきの悪い顔をさらにしかめる。
「死ね」
舌打ちして吐き捨てると、刺青男が太った腹をゆすって笑った。ピアスの男が唾を吐く。
「ったく。可愛げのねーガキだぜ」
ジークはさっさと階段を昇り、ベルトに付けた鍵で、二階の隅にある扉を開けた。
入っていいものかマルセラは迷ったが、ジークが扉を手で押さえたまま待っているのに気づき、急いで湿っぽい室内に駆け込んだ。
マルセラが入ると、ジークは素早く扉を閉め、危うく尻尾を挟まれそうになった。
「お前、運が良かったな。あの女は旅行中だ。男と別れるか金が無くなるまで帰ってこねーから、それまでいて良いぞ」
『あの女』とは、母親のことだろうか。およそ子どもらしくないセリフに驚きつつ、室内を見渡したマルセラは、さらに驚いた。
壁紙はあちこち破け、床も傷だらけだ。あちこちについた褐色のしみは、血痕かもしれない。どうやったら、こんなに酷い部屋になれるのだろうか。
脱ぎっぱなしの衣類が散らばり、小さな台所もリビングらしき場所も、なにもかもがグチャグチャに散らかっていた。
幸いというか、子猫の身体は身軽で、床の障害物を踏まないようにピョンピョン飛びはねながら、マルセラは恐々と室内を探検しはじめた。
リビングの一角には、続き部屋らしい閉まった扉があったが、その前に行くとジークが首を振った。
「そっちはあの女の部屋だ。留守でも入ったのがバレたら、たたき出されるか殺される」
大人しくマルセラが扉を離れると、ジークがしゃがみこみ、感心したように頭をなでてくれた。
「お前、頭がいいな」
こんな奇妙な状態でも、ジークに褒められるのはヤッパリ嬉しい。ニャァと鳴いて身体をすりつけた。
――と、いきなり首の後ろを摘んで持ち上げられた。
「汚ねーから、洗ってやるよ」
ひびだらけの古いタイルが張られた浴室で、洗面器に石鹸と水と一緒に放り込まれる。
(ぷはっ! 冷たいぃっ! 痛い!)
ジークの荒い方は乱暴でメチャクチャだった。尻尾を引っ張られ、痛くて思わず暴れたら、爪で手の甲を思い切り引っ掻いてしまった。
ジークがマルセラを離し、血の滲んだ傷を眺める。
怒られると思って身をすくめたが、なぜか愉快そうな笑い声が響いた。
「弱いくせに、ちゃんと戦うんだな。悪かったよ」
びしょ濡れの毛皮を舐めて、ようやく全部乾かすと、ジークに呼ばれた。
「おい、猫」
どうやら名前をつける気はないらしい。浴室の隣りに、ベッドと小さな棚が入るくらいの狭い部屋があって、ジークはそこに寝転がっていた。
どうやら本来は物入れらしいそこが、彼にあてがわれた寝室のようだ。
「あのな……一緒に寝たかったら、来てもいいぞ」
少し顔を赤くして、しかめっ面で照れを誤魔化す表情が、まぎれもないジークそのものだった。
マルセラがベッドに飛び乗ると、自分で呼んだくせに、少し驚いたような顔をした。寄り添って身体をくるんと丸めると、おずおずと背中を撫でられた。
風呂場で乱暴に洗った手と同じとは、とても思えない気弱さだ。
「俺は強いから、一人で平気なんだ」
自分に言い聞かせているような、小さな声が聞えた。
「……でも、おまえが一緒に居たいって言うなら、仕方ねぇよな」
――それから数日間。
夢はちっとも醒められないまま、子どものジークと一緒に過ごした。
彼の母親は、本当に帰ってこない。
世の中には育児放棄とか酷い親がいると知っていたが、実際に目の当たりにすると衝撃的だった。
近所の大人たちが、ジークを助ける気が全くないのにも驚いた。
こんな生活を、マルセラは想像したことすらなかった。両親には大切に育てられ、彼らを亡くしてからも祖母が細やかに面倒を見てくれた。
良い子にしていれば、子どもは大人に守って貰えるのが当たり前だと思っていた。
けれどジークの住む世界では、子どもだからと優しくしてもらえないし、大人しい良い子にしていれば、自分が困るだけだ。
彼はあちこちで食べ物を盗んでいたけれど、マルセラはもう止めなかった。
盗みは悪いことだけれど、お行儀良く待っていたら、飢え死にしてしまうだろう。
外から鳴いて店主の注意を引いたりと、一生懸命手伝った。
彼は非常に凶暴で、ケンカもしょっちゅうした。
近所の子どもたちは、すでに酷い目に合わされているらしく、ジークを見ただけで逃げ出していたが、少し離れた裏町に行くと、その外見からか、すぐに絡んでくる相手がいた。
大抵は年上の不良少年で、数人でつるんでいることも多かった。女の子が混ざっていることもあった。
たまに負けそうになる時もあったが、どんなにボロボロになっても、ジークは最後には勝つ。相手が自分より大きければ、女の子でも平気で殴る。
相手を倒すまで殴り合うケンカなど、マルセラは一度もしたことがなかったし、凄みのある笑い声をあげて他人を殴るジークが、怖くなる時もあった。
けれどジークがベッドに寝転び、隣りをちょっと空けて、伺うようにマルセラを眺めている姿を見ると、急いで飛び込んで擦り寄ってしまう。
殴られて腫れた頬が痛々しくて、そっと舐めてみた。
「痛ぇよ」
ザリザリの舌がかえって痛かったらしく、ジークは顔を背けてしまったが、かわりに伸びてきた腕に、しっかり抱きしめられた。
「お前は本当に変な猫だよなぁ」
呆れたようにジークが呟く。
「なぁ……もしお前が人間なら、どんなヤツなんだろうな?」
抱き締める腕に、少しだけ力が篭る。
「でも、猫でもいいや。俺とずっと……」
その時だった、玄関の鍵をガチャガチャ回す音が聞こえ、ジークの顔が強張る。
薄汚れた布団の中へ押し込まれるのと、扉が開いたのはほぼ同時だった。
「ジーク! 学校はちゃんと行ってたでしょうね! アンタがサボると、うるさく言われるのはアタシなんだよ!」
やけにガラガラした女の声が響き、マルセラは布団の中で身体を震わせた。
「毎日行った」
ジークはそう答えたが、嘘だとマルセラは知っている。
学校なんか一度も行かなかったし、周囲の大人たちも、学校に行っている時間にジークがうろうろしていても、誰も何も言わなかった。
「ならいいけど……っしゅん!」
大きなクシャミと鼻をすする音が聞こえた。
「くしゅん……っ、ジーク! 猫を部屋に入れただろ! 母さんは猫アレルギーなんだよ!!」
「……猫なんか、知らねぇよ」
ジークがまたついた嘘は、あっさり見破られた。
「嘘つくんじゃないよ! くしゅっ! ほら、アンタの布団に、猫の毛がついてるじゃないか!!」
マルセラが潜った布団のすぐ傍で、ヒステリックなわめき声が響く。
「知らねぇって言ってんだよ!」
マルセラを庇うように座り込んだままジークが怒鳴り、続いて鈍い音がした。布団の隙間から覗くと、派手な化粧をした金髪の女が見えた。
怒り狂っている女は、自分の靴を片方脱ぎ、それでジークを殴りつけたようだ。
硬いヒールで殴られたジークからは、鼻血が出ていた。
「……知らねぇよ。それよりあの男は? また捨てられたのかよ」
「クソガキ!!」
立て続けに何度も靴が振り下ろされる。
(どうして……!?)
この数日間、ずっとジークのケンカを見ていたが、彼ならあれくらい避けれるはずだ。それに、殴られたら必ず殴り返していたジークが、黙ってシーツを握っているだけだ。
(やめてよ! やめて!! なんでわからないの!?)
どうすることもできないまま、布団の中で悔しさに涙を滲ませた。
ジークが殴り返さないのは、追い出されるのが怖いからじゃない。彼なら路上で一人きりでも逞しく生きて行けるだろう。
――あなたが、お母さんだから、殴らないんだよ!!
心の中で叫んだ瞬間、布団がばっと剥ぎ取られた。
「逃げろ!!」
ジークが叫び、マルセラは後ろ足をいっぱいに使って跳躍し、女の横をすり抜ける。
「この……っ! 出てけ!!」
怒鳴り声と共に、何かが宙を切って飛んでくる気配を感じた。
半開きだった玄関を飛び出すのと、ガラスが割れる派手な音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
強い酒の匂いに眩暈がし、外階段でマルセラの足がふらつき始める。
(あ、あれ……?)
すぅっと、身体が消えていくような感覚におそわれた。
「親に嘘つくガキなんて、いらないよ!」
周囲の景色がぼやけ、部屋の奥でジークの母親が怒鳴る声が、急速に遠のいていく。
マルセラが逃げた代わりに、彼がさらに殴られていることが容易にわかった。
(待ってよ! もう殴らないで!!)
駆け戻ろうとしたけれど、辺りがぼやけて足の感覚もなくなっていく。
「お願い!!」
――叫んだ自分の声で、目が覚めた。
隣りで眠っていたジークが目を明け、不思議そうにマルセラを見る。
「どうした」
「え……? あれ? 私、猫じゃない……」
両手を見たが、どうみても普通の人間の手だ。薄暗い部屋で、時計はまだ深夜を指していた。
夢の中で数日間が過ぎていたはずなのに、ほんの二時間ほど眠っていただけのようだ。
「猫? 何言ってんだよ」
ジークが可笑しそうに言い、横たわったまま片手をのばす。マルセラのクセっ毛を一房つまみ、軽く指先で弄んだ。
「そういやガキの頃、ちょっとだけ猫と暮らしたことがあった」
「暮らす? 飼ってたんじゃなくて?」
「俺は飼ってねぇ。公園にいた野良猫が、勝手にくっついてきただけだ」
有り得ない不思議な予感に、心臓がドキドキした。
「その猫は、どうなったの?」
「逃げた。親が猫嫌いでな。酒瓶をぶつけられそうになって、それきりどこかにいっちまった。今頃どうしてるかな」
懐かしそうに目を細めるジークが、小さな男の子に見えた。
「……もしかしたら、素敵なお相手を見つけて、けっこう幸せに暮らしてるのかもしれないよ」
ポツリと呟くと、ジークは少し目を丸くし、それから愉快でたまらないように笑った。
「そうかもな。頭のいい奴だったし、洗ったら毛並みも綺麗だった」
普段よりずっと陽気そうな顔だったのに、見ていたら胸が締め付けられるような気がした。『俺と一緒にいるより、幸せかもしれない』と、言っているような気がした。
「今度は、ずっと一緒にいようね」
ジークの首に両手をまわして、しっかり抱きつく。密着した体温が心地良くて幸せだった。
猫がするように、舌先でペロリとジークの頬を舐めた。
「っ!?」
暗い部屋でも、みるみるうちにジークが赤面していくのが判った。
「……あれ?」
妙に熱くて硬い感触が腹に当たり、マルセラは首をかしげる。
「くそっ! せっかく我慢してたのに!!」
苛立った声と同時に、両肩を掴まれ、シーツに押し付けられていた。
「んんんっ!?」
唇を同じもので塞がれているのに気づくまで、少し時間がかかった。熱い舌で唇をこじあけられ、口腔を貪りつくすように舐めまわされる。
自然と大きく口が開き、吸い上げられた舌を甘く噛まれる。呆然とされるがまま、上顎や歯茎にも舌が這う。
ようやく開放された時には、すっかり息があがっていた。
「わたしとは、こういう事、したくないと思ってた……」
痺れる舌で呟くと、同じように息を荒げたジークがギロリと睨んだ。
「抱きたくもねぇ女を、わざわざ嫁にするか」
「だって、いつも……」
わけがわからず尋ねると、ジークは眉間に深い皺を寄せる。
「お前は……その………初めてだろ?」
「う、うん」
「多分……いや、絶対に俺は、優しくしてやれねぇよ。ヤりはじめたら夢中になって、お前が痛がってもヤりまくる。
そんなのは嫌だろ? 俺も嫌だ。だけどな……お前を優しく抱ける他の誰かに渡すなんざ、死んでも嫌だ」
喉奥から搾り出すように、苦しげな声で告げられた。
「俺でも悩むことくらいあるんだぜ? なのに、人の苦労も知らず散々煽りやがって。もう許さねぇ」
首筋を舐められ、反射的に喉が反り返った。
「ん!」
「前言撤回だ。もうお前が泣いて嫌がっても抱く。後で好きなだけ、殴るなり罵るなりしろ」
視線を合わせて告げられ、心臓が壊れそうに動悸する。いざとなると不安がこみ上げたが、小声で返事をした。
「ジークなら、何されても嫌じゃないよ。わたし、がんばるから…………して」
勇気を振り絞って、正直な想いを口にしたのだが、ふと見上げたジークは、妙な顔をして固まっていた。
顎が外れそうに口を開け……まるで、思い切りぶん殴られて気絶寸前というような顔だ。
(え!? なに!? 何か変なこと言っちゃった!?)
いきなり大失敗かとうろたえていると、突然、息ができないほど強く抱き締められた。
「それ以上煽るな! マジでヤバイんだよ!」
「え? ただ、わたしも、したいって……」
ジタバタもがいて訴えると、さらに強く抱き締められる。
「あー、もう! いいから黙ってろ!」
またキスで口を塞がれた。散々口内を嬲られるうちに、背筋にゾワゾワと痺れるような感覚が沸いてくる。
口を聞く元気もなくなったマルセラを横抱きにし、ジークは隣りの自室へ連れて行った。
***
(――おいっ! なんつーセリフ吐きやがる!!)
マルセラを抱き抱え、ジークは心の中で盛大に怒鳴りまくる。
あんなに可愛らしく頬を染めて、ちょっと不安そうに潤んだ目で見上げながら、『がんばるから、して❤』とか、反則にもほどがあるだろうが!
――興奮しすぎて、危うく体中の古傷が全部開くかと思った。
だいたい、この三ヶ月間で我慢は臨界点にきていた。
我ながら、よく正気を保ったものだと感心するほどだ。
毎朝、無防備に寝室で擦り寄られるたびに、どれだけこの場で犯してやろうと思ったか。
だいたいマルセラは昔から、男に対する危機感が足りないのだ。
いつまでも子ども気分で、自分がどれだけ男の欲望をそそる存在に成長したか、まるで自覚していない。
子猫のような大きな瞳に、薄いピンクいろのふっくらした頬。昔から庇護欲をそそる可愛い顔立ちをしていたが、こういう無邪気で無垢な美少女は、メチャクチャにしてやりたいという男の支配欲だって、十分に刺激するのだ。
一緒に街を歩けば、ジークがちょっと目を離した隙に、男に声をかけられている。小柄な身体に不釣合いなほど豊かな胸元に、あからさまな視線を注ぐ輩も多い。
ジークが睨みつけると、大概の者は慌てて去っていくが、それでもしつこいバカは、マルセラに見せない位置で、速やかに拳をつかって駆除していた。
――俺がどれだけ、涙ぐましい努力をしてきたと思ってやがる!! ……と、マルセラが無自覚になってしまったのは、己が堅固にガードしすぎたせいなのを棚にあげ、ジークは憤慨する。
寄るな触るなと言っていたのは、もちろん嫌いだからではない。健全な男の生理現象として、大変困ったことになるからだ。
自分がいつからマルセラを『女』として見ていたのか、はっきりわからないが、気づいた時にはもう気軽に手を繋いだり抱きあげることもできず、薄着で無防備に近寄ってこられると、困惑するようになっていた。
ベッドに降ろすのさえも、焦りのあまり乱暴にしてしまいそうで、手が震える。
理性がいつ切れるかわからなかったから、幸いにも避妊薬は常備していた。苦い錠剤をペットボトルの水で流し込む。
組み敷いた身体は、十分に成長してもなお華奢で、少し手荒にすれば簡単に潰れてしまうのではないかと、不安になるほどだ。
緊張を孕んだ大きな瞳に見上げられると、まるで生まれて初めて女を抱くように緊張してくる。
とても視線を合わせられずに目を逸らし、首筋に口づけながらボタンを外していく。
薄桃色の先端をした豊かな胸が露になると、マルセラは軽く息を詰めた。とっさに手で隠そうとする。
今まで散々、ジークを煽ろうとしていたくせに、こうして脱がされると羞恥心を煽られたのだろう。それに、色っぽい下着姿は見せたけれど、裸体まではさすがに見せなかったのを思い出す。
あまりにも可愛い姿に、口元が緩む。喉を鳴らして笑うと、マルセラがビクリと肩を震わせた。
「今さら怖くなったか? 言っただろ、止めねぇって」
本当はもっと宥めて落ち着かせてやりたいのに、そんな言葉しか出てこない。
華奢な手首を掴んで引き剥がした。両手首を一まとめにして片手で掴み、頭上へ縫い付ける。
自由な右手で、片方の乳房をわし掴んだ。張りのある艶やかな肌の質感と、柔らかな弾力が気持ち良い。先端を指で弄ると、みるみるうちに尖ってきた。
「ふっ……ぅ……」
頬を紅潮させたマルセラが、泣きそうな顔で唇を噛み締めている。
ちゅ、と軽く乳首にキスすると、戒められた腕がもがき、身体を小さく跳ねさせた。そのまま硬くなった乳首に吸い付き、手ですくい上げるように胸全体を愛撫する。頭上でマルセラの息が、どんどん荒くなっていく。
「や……ど……して……違う……」
涙声で訴えられ、口と手を離した。
「何と違うんだ?」
「ん……だって、そこ……触られても、いつも、こんな感じしないのに……」
――は? いつも?
思いがけない言葉に、ジークは目を丸くしたが、一瞬後には凶暴な目つきがギリギリつりあがる。
(おいこらぁぁぁぁ!!! 誰だ、その命が要らない奴は!!!!!)
嫉妬を煽られ、つい声が恐ろしいほど低くなった。
「他の男に触らせたこと、あるのかよ」
「え? 女の子だけど……? エレオノーラがよくふざけて……」
まだ目に涙を浮かべたまま、キョトンとした声でマルセラが答える。
「……あいつか」
舌打ちが漏れる。マルセラの友人だというお嬢様は、一度だけ見かけたことがあった。
女友達とじゃれあうくらい、大した意味ではないのだろうが、それでもやっぱり、多少は面白くない気がする。
「どう違うんだよ、言ってみな」
乳首を舐め、もう片方も指で摘みながら、意地悪な質問を投げつけた。
「え、あ……っは……ドキドキして……っ!!」
乳輪ごとパクリと口に含むと、語尾が跳ね上がる。ぶるぶる震えて歯を喰いしばる姿が、
可愛くてたまらない。
「やっ、も……それ、や……ああっ……」
組み敷いた体が、逃げようとしてジタバタもがくが、子猫同然の非力な抗いだ。しつこいほど両胸を嬲り続けると、喉を大きく逸らせてマルセラが喘いだ。
「ひ……あ、あ、あ……きもちいいの! ジークにされると、きもちいいから、ちがうの!」
甘ったるい悲鳴の告白は、これ以上ないほどジークを満足させた。赤く充血した乳首から口を離し、涙でキラキラ濡れ光っている顔を覗き込む。
ニヤけてしまうのを抑えられない。
「そうか、気持ち良いのかよ」
さっきやられたように、火照った頬をペロリとなめあげると、マルセラが目を伏せたまま、コクンと小さく頷いた。
ゾワリと肌があわ立った。
もっと感じさせて、鳴かせて、この身体にいけない事をたっぷり教え込んでやりたいと、欲望が頭をもたげる。
俺だけしか知らないマルセラ。俺だけのものだ。
パジャマの上下を脱がせ、マルセラを抱き起こした。
膝の上に座らせて、唇を重ねながら、背中やわき腹を撫でていく。
「ん~、う~」
マルセラが発するぐもった声が、唇の隙間から漏れる。腕の中でくねくねと小さな身体がみじろぎするのが、ひどく心地良かった。
再びシーツの上に組み敷いた時には、マルセラは顔を真っ赤にして、ぐったりと横たわっていた。
下着を脱がし、顔を下腹に下げていくと、細いスリットから透明な蜜が滲み出していた。
濡れているのに安堵し、ちろりとそこにも舌を這わせる。
「っ!!」
マルセラが大きく息を飲み、腰を引こうとした。
「ちゃんと準備しねぇと、痛いぞ」
「で、でも……恥ずかしいし……あ、あ!」
しっかりと足を押さえ込み、かまわず雫を滲ませている場所に口をつけた。あまり強くしすぎないように注意しながら、ゆっくり舐める。自分を押さえつけるのが一苦労だ。
太ももがビクビク痙攣し、溢れる蜜が量を増す。肉の小さな蕾をそっと指で撫でると、喘ぐ声が一際大きくなった。
「や、だ……そこ……っは、あ、んあ……」
処女でもやはりここは感じやすいのかと、妙に感心しながら嬲っていると、シーツを握り締めたマルセラが、大きく全身を突っ張らせて悲鳴をあげた。
弓なりに反った身体をシーツに落とし、ヒクヒク痙攣しながら、ぼんやりと宙を見上げている。
力が抜けている隙に、ぬるつく内部に指を潜りこませた。
「っ!?」
我に返ったマルセラが、反射的に足を閉じようとしたが、片足を抱え上げて大きく開かせる。そのまま閉じられないように足の間に身体を挟みこませた。
(……おい、これ……本当に入るのか?)
あまりの狭さに、冷や汗が背中を伝った。
指一本しか入れていないのに、ぎちぎち締めつけてくる。性器などねじ込んだら壊れてしまいそうだ。
「う、く……っ」
マルセラは目を瞑り、違和感に耐えるように、きつく眉根を寄せている。
まだあどけなささえ残るこの少女の身体を引き裂く行為など、まさしく極悪非道な鬼畜の諸行に思えた。
これが他の男なら、殴るどころか、即座にチェーンソーで血祭りに上げているところだ。
「マルセラ、できるだけ力を抜け」
汗で張り付いた前髪を払ってやり、耳たぶを甘噛みしながら囁くと、健気にコクコクと頷かれた。
慎重に内部をかきまわしていると、トロリと奥から熱い蜜が溢れ、指の動きを助けた。
指を増やし、ゆっくりと攪拌を繰り返す。
ジークの額からも汗が滴り、三本目まで増やした所で、我慢の限界がきた。
指を引き抜き、かわりに張り詰めたものを押し当てると、マルセラが目を見開く。
「あ……」
脅えたような顔を見せ、フルフルと小さく首を振る。だが、止めてやれそうにはなかった。女を痛めつける趣味は無いし、マルセラだけは絶対に泣かせたくないのに、欲しくて気が狂いそうだ。
「悪ぃな。もう入れるぞ」
囁き、腰を抱える。マルセラは唇をきゅっと引き結び、小さく頷いた。『がんばる』と言ったのを思い出したのだろうか。
心臓の奥から、形容しがたい感情がこみ上げる。
ずっと前から、マルセラと一緒にいると、この名も知らぬ感情に襲われる時があった。
初めてこれを感じたのは……そうだった。
コイツが右腕を喰いちぎられた俺を見て、自分の英雄よりも俺に生きて欲しいと言ってくれた時だ。
唇を合わせながら、自身をこじ入れると、くぐもった悲鳴があがった。
「ん、んぅぅ……!!」
ひどく狭い内部で、ブツンと千切れるような感覚が伝わった。
熱く蕩けて十分に濡れているのに、痛いほど締め付けてくる。信じられないほどの快感に、目が眩んだ。
全部入れたところで耐え切れずに一度止め、マルセラの様子を伺った。白い額に汗が滴り、耳や首筋まで紅潮している。肩を大きく上下させ、荒い息を吐いていた。
「はぁっ……は……ぁっ」
腰を抱えなおし、さらに密着させると、涙をポロポロ流してシーツを握り締めた。
「……ほら、つかまれ」
両手をそっと取り、自分の背中に回させる。
「あ……」
「がんばったな。お前の中、最高にきもちいい」
額に口づけると、マルセラがふわりと微笑んだ。小さな花がほころぶような笑みに、思わず見惚れる。
抱きつく小さな身体が、すりすりと身を擦りつけた。
「ずっと一緒にいてね……」
そっと囁かれ、またじんわりと心臓から、あの感情が滲む。
「ああ。俺も……一緒にいたい」
普段なら、照れくさくてとても言えないような言葉が、するりとこぼれ落ちた。
繋がったまま抱き締めて、キスをする。
(ごめんな。お前の幸せを願ってやりたいのに……)
マルセラはジークが自分に優しくするというが、それは間違いだ。
彼女が嬉しそうだと、なんだか自分も嬉しくなるから、色々と手を貸すだけで、つまりあれは全部、自分のためだ。
あんな事件が起きず、両親が生きていた方が、きっと彼女は幸せだったろうけれど、そうしたらジークとは出会わなかった。
だから、そうであれば良かったのにと、ジークは思ってやれない。
とても可哀そうで、気の毒にと思うけれど、このがさつで凶暴な人型狼に捕われてくれたのが、嬉しくてたまらない。
――お願いだから……これから一生その笑顔を守り続けるから……最後には、俺と出会ったのも、そう悪くなかったと思って欲しい。
腕の中で、マルセラがひっきりなしに甘く鳴き続ける。
絡み付いてくる内部が気持ちよくて、緩やかな抽送が、徐々に激しくなっていく。
あまりの快感に、何も考えられなかった。
初めての相手を気遣う事も忘れ、夢中で貪った。マルセラが、うわごとのように何度もジークを呼んで、それに応えて手指を絡め、唇を重ねる。
聞えるのは言葉にならない喘ぎ声ばかりだったのに、あいしてる、と言われた気がした。
内部が大きく痙攣し、最奥まで突き入れたものが搾り取られる。
残らず注ぎこみ、くたりと脱力している世界で一番大切な相手を、壊さないようにそっと抱き締めた。
***
――真っ白い空間で、赤い狼の頭をした青年が、小さなマルセラを見下ろしていた。
『俺は一人でも平気なはずだったんだ』
なんだか悔しそうに、赤い狼がうな垂れる。
『お前のもってる物なんか、欲しくねぇんだよ』
拗ねた子どものように、赤い狼はそっぽをむいた。チラリと横目でこちらを見て、何度も躊躇ってから、ようやく鋭い牙の生えた口を開く。
『でも……な、どうしても欲しいのは、モノじゃなくて、お前だって言ったら……お前は自分をくれるのかよ』
『わたしを……?』
キョトンとしたマルセラに、赤い狼が噛み付きそうな声で唸る。
『婆さんのところに遊びにいったって良いさ。俺がどんな化物からも守ってやる。けど、最後は絶対に俺の所に帰ってくると約束しろ』
長身の狼は膝を折り、マルセラを抱き締めた。
『お前をくれよ。お前以外は、何にもいらない』
泣きそうな声で言う赤い狼に、マルセラも思い切りだきついた。
誰よりも強くて、ちょっとだけ意地悪な、この最高の英雄が、マルセラだって大好きなのだ。
『あげる! なんでもあげるって、やくそくだもん』
『……本当か?』
『うん!』
琥珀色の両眼をまっすぐ見て、約束する。
もうどこにも離れないように、大きな手を、ぎゅっと両手で握りしめた。
『だから、ずっと、いっしょにいようね!』
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