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本編

14 一騎当千の不良退魔士

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 住宅街を襲った災厄から、三週間が経った。
 イスパニラの夏も終りに差し掛かり、朝晩は涼風がそよぐ季節。赤い砂岩と灰色の石で造られた大都市を、黄昏時の陽光が覆い始めた。

(先生に似合うのは……)

 ネクタイの棚を前に、エメリナは思案する。
 本日はまっすぐ帰宅せず、駅前のファッションビルに寄り道していた。
 若い店員が声をかけるのすら躊躇う気迫で、真剣にネクタイの列に目を光らせる。
 ギルベルトが前に持っていたのは、黒っぽい灰色だったが、えんじ色や紺色も似合いそうだ。無地でもいいけど、ストライプ柄も捨てがたい。
 店を何軒も回って悩む時間は、たっぷりある。

『すまない。今夜は満月だから、そばに居られると危険かもしれない』

 気まずそうにギルベルトから告げられ、今日はいつもより早い時間に、殆ど追い出されるようにして帰らされたのだ。

 売り場にはあちこちにハートの飾りつけがされ、恋人同士の客が多かった。
 今夜は満月が、一年のうち最も輝く夜だ。今夜は恋人と一緒に過ごすと、その相手とずっと幸せに結ばれると言われている。
 元は異国の風習らしいが、ここ数年、恋人相手の新商売として、各社がこぞって定着させようと必死にアピールしているお祭りだった。
 自分には無縁と、去年までは覚えてもいなかったが、今年はせっかく恋人ができたのだ。周囲で浮かれている恋人たちを見れば、混ざりたいような気もした。
 しかし、今日の満月は強烈で、ギルベルト自身も人狼の身体を持余すらしい。
 それに、今夜エメリナといるのが危険なのは愛してしまったせいだ、と言われれば、これ以上嬉しいことはない。
 ちょうどウリセスから、そろそろ人の多い所に出ても大丈夫と許可が下りたので、替わりに我慢していたショッピングを満喫することにしたのだ。

 あの時、エメリナだけでなく、ギルベルトのスーツやネクタイもすっかり駄目になってしまった。
 スーツはちょっと厳しくても、ネクタイくらいなら気軽にプレゼントできる。

(ウリセスにも、お礼にお菓子くらいプレゼントしたほうが良いかな?)

 隣りの店からマドレースの香ばしい香りが漂い、エメリナは思案にくれる。

 最初こそ、各メディアはこぞって、ドラゴンと戦った少女と狼のニュースを騒ぎたてた。
 しかし二日後、フロッケンベルクの王女がお忍びで来訪していると噂が流れ、皆の興味は即座にそちらへ移った。
 それから芸能人の電撃結婚や、映画スター主催の突発イベントなど、華やかなニュースが目まぐるしく報じられ、ドラゴンなど人々の口端にも昇らなくなったのだ。
 バーグレイ・カンパニーの恐ろしさを垣間見た気もするが、他の客たちの会話が新ニュースに夢中なのを聞き取り、エメリナは胸を撫で下ろす。
 あの事件の直後は、どこに行ってもドラゴン騒動と狼の話題が飛び交っていて、心臓に悪かった。

 迷信じみた恋人イベントに参加できないくらいで、文句を言ってはいけない。
 人狼もなかなか大変なのだ。

***


 一方で、事件の風化を苦々しく思う存在もいた。

 イスパニラ王都は広く、多数の地区に分類されている。
 各地区には学校、警察署、消防署、区役所などが設置され、それぞれの役割を果たしていた。
 そして入り口に銀十字架の紋章を掲げた建物が、退魔士達の常駐する聖剣署である。
 中央西区の聖剣署は一際大きく、常駐する退魔士部隊も多い。
 大食堂や会議室もあり、地下には非常災害時の食料庫に武器庫、防音完備のトレーニングルームも設置されていた。

「遅い!!グズグズするなっ!!魔獣は待ってくれんぞ!!!」

 結界を張ったトレーニングルームで、五番隊の隊長が太い咆哮をあげる。
 上着を脱ぐと、盛り上がった筋肉がいっそう目立つ。拳を布で保護しただけの素手だが、訓練用の棍棒を持った部下の方が、完全に引け腰だった。
 何しろクマ親父のような隊長の拳は、凶器となんら変わりない。特に、今のように全身から怒りのオーラを煮え立たせている時は、余計にその獰猛さが増す。
 はっきり言って、そこらの魔獣よりよっぽど危険生物な上司である。

「隊長、捜査の打ち切りが、よっぽど悔しかったんだなぁ……」

 吹っ飛ばされた部下が、隣りに倒れている同僚へ小声でぼやいた。
 同僚は頷き、密かに舌打ちする。

「ったく、真面目すぎんだよ。上がお終いって言うなら、それで良いじゃねーか。俺たちは現場で命張るだけで、十分だっての」

 隊長が荒れている原因は、三週間前のドラゴン騒動だ。

 度重なるニュースに事件が埋もれようと、現場に直接駆けつけ、事件を担当した五番隊は、引き続き捜査にあたっていたのだが……。
 今朝、上から突然の命令で、捜査の打ち切りが決定したのだ。
 素っ気無い書類一枚を突きつけられ、狼の危険性を主張する隊長の反論には、まるで耳を貸されなかった。

「貴様らでは訓練にならん!ジークはどうした!?」

 部下が全て床に倒れると、隊長はやけに手ごたえが無かった理由に気づく。
 第五部隊のうち、自分と素手で互角に渡り合えるのは、彼くらいだ。

 ジークと会ったのは、もう十年ほど昔。
 当時の彼は、未成年留置所に常連の不良少年で、この付近で乱闘騒ぎとなると、大概は彼が中心だった。
 余りの凶暴さに警察が手を焼き、救援要請を受けるたび、魔獣捕獲用のロープで拘束したものだ。
 捕獲と投獄を繰り返すうち、その腕っ節を腐らせるのは、あまりに勿体無いと、身元引受人になり、退魔士の養成所に叩き込んだ。
 更正など不可能と見られていたジークだが、退魔士の職が非常に向いていたらしい。生きがいを見つけたと喜び、隊長自身が驚くほど、彼は変わった。
 問題児ではあるが、ギリギリの秩序は守るようになり、むやみに振っていた暴力も、退魔士として生かせるようになった。
 今では一騎当千の凄腕退魔士として有望株だ。

 辺りを見渡していると、足元で部下がうめいた。

「げほっ……あ、あいつは、午前中で早退しました……三日間、有給とるそうです……」

「な、ん、だ、と……!?」

 隊長の額に、ビキビキっと青筋が浮かぶ。

「許可した覚えはないぞ!」

「お、俺に怒らないでくださいよぉっ!」

 片手で襟首を掴んで持ち上げられた部下は、泣き声をあげる。

「隊長が例の件で抗議に行ってる間に、帰っちゃったんです!申請書は書いたって!」

「申請書!?そんなもん、どこにある!」

 隊長は結界をぶち破る勢いで駆け出し、整備員が慌てて解除ボタンを押す。
 部署に駆け戻った隊長は、机の書類を引っくり返し、ようやく引き出しの裏にテープで貼り付けた申請書を発見した。
 追いついた部下たちが青ざめる中、隊長は額に切れそうなほど血管が浮かべて卓上の電話を掴む。もう暗記しているジークの携帯番号を素早く押し、電話をかける。
 スマホの電源は切られておらず、無機質なコール音をしばし聞く。

「くぉらあああぁぁぁぁぁぁ!!!!馬鹿もん!!!!!」

 コール音が途切れた瞬間、壁から標語の額が落ちるほどの大声で怒鳴った。
 しかし返って来たのは『この電話は、現在電波の届かないところに……』と、淡々としたアナウンス。
 あきらかに着信名を見て、電源を切られたのだ。
 怒りにブルブル震える隊長の背後で、スピーカーが鳴った。

『第五部隊、出動要請!民家で飼われていたゴブリンが逃げ出し、暴れているそうです!マーガレイ通りに急行してください!!』

 ……どうしてあんな凶暴生物をペットにするのか、理解しがたい。

 しかし、そんな問答をしている暇はなかった。退魔士たちは一斉に上着を羽織り、棚から各々の武器を手に取る。
 斧に剣といった代物が多く、銃火器の類は少なかった。
 大抵の魔獣や魔物は、普通の銃弾くらいではビクともしないからだ。ゾンビなど、身体を丸焼きにするか細切れにしない限り、しつこく襲ってくる。
 かといって強烈な銃火器を、市街地でおいそれと使うわけにもいかない。炎に耐性を持つ魔物も多い。
 結局、原始的な武器と身体能力での戦いが、一番有効となるのだ。
 当然ながら、退魔士の身に危険は多く、殉職率は警察の十倍とも言われる。
 教皇庁で、電動の武器もいくつか試作されたが、どうしても重量がかさんで使う者に負荷がかかる。充電切れの心配もあり、あまり好まれなかった。

 とりあえず、問題児へのお説教は後回しだと、隊長は舌打ちし、両の拳にナックルをはめた。
 危険で割りに合わないと言われているが、この職に誇りを持っている。
 都民の安全を守るため、危険生物は断固として駆除すべきなのだ。

 ***

「――いやはや。気づくの遅すぎだって」

 夕暮れのアパートで、ジークは電源を切ったスマホを眺め、ニヤニヤ笑う。隊長がいつ気づいて電話をかけてくるか確認するために、今まで電源を切らずにいたのだ。

 せいぜい寝るかテレビを見るかくらいの室内には、生活感があまり無い。
 あるのは家電がいくつかと、ベッドにテーブルくらいだ。
 足元で充電完了の電子音が鳴り、ジークは拳大のバッテリーをコンセントから引き抜いた。
 愛用の武器にバッテリーをセットし、大きな黒いケースへ放り込む。
 制服の上着を羽織り、ケースを左肩に背負う。壁に引っ掛けていたゴーグルをとり、首に下げた。
 ケースはちょうどギターのような形をしており、金髪を逆立て制服を着崩したジークは一見、バンド青年にも見える。
 それでも中身は間違いなく武器なので、市街地で一般市民が携帯すれば犯罪だ。そして非常に目つきとガラが悪いジークは、私服で歩けば、しょっちゅう職務質問されるときている。 
 しかし退魔士の制服さえ着ていれば、どんな武器を持っていようと問題ない。

(おまけに公務員の身分って奴は……いやはや、便利だねぇ)

 ポケットから、あの災害現場でくすねた携帯端末を取り出し、ハーフエルフの少女と人間と見える青年の写真を画面に映す。
 この三週間、ジークは熱心にこの二人の身元を調べた。
 まずは不良時代のツテを使ってデータのロックを解除してもらい、そこに入っていた日記などの情報から、二人の名を知った。
 そこから住所や職業などのさらに詳しい個人情報を入手できたのは、役所の甘い身内意識のおかげだ。
 いかにも頭が緩そうな役所の職員に、退魔士の免許を見せて少し酒を奢ったら、二人に関して役所の管理する個人情報の一揃いを簡単にくれた。
 個人情報の保護が叫ばれているこのご時世で、公になればさぞかし叩かれる不正行為である。
 ただ、ジークはまっとうな性格とは言えなくとも、退魔士の身分を傘に、こんな不正をしたのは初めてだった。

「……仕方ねぇじゃん。たぎるんだからよ」

 脳裏にちらっと隊長の顔が浮かび、言い訳するように独り言を呟いた。
 民の大部分は退魔士を『税金で雇ってやっている害獣駆除業者』くらいにしか思っていない。
 あのドラゴンも、ジークは駆けつけてわずか数分で駆除したのに、「来るのが遅かった」「怪我人が出た」だの文句ばかりだ。

 ――てめぇ等の安全なんか知るか。文句があるなら、自力で戦え。

 そう思いつつも、ジークが退魔士を好むのは、単に戦いが好きだから。
 それも弱い相手では意味が無い。できれば勝つか負けるかギリギリの死闘がいい。

 昔はそれに気づかず、ただ苛付き続けてケンカに明け暮れていた。
 相手を半殺しにするのは日常茶飯事で、それでも満足できないジークは、誰からも害獣扱いだった。
 いつも自分を留置所に放り込むおっさんから、退魔士になれと言われた時には、鼻で笑ったが、やってみると世界が変わった。
 魔物たちは本気で殺しにかかってくる。
 そこらのチンピラ相手のケンカとはケタ違いの死闘に、全身の血がたぎった。

 ああ、俺はこれが欲しかったんだと、心の底から歓喜した。

 しかも魔物を殺せば、罰されるどころか賞賛される。給料も悪くない。まさに天職だ。
 少々鬱陶しいが、隊長にも一応は感謝しているから、できればこんな真似はしたくなかった。
 しかし、狼の捜索に不自然な妨害が入ったり、今朝の強制的な捜査打ち切りなど、向こうにもそれなりの力が付いているらしい。
 この携帯端末も、密かに隠し持っていなければ、とっくに処分されていただろう。

(そっちが汚ねぇ手を使うなら、俺がどんな手使っても、文句ねぇよな?)

 ジークは内心で、写真の男女に語りかける。

(なぁ、お前……人狼だろう?)

 突拍子もない予測を、ギルベルト・ラインダースに向ける。
 あの狼が人狼である可能性を、隊長も上層部に訴えたが、まともに取りあってもらえなかった。

『もうとっくに絶滅した災厄種だ。もし見かけたら、ぜひ捕獲してくれたまえ。医療研究機関で、実験に使わせてもらうよ』

 そう一笑されたそうだ。

 確かに、精一杯調べても、確実たる証拠は何も出てこなかった。
 しかしジークには、妙な確信があった。
 そしてこの極上の獲物を、他の誰にもくれてやるつもりはない。

(こいつは俺の獲物だ)

 ずっとずっと捜し求めていたのはこれだと叫ぶように、全身の血がたぎる。
 時計を見れば、そろそろエメリナ・マルティネスが勤務を終えて、自宅に帰る頃合だった。
 携帯端末をポケットに仕舞い、武器ケースを抱えなおして玄関を開ける。

「ジークお兄ちゃん!これからお仕事?」

 玄関の鍵を掛けているジークへ、不意に幼い声がかけられた。
 隣りの部屋に住む八歳の少女マルセラが、窓からひょこんと顔を突き出していた。

「ん……まぁ、そうだ」

 やや歯切れ悪く、ジークは答える。実を言えば、マルセラが少々苦手だった。

「今日も頑張って、魔物をいっぱいやっつけてね!」

 案の定、マルセラは大きな瞳をキラキラさせ、憧れの視線を向ける。
 少女は年老いた祖母と、この小さなアパートに二人暮しだ。
 数年前のゾンビテロで両親を亡くし、彼女だけは危ういところを退魔士に救われたそうだ。
 そのためか、隣人のジークが退魔士だと言うだけで、過度な期待と夢を抱いているのだ。

「マルセラ、ご飯ですよ」

 奥から孫を呼ぶ声が聞えたのを幸いに、ジークはしっしと手を振り、追い払う仕草をした。

「おい、婆さんが呼んでるぞ。飯だとよ」

「……今日の夕ご飯、大嫌いなピーマンの肉詰めなんだもん」

 マルセラはふくれっ面で、窓枠に頬杖をつく。

「人にメシ作ってもらっといて、贅沢言いやがる」

「だって、ピーマン嫌い」

 これだから甘ったれたガキは……と、ジークは眉間に皺を寄せた。
 尽くされて当然、与えられて当然、か。

(俺の母親なんか、飲むか遊ぶか男と寝るかで、手作り料理なんか記憶にねぇぞ)

 つい説教したくなったが、我慢した。まるでマルセラを羨ましがっているようじゃないか。

「俺はな、弱い奴が嫌いなんだよ。ピーマンごときに負けてんじゃねぇ」

 代わりに、マルセラの額を軽く弾いてやった。

「……お兄ちゃんが応援してくれるなら」

 少女はまるで、ドラゴンに勝てと言われたように悲痛な顔で頷いた。

「しょうがねぇな、応援してやるから頑張れ」

 栗色の頭を軽く撫でてやると、少女は満面の笑みを浮かべる。

「やっぱり、ジークお兄ちゃん大好き! 大きくなって結婚するなら、絶対にジークお兄ちゃんが良いな!」

「……ガキに言われてもな」

 十年後に言われるならまだしも……と一瞬だけ思ってしまい、すぐに内心で苦笑いした。
 どんな妙齢の美女だって、他人に縛られるなんざごめんだ。
 女が欲しければ、恋人を作るよりも娼婦に金を払ったほうが、断然気楽でいい。ましてや、家庭を持ちたいなんて欠片も思ったことは無い。
 しかし少女は相変わらず無邪気な瞳を輝かせ、ジークを憧れるような目で見つめる。

「退魔士は皆の英雄でしょう? だからジークお兄ちゃんは、私の一番そばにいる英雄になって!」

「あー、はいはい。そんじゃ今日も世界を救ってくるわ」

 夢見る少女に背中を向け、ヒラヒラと手を振る。

(どうせお前もそのうち……)

 そう思ってしまうのは、自分の性格がひねくれているからだろうか。

 マルセラだって、そのうち妙な幻想を卒業する。
 どうして退魔士が救ったのは自分だけで、両親も助けてくれなかったのかと、罵るようになるだろう。
 退魔士になってから、嫌というほどそんな場面を見てきた。
 もっともっと救えたはずだと、救われる方はいつだって、注文と文句ばかりだ。

(くっだらねぇ!)

 だからジークは、英雄を目指すつもりも、誰かを救う気もない。
 血のたぎるまま殺して、その結果ついでに命の助かった奴がいる……その程度で十分だ。
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