上 下
3 / 12

少女は微睡む

しおりを挟む
少女は微睡む

 

 田舎町特有のせまい砂利道を抜け、少し苔の生えた敷石を歩く。庭木の実を食べる鳥の囀りを聴きながら、もうすぐ会える人を思い出し、畠山諒子(はたけやま りょうこ)は軽い足取りで慣れ親しんだ道を進む。

 
 けれど、いざ引き戸の前に立つと、足が一気に重くなった。どきどきどきと、心臓が口から飛び出そうになるのを深呼吸で抑えようとする。


 落ち着いて、と自分に言い聞かせ、震える指でチャイムを鳴らそうとした。そう、したのだが

 
 あ、待って。と、諒子は誰に言うわけでもない呟きと共に、ぴたっと一度立ち止まり、玄関の横にある水の入った桶を見ながら手櫛をする。そして、少し汗ばんでいる髪に気分が落ち込んできた。もしかして、汗臭い?
 …大丈夫かな。あ、浮き毛も気になってきた。また髪を整える。今度はあれ、とおでこを少し触り、眉毛の形、まだ整ってるよね、とスマホのカメラで確認する。けれど、カメラだと自分の写りの悪さに絶望する。体育の後に、ちゃんと鏡を見たらよかった。なんせ、諒子は連絡が来た瞬間に「すぐ行きます!すぐ行くので!本当に!学校終わったらすぐ行きますから!」と返信してしまったのだ。


 微塵も後悔はないけれど、女の子は夕方から可愛いさが半減する。顔のむくみにお化粧崩れ、挙げたらキリがない。すぐ来たことは微塵も後悔はないけれど、少し待って欲しい。色々と、時よ止まれと切に願う。いや、巻き戻れ。お願いだからと、都合良く神頼みする。



 あああ、どうしよう。準備もままならないし、緊張と興奮で変な汗も出てきた。制汗剤どこだっけ、確か鞄に入れてた筈だ。鞄をごそごそとしながら、あれでもないこれでもないと、玄関の前で立ち往生する。

 

 すると、がらがらがらと引き戸の音がした。ぎょっとして前を向くと、大きな胸板が見えた。視線を上にやると、見慣れたスキンヘッドの怖いお兄さんが、仁王立ちして此方を見下ろしていた。


 
「あ、川中さん!こんにちは!」
「相変わらずうるせえ声だな」
「それは失礼しました!新野さんは縁側ですか?!」
「ごり押しすぎる。遠慮って言葉を学んで来い」

 

 辛辣な物言いをする川中さんを無視する



 それよりもだ。先程までの色々な感情は何処かに霧散し、考えることはただ1つ。私は新野さんに会いに来たのだ。こんなことをしている場合ではない。早く行かなければ、大きな胸板を避けようと左右にぴょこぴょこ揺れる。

 

「今、ぼーっとしてて忙しそうだがな」
「え、素敵!」
「なんでだよ、あと声でかい」
「あ!」
「聞いてねーし」

 

 ぎしぎしっと、ゆっくりと足音が近付いてくる。ひょこっと玄関先に現れたのは、片想い中の新野さんだった。

 

「新野さん!」

 

 私の声にふわりと笑顔で手を振る新野さん。ゆっくりと近付き、私と視線を合わせようと腰を屈めてくれる。


 
 話したいことはいっぱいあった。なのに、今は新野さんの香水いい匂いだなとか、浴衣と相反するばちばちのピアスが背徳的で素敵とか、そんな事しか考えられない。何より、新野さんは中々の美人だ。知っているだろうか?人間は美しすぎるものを直視すると脳が焦げるのだ。
 そのため私はいつも新野さんの鼻を見ている。鼻も高くて素敵です。好きです。

 

「こ、こんにちは!」



 あ、声が上擦った。消えてしまいたい。
そんな私の心情など露知らず、新野さんは微笑んでいる。
 新野さんは廊下を指差し、口をぱくぱくする。恐らく『おいで』と言ってる、筈だ。

 

「お、お邪魔します!」

 

 また声が上擦った。消えてしまいたい。

 

 ぎしっ、と音が鳴る廊下を渡る。曲がり角には男と女が絡み合うような浮世絵が飾られている。芸術とかはよく分からないけど、この絵を飾るのは純粋に凄いと思う。


 
 この浮世絵は目印だ。この広い屋敷では特に。
 角を右に曲がったら広々とした和室が見える。縁側には座布団二枚と麦茶が用意されていた。新野さんはどっちに座るかな、ちらっと新野さんを見る。新野さんは先に右側に座った。なら私は左側へ腰掛ける。

 
 
 お庭はこじんまりしてるけれど、どこか幻想的だ。詳しいことは全く分かっていないが、これが雅な空間なのだろうと思う。

 
 蝉がみんみん五月蝿い。けれど、この沈黙を過ごすには丁度いい。
 新野さんは私にお洒落な腕時計を見せてきた。私は新野さんの綺麗な、けれど男の人特有の逞しい腕を見て、ぽうっとなる。すれ違い、本当は分かってる。門限は刻々と迫ってきている。そう新野さんは言いたいのだろう。知ってる。新野さん好きです。

 
「えっと……本日はお日柄も良く!」


 
 後ろから吹き出したような笑い声が聞こえた。振り返ってみると、川中さんが声を押し殺して笑っていた。お見合いみたいな台詞を言ってしまったことは自覚している。

 

 川中さんをきっと睨みつけると、にやにやしながら台所に消えていった。…川中さんは意地悪だ。

 

 気を取り直そう。大丈夫、落ち着いて、深呼吸して。

 

「そして新野さんは今日も素敵ですね!好きです!」


 
 おかしい、現文は得意なのに文章がめちゃくちゃだ。自分の間抜け具合に羞恥で顔が赤くなる。

 

 けれど、新野さんはにっこり笑ったままだ。
 理由は分かっている。私が新野さんに告白するのはいつものことだからだ。



 故に、新野さんは表情一つ変えない。それもまた、いつものことだ。

 

 だがしかし、恋する乙女は無敵だ。次の話題を考える。話題といっても、新野さんに話す内容は決まっている。というより、話す内容がなさすぎるのだ。まず学校で起きた出来事、美味しかったお昼ごはん、面白かったドラマのお話、……たったそれだけ。


 私の、女子高生の小さな世界のお話。
 
 
 きっと新野さんもつまらないだろうに、いつも微笑みながら話を聞いてくれる。次節、口元に手を当てふふって感じで笑ってくれる。私はその笑い方が大好きで、もう、なんというか、たまらなくなるのだ。


 
 新野さんは自分から話題を振ってくれることは少ない。あまり深く詮索したことはないけど、おそらく話せないのだろうと踏んでいる。だから新野さんに質問すると、スマホのメモアプリで返事が返ってくる。
 けれど、新野さんはスマホの扱いに慣れていないのか、人差し指でぽちぽちと、ゆっくり文字を綴るのだ。



 それがとても可愛くて、つい質問ばかりしてしまう。



 今日のご飯は何でしたか?何をしていましたか?


 
 そんな問いに対して律儀にぽちぽちとスマホを打つ新野さん。すると不思議なことに、まだまだ時間があると思っていたのに、もう門限が刻々と迫っている。

 

 夕日は山に隠れようとしていた。滲んだ空、いつでも見れる光景が、新野さんが隣にいるだけで眩しく感じる。
 沈みゆく夕日を二人で見ていた。…嘘、私は夕日を眩しそうに眺めている新野さんを、見つめていた。

 

 新野さんの真っ黒な髪が夕日に照らされて少し明るくなっている。枝毛のない直毛は触ってみたくなるほどさらさらだ。更に横顔は美術の授業で習ったヨーロッパの彫刻みたいに整ってる。あ、唇が少し乾燥してる、かわいい。

 

 いつもは真正面から直視できない為、こういう時にまじまじと見てしまう。
 私の視線に気付いたのか、新野さんが私の方を向いて、にこっと笑った。思わず下に俯く。けれど、新野さんは腰を曲げて私の顔を覗こうとする。私は必死に顔を横に逸らす。新野さんは私の顔を覗こうとする。私は必死に顔を横に逸らす。…終わりの見えない攻防戦にギブアップしたのは、私だった。

 

「あの、えと……ごめんなさい、新野さん!ちょっとかっこよすぎるので、そんな見つめないで下さい!」

 

 もっと他に言い様はあった筈なのに、この間抜け!



 後悔先に立たずとはこの事だ。顔全体が耳朶を中心に熱くなる。どうして私は、新野さんにいつも変なことばかり言ってしまうのだろう。少し泣きそう。

 

 けれど、私の気持ちなど露知らず、新野さんは手を口元に当て、肩を震わせながら笑っている。目元に少し涙を溜め、首元のワイドチョーカーに隠された喉仏が少し上下していた。

 

 新野さん、爆笑している。


 
 これは珍しい光景だ。それに気付き先程の羞恥心は遥か彼方に消え失せた。思わず目を大きく開け、きらきらさせながら新野さんを見つめる。当たり前ではあるが、新野さんの笑った顔も大好きです。



 どうしよう、ああ

 

「ずっとずっと、この時が止まったら良いのに」


 
 ため息のように、とんでもないことを呟いてしまった。私はいつもこうだ。顔も口も目も、全てが正直すぎる。恋の駆け引きなんて、出来やしない。

 

 更に耳朶に熱が篭っていく。目も潤み、今にも涙が溢れそうなのが分かる。


 
 嫌だ、恥ずかしいという気持ちが身体中を駆け巡る。けれど、恥ずかしがってばかりでは駄目だ。

 

 女は度胸だと、新野さんの着物の裾を少し引っ張り、いじらしい少女を演じてみる。

 
 恋する乙女の必死の誘惑。


 
 けれど、新野さんは私の頬を少し撫で、少し困ったように笑う。これぞ玉砕と言うべきか。いつものことだが、やっぱり悔しい。


 
 分かってるくせに、分かってるくせに。


 
 悔しい。新野さんは顔色ひとつ変えやしない。分かってる。新野さんは私に手は出さない。新野さんは大人だから、分かってる。私が未成年である限り、恋愛の対象にはならない。


 
 真っ白なセーラー服、赤いスカーフ、紺色のスカート、白い膝下までの靴下。

 

 それらは全て、私が未熟な証。
 私がまだ子どもなのだと、思い知らされる証。

 

 そんな私の心を見て見ぬふりをし、新野さんはスマホを此方に見せる。

 

 スマホには〈今だけ!!期間限定のケーキバイキング〉と可愛い文字で大きく書かれた記事があった。

 

 単純なことに、悔しいという気持ちは新野さんとデートに行けるかも、という嬉しさで霧散されていた。

 

「一緒に行きたいです!」

 

思わず一緒という言葉を強調する。だって、約束しなければ、次はいつ会えるか分からない。


 
 本当は毎日会いたい。ずっとずっと、新野さんの隣にいたい。けれど、それはお母さんたちに不信がられる。だから、私が新野さんに会えるのは、お母さんたちが外食に出かける金曜の夕方と、土日だけ。

 

 新野さんの口角が少し上がった。そして、人差し指でぽちぽちとスマホを打つ。

 

〈いっしょにいこう〉


 
 ひらがなだけの簡単な内容が、すごくすごく嬉しくて、早鐘を打つ心臓が飛び出てしまいそうだ。


 
「まあ、俺も一緒にだかな。こいつは免許持ってないし」

 

 そう言いながら、川中さんは茶々を入れるように私たちの真ん中にお盆を置く。急須と湯呑みと、とても大きなおにぎりが二つずつあった。お米はとてもつやつやで良い匂いがする。お腹が鳴りそうなのを必死に隠し、おにぎりを食べる。温かい炊き立てのごはんと、塩がいい具合にマッチして美味しい。思わず顔が綻ぶ。

 

「いつもありがとうございます!」


 
 満面の笑みで川中さんにお礼を言う。川中さんは私の頭を撫でて目を細める。

 

「いいんだよ、育ち盛りはちゃんと食え」



 そう言って、川中さんはニヤリと笑った。この家に来たら、私にご飯を食べさせてくれる川中さんには、凄く感謝してる。いつもはコンビニ弁当が当たり前だから、温かいご飯が食べれるのは、本当に嬉しくて、本当に幸せ。


 

 まるでここが、本当のお家みたいだ。



 
 ああ、幸せだなあ



 

 【調査報告書】

[あさなわ町女子高生怪死殺人事件]
日時:2024/04/04 16:00
場所:●●県▲▲市あさなわ町3756-4  あさなわ山 山道
被害者:?
死因:?
第一発見者:畠山 諒子
捜査状況:遺体の損壊が激しい。
殺人、獣害の可能性も視野に入れ捜査を実行する。
危険度:中
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

怪異相談所の店主は今日も語る

くろぬか
ホラー
怪異相談所 ”語り部 結”。 人に言えない“怪異”のお悩み解決します、まずはご相談を。相談コース3000円~。除霊、その他オプションは状況によりお値段が変動いたします。 なんて、やけにポップな看板を掲げたおかしなお店。 普通の人なら入らない、入らない筈なのだが。 何故か今日もお客様は訪れる。 まるで導かれるかの様にして。 ※※※ この物語はフィクションです。 実際に語られている”怖い話”なども登場致します。 その中には所謂”聞いたら出る”系のお話もございますが、そういうお話はかなり省略し内容までは描かない様にしております。 とはいえさわり程度は書いてありますので、自己責任でお読みいただければと思います。

ものもけさん【完結】

星読ルナ
ホラー
主人公の結月るなは、ある日、SNSで会いたい故人に会わせてくれると言う「ものもけさん」の都市伝説を見つける。 疑いもなく、儀式を始める彼女だったが……。 都市伝説のものもけさんとは一体、何なのだろうか… ・全5話 ※個人的に私の書くものは、怖さは弱い方だと思っていますが、 人によって感じ方は違うので、自己判断でお読みください。 ※レイティングは、保険で付けています。 ※フィクションです。 ・表紙、挿絵はAIイラストアプリ作成です。

極上の女

伏織綾美
ホラー
※他サイト閉鎖のときに転載。その際複数ページを1ページにまとめているので、1ページ1ページが長いです。 暗い過去を持つ主人公が、ある日引越しした先の家で様々な怪現象に見舞われます。 幾度となく主人公の前に現れる見知らぬ少年の幽霊。 何度も見る同じ夢。 一体主人公は何に巻き込まれて行くのでしょうか。 別のやつが終わったら加筆修正します。多分

復讐のナイトメア〜伝承

はれのいち
ホラー
「どうも、夢チューブのハルキマとナッツです。さぁ……イジメっ子の諸君、お仕置きの時間だよ!」 「まずは前回の罰ゲームの映像から『じゃっじゃぁ~ん』大海原で、お食事とショーを楽しみながら観てね」 『苦しい……熱い……助けてくれ《だずげでげれ》』 「前回の罰ゲームだった溶岩風呂の映像でーす。『まじっ最高! 混浴風呂マジッヤバい! しかも骨まで溶けて温かそう』皆さん、けっこう楽しんでたみたいだね! ナッツ因みに、このお風呂の効能は?」 「えっと効能はクズの矯正……みんな良かったね」 この物語の主人公、春木甲馬の母親は昔、有名な占い霊媒師であった。  以前、甲馬は母親の恩恵で広大敷地に建つ、学校施設の様な大きな家に住み、信者も多く神の子として生きていた。  だが現在、母は弟子に裏切られ刑務所の中。 その者は母の一番弟子だった。 しかも甲馬のクラスメイト、日乃出美紅の母親である。   母の事もあり、甲馬はいじめられる様になった。 そのいじめっ子の首謀者は日乃出美紅。 そう、母を裏切った弟子の娘。 そんなとある日。 真山瞬の魂の欠片からできた生霊(ナイトメア)と出会い、甲馬はそのナイトメアを手に入れた。 そうして春木甲馬は転校生の夏娘と手を組み、イジメをする奴らに対して、悪夢での復讐劇を始めた……。

死界、白黒の心霊写真にて

天倉永久
ホラー
暑い夏の日。一条夏美は気味の悪い商店街にいた。フラフラと立ち寄った古本屋で奇妙な本に挟まれた白黒の心霊写真を見つける…… 夏美は心霊写真に写る黒髪の少女に恋心を抱いたのかもしれない……

水難ノ相

砂詠 飛来
ホラー
「あんた、水難の相が出てる――3日後に死ぬよ」  予備校講師の赤井次晴は、水難の相が出ていると告げられる。  なんとか死を免れようと、生徒であり歳下の彼女である亜桜と見えないものに抗うが―― 専門学生時代に執筆したお話です。 誤字脱字のみをなおし、ほかはすべて当時のままの文章です。 いろいろとめちゃくちゃです。

処理中です...