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天下五分

掛銭 3

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 今から何をお願いしようかと気分が高揚している布施から、また目の前の男達に顔を向けた。
 傾向き始めた太陽の光が、サイハク達の後の硝子から差し込む。

「つまり、この女は彼らの生活の現状を表しているのです。賊共の中にあっては、この女はまさに荒野に咲く一輪の可憐な花⋯⋯だがこの女ひとり厚遇して贅沢させる余裕もない。話は変わりますが、トウイン殿は今からでも賊から然るべき税を取るべきとお考えですか」
「無論」
「今の彼らの生活はようやく基盤が出来上がってきた所で、まだまだ困窮しているというのにですか?」
「狼藉者共に甘い顔をしても利などありはせぬ。貴殿のように女子おなごにいい顔したいならともかく」
(あんたらの面前で恥ずかしてるのにいい顔も何も無いだろ⋯⋯)
 
 周郎はフッと口から息を吐き、口角を上げた。
 ここからが本題だと改めて気持ちを入れ直した。

「我が国にはこんな言葉があります。『倉廩そうりん満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱えいじょくを知る』。これは古の時代、斉と呼ばれた強国の礎を創った管仲という宰相の言葉です。倉廩とは食料庫の事で、この場合は米倉ですね。
 今彼ら賊徒達はようやく畑を耕し、売買をすることで生活できる状態です。今のまま彼らを無理に抑制し、徴税しようものなら反発されるのは必須ではございませんか。それよりも彼らの生活が安定し、王の慈悲に気づくまでの猶予を与えてやるのが上策だと私は考えます。さすれば、賊共は寛大なこの国に感謝し、より一層労役に励むでしょう」
「だから甘い顔をしろと?」

 勢いに押されてトウインの声がくぐもる。  

「もし彼らとぶつかり合いお互い血でも流れればそれは下策中の下策。国としての体裁を考えても、抑圧しか頭にない国王より、罪人であっても改心したものには慈悲を見せる国王の方が皆の敬意を得られます。まあ、私は彼らに限らず、困窮している者達には税を免除して国として尊大なところを見せるべきだと考えてますが」
「諸刃の剣だな⋯⋯賊徒などを特別扱いし、それこそまた元に戻り奴らが民を傷つけたらどうする。王の信任は崩れ去るのみだ。それに、結局のところ私兵にする理由はなんなのだ。そこが見えてこない」

 光が周郎と布施の足元を照らす。
 
「丞相の言う通りだ。国王、あの男は武力を持ってよからぬ事を企むかもしれませぬぞ」

 官僚のひとりがトウインに同調してサイハクに向かって囁いた。
 それを聞いたサイハクの顔には焦りが見える。
 サイハクは、自分の代わりに周郎に皆を納得させてもらう必要があった。
 決して傀儡のように操られている訳では無いが、生来人に対して強く出ることが苦手なサイハクでは、官僚達の圧に勝つことはできない。

「本来であれば、私は私兵など必要ありません。王に向かって兵を起こして弑逆するなど考えませんし、自らの裁量で兵を率いるつもりもございませぬ」

 胸の鼓動が早くなるのを、周郎は感じた。
 これから言おうとしていることは、彼らを私兵にすると決めた時点で決心していたことだ。
 だが、トウイン含めこの多くの官僚達の前で発すれば、もはや後戻りは出来ない。

「力を持つということは、同時に責任が生まれます。つまり、私兵となれば私は彼らを統制し、監視する必要があります。もし彼らが何かしでかしたとしたら、王が背負うべき責任は私という無能をこの国に招き入れた責のみ」

 周郎は口の中に自然と溜まった唾液を飲み込んだ。
 唾液が喉を通るのと同時に、汗が一滴、顔から喉に垂れ落ちた。
 サイハクやトウイン達は周郎が何を言おうとしているのか察した。
 この場で分からずにいるのは、周郎の腕に抱かれている女性だけだ。
 口角を上げた口元から、白い歯がこぼれる。

「彼らの内のひとりでも罪を犯せば、私自らがその者と彼らのかしらである正の首を取り、その後私の首を玉座の前に捧げます。異国から災厄を招き入れた奸臣として大衆の面前に吊るし上げてくださいませ」

 広間全体が静まる中、トウインが1歩前に踏みでる。

「⋯⋯その言葉、最早飲み込むことは許されませんぞ。王以下ここに居る皆が証人である」
「ええ、ただしそれまで彼らには手出無用で願います。税も7年は免除していただきたく」

 それを聞いたサイハクが眉を動かす。
 つい今朝は税の免除は5年と周郎は自らの口で言ったのだ。
 すぐに発言の意図を考えたが、答えを出す間もなく、トウインがサイハクに体を向けた。

「7年⋯⋯少々長い気もいたしますが、これでよろしいと某は考えます。いかがですか国王」

 サイハクはすぐには返事せず、周郎を見ながらまた考えた。
 
(周郎は私を試している⋯⋯初日の夜に私が試したように)

 ここで首を縦に振れば、いつものように官僚達の決議をそのまま丸ごと受け入れたことになり、そこに自分の必要性は無い。
 世襲制の王族とはいえ、個人として大した武力も持たないサイハクの立場は苦しい。
 配下の官僚達が暗躍すれば、自分を弑逆して傀儡君主を立てることも用意だ。
 だからこれまでサイハクは官僚達、特にトウインの前では大人しい、あまり意思を示さないようにしていた。
 
(周郎は私の、王の声を求めている。この男は短い期間の中で、私という存在の脆弱性に気づき、踏み出させようとしている。自らの命までも差し出す覚悟で)

 肘掛けに置いた拳を強く握る。

(ここで答えられぬ王であるなら、私は周郎と共に歩む資格は無い)

 しばらく目を閉じたサイハクは、両目を開くと周郎を睨みつけた。
 周郎はすでに布施を自分から離し、直立している。

「7年だと、それは些か長すぎる。倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りれば栄辱を知る⋯⋯たしかに良き言葉だが、それは我々を侮りすぎだ。そこまで特別扱いをすることはできぬ」

 サイハクの発言に、トウインが薄笑いを浮かべる。
 それとほぼ同時に、周郎も笑みを浮かべそうになったが、顔を引きしめ拱手した。 

「ではせめて5年、5年の猶予をお与えくださいませ」
「ああ、分かった。5年だな。それ以上は許さん」
「そのお心に感謝致します」

 いつもの親しみやすい口調ではなく、王としての威厳あるサイハクに内心喜びを覚えながら、周郎は深く頭を下げた。
 これで、私兵という存在と正達の免税が認められた。
 
 5年でも長いと思っていたトウインも、これでは何も言えない。
 トウインは口の中で下唇を噛み締めながらサイハクに一礼し、官僚達を引き連れて広間から退出した。
 周郎の隣を通り過ぎる瞬間も、トウインは周郎に目を向けずただ目の前を見て過ぎた。
 官僚達がぞろぞろと周郎の後ろに行く中、ひとり残っていたヒイが周郎に耳打ちした。

「お見事でした。やはり周郎殿はどこか不思議な力がありますね。こう⋯⋯即興で創りあげる力が」
「即興って気づいてた?」

 周郎は目をぱちくりさせながらヒイに顔を向けた。

「ええ、あの時と⋯⋯サイカ様を叱責した時と同じものを感じました。此度は声色こそ穏やかでしたが、直情的な」
(怖、この人まさかあいつと同じ人種⋯⋯)

 ヒイに畏怖の念を抱きながら、周郎は苦笑いした。
 ヒイも退出し、広間には3人だけが残った。
 先程からこの空間の空気に臆していた布施は出来るだけサイハクの顔を見ないようにしながら、広間の装飾を眺めている。

「さて周郎」

 サイハクが両手を支えにしながら立ち上がり、周郎の元へ足を踏み出した。

「そちらの女性は周郎の妻か。随分と親しいようだが」

 妻という言葉に、布施ははにかみながら頭を下げた。
 サイハクの顔は心なしか強ばっている。

「いえ全く。ただの悪友であります。妻だなんてとんでもない。共にこの国を目指していた訳では無いのですが、どうやらこの女もなにかの事情で辿り着いたみたいです」

 布施気持ちを乱さずにキッパリと否定する周郎に落胆した。
 対照的にサイハクの表情が緩む。 
 
「そうか、どうぞこの国を堪能していってくだされ」
「あっ、はい! ありがとうございます」

 サイハクに声をかけられ、布施は勢いよく頭を下げた。

「たしかに美しい女性だ。そなたの言う通り、この国で肩を並べられるのはイリーナかイヨウくらいだろう」
(いや、俺は奥方の名前は出ていないが)

 サイハクの家族愛に呆れていると、サイハクが白い歯を見せた。

「先程はよく丞相に対しても毅然とした態度を崩さず、私に異議を唱える機会を与えてくれたな」

 周郎は目を見張って笑った。

「いえ、私の意図を理解した貴方の聡明さがあってこそです」
「だが、良いのかあのような約束をして」

 周郎は少し考えた。
 勢いで言った要素も否めないが、私兵にすると決めた以上、責任を持つのは当たり前だと考えていたので、特に気にすることもない。

「力には責任が伴うというだけです。軍を預かる将が指示ひとつで兵士の命を左右出来るように、賊徒というものを手の中に収めるならば、私の命くらい質に入れねばならないだけのこと」
 
 一度口を閉じて俯いた周郎は、また顔を上げた。

「今さっき得た2つのものは、王の大望に必ずや必要になりましょう」

 サイハクは顎を引いて周郎を見据えた。
 隣の布施の存在が気になったが、周郎が布施の前で口に出すということは問題ないのだと判断した。

「⋯⋯聞かせてはくれぬか、そなたは一体どんな構想を持ち、この大陸を私が、シーウが統一できると考えている。残念ながら、私の中にあるのは曖昧な夢でしかなく、明確な展望など持っていない」
「それは今はまだ話す時ではございません。今語ってしまえば王はそのことに夢中になり、目の前の物を疎かにしてしまうでしょうから」
「そうか⋯⋯わかった。ではその時を楽しみにしている」
「心の片隅に置いていただければ幸いです」

 サイハクの衣装に描かれた比翼の鳥が一瞬、両翼の翼を得たように周郎は見えた。

(なんだ⋯⋯)

 目を擦ってもう一度確認すると、翼と目はそれぞれ1つしか無かった。
 目の錯覚にしても、随分具体的に視認できたそれが、不思議でならない。
 
「今日は気疲れしてしまいましたので、そろそろ失礼します」
「ああそうか、ゆっくり休んでくれ」

 布施と共に屋敷を後にした周郎はそのまま門の外へ出た。
 張り詰めていた空気から開放され、身体が膨らんだかのように思える。

「さてと、じゃあどこか行くか」

 腰に手を当て背を伸ばしながらずっと待たせていた布施に声をかけた。

「え? どうしてですか」

 布施が首を傾げる。
 急に周郎が優しくなった気がしたのも、気味が悪かった。

「いや、出かけるつもりだったのに急にあんなことになったからさ、その穴埋めだよ」
「あっそういうことですかぁ。じゃあ」

 布施が周郎の左腕を両腕で抱いて身体に寄せた。
 布施の柔らかな身体が、布越しに腕にあたる。

「とりあえず街を案内してください。日が暮れるまで」
「ああいいよ」

 周郎は顔色も表情も変えず、掴まれたままの腕で布施を引っ張った。

「なるほどなぁ、こうやって男を誑かすのかお前は」

 顔には出さなかったが、この状況を意識していない訳では無かった。
 歩く振動で腕が揺れると、布施の身体に擦れてしまうので、極力揺れないように力を込めて固定した。
 街ゆく人々の注目が集まるが、皆の視線が冷たく感じた。
 つい先日この国の姫と並んで歩いていた男が、もう別の女を連れて歩いているのだ。
 皆の目が厳しいのも当然と言えた。

「だから誑かしてませんよ。こんなことするの先輩くらいなんですから」

 自分で言ってて恥ずかしくなったのか、布施は手を離して顔を背けた。

「なるほど、普段は触れもせずに男を堕とすわけか。ますます恐ろしい」
「ちょっと! 誤解ですよ誤解」
「誤解ねぇ」
「そういう先輩だって私の事抱きしめたりして⋯⋯」
「ああ、あれはすまんかった⋯⋯」

 気まずそうに周郎は俯いて首筋を撫でた。

「なんでだろうな⋯⋯この世界に来て自分を偽ることを覚えてから、今までの自分では考えられないような行動を取ってしまうことが増えた」

 布施はそう言う周郎の顔をじっくりと観察した。
 横目で何度も自分を確認する周郎を見ていると、おかしくなって笑えてきた。
 先程までは大人達の、社会の荒波に揉まれていた男は、自分のよく知っている大学の先輩に戻っている。

「でも、さっきの先輩は凄く格好良かったですよ」
「そうか? 自分でも何言ってるのかあんまり分からなかったんだけど」
「いえいえ。正さんや皆を守ろうとする姿はほんとうに」

 布施は足を止め、鼓動が高鳴る胸をおさえた。
 ついさっき鮮明に記憶された周郎の温もりが身体を熱くする。
 大学にいた時から抱いていた感情が、今この場で溢れそうになった。

「あの、先輩」

 前を歩いていた周郎が足を止め振り返る。

「どうした?」
「あ、いえ⋯⋯なんでもないです」

 口から出しかけた言葉を飲み込み、その思いを振り払うように首を振って歩き出した。
 まだその時では無い。布施はいつも通りの軽薄な笑顔を浮かべた。

「ところで私達、どこに向かってるんですか」
「ああ、俺のオアシス」




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