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天下五分

掛銭

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「お姫様と彼はどんな様子だったの」

 時刻は遡り、周郎と正がサイハクに謁見する数時間前。
 明朝、周郎達より先に目が覚め、井戸に水を汲みに来ていた子健を喬が捕まえた。

 水が入った桶を引っ張る途中で肩を掴まれた子健は、縄から手を離してしまい、暗い井戸の深くで波紋が広がり、水面に桶が叩きつけられる音が反響した。
 振り返ってみると、妙に眼力が強く、肩を力強く握る喬が映った。

「普通だったよ⋯⋯周郎はちょっと情けながったけども⋯⋯」

 子健は昨日、周郎とイヨウがふたりで城壁に登ったところで、尾行を中止し、街をぶらぶらした後練兵場で軽い運動をしていた。
 そのため、イヨウが石竹色の水晶をプレゼントした事くらいしか話すことがない。

「情けないってどんなのかしら。手を握られて赤くなったとか?」
「いや、綺麗な石をプレゼントしようにもお金が無くて逆に貰ったり⋯⋯」

 話しながら桶に水を汲み直し、今度は勢いよく引っ張りあげる。
 水が溜まった桶から空の桶に水を移した時には、喬は腕を組みながら周郎達が眠る家の方を見つめていた。
 陽の光が徐々にふたりを照らしていく。
 子健はまた空の桶を放り、汲み上げた。

「気になるなら本人に聞けばいいのに⋯⋯多分色々教えてくれるよ」

 子健が言うと、喬は眼球だけ動かして子健を一度確認し、小さな溜息を吐いた。

「ええ、多分なんの恥じらいもなく語ってくれるでしょうね。だから嫌なのよ⋯⋯」
「ふーん⋯⋯よくわかんないな」
「貴方達ってふたりともそういう所鈍いのよね」
「あれ⋯⋯なんか呆れられてる」

 子健は井戸の縁に手をつきながら、腕と背中を前屈みになって伸ばした。
 プレゼントのこと以外を尋ねられるとどうしようも無いので、早く喬が立ち去るのを心の中で願った。

「変なことしてないならいいのよ⋯⋯してないなら」

 顔を上げて喬がぽつりと呟くのを耳にして、また口を開いた。

「まあでも、これからどうなるかはわからないけどね。周郎は女に興味無いみたいなイメージ持たれてるけど、普通に女好きだし」

 両手で桶を持ち、家の裏側へ向かって歩き出す。
 今の一言が喬への進言として適切だったかを考えてみたが、ただ親友の名誉を傷つけただけに思えた。
 風呂場の水瓶に水を注ぎ入れ、また井戸に戻ると喬は立ち去っていた。

「素直じゃないなぁ」

 井戸にまた桶を放り投げると、子健は大きく息を吐いた。

 ────

「どうしたんですか兄貴」
「ああいや、なんでもないよ」
「そうですかい? 早く食べないとなくなっちまいますよ」
(それは君が食べ過ぎるからだよ⋯⋯)

 周郎との話し合いの後、街に足を運ぶと偶然カクセイと遭遇した正は、ふたりで料理屋に入った。
 昼も営業している料理屋は珍しい。
 朝夕の二食が基本のこの世界では、昼食を食べる人は限られている。
 店内に客は居るが、かなり空席が目立つ。
 杉の木で作られた机の上に、猪の肉と適当な野菜を塩で炒めただけの料理が大皿で運ばれ、飯と共にカクセイが貪り食う。

(あの人、どこまで本気なんだろう)

 正の頭の中は食事どころではなく、周郎の話していた事でいっぱいだった。
 はっきりと明確には言わなかったが、周郎が成そうとしている物が何なのかは、三国志を齧った正にも十分理解ができた。

(あの人に⋯⋯文字通り幾多の屍を背負う覚悟が後でも言うのだろうか⋯⋯それともそこまで考えが行き届いていないか)

 シンプルな料理を美味しそうに食べるカクセイを眺めながら、ふと出会った頃のことを思い出した。

(あの時縄で縛られて連れていかれたボロ屋には、そういえば壁や床のあちこちに血が飛び散ってたなぁ。火葬も土葬もされていない仲間の遺体や、明らかに盗品と丸わかりの財宝⋯⋯)

 最初は命の危機を感じて震えていた。
 しかし、少しすると自分の命を取ろうとはしていないことが分かり、あの血腥い空間に順応していく自分がいた。

(彼らが悪人だということは分かっていた。元々俺はそういった人種を嫌悪していたのに、嫌悪感が消えていった。まるで俺も悪に染まるかのように。でもあれは多分、馴染んだだけだ。この世界に)

 だが、彼らと触れ合ううちに、正は気がついた。
 自分の居る国がシーウという小国であること。
 そして、自分の周りの賊達の約半分が元は別の国の住民だということを。

(彼らの中には戦火や災害で住む家を失い、仕事を失い、彷徨った末にひとつの集団を作り、悪に手を染めた者もいる。無論、生まれた時から野盗だったような者も)

 料理がさらに運ばれ、カクセイが箸を伸ばす。

「カクセイ、君は最初故郷では何をしてたんだったっけ」

 カクセイは大口に溜めた食べ物を一気に飲み込んだ。

「へ? ただの小作人ですぜ。ただその畑も家も戦いで燃えてすっからかんになっちまいましたが」
「そうか⋯⋯そうだったね」

 カクセイがまた料理に手を伸ばす。
 正は自分の前に置かれた茶碗をカクセイの前に置いた。

「それも食べていいよ。俺はお腹空いてないし」
「はぁ、すいやせん兄貴」

 さっそく、正が渡した茶碗から米を頬張る。
 正は山に置いてきた仲間達のことを思い出した。

「なあカクセイ、周郎さんが俺達に私兵になれって言うんだけどどう思う」
「へっ!?」

 驚いたカクセイは喉を詰まらせ、胸を叩いて噎せた。
 カクセイの水は空になっていたので、正が水を渡すとそれを飲み干して落ち着いた。

「そんなこと言ってたんですかい大兄貴」
「うん。それが俺達を守れる簡単な方法らしい」
「なるほど、兄貴はそれで悩んでたのか」

 カクセイは手を止め、左肘を机について、握りしめた拳をこめかみに当てた。

「別にいい話だと思いますがね。要するに俺達全員雇ってもらえるわけじゃないですかい」
「雇うって言っても、命懸けの仕事だよ」

 俯いた正を見て、カクセイは口を開けて大きく頷いた。
 そして腕を組んで背筋を伸ばすと、目に涙が出溜まっていた。

「そうか⋯⋯兄貴は俺達のことを案じて⋯⋯優しすぎますぜ」
「な、泣いてる?」

 カクセイは鼻の頭を人差し指で撫でながら、鼻をすすった。

「兄貴の思いやりに感動してつい⋯⋯でも兄貴、俺達の中で命懸けるのを嫌がるやつなんて居ませんぜ」

 不意にカクセイが神妙な面持ちになる。

「⋯⋯それは略奪も命懸けだったから?」
「⋯⋯それもあるんですが、なにより俺は実際にいたんで。戦っても逃げても死ぬあの場所に。俺の弟は一緒に敵から逃げてる途中に殺されたし、父親は槍を持って死にましたから。逃げるにしても戦うにしても、対して変わらないんですよ」

 カクセイはまた食事に手を伸ばす。
 正は黙ってカクセイの箸の動きを見ていた。 

「こんなことわざわざ深く考えるなんて、兄貴のいた国はよっぽど平穏だったんですかい」
「⋯⋯まあね」

 正の脳裏に、生まれた世界の事が浮かび上がる。
 文明も人の価値観も何もかもが違う。
 正や周郎にとって、戦争とは遠い自分たちの知らない場所での出来事に過ぎなかった。

「あと周郎さんが言ってたんだよ。皆が国と争いたくない気持ちと、国のために戦いたくない気持ちは両立するって」

 食べ物が通り、喉が隆起するのを目で追いながら言った。
 カクセイの眼球が、正の後ろを通り過ぎる人々を捉えて追跡する。
 顔見知りの商人らしき人物が通った気がしたが、すぐ正にまた目を向けた。

「俺はそんな事ないんですが、元々この国の住民だった奴はそう考えてもおかしくないですぜ」 
「うーん⋯⋯一体どう説得したらいいんだろう」

 正が目を閉じて唸りながら首を捻る。
 自分には、国に対する恨みの感情がいまいち理解できなかった。
 国の行動によって、住む場所や生活を奪われたという経験がない。
 だがこの世界には、戦争という悲劇によって全てを奪われた者たちは何人も存在している。
 正は何度も、そういった人々の心の内を頭に描いてみたが、暗い闇が浮かぶだけで何も分からなかった。
 
「そんなの簡単ですぜ。国のために戦わなきゃいいんです」
「どういうこと?」

 知らぬ間に運ばれてきた料理は全て綺麗に無くなっている。
 カクセイは歯に詰まった食べカスを指で取りながら、口を開いた。

「俺もアイツらも、兄貴が好きだから従うんです。だから兄貴も国じゃなくて大兄貴のために俺達を使えばいい。もっとも、大兄貴は国のために戦うんでしょうが、それはもう末端の俺達には関係ないんで。兄貴はただ純粋に俺らに向かって、自分のために力を貸してくれと言えばいいんです。あの場所に兄貴の頼みを断るやつはいませんぜ」
「カクセイ⋯⋯」

 正はカクセイの底知れぬ人間性を垣間見た気がした。 

「そうか⋯⋯わかったよ。皆に頭を下げて頼んでみよう。それだけでいいんだな」
「それでいいんですぜ」

 正は席を立ち、店主に勘定を支払った。
 正の持つ金は、自分たちで作った作物を売って作った金だ。

「まいどありがとうございます」

 中年の店主が頭を下げると、2人揃って店を出た。
 
「ああ食った食った」
(一口くらい何か食べればよかった⋯⋯)

 両腕を伸ばして背伸びをするカクセイを横目に、正はこれからどうするか考えた。

「どうするカクセイ、これからすぐにでも帰るかい」

 太陽に手を翳し空を見上げると、冬の上空を小さな鳥達が数羽西に向かって飛び去っていった。

「帰るって大兄貴の家にですかい」
「えぇ⋯⋯」

 正は苦笑いした。
 先程の自分に言って欲しい言葉を次々とかけてくれたカクセイはどこに行ったのかと。

「山にだよ、山」
「ああ! そっちですかぃ」

 恥ずかしそうに笑いながらカクセイが頭を撫でる。

「でもそれならみっちゃん探さないと」
「いや、それなんだけど。布施はここに置いていく」
「へ? なんでですかい」
「布施本人の希望だよ。就労さんと会ったら世話になりたいって言ってたしね」
「あーあ。みんな悲しみますぜ⋯⋯もちろん俺も」
「別に今生の別れってわけじゃないんだ。いつでも会えるよ。あとカクセイ涙脆すぎるでしょ」

 冷たい風が、カクセイの目に溜まった涙を散らした。
 きらきらと光を反射した雫は、正の視界を通って土の上に染み込んでいく。

「でも、大兄貴はみっちゃんのこと嫌ってません?」
「うん。でもまあ、なんだかんだ言ってあの人優しいから」




 


 
 


 

 

 
 
   


 


 
 
 





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