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天下五分
手にした力
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──────なぜあの女がここにいる。
今俺の目に写った西寺らしき男の隣りにいた女、あれは間違いなく、2年生にして大学中の男に名前を知られていた女、布施光葉である。
男を誑かすような容姿と振る舞い、あの女は自らを駆使し、入学から僅か1年で片手では数え切れないサークルを崩壊させ、文芸サークルに落ち着いた。
あの女によって崩壊したサークルの話を、俺は何度も耳にしていた。
冷たい地面から顔を上げると、自然と体が震えてきた。
「周郎様、大丈夫ですか」
イヨウが俺の肩に手を添え、優しい双眸を向け、高そうな着物など気にせず膝をついた。
「ああ大丈夫⋯⋯ちょっと目眩が」
「大変、少し休みましょう」
イヨウは手に力を込め、俺の身体を反転させた。
されるがままの俺の頭に柔らかな感触が触れる。
目線の先には下を向いてるイヨウの顔があり、目が合った。
「寒くなければここで少しお休みください」
どうやら俺は膝枕されているらしい。
こんな美少女に膝枕されるなんて、全国の男子が憧れるシチュエーションに違いないが、今は楽しんでいる余裕もない。
さっきの女は布施光葉に違いない。
数多のサークルクラッシュの伝説を聞き、実際あの女の毒牙が我が文芸サークルに迫ってから、俺は警戒心を高めた。
常々あの女が何か文芸サークルの和を乱さないか警戒するあまり、いつのまにか半径10メートルの内にあの女がいるだけで気配を察知できるようになっていた。
それだけでなく、たとえ人混みに紛れていてもあの女が50メートル先にいるだけで、その存在を認知できるようになった。
そんな俺のセンサーが、数カ月ぶりに反応している。
あの女の1番の武器は計算としか考えられない無意識な行動である。
あの女は自らそれを分かっているのかはいざ知らず、モテ男非モテ文系理系体育会系関係なく、数多の男共を陥落させた。
此度、俺達がこの世界に来る直前まで楽しんでいた旅行も、文芸サークルのメンバー全員に声をかけたが、あの女は誘わなかった。
理由はシンプル。俺はあの女が怖い。
「顔色がすぐれないようですが、帰りますか?」
イヨウが俺を心配しながら、おでこに手を添えた。
熱を測ってくれているのだろうが熱はない。
これは一種の神経衰弱だ。
せっかくイヨウは楽しんでくれているのだ。ここで余計な不安など与えたくない。
それにイヨウはサイハクの野望とも言える大望を察し、少なからず気を病んでいる。
俺といることでそのストレスが和らぐなら、できる限り共に過ごしたい。
「大丈夫だから、ここで少し休ませて」
身体と頭を横に向け、ただ広がる風景に目を配る。
視界の端から消えていく3人組は気にせず、彼らが来たであろう川の向こうの山々を眺めた。
一体何の目的で城までやってきたのかはわからないが、奴らがサイハクに謁見するつもりなら、おそらく俺にも出番はある。
つい昨日、野盗集団については俺に任せると約束してくれたのだ。彼らが来たら俺を呼ぶはずである。
少し目を閉じていると、震えは消え、見えないのに顔色ももとに戻っていく気がした。
そうなれば、いつまでも膝枕されているのも恥ずかしい。
ゆっくりと頭を上げ、胡座をかいてイヨウと向き合う。
「もうお体の方は⋯⋯」
「大丈夫だよ。ありがとう」
イヨウの顔がぱっと華やいだ。
布施光葉が無意識の計算で男を籠絡する怪物だとしたら、イヨウは男を無意識に惚れさせる天才だろう。
もっとも、俺は少女に興味はない。
「なあイヨウ、少し聞いていいか⋯⋯」
それでも、彼女のことは色々と気になる。
特に彼女の立場上、気にしないでくださいと言われても気にしないのは不可能だ。
「はい、なんでしょうか」
「君はこうして俺なんかと今過ごしているが、縁談なんかはないのか?」
「⋯⋯」
「ああごめん、話したくなければいいんだ」
イヨウの顔があからさまに沈む。デリカシーがないのは百も承知だ。
「いえ、周郎様に隠し事はしたくないので」
「ん?」
それはどういう意味なのかわからないが、イヨウは膝の上で指を遊ばせ始めた。
「お恥ずかしながら⋯⋯実は私、そういった話は一度もないのです」
「⋯⋯はい?」
「あぁ恥ずかしい⋯⋯」
手で顔を覆いながら、イヨウは頭を何度も横に降った。
これは意外すぎる。俺はてっきり、イヨウが縁談を断り続けているのだと思っていた。
「おかしいですよね⋯⋯一度もそういったお話を頂いてないなんて」
指の隙間から顔を覗かせた。
その感覚は現代日本を生きていた俺にはよくわからない。
だがたしかに、昔の日本でも下手をすれば子どもの内から結婚相手を決められることもあった。
「うーん、たしかに一度も無いっていうのは珍しいと思う。特にイヨウなんて、悪い金持ちが婿入りさせてでも子供とくっつけようとしそうなのに」
俺が唸っていると、イヨウは手をおろした。
「理由は分かってるのです。この血のせいだと」
「血? それなら君は国王の娘だろう。この国にそれより上物の血はないだろう」
「いえ、これが」
そう言うとイヨウは指で右目を大きく開いて見せた。
美しい碧眼が、光沢を帯びて輝いている。
「その目に何が?」
イヨウが手を下ろし、瞼を下げた。
「私の母の血は、この国⋯⋯いえ、この大陸ではあまり好まれないのです」
たしかに、サイハクの妻イリーナも同じく青い目をしている。それにセルゲもだ。
彼らと同じ血が、国王の娘という階級をも打ち消すほど業の深い血だというのか。
色々と聞きたいことはあるが、あまり深堀してはイヨウを傷つけかねない。
「くだらないな」
「え?」
無意識のうちに言葉が漏れていた。
現代日本でも、血や人種から差別され、自らを卑下する人達は存在する。
そんな厭悪していた現実が、この世界にもあった事が腹ただしい。
「なぜ君の母やセルゲ達の血が嫌われるのかは知らないが、同じ人間が血や種族によって差別されるなんて、これ以上にくだらないことは無い。少なくとも俺は君もセルゲも好きだ。人として、友として」
果たしてこの2人が友人と呼べるのかは分からない。
それにイリーナの名も出すべきだろうが、どうも俺はあの人に嫌われているようで気が重い。
俯き黙っているイヨウが、おもむろに顔を上げ、穏やかに笑った。
「周郎様は父と同じことを申すのですね」
「サイハクと同じ?」
「ええ。母は嫁入りの際、父に同じことを言われたそうです。母から聞いた所では、父はもう少し女性に気を使った言い方をしたみたいですが」
「⋯⋯そういうのは俺に求めないでくれ」
イヨウの笑みが、俺にプレッシャーを与えてくる。
サイハクがイリーナに同じことを言っている場面を想像すると、サイハクがなぜこの大陸を統一したいのか、その訳の一部が垣間見えた気がする。
冬の風が肌を刺激する。風が吹き出したが、ここには何の遮蔽物もない。
だが、人混みもなく他に誰もいないこの場所が、イヨウと居るには1番落ち着く。
「寒くないか」
「ええ、平気です」
イヨウの手や顔は赤くなったりしていない。
着物も生地が良いのか、分厚いが固くなく、揺れる度に柔らかな曲線を描いた。
「それにしても、ここの冬はまだ暖かいな。毎年こんな感じなのか」
「ええまあ、周郎様の故郷の冬はどんな具合ですか」
「そうだなぁ、ここよりもっと寒いよ。地域によっては雪が腰の高さ位まで積もるし、池の水が凍ることもある」
「まあ、雪ですか」
イヨウが両手を胸の前で重ね、その顔は好奇心に満ちている。
「私生まれてこの方一度も見たことがないのです。詩や物語の中でしか触れたことがなくて。雪ってどのようなものなのですか」
「別にいいもんじゃないよ。雪が降ると寒いし地面は滑って危ないし、雪が積もりすぎると建物が壊れたりもする」
イヨウの表情は変わらないが、このままでは純粋無垢な少女にネガティブなイメージだけを残すことになる。
「まあでも、雪で遊ぶのは楽しいよ。雪合戦とか、雪だるま作ったり、あとはやっはりかまくらだな。俺は作ったことないけど」
「かまくら⋯⋯」
かまくらという単語を復唱しながらイヨウが首を傾げた。
「えっと、こんなふうな形で雪で大きく部屋を作るんだ。すると不思議なことに、その中は雪なのに暖かいんだよ」
身振り手振り加え、かまくらについて説明すると、イヨウの瞳がさらに輝きを増した。
「雪を暖かい部屋に⋯⋯その中で寝たりするのですか」
「んー、まあよくあるのは餅を焼いたり、酒を飲んだり。寝れないこともないらしいけど」
「雪の中で火を使って、なぜ雪は溶けないのです?」
「雪の断熱性が凄いからとしか言えない⋯⋯」
随分とかまくらに興味を持っているみたいだが、見せてあげられないのが残念だ。
「1度でいいので、私もそのかまくらを体験してみたいです」
「俺もしたいよ」
ふいにイヨウの量の手が、俺の両手に伸びた。
冷えた手のひらの感覚が俺の手を包み、手が持ち上げられる。
「いつか、周郎様と共に」
イヨウの頬が鮮紅色に燃え上がり、混じり気のない期待を抱いた笑顔が向けられた。
自然と高揚感が湧き、握られた手や顔が熱を帯びる。
「あ、ああ⋯⋯そうだな⋯⋯そ、その時が⋯⋯楽しみだ」
体が強ばってスラスラと言葉が出ない。
俺は元来、ラブコメの主人公にありがちな鈍感な男ではなく、女子の好意には敏感なのだ。
それをまだ16のイヨウの前では興味のないように振舞って見せているだけだ。
いままでもイヨウが俺に抱いている感情が、どんなものであるか察せられる状況はあった。
だがそれを自分の中でそんなはずは無いと誤魔化し、目を背けていた。
だが今のはこれまで以上に真っ直ぐ力強く、彼女の感情が俺の心肝に響いてしまった。
だがそれと、俺が彼女をどう思っているのかは別問題である。
今の所俺は彼女とどうにかなろうなどという思し召しは持っていない。
少し無理やりに、自分の手をイヨウから解放すると、イヨウはキョトンとして口を開いた。
「どうかなさいましたか」
「いや、なんでもない」
俺は少しでもイヨウの顔を見なくて済むように、服に着いた埃を払うフリをし、誰かが階段を駆け上がってくる音を耳にした。
「誰か来る」
慌てて立ち上がって階段の方を見るが、まだその姿は見えない。
だがその足音は確実に近づいてきている。
別に命を狙われている訳では無いし、誰かが俺を捕まえようとしている訳でもない。
一般に開放された城壁なのだから、それこそ俺達のように男女が逢い引きに来てもおかしくない。
現にイヨウは足音の方向を気にもせず、突如警戒を強めた俺をじっと見ている。
階段を折り返した人物の黒光りする球体のような頭頂部が映る。
「なんだ衛兵か」
その通り、上がってきたのは黒い鎧を着用した、城門前でいつも見張りをしている兵士だった。
兵士はなぜか息が切れていて、俺とイヨウの姿を確認すると無理やり息を整え、拱手した。
「お探ししました周郎様」
「⋯⋯まさかまた王様がお呼びですか」
またと言うのは、勿論突如戦争に呼びつけられたあの日のことである。
だがそんなことを言っても、この衛兵はちんぷんかんぷんだろう。
「いえ、西の城門に周郎様の友人と名乗る男達がお見えなのです」
客人と聞いて、ようやく俺の中の9割9分まで事実認定していた推測が真実となった。
今俺の目に写った西寺らしき男の隣りにいた女、あれは間違いなく、2年生にして大学中の男に名前を知られていた女、布施光葉である。
男を誑かすような容姿と振る舞い、あの女は自らを駆使し、入学から僅か1年で片手では数え切れないサークルを崩壊させ、文芸サークルに落ち着いた。
あの女によって崩壊したサークルの話を、俺は何度も耳にしていた。
冷たい地面から顔を上げると、自然と体が震えてきた。
「周郎様、大丈夫ですか」
イヨウが俺の肩に手を添え、優しい双眸を向け、高そうな着物など気にせず膝をついた。
「ああ大丈夫⋯⋯ちょっと目眩が」
「大変、少し休みましょう」
イヨウは手に力を込め、俺の身体を反転させた。
されるがままの俺の頭に柔らかな感触が触れる。
目線の先には下を向いてるイヨウの顔があり、目が合った。
「寒くなければここで少しお休みください」
どうやら俺は膝枕されているらしい。
こんな美少女に膝枕されるなんて、全国の男子が憧れるシチュエーションに違いないが、今は楽しんでいる余裕もない。
さっきの女は布施光葉に違いない。
数多のサークルクラッシュの伝説を聞き、実際あの女の毒牙が我が文芸サークルに迫ってから、俺は警戒心を高めた。
常々あの女が何か文芸サークルの和を乱さないか警戒するあまり、いつのまにか半径10メートルの内にあの女がいるだけで気配を察知できるようになっていた。
それだけでなく、たとえ人混みに紛れていてもあの女が50メートル先にいるだけで、その存在を認知できるようになった。
そんな俺のセンサーが、数カ月ぶりに反応している。
あの女の1番の武器は計算としか考えられない無意識な行動である。
あの女は自らそれを分かっているのかはいざ知らず、モテ男非モテ文系理系体育会系関係なく、数多の男共を陥落させた。
此度、俺達がこの世界に来る直前まで楽しんでいた旅行も、文芸サークルのメンバー全員に声をかけたが、あの女は誘わなかった。
理由はシンプル。俺はあの女が怖い。
「顔色がすぐれないようですが、帰りますか?」
イヨウが俺を心配しながら、おでこに手を添えた。
熱を測ってくれているのだろうが熱はない。
これは一種の神経衰弱だ。
せっかくイヨウは楽しんでくれているのだ。ここで余計な不安など与えたくない。
それにイヨウはサイハクの野望とも言える大望を察し、少なからず気を病んでいる。
俺といることでそのストレスが和らぐなら、できる限り共に過ごしたい。
「大丈夫だから、ここで少し休ませて」
身体と頭を横に向け、ただ広がる風景に目を配る。
視界の端から消えていく3人組は気にせず、彼らが来たであろう川の向こうの山々を眺めた。
一体何の目的で城までやってきたのかはわからないが、奴らがサイハクに謁見するつもりなら、おそらく俺にも出番はある。
つい昨日、野盗集団については俺に任せると約束してくれたのだ。彼らが来たら俺を呼ぶはずである。
少し目を閉じていると、震えは消え、見えないのに顔色ももとに戻っていく気がした。
そうなれば、いつまでも膝枕されているのも恥ずかしい。
ゆっくりと頭を上げ、胡座をかいてイヨウと向き合う。
「もうお体の方は⋯⋯」
「大丈夫だよ。ありがとう」
イヨウの顔がぱっと華やいだ。
布施光葉が無意識の計算で男を籠絡する怪物だとしたら、イヨウは男を無意識に惚れさせる天才だろう。
もっとも、俺は少女に興味はない。
「なあイヨウ、少し聞いていいか⋯⋯」
それでも、彼女のことは色々と気になる。
特に彼女の立場上、気にしないでくださいと言われても気にしないのは不可能だ。
「はい、なんでしょうか」
「君はこうして俺なんかと今過ごしているが、縁談なんかはないのか?」
「⋯⋯」
「ああごめん、話したくなければいいんだ」
イヨウの顔があからさまに沈む。デリカシーがないのは百も承知だ。
「いえ、周郎様に隠し事はしたくないので」
「ん?」
それはどういう意味なのかわからないが、イヨウは膝の上で指を遊ばせ始めた。
「お恥ずかしながら⋯⋯実は私、そういった話は一度もないのです」
「⋯⋯はい?」
「あぁ恥ずかしい⋯⋯」
手で顔を覆いながら、イヨウは頭を何度も横に降った。
これは意外すぎる。俺はてっきり、イヨウが縁談を断り続けているのだと思っていた。
「おかしいですよね⋯⋯一度もそういったお話を頂いてないなんて」
指の隙間から顔を覗かせた。
その感覚は現代日本を生きていた俺にはよくわからない。
だがたしかに、昔の日本でも下手をすれば子どもの内から結婚相手を決められることもあった。
「うーん、たしかに一度も無いっていうのは珍しいと思う。特にイヨウなんて、悪い金持ちが婿入りさせてでも子供とくっつけようとしそうなのに」
俺が唸っていると、イヨウは手をおろした。
「理由は分かってるのです。この血のせいだと」
「血? それなら君は国王の娘だろう。この国にそれより上物の血はないだろう」
「いえ、これが」
そう言うとイヨウは指で右目を大きく開いて見せた。
美しい碧眼が、光沢を帯びて輝いている。
「その目に何が?」
イヨウが手を下ろし、瞼を下げた。
「私の母の血は、この国⋯⋯いえ、この大陸ではあまり好まれないのです」
たしかに、サイハクの妻イリーナも同じく青い目をしている。それにセルゲもだ。
彼らと同じ血が、国王の娘という階級をも打ち消すほど業の深い血だというのか。
色々と聞きたいことはあるが、あまり深堀してはイヨウを傷つけかねない。
「くだらないな」
「え?」
無意識のうちに言葉が漏れていた。
現代日本でも、血や人種から差別され、自らを卑下する人達は存在する。
そんな厭悪していた現実が、この世界にもあった事が腹ただしい。
「なぜ君の母やセルゲ達の血が嫌われるのかは知らないが、同じ人間が血や種族によって差別されるなんて、これ以上にくだらないことは無い。少なくとも俺は君もセルゲも好きだ。人として、友として」
果たしてこの2人が友人と呼べるのかは分からない。
それにイリーナの名も出すべきだろうが、どうも俺はあの人に嫌われているようで気が重い。
俯き黙っているイヨウが、おもむろに顔を上げ、穏やかに笑った。
「周郎様は父と同じことを申すのですね」
「サイハクと同じ?」
「ええ。母は嫁入りの際、父に同じことを言われたそうです。母から聞いた所では、父はもう少し女性に気を使った言い方をしたみたいですが」
「⋯⋯そういうのは俺に求めないでくれ」
イヨウの笑みが、俺にプレッシャーを与えてくる。
サイハクがイリーナに同じことを言っている場面を想像すると、サイハクがなぜこの大陸を統一したいのか、その訳の一部が垣間見えた気がする。
冬の風が肌を刺激する。風が吹き出したが、ここには何の遮蔽物もない。
だが、人混みもなく他に誰もいないこの場所が、イヨウと居るには1番落ち着く。
「寒くないか」
「ええ、平気です」
イヨウの手や顔は赤くなったりしていない。
着物も生地が良いのか、分厚いが固くなく、揺れる度に柔らかな曲線を描いた。
「それにしても、ここの冬はまだ暖かいな。毎年こんな感じなのか」
「ええまあ、周郎様の故郷の冬はどんな具合ですか」
「そうだなぁ、ここよりもっと寒いよ。地域によっては雪が腰の高さ位まで積もるし、池の水が凍ることもある」
「まあ、雪ですか」
イヨウが両手を胸の前で重ね、その顔は好奇心に満ちている。
「私生まれてこの方一度も見たことがないのです。詩や物語の中でしか触れたことがなくて。雪ってどのようなものなのですか」
「別にいいもんじゃないよ。雪が降ると寒いし地面は滑って危ないし、雪が積もりすぎると建物が壊れたりもする」
イヨウの表情は変わらないが、このままでは純粋無垢な少女にネガティブなイメージだけを残すことになる。
「まあでも、雪で遊ぶのは楽しいよ。雪合戦とか、雪だるま作ったり、あとはやっはりかまくらだな。俺は作ったことないけど」
「かまくら⋯⋯」
かまくらという単語を復唱しながらイヨウが首を傾げた。
「えっと、こんなふうな形で雪で大きく部屋を作るんだ。すると不思議なことに、その中は雪なのに暖かいんだよ」
身振り手振り加え、かまくらについて説明すると、イヨウの瞳がさらに輝きを増した。
「雪を暖かい部屋に⋯⋯その中で寝たりするのですか」
「んー、まあよくあるのは餅を焼いたり、酒を飲んだり。寝れないこともないらしいけど」
「雪の中で火を使って、なぜ雪は溶けないのです?」
「雪の断熱性が凄いからとしか言えない⋯⋯」
随分とかまくらに興味を持っているみたいだが、見せてあげられないのが残念だ。
「1度でいいので、私もそのかまくらを体験してみたいです」
「俺もしたいよ」
ふいにイヨウの量の手が、俺の両手に伸びた。
冷えた手のひらの感覚が俺の手を包み、手が持ち上げられる。
「いつか、周郎様と共に」
イヨウの頬が鮮紅色に燃え上がり、混じり気のない期待を抱いた笑顔が向けられた。
自然と高揚感が湧き、握られた手や顔が熱を帯びる。
「あ、ああ⋯⋯そうだな⋯⋯そ、その時が⋯⋯楽しみだ」
体が強ばってスラスラと言葉が出ない。
俺は元来、ラブコメの主人公にありがちな鈍感な男ではなく、女子の好意には敏感なのだ。
それをまだ16のイヨウの前では興味のないように振舞って見せているだけだ。
いままでもイヨウが俺に抱いている感情が、どんなものであるか察せられる状況はあった。
だがそれを自分の中でそんなはずは無いと誤魔化し、目を背けていた。
だが今のはこれまで以上に真っ直ぐ力強く、彼女の感情が俺の心肝に響いてしまった。
だがそれと、俺が彼女をどう思っているのかは別問題である。
今の所俺は彼女とどうにかなろうなどという思し召しは持っていない。
少し無理やりに、自分の手をイヨウから解放すると、イヨウはキョトンとして口を開いた。
「どうかなさいましたか」
「いや、なんでもない」
俺は少しでもイヨウの顔を見なくて済むように、服に着いた埃を払うフリをし、誰かが階段を駆け上がってくる音を耳にした。
「誰か来る」
慌てて立ち上がって階段の方を見るが、まだその姿は見えない。
だがその足音は確実に近づいてきている。
別に命を狙われている訳では無いし、誰かが俺を捕まえようとしている訳でもない。
一般に開放された城壁なのだから、それこそ俺達のように男女が逢い引きに来てもおかしくない。
現にイヨウは足音の方向を気にもせず、突如警戒を強めた俺をじっと見ている。
階段を折り返した人物の黒光りする球体のような頭頂部が映る。
「なんだ衛兵か」
その通り、上がってきたのは黒い鎧を着用した、城門前でいつも見張りをしている兵士だった。
兵士はなぜか息が切れていて、俺とイヨウの姿を確認すると無理やり息を整え、拱手した。
「お探ししました周郎様」
「⋯⋯まさかまた王様がお呼びですか」
またと言うのは、勿論突如戦争に呼びつけられたあの日のことである。
だがそんなことを言っても、この衛兵はちんぷんかんぷんだろう。
「いえ、西の城門に周郎様の友人と名乗る男達がお見えなのです」
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