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第二十話 穏やかな日常
しおりを挟むラピス薬店は一週間に一度休みを取っている。
平民の噂とは恐ろしいもので、サシャが噂を流してからというもの、かなり客が来るようになったから、そろそろ薬を補充しなければならなかった。
(うーん、腰痛の薬が品切れ……あとは頭痛薬、風邪薬、軟膏……結構売れたわねぇ)
『相談事』をした客がついでに買っていってくれたおかげね。
開店して二週間でこれだし、もう軌道に乗ったと言っていいんじゃないかしら?
医療ギルドの奴らが吠え面書いている様が目に浮かぶようだわ。ざまぁ見ろ。
(まぁうちの客って訳アリばっかりだから、素直に喜んでいいかは分からないけど)
そもそも無認可の薬店なのである。
そろそろ医療ギルドとの問題も何とかしたいと思っているけど、手が回らない。
(私が店番に立つっていうのが非効率なのよね……誰か店番に立たせて薬の研究と生産に集中したいわ……)
私はちらりと隣を見る。
ふぁぁあ、と欠伸をかく下僕の目つきは今日も絶好調だった。
(こいつは無理ね……接客とか絶望的に向いてないし、目つき悪いし)
誰かいないかしら。
礼儀正しくて、物覚えが良くて、文字が読める平民。
まぁそんな人が居たらどっかの優良商会で働いているわよね……。
「こんにちは~!」
「こんにちは~、だぜ!」
入り口のベルを鳴らしたのはサシャとその妹のリリだった。
最近、出来たての包帯を届けに来るサシャはすっかりここに馴染んでいる。
妹のリリも最後に見たときは発疹が出来ていたけど、今はすっかり元気になっていた。
「いらっしゃい。今日はどうしたの」
「リリが元気になったのでご挨拶に。本当にありがとうございました」
「した!」
リリは元気よくお辞儀する。
肩まで伸びた若葉色の短髪が元気よく揺れた。
……うん、もう大丈夫そうね。
「別に、こっちも仕事だからお礼は結構よ」
「ラピス様はそう言うと思いました」
「……ふん。用がないならこいつと遊んでなさい。暇そうだから」
「はぁ? なんで俺が」
「リリあそぶ! あそびたい!」
「……はぁ、しゃあねぁな。探検すっか」
「するぜ!」
なんでリリはあんなにジャックに懐いているのかしら。
あれから何度か往診には行ったけど、懐く要素あったっけ?
「あんなに目つき悪いのに……謎だわ……」
「あはは……すみません、リリがご迷惑を」
「別に私は構わないわ。遊ぶのはあいつだし」
………………ん?
「そういえばサシャ。お前、これからどうするの?」
妹の病気も治ったのだから、サシャも働かなければならない頃合いだ。
私に包帯を売ったお金もそう長くは持たないのだし、何か仕事があるのかしら。
問いかけると、サシャは気まずそうに目を逸らした。
「あー、実は今、捜し中でして……」
「そうなの」
「最初はお父さんの仕事を継ごうと思ったんですけど、私じゃまともに相手してくれないから……」
子供がやっていることだと見て足元を見られるわけか。
ふぅん。だったらちょうどいいじゃない。
確かこの子、文字は読めるし、礼儀は一応大丈夫だし、物覚えもよさそうだし。
「行く当てがないなら、うちで働く?」
「え」
サシャは目を見開き、カウンターに身を乗り出した。
「いいんですか!?」
「えぇ。適性次第では薬学を教えてあげても良いし」
「やります! 絶っっっ対やります!」
食い気味に鼻先を近づけられてちょっと引いてしまう。
そんなに嬉しいのかしら。悪い噂を流されてる店で働くのが。
「あ、でもジャック様は……」
「? あいつがどうしたの?」
「……ラピス様と二人きりなのに、邪魔していいのかなって」
なんでそんなこと気にするの?
「あいつはただの下僕よ。お前が想像してるような関係じゃないわ」
「そうなのですか?」
「無賃患者だからね。その分を返し終わるまで下僕なの」
サシャはきょとんと首を傾げた。
「いつ頃返し終わるんですか?」
「それは……」
……そういえば、いつ終わるのかしら。
ジャックに与えた薬は金貨五枚ほどの額だけど、既に二週間以上無報酬で働いているし、そろそろ返済は終わったように思う。正直、今ここでそのことを切り出されたら私には拒否できない。というか、なんで切り出さないのかしら。あいつの性格からしたらすぐに出て行きそうなのに。
「……ラピス様、もしかして気付いていないんですか?」
「なにが?」
サシャは言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。
ジャックとリリがいる場所を見て、私のほうに視線を戻す。
「お二人は、とてもお似合いだと思いますよ」
「そう? 私もあいつのこと良い下僕だと思ってるわ。でも接客に向いてないと思う」
……? ちょっと、何なの。
サシャが残念なものを見る目で見て来るんだけど。
「まぁいいです」とサシャは首を振って話を終わらせた。本当に何なの。
「でも、お給料をあげないのは少し可哀想な気もしますね」
「……そうね」
別に今から労働に切り替えてもいいのだけど、そうしたらジャックはここを出て行きそうな気もする。職場を辞めるのは労働者の権利だし、あいつがどこで何しようがあいつの人生だ。勝手にすればいいし、私にそれを止める権利はない。
(そもそも私はあいつに居てほしいの? 別に一人でもやっていけるでしょ)
こうしてサシャという助手が入ってくれるわけだし。
リリも働ける年齢になったらカウンターに立てるだろうし、ジャックが必要というわけでもない。
それなのに、どうして私は躊躇っているのかしら。
──何に対して?
(とりあえず、今日から働いた分はお金を溜めておこう)
自分から切り出すのは、なんかこう、違う気するというか。
いや違わなくはないんだけど、私の中の何かがブレーキをかけているというか。
そう、そうよ。
お金が欲しいならあいつから言えばいいのよ。そうでしょ?
労働した分はちゃんと溜めておくし、言えば渡すからそれでいいじゃない。
「いいか、これには絶対触んじゃねぇぞ。触ったらデコピンだからな」
「デコピンだぜ!」
「いてぇ! 俺はいいんだよお前の話だっつーの!」
「あはは! ジャックおじちゃん、おもしろーい!」
「おじさんいうな俺はまだ十代だ!」
リリを背中におぶったジャックが戻って来た。
まるで甥っ子に飛び掛かられる叔父さんのようなありさまだ。
苦々しい顔をしている下僕を見ていると、不意に目が合った。
「おう。どうした」
「……別に何も」
私はそっぽ向いた。
「お似合いだと思うわよ、ジャックおじさん」
「言っとくけど、俺がおじさんならお前はおばさんだからな」
「次におばさんと言ったら毒薬ぶちまけるわよ」
「理不尽だ!?」
うん。まぁ、いいや。
私は机の中から金貨を数枚取り出して机に置いた。
「これ、お小遣いよ。感謝しなさい」
ジャックは怪しげな目つきになった。
「……急にどうした。風邪でも引いたか?」
「要らないのね。分かったわ」
「いや貰えるなら貰うけど」
「くださいって言ったらあげる。語尾はワンよ」
「誰が言うかボケェ!」
「ボケェ、だぜ!」
「テメェは真似すんなクソガキ!」
「あのね、クソって言ったほうがクソなんだってお姉ちゃん言ってた」
「サシャ、テメェ何を教えてんだ!?」
あれこれと考えることもあるし、なんでジャックが言い出さないのか分からないけど。こいつが出て行きたいと言えば止めないし、その時のためにお金は溜めておくことにするけど。いつか、私たちは別々の道を行くことになるんだろうけど。
(ほんと愚かね。私も、お前も)
──今はもう少し、このままで……。
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