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第十五話 闇医者ラピス(前編)

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 下町の朝は冷える。分厚い布団を被っていても布団の隙間から冷気が入り込んできてしまう。でも布団の中は温かいからそのギャップがちょっと癖になって、余計に眠くなったりする。今日の私もそんな感じだった。

「ふぁぁ……」

 窓から日差しが入り込んでくる。
 頭がふわふわして、天井の染みを数えながらぼーっとしていると、階段を上がる音がした。続けて乱暴に扉がノックされ、唸るような低い声が響く。

「オイ、飯が出来たぞ。起きろ」
「やだ……あと三時間……」
「長ぇわ!」

 短いわよ。どうせならお昼まで眠っていたいわ。

「今日は探索者ギルドにカチコミに行くんじゃなかったのかよ」
「ん~……」

 昨日の私、そんなこと言ってたの?
 確かに言ったかもしれないけど、昼になってからでもいいでしょ。
 それよりもうちょっと寝かせてよ……眠い……

「さっさと起きろ。飯が冷めるだろうが」
「……すー、すー」
「チッ……オイ、入るぞ!」

 寝ぼけている私を無視してジャックが勝手に入って来た。
 ベッドの横で腕を組む下僕は私を見下ろして唸ってる。

「まだ布団被ってやがんのか。さっさと起きろ」
「やだ……あと半日……」
「さっきより伸びてんじゃねぇか!」

 ……うるさいわねぇ。
 頭の上できゃんきゃん吼えられるとうるさいのよ。
 しょうがないな、と思いつつ身体を起こし、大きく伸びをした。

「ふぁぁぁ……寝足りないわ……」
「……起きたならさっさと着替えて下に来い。飯が出来てる」
「んー……」

 瞼をこする。まだ寝ぼけてて頭が働かない。
 とりあえずなんだっけ……あれだ。着替えなきゃ……。

「よい、しょ」
「!?」

 ネグリンジェを脱いで下着姿になると、カーテンを開けようとしていたジャックが顔を真っ赤にして目を逸らした。

「馬鹿! 男の前で着替えるやつがあるか! 俺が出てからにしやがれ!」
「ふぁぁ……え?」

 自分の身体を見下ろし、続けてジャックを見る。

 ……何の問題が?

 さすがにあれだけ大声で吼えられると私の眠気も覚めてくる。
 カーテンが遮っていた日差しが頭に直撃し、だんだん目がぱっちりしてきた。
 未だに目を逸らしたジャックに堂々と胸を張る。

「愚かね。私、下僕に見られて恥ずかしくなるほど初心じゃないのよ」
「誰が犬だコラ!」
「ん」
「あ?」
「起こして」

 手のひらを上に向けて差し出すと、ジャックが舌打ちする。
「自分で起きらんねぇのか」と言いつつ近付いて手を引っ張ろうとしたから、私は抵抗した。
 怪訝そうなジャックを見上げて口の端をあげる。

「ほら、『お手』した。犬でしょ」

 ジャックの額に青筋が浮かぶ。

「こいつ、殴りたい……!」
「それよりお腹空いたわ。着替える間にご飯作って」
「もう作ってるよ! テメーが起きねーから起こしに来たんだろうが!」
「それを早く言いなさいよ」
「最初から言ってるわ!」

 そうだっけ。そうだったかもしれない。
 寝起きはどうも間抜けになっちゃうわ。ふぁぁ……眠い。


 ◆◇◆◇


「……暇ねぇ」

 今日も我がは通常営業、絶賛閑古鳥が鳴いていた。
 朝ご飯を食べて早起きしたはいいけど、客が来ないから暇である。

 ジャックに店番を任せて新薬の研究をしようかしら。
 でも、そしたら余計に客が来なさそうよね……ただでさえ目つき悪いんだし。
 当のワンコくんは心なしかそわそわしながら私を見下ろした。

「なぁオイ、探索者ギルドにカチコミ行くんじゃなかったのか」
「営業だからね。言っとくけど」

 ため息をついて続ける。

「落ち着いて考えたんだけど、私ってほら、無認可で営業してるわけじゃない」
「あぁそれがどうした………………マジで!?」

 言ったなかったっけ?

「だから探索者ギルドに行ったところで営業許可証を見せろって言われたら何も出来ないのよねぇ。まぁ薬師の資格は持ってるから患者を診る分には出来るけど、薬が売れないんじゃ意味ないし」
「闇医者みたいなもんかよ。なんで認可取ってねぇんだ。取れよ」
「認可降りなかったんだから仕方ないでしょ。この報いはいつか受けさせるわ」

 医療ギルドが一番嫌がる方法を考え中である。
 出来れば医療ギルド自体を壊滅させて新しい組織に生まれ変わらせたい。
 一度腐った組織は最初から一新しないとどうにもなんないし。

「つまりカチコミか。付き合うぜ」
「……お前、そんなにカチコミしたいの?」

 さっきからカチコミカチコミとうるさいんだけど。
 何度も訂正するのは面倒だけど、営業だからね。と言い含めておく。
 ジャックは残念そうに肩を竦めた。

「……」

 しかし暇だわ。暇すぎてのぼせちゃう。
 私、起きる時以外は常に動いていないと落ち着かないのよね……

 ──カランカラン。

「お」
「ごめんください」

 ついに客がやってきた。
 二十代頃の金髪の青年で、おっとりした目をしている。
 上等かつ控えめな服装からして上流階級の平民かしら。
 ……雰囲気だけで言えばジャックとは正反対の人間ね。

「こちらに特別な薬を売ってると聞いたのですが」
「特別かどうかは知らないけど、あるわよ」
「例えば、相手を落ち着かせる・・・・・・・薬も……?」

 妙に含んだ言い方ね。

「誰を相手に使いたいの。患者の症状は?」
「あの、実は婚約者が貴族の方に言い寄られてまして」

 病気じゃないの?

「どこの貴族よ」
「ファーレンハイト男爵です」

 ……あぁ、あの好色ジジイか。
 確かにあのジジイなら平民の婚約者を寝取ろうとしてもおかしくない。
 社交界で私を見るときの視線といったら、気持ち悪さ選手権優勝の実力だわ。

「で、それをどうにかしてほしいと」

 青年は縋りつくようにカウンターに身を乗り出してきた。

「お願いします。私は彼女を愛しているんです……! ようやく結ばれようと言う時にこんな仕打ち……あんまりだと思いませんか!?」

 思いませんかと言われてもね。

「あのね、うちは便利屋じゃないのよ」
「あぁ、闇医者だぞ。気ぃ付けろ」
「闇医者でもないわよ、この駄犬! 薬屋! 看板に書いてあるでしょ!」

 青年は困ったように眉根を下げた。

「えっと、なんでも解決してくださると聞いたのですが」
「はぁ……誰よそんなこと言ったの」

 悪評の次は何でも解決してくれる? どうなってんのよ、まったく。
 また医療ギルドの奴らが何かしたんじゃないでしょうね。そろそろ締め上げるわよ。

 まぁあのジジイは私も気持ち悪いと思うし、何かと悪評は多い。
 私がどうにかしたところで困る人はいないだろうし、助けてやってもいいけど。

「うちは高いわよ。お前に払えるかしら」
「おいくらほどで……?」
「金貨二十枚」
「た……っ!?」

 一般的な平民の収入三年分である。
 ジャックがこそこそと囁いて来た。

「オイ、高すぎねぇか。クソ貴族が相手ならもっと安くても」
「うちで薬を買ったことがバレた時のことを考えなさい。妥当な金額だわ」

 絶対にバレないけどね。

「本当にその婚約者を愛してるっていうなら、金貨二十枚くらい安いものじゃない?」

 ふん、と私は鼻を鳴らした。

「愛を語るなら覚悟を見せなさいよ。他人にリスクを背負わせるお金すら払えないなら、他の土地に移るとか色々やりようはあるでしょ。それすら出来ない愚図というなら婚約なんて解消すればいい。お前の愛は偽物だってことよ」
「……テメーは愛に恨みでもあんのかよ」
「お前は黙ってなさい」

 ジャックを黙らせ、カウンターに頬杖をつく。

「どうするの? 私は別にどちらでもいいけど」
「……」

 逡巡は思ったより短かった。青年は悔しそうに歯噛みした。

「分かりました。小切手でも?」

 頷くと、青年は懐から小切手を取り出した。
 サッとペンを走らせる。金貨二十枚。銀行の印章は本物。

 どこのボンボンかと思えば、没落真っただ中の商会だった。
 確かどこぞの新鋭商会に押しやられてピンチだとか……よくもそんな金があったものね。
 私の視線に気づいたのか、青年は困ったように微笑んだ。

「これは僕の資産全部です。商会のお金じゃありませんよ」
「そう」

 別に興味ないけど、お金を払うならちゃんと仕事で応えなきゃね。

「ちょっと待ってなさい」
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