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第六話 死にかけの男を拾いました
しおりを挟むオルクス大陸ではアヴァン帝国の成立以前から人ならざる獣たちに悩まされてきた。水源が多く、緑豊かな大陸には幻獣や魔獣、巨人、小人、果ては竜などといった超常種たちがひしめき合っている。その中には畑や畜産物に被害を及ぼすものも少なくはない。それらに立ち向かっているのは探索者と呼ばれる、迷宮や冒険を生業とする者達だ。
古代遺跡の探索や幻獣駆除など探索者の仕事は多岐にわたるが、どれも生傷が絶えないものばかり。ひどい時は腕を失ったりもするけど……魔法では人の傷を癒すことが出来ない。だからこそ、私たちのような薬師が重宝されている。
勉強が大変だし、資格を取るのも難しいけど。
調合をミスったら大変だし、成分を分析するのも大変だけど、一生安泰な職業。
それが薬師だ。
探索者たちは朝から活動する事が多いから、朝から忙しい。
この帝都にも薬師が点在しているけど、店が足りていない状況なのである。
なのだけど──
「暇だわ」
私の店は絶賛、閑古鳥が鳴いていた。
いっそ気持ちいいほどに、開店しても人っ子一人立ち寄らなかった。
カウンターの上で膝をつきながら、薬の在庫を数える。
減ってないから意味なかった。
「なんで来ないのかしら。ここが薬屋だって分かるでしょうに」
ちゃんと看板で分かるように『薬屋ラピス』と書いてある。
現に朝から探索者たちが店の前に来ていたし、店に入る寸前だった。
だけど──
「……まただわ」
店に入ろうとした探索者にどこからともなく現れた平民の男が話しかける。
すると、軽鎧を着た探索者たちの顔は蒼褪めて、そそくさと去ってしまった。
なんだってのよ、あの平民。
今度という今度は許さないわよ!
「ねぇ、お前!」
「ひっ……!」
「あ、こら、逃げるな!」
だからなんだってのよ、あいつ!
「待ちなさい!」
慌てて追いかけるけど、人ごみに紛れてすぐに見失ってしまう。
数十メルトもいかないうちに私の息も切れてきて、足が動かなくなった。
「ハァ、ハァ、何なのよ。ほんと……」
膝に手をついてなんとか息を整えるけど、ほんとしんどい。
運動は嫌いなのよ。なんで私がこんなに走らなきゃいけないの。
いっそ猟犬でも買おうかしら。はぁ──疲れた。
「あ」
(あ)
店の前まで戻ろうとした私は、さっきの探索者に気付いた。
気まずそうに頬を掻いた年若い男は隣を通り過ぎようとするけど、
「待ちなさい」
「ひっ」
そうはいかない。今度こそ理由を問いただしてやる!
「お前、どうして私の店に入らないの。あいつに何を言われたの?」
「それは……その……もごもご」
「何? ハッキリ言いなさい。 私、愚図は嫌いよ」
「ど、毒があるって言われたんだ! あんたの薬に!」
「はぁ? 何なのそれ、どういうこと。証拠はあるの?」
「知らねーよ! けどそう言われたら買いたくなくなるだろ!」
探索者の男は私の手を振り払って走り去っていった。
思わずその場に立ち尽くす。
毒? 毒ですって?
誰が何のためにそんなデマを……。
『……後悔、することになりますよ』
あぁ、そうか。昨日の。
あの時、ゴドーとか言ったあの中間管理職が言った意味はこういうことか。
……どいつもこいつも、ふざけてるわね。
あいつらは私が出す薬に毒があると触れ回り、医療ギルドとして注意を呼び掛けたのだ。平民にしても、まだ薬屋として実績のない私よりも国営であるギルドを信じるに決まってる。挙句の果てに店に入ろうとした客に噂を吹き込むと来た。これがあいつらの言う『後悔』の意味で間違いない。
……それにしても随分動きが早いわ。
緊急時はなかなか動かないのに、自分の身を守るためならこんなに早く動くなんて。
「ムカつく。あいつらの口に毒煙玉をぶち込んでやろうかしら」
ちょっと真剣に考えてみる。
毒煙玉はダメだわ。さすがに特殊過ぎて足がついちゃう。
いっそ毒煙じゃなくて井戸の水に毒を混ぜてしまおうか。
いやダメね。そしたら上層部だけじゃなくて無関係の人間も巻き込んじゃうし。
ならあいつらが乗った竜車に細工する?
これも却下かな。残念ながら私に竜車の知識なんてない。
こっちもギルドを貶めるような噂を流し返してみようかしら。
これもダメね。現実的じゃない。
ツァーリ家の名を使えない以上、私の言葉を信じてくれる人なんて居ないし。
「はぁ──もうめんどくさい。今日は寝ましょう」
結局一人も来なかった店の閉めて、私は二階にあがった。
焼いただけのパンとお肉を詰め込み、シャワーを浴びて床につく。
服は散らかしたままだけど、まぁ明日でいいや。
「……寒い」
夜の風はひんやりしていて、布団にくるまってもなかなか寝付けない。
あと、外がうるさい。
貴族街と違って下町は夜でも賑やかだった。
平民たちは貴族たちのように誰かの家で集まってパーティーを開いているわけではないから、自然と集まるのは酒場になるし、通りで酔いどれたちが騒いでいるのも理解は出来る。私だって理不尽じゃない。元公爵令嬢とはいえ、今や平民となったのだから身は弁えている。
それにしても、だ。
「──っ!」
「────! ────!」
「────ぁ!」
…………………………うるさい。
もうとにかくうるさかった。
なに、なんなの。
乱闘でもしてるのかってくらいの騒ぎ何だけど。
平民たちは毎日こんな騒ぎの中でどうやって寝ているの?
しかも、隣の家から聞こえてはいけない艶めいた声も聞こえるし……。
「最悪だわ……」
そういえば昨日の夜も騒がしかった気がする。
今日もこれってことは、これが下町の日常ってことかしら。
ほんのちょっとだけツァーリ家の布団が恋しくなってきた。
夜中でもキーラに熱々のコーヒーを淹れてもらって読書をしたっけ……。
(って、ダメだわ。感傷的になってる)
過去を思い出すのは心が弱っている証だ。
私は昨日なんて要らない。私が欲しいのは明日だけ。
──ツァーリの女はめげない。今日は寝る!
布団をかぶり直して、無理やり目を閉じた。
◆◇◆◇
パッチリ目が覚めると、頭がスッキリ冴え渡っていた。
あの喧騒の中で眠ったというのに、私も中々図太い女である。
──やっぱり悩み事が出来た時は寝るに限るわね。
私は早速起き出して、パンと牛乳をお腹に流し込んだ。
ボサボサの頭を後でひとくくりにする。これでよし。
軽く武装用の化粧を施して、トランクに薬一式を詰め込んだ。
寝ている間に考えた作戦を実行するためだ。
(見てなさい。あの愚かな連中を見返してやるんだから!」
寝てる間に対抗策を思いついた。
名付けて、『無理やり噂を上塗りする大作戦』。
(毒だなんだのと噂が流れてるなら、無理やり払拭すればいいのよ)
要は、私の薬が毒だと噂されているのが問題なのだ。
あとまだ誰も飲んだことがないからそんな風に言われるのであって、ちゃんと飲ませれば毒なんて噂はデマだと分かるはず。
つまり私がやるべきは『投資』。
これからの客確保のために怪我人を見つけて無理やり薬を流しこめばいい。
幸い、この街には探索者という便利なモルモ……じゃなかった。患者がいる。
探索者だってピンからキリまで居るし、薬を買えないような貧乏人も居るはずだ。そういう貧乏層に無理やり薬を飲ませ、効果を喧伝させればいい。そしたらそのうち、私の薬は毒ではなくちゃんと効果があるのだと分かってもらえるだろう。
(うふふ。我ながら完璧な作戦ね)
意気揚々と玄関を出る。朝の陽ざしが私の前途を祝福してくれていた。
さっさとくだらない噂を払拭して、目に物見せてやらなきゃ。
さぁ行こう。方針が決まったら迷ってなんかいられない…………あら?
「誰、お前」
店の前に血まみれの男が転がっていた。
「……」
男は死んだみたいにぴくりとも動かない。
平民らしからぬ貴族服を着ているけど、従者は周りに居ないみたいだ。
「ねぇ、お前。私の店の前で寝ないでくれる」
「……」
「というか怪我……」
軽く触診すると、身体のあちこちに刀傷や刺し傷があった。
……結構な大怪我じゃないの。
なんでこんな所に倒れているのかしら。
今日が営業日だったら蹴り飛ばしていたところよ。
あ、そうだ。
「ちょうどいいわ。患者第一号になってもらいましょう」
トランクの中から薬瓶を取り出し、男の頭の上から浴びせていく。
空気に触れた血液を急速に凝固させて無理やりかさぶたを作る応急薬だ。
間違って口の中に入ったら危ない薬だけど、その分、効果は抜群。
出血多量のおそれがあった男の傷はまたたくまにかさぶただらけになった。
「ふぅ。これでよし」
とりあえず中に運びますか。さすがにこのまま放置するのはアレだし。
薬師としての使命感に駆られながら男の体を持ち上げようとするのだけど、非力な私の腕じゃ男の体重はびくともしなかった。そういえば私、フラスコより重いものが持てないの忘れてたわ……いつもキーラに持ってもらってたし……。
しょうがないから腕を引っ張って店の中に運んでいく。そんな私を見て、道を行き交う平民たちは恐ろしいものでも見たようにサッと目を逸らした。なにその態度、と思いながら、客観的に自分を見てみる。
──毒を売ると噂の薬屋が店の中に血まみれの男を引き摺り込む……。
ひどい絵面だわ。今の私はさながら遺体を隠蔽する犯人のごとき怪しさよ。平民たちから見れば近づきたくないのは分かるんだけど……
いや、見てるくらいなら手伝いなさいよ!
ちゃんと助けてるの分かるでしょ! 重いのよ!
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