犯罪者の異世界転移

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中西正樹 2話

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 決行の日がやってきても、中西の心は乱れなかった。
 実行犯では無いにしろ、横谷を抑える重要な役目を今日はこなさなければならない。

 何故脱獄を諦めたのか、自分でも良く分からないが漠然とみんなの力になりたいと、そう思えた。
 この風呂場での真実を言うと、きっと皆は色々考えてくれるだろう。
 そんな皆が好きだった。脱獄後は会える事はないかもしれない。
脱獄を援助したと見なされても、今の自分に使える武器はこの「環境」しかないのだ。


 定例作業が終わり、決行の時間がやってくる。
 風呂場の湯を張る時間と、剪定の時間が重なる調整は前々から星と本山がうまくやってくれていた。
 後はいつもより、
多く──そして長く、殴られれば良いだけだった。

 中西はどれだけ殴られても声を出すことは無かったが、この日は違う。
 自身でも驚く程、苦しそうな声が出た。
出したと言うよりも「出た」様な呻き声は
横谷の耳と心にしっかりと届いた様に見えたのは、中西の気のせいではないだろう。


「なんや、えらい今日はしんどそうやのぉ。このロリコンが!」

 横谷のソフトボールの様な拳が、頭を揺らす。
 この衝撃は毎回痛さよりも気分の悪さが辛い上に、中々治らない。


「す、すいません。すいません」

 震えながら言った言葉は、誰に向けられたのかも分からない。

「すいませんで済むか! 幼女を拉致する様な奴は世間に出す訳いかんのや! わしが叩き直したる!」

 いつもよりも嬉しそうに殴打を繰り返す横谷は、その表情さえ切り取れば正にこの職業が天職と言える顔をしていた。

「ちゃんと言うこと聞く様に仕上げるんは得意中の得意や。わしの教育を有り難みを持って受けんかい!」

 中西が苦しむのが余程嬉しいのか、横谷は自然と自分の事を語り出す「癖」が出てしまって  いた。

「わしにもな、娘がおるんや」

 結婚していた事に中西は驚いたが、顔も知らない横谷の娘の存在に不確かな不安を感じる。

「小学生にもなるとな、親の言うこと何か口で言うても聞かんもんや。特に女は成長が早いからな」

 やけに粘っこく喋る横谷の言葉は、中西の耳で何度も反響した。
 この先を聞いてはいけないと、本能が警告している。


「痣作らんとどつくんうまいやろ?当たり前や。何年やっとる思てんねん。『プロ』やで。今では大人しい娘や。勿論それでも教育は欠かさんけどな」

 けらけらと笑いながら話す横谷の言葉は、中西の頭で何度も巻き戻されて再生された

 脳が理解しようとしない。
 本能が理解してはいけないと、言葉の吸収を拒んでいる。
 中西は吐きそうになった。いや、既に膝を付き目の前に迫るタイルに吐いていた。

「なんや、きったないやつやな!」

 俯く中西の頭を足で抑え、中西の顔中が自身の嘔吐物で塗られた。
 胃液の独特の匂いよりも、未だに横谷の言葉を頭が理解出来ずにいるのが不思議だった。


「女なんか大概はどついたらおとなしくなりよる。せやけど小さい頃からの方が効果的やな。今の嫁も幼なじみや。俺の言うことやったら何でも言う通りやで」


 中西の頭がやっとの思いで横谷の言葉を理解した時、更に理解できない事があった。
 

 何故このクズはこんな場所で、のうのうと生きているんだろう?
 あんなに、無垢で純粋な存在を何故誰も助けてあげないんだろう?

 言葉を聞いただけで、こんなに自身の心を刃物で抉り取られた様に痛いのに。
 
 こんなに悲しいのに。




 そこまで考えた所で中西の脳天に電撃が走った。





 そうか。


 こんなに






 こんなに痛いのか。



 自分が誘拐した子の親は──

 こんなにも──

 こんなにも痛かったのか。




「ごべんなざい」

 自身の罪を本当に理解する事は──

 こんなにも辛いのか。

 許されないと分かっていても謝るのは、こんなにも悲しいのか。

 中西は涙した。
 細い目から出た雫は、嘔吐物と混ざり合い区別が付かない。

「なんや! えらい今日は興奮さすやんけ! ほんま、それ以上は辞めてくれや。いくらプロでも加減難しくなるで! お前の場合は『学校』を休ます事何かできひんのやからな」


 笑い声と共に蹴りが頭に飛んできた。
 衝撃は感じたが、不思議と痛さは感じなかった。

 これまでの自身がされた事を、横谷の娘と照らし合わせるとまた胸が抉られた気がした。
 


 横谷の娘は──

 心を殺して時間が経つのを、待っていたのだろうか。
 今日か今日かと、怖くて堪らなかったのだろうか。
 
 あの粘着質な笑い声を、どんな思いで聞いていたんだろう。




ピピピピッ



 聞き慣れた電子音が風呂場に響く。

「はい、内掃横谷です。異常ありません」

 中西に背を向けPHSで報告する横谷は、後ろで立ち上がる中西に気付かない。


 中西の手には、入浴場のタイルを磨くデッキブラシが強く握られていた。


 中西の頭に内掃のみんなの顔が浮ぶ。
 充分に時間を稼いだのは、中西は感覚で理解している。それでも、心の中で皆に頭を下げた。




 ごめん──









 カンッと甲高い音が風呂場に響いた。




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