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幼少期

トレーネ嬢、大丈夫ですか?

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毒々しい笑顔を振りまくフラウ夫人、凍えるような爽やか笑顔のお父様、感情の読めない微笑みを浮かべるセイル兄様、頰を染めたまま何故かこちらをチラチラと見るトレーネ嬢、不安なのかそわそわと落ち着かないエルク、遠い目をしている私…。
混沌カオスである。
早いとこ退散してベッドに潜り込みたいなあ…と現実逃避をしていた私は、フラウ夫人の声を聞いてやっと現実に戻ってきた。

「…顔合わせも済んだことですし、少しお話でもしませんこと?リューティカ様やセイラート様の事ももっと知りたいですし」

「これからはになるんですものね」…とでも続きそうなフラウ夫人の言葉。
そこにエルクの名前がないのは、養子になったことを知らないだけなのか、はたまた意図してのものなのか。
…公爵家の人間が情報に疎いわけがないし、まして嫁ぎ先の情報なら尚更知らないはずがないのだから、恐らくは意図してのものなのだろう。
元の身分が公爵家より低い人間には興味がない、もしくは家族として認めない、と。
そういうことなんだろうな。
この場でここまではっきり態度で示してくるって事は、今後は使用人扱いくらい平気でやるかもしれない。
気をつけておかないと。
普段なら私は積極的に人を嫌うことはしないんだけど…どうにもフラウ夫人に関しては好意的に接する事は難しそうだ。

「…そうだな。婚姻を結ぶ以上、最低限の情報は共有しておくべきであろう」

「光栄ですわ…。わたくしもトレーネも、こちらに越してくるのが楽しみで楽しみで、夜も眠れないくらいですのよ。——待ちきれませんわ」

かなり遠回しな言い方だけれど、これは貴族的な言葉のニュアンスで考えると『入籍をもっと早めることはできないの?』という意味のはず。
…本気で早めるなんて思ってもいないのにこうして嫌味を言ったり返しづらい意地悪を言ったりするのは、貴族女性に必須の会話術だ。
男性の使う政治的な駆け引きや謀略の為の会話術とはまた少し違って、正直とても厄介で面倒くさい。
その会話術が社交界やお茶会などの女の戦場で欠かせない武器なのは分かっているけど、前世で女の子から散々王子様扱いを受けてきた私は、一応自分も女子であったのにも関わらずそういう『女子』っぽい会話が苦手なのだ。
…そういう意味では、私は男装こうなって良かったのかもしれない。

「…待つのも楽しみのうちと言うであろう。今はまだ、時期が早い——、な」

「…ふふ、そうですわね」

…あ、ダメだ。
どうやら男であっても公爵家当主として生きていくなら、この話術に対する対抗手段は処世術として持っておかなければいけないらしい。
ま、まあでもこの辺りは経験が大切だから、夜会やお茶会などに出られるようになってから徐々に身につけていこう、うん。
べ、別にフラウ夫人の笑ってない目が怖いから逃げてるとかじゃないからね!?
初心者じゃラスボスっぽいフラウ夫人には対抗できないだろうと思ってちょっと後回しにしてるだけだから!

「…それより、これからのことについてだ。何か聞いておきたいことがあれば今聞くといい」

「そうですわねぇ…婚姻についての詳細は既に書面で決まっておりますし…。トレーネ、貴女は何かあるかしら?」

お父様に聞かれたフラウ夫人はわざとらしく困ったように顔に手を当て、トレーネ嬢に話を振った。
その瞬間、セイル兄様の方から黒いオーラを感じた私は、さり気なくそちらをちらりと窺い見る。
けれどそこにいたのは先程までの感情の読めないセイル兄様で、決して暗黒オーラなど放ってはいなかった。
なんだ、気のせいか…。
何でそんな勘違いしたんだろう。
内心首を傾げながらトレーネ嬢へと視線を移すと、そこにはこちらを正面から真っ直ぐに見つめるトレーネ嬢がいた。
するとまたしても黒いオーラを感じ、背筋がひんやりとしてくる。
…な、何だろう、なんか凄い嫌な予感がするんですけど…。

「……ございます、お母様。リューティカ様、よろしいですか?」

見つめられてるから覚悟してたけど、やっぱり私か。
何を聞かれるのかと身構え、大騒ぎになっている心の内を悟られない様、必死で余裕ありげに見える微笑みを浮かべながら応えようと口を開く。
頼むから普通に年齢とか趣味とかを聞くだけにしてくれ…!

「…何でしょう?僕が答えられる事ならお答えしますよ」

「…ありがとうございます。それでは…」

「答えられる事は答える」…裏を返せば「答えられない事は答えない」という予防線を張り、いくらか心を落ち着かせる。
…にしても、何でそんな射抜くみたいに強く見つめてくるのかなあ。
トレーネ嬢が凄い緊張してるから私まで緊張してくるんですけど…!

「…リューティカ様は…」

「はい」

笑顔が引きつりそうなのを必死でこらえていると、トレーネ嬢が少し迷うように瞳を揺らし、目を閉じた。
どうしたのかとそわそわ様子を見ていると、不意にトレーネ嬢が目を開き、視線が絡み合う。
再び正面から見えたその瞳には迷いなどなく、何やら覚悟が決まったような、だけど半分やけくそのような、そんな顔つきになっていて。
それに少し戸惑いながらもじっと見つめていると、トレーネ嬢がすうっと息を吸うのが見えた。

「リューティカ様は、婚約者…」

ゴオォォォォォォォ!!!
バキバキバキッ!!!

「!?」

トレーネ嬢が何か言いかけたところで、中庭の方からものすごい音がした。
皆が驚いた顔をして、騎士や使用人達が私達を守る配置につき、窓から離れさせる。
お父様が騎士に指示を出し、指示を受けた騎士が部屋を飛び出して行く。
私も状況を把握しようと思ってお父様とセイル兄様の横に行こうとすると、横からエルクが抱き着いてきた。
エルクを片手で受け止め、再び歩き出そうとすると今度はもう片方の手を後ろから引っ張られる。
何事かとそちらを見ると、不安そうな顔をしたトレーネ嬢が私の服の袖をきゅっと掴んでいた。
警戒対象ではあれど、女の子にこんな顔をされては放っておける訳がない。

「…安心してください。何があっても、君には傷一つつけさせはしません。必ず守ります」

…レーツェル公爵家の騎士達は優秀だからね。
それに、もしも万が一騎士達が対応できないような事があっても、私とハイル、セイル兄様とアインがいれば大丈夫だ。
何より、ここには誰よりも強いお父様がいるんだから、今この場所は世界中のどこよりも安全なのだ。
だから心配はいらない。
…という気持ちを込め、安心させるように微笑む。
すると、トレーネ嬢は目を見開いたかと思ったら俯いてプルプル震えだした。
フォローが足りなかったのかと思い、もう一度声をかけようとした瞬間、トレーネ嬢がボフンッと音が聞こえそうなほど顔を真っ赤にしてよろめく。
それを見て慌ててエルクの手を離し、トレーネ嬢を両手で抱き留めた。
…ま、間に合って良かった。

「…大丈夫ですか?」

「…~~~~っっ!!」

鼻先が触れそうな距離で目が合う。
慌てていたため思ったよりも顔が近かったのが悪かったのか、目が合ったと思った次の瞬間にはトレーネ嬢は心配になるほど顔を真っ赤にして気を失ってしまった。
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