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81.優しさに捕えられて
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生暖かい吐息を首に感じたその刹那。
名前を呼ばれた気がした。
「あ…ゴホッ、ごほっ……」
目の前に浮かぶ黒い影に、視界が歪む。
口を塞いでいた手が引き剥がされ、まるで弾丸のように後方に飛ばされていった人影と入れ替わるように現れた黒い瞳の主は、慌てた様子でその冷たい手のひらを私の頬に寄せる。
身体が酸素を求めて背中を丸め、肺と心臓が痛んで胸を押さえてグッと力を入れる。
苦しさにジワッと涙が滲んで、大きく肩で息を吸うも、何故か呼吸が止まらなくなる。
「バカ! 落ち着け。
過呼吸になるぞ」
危うく死ぬ寸前だったというのに、この人はお構いなしで、ぶっきら棒にそう言って、私を腕の中に収めて、そっと背中に手を置く。
また布に抑えられて酸素が薄くて苦しいのに、身体が動かせなくて、でもその僅かな温もりが心地よくもあって、押し付けられたシャツの前で、その新緑の中を流れる雨水のような優しい香りをいっぱいに吸い込む。
ああ…そうだ、部長。
生理的な涙ではない別の涙が溢れてきて、ギュッと彼のシャツを握った。
杉村部長。
杉村 一華部長……。
「うっ…うぅ……!」
呼吸を抑えたはずなのに、声は出るのに、言葉は何も出てこない。
代わりに涙が零れ落ちるだけだった。
死ぬかと思った。
もう終わりだと思った。
でも、一番最後に、凄く後悔してた。
なんで最後にあんな風に酷く怒ってしまったのか。
どうしてそれが最期になってしまうのか。
まだ何も部長から聞いてない。
私自身も、まだ、部長に謝れてない。
だから、まだ死にたくないと……。
その理由が、部長であることが、自分でも驚いていて。
そうして胸が熱くなって、部長の胸で啜り泣くのだが。
どうしても言いたかったことを、必死に言葉にする。
どうせ最後ならーーいや、そうでなくても。
何回でも、呼んであげれば良かったと、思ったから。
「うぅ……いちかさんっ……一華さん……っ」
ハッと、息を飲む声が髪を刺激した。
また更に身体を包み込まれて、心地良い空間に捕えられる。
「凛……ごめん」
今度ははっきりと、声が聞こえた。
部長が悪いわけじゃないのに。
私だって意地張って、ちゃんと話せなかったのが悪いのに。
そう思っても言葉には出来なくて。
ただ、部長がこんな酷い私を見捨てなかったことが、嬉しくて。
昨日の夜とは正反対に、子供のように甘えて、泣いていた。
……まだ、何も解決していないというのに。
名前を呼ばれた気がした。
「あ…ゴホッ、ごほっ……」
目の前に浮かぶ黒い影に、視界が歪む。
口を塞いでいた手が引き剥がされ、まるで弾丸のように後方に飛ばされていった人影と入れ替わるように現れた黒い瞳の主は、慌てた様子でその冷たい手のひらを私の頬に寄せる。
身体が酸素を求めて背中を丸め、肺と心臓が痛んで胸を押さえてグッと力を入れる。
苦しさにジワッと涙が滲んで、大きく肩で息を吸うも、何故か呼吸が止まらなくなる。
「バカ! 落ち着け。
過呼吸になるぞ」
危うく死ぬ寸前だったというのに、この人はお構いなしで、ぶっきら棒にそう言って、私を腕の中に収めて、そっと背中に手を置く。
また布に抑えられて酸素が薄くて苦しいのに、身体が動かせなくて、でもその僅かな温もりが心地よくもあって、押し付けられたシャツの前で、その新緑の中を流れる雨水のような優しい香りをいっぱいに吸い込む。
ああ…そうだ、部長。
生理的な涙ではない別の涙が溢れてきて、ギュッと彼のシャツを握った。
杉村部長。
杉村 一華部長……。
「うっ…うぅ……!」
呼吸を抑えたはずなのに、声は出るのに、言葉は何も出てこない。
代わりに涙が零れ落ちるだけだった。
死ぬかと思った。
もう終わりだと思った。
でも、一番最後に、凄く後悔してた。
なんで最後にあんな風に酷く怒ってしまったのか。
どうしてそれが最期になってしまうのか。
まだ何も部長から聞いてない。
私自身も、まだ、部長に謝れてない。
だから、まだ死にたくないと……。
その理由が、部長であることが、自分でも驚いていて。
そうして胸が熱くなって、部長の胸で啜り泣くのだが。
どうしても言いたかったことを、必死に言葉にする。
どうせ最後ならーーいや、そうでなくても。
何回でも、呼んであげれば良かったと、思ったから。
「うぅ……いちかさんっ……一華さん……っ」
ハッと、息を飲む声が髪を刺激した。
また更に身体を包み込まれて、心地良い空間に捕えられる。
「凛……ごめん」
今度ははっきりと、声が聞こえた。
部長が悪いわけじゃないのに。
私だって意地張って、ちゃんと話せなかったのが悪いのに。
そう思っても言葉には出来なくて。
ただ、部長がこんな酷い私を見捨てなかったことが、嬉しくて。
昨日の夜とは正反対に、子供のように甘えて、泣いていた。
……まだ、何も解決していないというのに。
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