54 / 99
執事の本気
1
しおりを挟む
*****
涙の乾いた頬が、ひりひりとして痛い。私は裸のまま、目を覚ました。ベッドの中の温もりは、当然ながら私一人分しかない。気付かぬうちに眠ってしまったようだ。幸せなのに、胸が引き絞られるほど切ない時間だった。もっと、豪さんと一緒に居たかった。もっと触れ合っていたかった。
辛いのは私だけではない。豪さんも、ずっと苦しい表情を浮かべていた。愛してると言ってくれた。私たちは相思相愛だった。救いのない中で、唯一の救いはそれだけだ。彼の愛を、胸に刻んで生きていこう。
服を着て、鏡を覗き込んだ。酷い顔をしている。今日もきっと、メイク担当の三森さんに叱られるだろう。私には、モデルなんてやっぱり向いてないんじゃないか。好きな仕事なのに、私情を引きずって精一杯になれない。どんな仕事をするにしても、失格だ。
顔を洗うために洗面所に向かうと、そこで秋彦さんに出くわした。執事として、私たちより一足早く起きている人に、このような場所では滅多に会わない。そのせいで、私は少し動揺した。
秋彦さんは、私と豪さんの関係を知っていて、黙っていた。その事実を思い出すと、気まずくて顔を直視できない。
「おはようございます、寧々様」
「お、おはよう。秋彦さん、どうかしたの?」
「蛇口の水が止まらなくなってしまって。今、ちょうど修理を終えたところです」
「そうだったんだ。秋彦さんって、ほんとになんでもできるね」
「いえ。万能というわけではありませんが……お褒め頂き光栄です」
秋彦さんは、笑って軽く頭を下げると、私の顔をじっと見つめた。以前もこんなことがあった気がする。私が泣いていたことは、いつでも完全に見抜いてしまうのだ。
私はぎくりと肩を揺らし、斜め下に視線を逸らした。豪さんとのことはどうか、何も言わないでほしい。思い出しただけでも、涙が出そうになるから。
「今日は、スムージーをお作りした方がいいですか?」
「……え?」
「寧々様の食欲がなければ、ですが」
「あ……お願いしようかな。秋彦さんが作ってくれるの、すごく飲みやすくておいしいから」
「かしこまりました」
私の願いが届いたのか、涙の痕について、秋彦さんは何も言及しなかった。代わりに、違う気遣いをしてくれる。どうすれば私が傷つかないか、考えてくれている。
「あっ、あの、秋彦さん」
「なんでしょう?」
一礼して立ち去りかけた秋彦さんを、私は呼び止めた。感謝の意を述べたかったけれど、今の複雑な状況ではどこまで話していいのか分からない。首を傾げる秋彦さんに、誤魔化すようにして微笑みを向けた。
「そのスムージーも含めてなんだけど、いくつか料理を教えてくれないかな?」
「はい。かまいませんよ。でも、どうして急に?」
「独り立ちする準備、しとかなきゃって、思って……」
「ああ……そう、でしたね。では、時間を作ります。その時にまた、お声掛けしますので」
「うん。ありがとう」
優しい人だ。今度こそ出て行った秋彦さんの背中を見送りながら、昨夜の豪さんの言葉を、頭の中で繰り返した。
『もし生まれ変わったら、その時は絶対に一緒になろうな』
生まれ変わったって、前世の記憶がある保証はない。そもそも生まれ変わりなんて、あるわけがない。気休めの言葉に過ぎなかった。それでも、豪さんがそういうことを言ってしまうくらいには、私を想ってくれていたという証明だ。生涯、忘れることはないだろう。いや、忘れられない。
「……っ」
また滲み始めた涙を、私は水で何度も洗い流した。
涙の乾いた頬が、ひりひりとして痛い。私は裸のまま、目を覚ました。ベッドの中の温もりは、当然ながら私一人分しかない。気付かぬうちに眠ってしまったようだ。幸せなのに、胸が引き絞られるほど切ない時間だった。もっと、豪さんと一緒に居たかった。もっと触れ合っていたかった。
辛いのは私だけではない。豪さんも、ずっと苦しい表情を浮かべていた。愛してると言ってくれた。私たちは相思相愛だった。救いのない中で、唯一の救いはそれだけだ。彼の愛を、胸に刻んで生きていこう。
服を着て、鏡を覗き込んだ。酷い顔をしている。今日もきっと、メイク担当の三森さんに叱られるだろう。私には、モデルなんてやっぱり向いてないんじゃないか。好きな仕事なのに、私情を引きずって精一杯になれない。どんな仕事をするにしても、失格だ。
顔を洗うために洗面所に向かうと、そこで秋彦さんに出くわした。執事として、私たちより一足早く起きている人に、このような場所では滅多に会わない。そのせいで、私は少し動揺した。
秋彦さんは、私と豪さんの関係を知っていて、黙っていた。その事実を思い出すと、気まずくて顔を直視できない。
「おはようございます、寧々様」
「お、おはよう。秋彦さん、どうかしたの?」
「蛇口の水が止まらなくなってしまって。今、ちょうど修理を終えたところです」
「そうだったんだ。秋彦さんって、ほんとになんでもできるね」
「いえ。万能というわけではありませんが……お褒め頂き光栄です」
秋彦さんは、笑って軽く頭を下げると、私の顔をじっと見つめた。以前もこんなことがあった気がする。私が泣いていたことは、いつでも完全に見抜いてしまうのだ。
私はぎくりと肩を揺らし、斜め下に視線を逸らした。豪さんとのことはどうか、何も言わないでほしい。思い出しただけでも、涙が出そうになるから。
「今日は、スムージーをお作りした方がいいですか?」
「……え?」
「寧々様の食欲がなければ、ですが」
「あ……お願いしようかな。秋彦さんが作ってくれるの、すごく飲みやすくておいしいから」
「かしこまりました」
私の願いが届いたのか、涙の痕について、秋彦さんは何も言及しなかった。代わりに、違う気遣いをしてくれる。どうすれば私が傷つかないか、考えてくれている。
「あっ、あの、秋彦さん」
「なんでしょう?」
一礼して立ち去りかけた秋彦さんを、私は呼び止めた。感謝の意を述べたかったけれど、今の複雑な状況ではどこまで話していいのか分からない。首を傾げる秋彦さんに、誤魔化すようにして微笑みを向けた。
「そのスムージーも含めてなんだけど、いくつか料理を教えてくれないかな?」
「はい。かまいませんよ。でも、どうして急に?」
「独り立ちする準備、しとかなきゃって、思って……」
「ああ……そう、でしたね。では、時間を作ります。その時にまた、お声掛けしますので」
「うん。ありがとう」
優しい人だ。今度こそ出て行った秋彦さんの背中を見送りながら、昨夜の豪さんの言葉を、頭の中で繰り返した。
『もし生まれ変わったら、その時は絶対に一緒になろうな』
生まれ変わったって、前世の記憶がある保証はない。そもそも生まれ変わりなんて、あるわけがない。気休めの言葉に過ぎなかった。それでも、豪さんがそういうことを言ってしまうくらいには、私を想ってくれていたという証明だ。生涯、忘れることはないだろう。いや、忘れられない。
「……っ」
また滲み始めた涙を、私は水で何度も洗い流した。
0
お気に入りに追加
351
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
【完結】堕ちた令嬢
マー子
恋愛
・R18・無理矢理?・監禁×孕ませ
・ハピエン
※レイプや陵辱などの表現があります!苦手な方は御遠慮下さい。
〜ストーリー〜
裕福ではないが、父と母と私の三人平凡で幸せな日々を過ごしていた。
素敵な婚約者もいて、学園を卒業したらすぐに結婚するはずだった。
それなのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう⋯?
◇人物の表現が『彼』『彼女』『ヤツ』などで、殆ど名前が出てきません。なるべく表現する人は統一してますが、途中分からなくても多分コイツだろう?と温かい目で見守って下さい。
◇後半やっと彼の目的が分かります。
◇切ないけれど、ハッピーエンドを目指しました。
◇全8話+その後で完結
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる