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異世界転移は突然に
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林檎の意識がようやく浮上した。風が顔に吹きつけるのが分かって、徐々に覚醒していく。身体の下にあるのは、砂利と金属の板みたいなものだろうか。背中と臀部に当たって痛かった。
(外?)
林檎は目を開けて晴天を眩しそうに見つめ、なぜこんなところで寝ていたのか、ぼんやりとする頭で考えた。仕事のストレスでヤケ酒をして、道路で眠ってしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。林檎は、職場で変な花を見つけて、得体の知れない僧侶に出会って――。
「……えっ? ここどこ!?」
夜だったはずなのに陽は高く昇っていて、店の中にいたはずが外にいる。どう考えてもおかしい。林檎が慌てて上半身を起こすと、頭が鋭く痛んだ。
「いった……」
理解が追いつかない。疑問符を浮かべながら、林檎は周りを見回す。汽笛の音が聞こえてそちらを向くと、数十メートル離れたところを黒塗りの蒸気機関車が走っていた。というより、こちらに向かっている。
「えっ!? えーっ!?」
ようやく、林檎は今自分がどこにいるのかを理解した。線路の上だ。なぜ、というのは後回しにして、とにかく現状をどうにかしなければならない。だが、逃げたいのに、身体が凍りついたように動かない。このまま機関車にはねられて、死んでしまうのだろうか。
もうだめだ、と絶望して、林檎は目を瞑った。
「おい! 馬鹿なことをするなっ!」
そんな声が聞こえた後、林檎の身体は宙に浮いた。誰かに横抱きにされて、線路の横の草地に移動している。林檎がいたはずの場所を、機関車が通過していった。
間一髪で、誰かが助けてくれたようだ。林檎が自分をを抱えている人物を見上げると、若い男性だった。歳は林檎と近そうだ。
きりっとした眉、整った鼻梁、短く整えられた茶髪。人気アイドルグループの中心にいそうな、爽やかな美形。彼は眉間に皺を寄せ、咎めるように林檎を見ていたが、すぐに目を丸くした。そのまま、林檎の顔を凝視している。
「お前……」
「あ、あの……助けてくださって、ありがとうございました……」
「ああ、どういたしまして。身を投げたわけじゃないのか? そうだったら軽蔑するけど」
「ち、違います! 目が覚めたら、なぜかあそこにいて……」
「……は?」
男性は、林檎を地面に下ろした。林檎は恐怖で震える脚でなんとか踏ん張ったが、よろけてしまい、結局男性に腕を支えてもらっている。
「記憶喪失? それとも、酒でも飲んで、酩酊状態で線路内に入った?」
「記憶はちゃんとありますし、お酒も飲んでいません。信じてください。本当に、気付いたら線路の上だったんです!」
「……まあ、いいや。もう絶対にあんなことしたらだめだからな。分かった?」
「望まれたってしませんよ……」
信じてもらえないとは思ったが、深く追及されなくてよかったと、林檎はひとまず胸を撫で下ろした。これ以上は、林檎もうまく説明できない。彼の言葉に、おとなしく頷いた。
とりあえず、ここがどこなのか聞かなければ。そう考えて、林檎はようやく男性の全身を見た。
警備員の類いだと思っていた黒地布の服は、軍服だった。あちこちに金色の刺繍が施され、階級章のようなものが胸についている。街中では、ほとんど見かけることのない格好だ。
「自衛官の方ですか? ここ、どこですか?」
「じえ……? 何を言ってるんだ? 俺はこの街の駐在所の軍人で、階級は少佐だ」
「……はい?」
聞き慣れない言葉がいくつか聞こえた。林檎が一度では理解できないでいると、彼は首を傾げる。林檎も、同じ方向に首を傾けた。
「やっぱり記憶喪失か? この街で軍人を知らないなんて、ありえない」
「いやいや! 記憶はなくなってません!」
「じゃあ、名前と年齢、職業を言ってみろ」
まるで職務質問だ。林檎はむっとした。
(軍人って、警察官のようなこともするんだっけ?)
彼の偉そうな物言いに少しだけ反感を持ちつつも、事を荒立てないためにも素直に答えておこうと、林檎は口を開いた。
「芹沢林檎です。二十六歳。生花店で店長をしています」
「なるほど。それはハキハキ答えられるのか。それにしても『せりざわ』っていうのは何だ? 役職名か?」
「えっ……? 名字ですけど?」
「みょうじ?」
二人は、またしても同時に首を傾げた。さっきから、なんだか話が噛み合わない。この世に、姓名の仕組みが分からない人間が存在するのだろうか。
相手の男性も、林檎がおかしなことを口走っていると思っている。次第に、訝しむような目つきで林檎を見るようになった。
「じゃあ、出身地は?」
「千葉県です」
「ちばけん? どこだ、それ。お前、外の国の人間か?」
「えっ、ここって日本じゃないんですか?」
「にほん? 『翠緑の国』だが」
「……へ?」
林檎は、口をぽかんと開けた。知らないうちに海外に移動するなんて有り得ないし、もし改題だとしても、こんな風に日本語が通じるわけがない。だから、国内にいて当たり前だと認識していたが、その考えは一瞬にして崩壊した。
何か、おかしなことが起きている。林檎がいるのは、日本ではない。どこか別の場所だ。
(うそでしょ……?)
ふと、あの僧侶の姿が、林檎の脳内でフラッシュバックした。あの不審人物と会話をしてすぐに、林檎は気を失ったはずだ。もしかしたら、あれが原因なのか。それで、全く知らない土地に、移動させられたというのか。
「おい、顔が真っ青だ。大丈夫か? 気分が悪いのか?」
「あ、あの。私、この国のことを全く知りませんし、気を失っている間に、元いたところから飛ばされたみたいなんです」
「……熱、はないみたいだな」
予想はしていたが、やはり目の前の彼は信じてくれない。大きな手のひらが、林檎の額に触れた。熱がないことを確認して、彼は再び林檎を横抱きにする。
「わっ! どうしましたか?」
「弱ってるみたいだし、運んでやる。俺は、梛。二十七歳だから、俺の方が一つ上だな」
「……はあ、そうですか。ありがとうございます」
「なんだ、その気の抜けた返事は」
彼は強い足取りで歩き出す。林檎がしがみつくまでもなく、しっかりと抱えられている。鍛えられた腕の中で、林檎は不思議と安心し、落ち着きを取り戻した。
「どこに行くんですか?」
「軍の本部に連れて行く。体調も記憶も怪しいから、軍医に診てもらおう」
「それなら、自分で歩きます」
「こういう時は、男に甘えておくものだ。俺としても役得だし」
「あ、ありがとうございます……」
梛と名乗った青年将校は、初めて林檎に笑いかけた。林檎の心臓が、一際大きく鳴る。
林檎は、社会人になって以来、誰かに甘えることがなかった。いつだって自分を律してきたし、大人としてしっかりしなければと思っていたから。甘えられるって嬉しいことなんだなと、思わず笑ってしまった。
林檎の意識がようやく浮上した。風が顔に吹きつけるのが分かって、徐々に覚醒していく。身体の下にあるのは、砂利と金属の板みたいなものだろうか。背中と臀部に当たって痛かった。
(外?)
林檎は目を開けて晴天を眩しそうに見つめ、なぜこんなところで寝ていたのか、ぼんやりとする頭で考えた。仕事のストレスでヤケ酒をして、道路で眠ってしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。林檎は、職場で変な花を見つけて、得体の知れない僧侶に出会って――。
「……えっ? ここどこ!?」
夜だったはずなのに陽は高く昇っていて、店の中にいたはずが外にいる。どう考えてもおかしい。林檎が慌てて上半身を起こすと、頭が鋭く痛んだ。
「いった……」
理解が追いつかない。疑問符を浮かべながら、林檎は周りを見回す。汽笛の音が聞こえてそちらを向くと、数十メートル離れたところを黒塗りの蒸気機関車が走っていた。というより、こちらに向かっている。
「えっ!? えーっ!?」
ようやく、林檎は今自分がどこにいるのかを理解した。線路の上だ。なぜ、というのは後回しにして、とにかく現状をどうにかしなければならない。だが、逃げたいのに、身体が凍りついたように動かない。このまま機関車にはねられて、死んでしまうのだろうか。
もうだめだ、と絶望して、林檎は目を瞑った。
「おい! 馬鹿なことをするなっ!」
そんな声が聞こえた後、林檎の身体は宙に浮いた。誰かに横抱きにされて、線路の横の草地に移動している。林檎がいたはずの場所を、機関車が通過していった。
間一髪で、誰かが助けてくれたようだ。林檎が自分をを抱えている人物を見上げると、若い男性だった。歳は林檎と近そうだ。
きりっとした眉、整った鼻梁、短く整えられた茶髪。人気アイドルグループの中心にいそうな、爽やかな美形。彼は眉間に皺を寄せ、咎めるように林檎を見ていたが、すぐに目を丸くした。そのまま、林檎の顔を凝視している。
「お前……」
「あ、あの……助けてくださって、ありがとうございました……」
「ああ、どういたしまして。身を投げたわけじゃないのか? そうだったら軽蔑するけど」
「ち、違います! 目が覚めたら、なぜかあそこにいて……」
「……は?」
男性は、林檎を地面に下ろした。林檎は恐怖で震える脚でなんとか踏ん張ったが、よろけてしまい、結局男性に腕を支えてもらっている。
「記憶喪失? それとも、酒でも飲んで、酩酊状態で線路内に入った?」
「記憶はちゃんとありますし、お酒も飲んでいません。信じてください。本当に、気付いたら線路の上だったんです!」
「……まあ、いいや。もう絶対にあんなことしたらだめだからな。分かった?」
「望まれたってしませんよ……」
信じてもらえないとは思ったが、深く追及されなくてよかったと、林檎はひとまず胸を撫で下ろした。これ以上は、林檎もうまく説明できない。彼の言葉に、おとなしく頷いた。
とりあえず、ここがどこなのか聞かなければ。そう考えて、林檎はようやく男性の全身を見た。
警備員の類いだと思っていた黒地布の服は、軍服だった。あちこちに金色の刺繍が施され、階級章のようなものが胸についている。街中では、ほとんど見かけることのない格好だ。
「自衛官の方ですか? ここ、どこですか?」
「じえ……? 何を言ってるんだ? 俺はこの街の駐在所の軍人で、階級は少佐だ」
「……はい?」
聞き慣れない言葉がいくつか聞こえた。林檎が一度では理解できないでいると、彼は首を傾げる。林檎も、同じ方向に首を傾けた。
「やっぱり記憶喪失か? この街で軍人を知らないなんて、ありえない」
「いやいや! 記憶はなくなってません!」
「じゃあ、名前と年齢、職業を言ってみろ」
まるで職務質問だ。林檎はむっとした。
(軍人って、警察官のようなこともするんだっけ?)
彼の偉そうな物言いに少しだけ反感を持ちつつも、事を荒立てないためにも素直に答えておこうと、林檎は口を開いた。
「芹沢林檎です。二十六歳。生花店で店長をしています」
「なるほど。それはハキハキ答えられるのか。それにしても『せりざわ』っていうのは何だ? 役職名か?」
「えっ……? 名字ですけど?」
「みょうじ?」
二人は、またしても同時に首を傾げた。さっきから、なんだか話が噛み合わない。この世に、姓名の仕組みが分からない人間が存在するのだろうか。
相手の男性も、林檎がおかしなことを口走っていると思っている。次第に、訝しむような目つきで林檎を見るようになった。
「じゃあ、出身地は?」
「千葉県です」
「ちばけん? どこだ、それ。お前、外の国の人間か?」
「えっ、ここって日本じゃないんですか?」
「にほん? 『翠緑の国』だが」
「……へ?」
林檎は、口をぽかんと開けた。知らないうちに海外に移動するなんて有り得ないし、もし改題だとしても、こんな風に日本語が通じるわけがない。だから、国内にいて当たり前だと認識していたが、その考えは一瞬にして崩壊した。
何か、おかしなことが起きている。林檎がいるのは、日本ではない。どこか別の場所だ。
(うそでしょ……?)
ふと、あの僧侶の姿が、林檎の脳内でフラッシュバックした。あの不審人物と会話をしてすぐに、林檎は気を失ったはずだ。もしかしたら、あれが原因なのか。それで、全く知らない土地に、移動させられたというのか。
「おい、顔が真っ青だ。大丈夫か? 気分が悪いのか?」
「あ、あの。私、この国のことを全く知りませんし、気を失っている間に、元いたところから飛ばされたみたいなんです」
「……熱、はないみたいだな」
予想はしていたが、やはり目の前の彼は信じてくれない。大きな手のひらが、林檎の額に触れた。熱がないことを確認して、彼は再び林檎を横抱きにする。
「わっ! どうしましたか?」
「弱ってるみたいだし、運んでやる。俺は、梛。二十七歳だから、俺の方が一つ上だな」
「……はあ、そうですか。ありがとうございます」
「なんだ、その気の抜けた返事は」
彼は強い足取りで歩き出す。林檎がしがみつくまでもなく、しっかりと抱えられている。鍛えられた腕の中で、林檎は不思議と安心し、落ち着きを取り戻した。
「どこに行くんですか?」
「軍の本部に連れて行く。体調も記憶も怪しいから、軍医に診てもらおう」
「それなら、自分で歩きます」
「こういう時は、男に甘えておくものだ。俺としても役得だし」
「あ、ありがとうございます……」
梛と名乗った青年将校は、初めて林檎に笑いかけた。林檎の心臓が、一際大きく鳴る。
林檎は、社会人になって以来、誰かに甘えることがなかった。いつだって自分を律してきたし、大人としてしっかりしなければと思っていたから。甘えられるって嬉しいことなんだなと、思わず笑ってしまった。
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