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34 ヴィンセント25歳 07

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 ヴィンセントに連れられて皇子宮へ行くと、確かに廊下まで聞こえるほどの泣き声が響いていた。

(こんなに泣くなんて……)

 エルのもとへと駆けてきたこともそうだが、エルヴィンはなぜエルを求めているのか。

 ヴィンセントが部屋のドアを開けるなり、エルヴィンは突然に泣き止み、エルのもとへと駆け寄ってきた。

「お姉ちゃ~ん」

 エルが床に膝をつくと、エルヴィンはぎゅっとエルの首に抱きついてきた。

「私に会いたかったそうですね」

 背中をなでながら尋ねてみると、彼は小さな頭をこくりと縦に振った。

「いつも会いに来てくれるのに、来てくれなくなったから……」

(エルヴィンにも気づかれていたのね……)

 庭園の陰からこっそりと見ていても、目が合ったり、エルの近くへ来るような素振りはなかったのに。

「もしかして先ほどは、私に会いにきてくれたのですか?」
「うん……」

 エルのせいでエルヴィンが皇子宮を抜け出し、怪我までしたとなれば、ヴィンセントが怒りそうだ。
 こうして会えたのにまた、一方的に禁止されてしまうのか。
 びくびくしていると、ヴィンセントがエルの隣に膝をついた。

「エルヴィン。こちらは、エルシー皇妃だ」

(え……?)

 まさか紹介してくれるとは思わなかった。
 エルヴィンの世話を人任せにして、放置している印象だったが、彼は息子の気持ちを尊重するようだ。
 エルがぽかんとしながら驚いていると、エルヴィンが瞳を輝かせて父親を見た。

「エル……!」
「彼女は違う!」

(そんな言い方をしたら、エルヴィンが泣いてしまうわ)

 エルシーを母親だとは思われたくないようだが、今のはきつすぎる。
 心配しながらエルヴィンの様子をうかがったが、彼は泣くでもなく、落胆したようにうつむいた。

(『エル』が母親だと話しているのね……)

 もしもエルが母親だと打ち明けたら、今のように喜んでくれるのだろうか。
 それをできないことが、とてももどかしい。





 その後。エルヴィンが落胆したのもつかの間で、彼はエルに会えたことがよほど嬉しかったのか、なかなか帰らせてくれなかった。
 結局、その日は三人で夕食を取り、そのあともエルヴィンが眠くなるまで三人で遊び。眠気眼のエルヴィンは、エルと一緒に寝たいと駄々をこねた。

「すみません。いつもは聞き分けの良い子なのですが……」

 困り果てたヴィンセントは、これからは毎日、皇妃と会う時間を作ると約束して、なんとかエルヴィンを納得させた。





 それからは、ヴィンセントが付き添うという条件付きではあるが、エルは毎日、エルヴィンと会えるようになった。

「皇妃も予定があるのに、ご迷惑になっていませんか?」

 ヴィンセントは毎日のようにエルへ、申し訳なさそうな態度を取る。
 けれど、この日課を止めるとは言い出さない。息子を悲しませたくないことがひしひしと伝わってくる。

「迷惑だなんて。私は皇子様にお会いできて、楽しい日々ですわ」

 エルとしては願ったり叶ったりであり、エルヴィンにたじたじのヴィンセントを見るのも楽しかった。

 ただ、このような時間が増えるたびに疑問が募る。なぜヴィンセントは、大切にしている息子のマナ核を安定させようとしないのか。


 そんなある日。またエルヴィンの発作がやってきた。庭園でのボール遊びに熱中しすぎたのかマナが乱れたようだ。

「皇子様!」

 苦しむエルヴィンを抱き上げたエルは、敷物に座っているヴィンセントのもとへと連れて行こうとした。
 けれど彼は、息子を心配する様子もなく淡々と言い放った。

「大丈夫です。しばらく安静にしていたら収まりますので」

 マナ核が動いていなかった幼い頃のヴィンセントは、そうやって発作をやり過ごしていたのだろう。
 対処法は、誰よりも熟知しているような表情。

 けれどそれは、やり過ごすしかない状況だったからだ。今のヴィンセントには、エルヴィンの発作を止められる術がある。

「苦しんでいる子どもを前に、よくそんなことを……!」

 さすがに見過ごせなかったエルは、ヴィンセントを敷物の上へと押し倒した。それから、以前に彼から護身用にと教えてもらった、三十秒の拘束魔法をかける。
 その間に彼の胸元へ、エルヴィンの胸元を合わせた。

「皇妃、止めてください!」
「いいえ。皇子様が落ち着くまで止めません」

 拘束魔法は連続して使えないが、身体を張ってでもこの体勢を維持するつもりで、エルは彼の両腕を押さえつけた。

「お願いです……。僕には、エルヴィンにマナ核の音を聞かせる資格がないんです……」
「それはどいういう……」

 エルシーの身体のように、エルがマナごと憑依でもしない限りは、マナ核のマナが入れ替わることなどない。
 ヴィンセントとエルヴィンのマナ核の色は同じはずなのに。

「僕はこの子の母親の命を奪ってしまった。だから…………」

 彼は抵抗することは諦めたように、力なくそう呟いた。

(ヴィー。私を殺したことを後悔しているの?)

 その罪悪感によって、エルヴィンのマナ核を安定させることができなかったというのか。

(そんなの。身勝手な理由よ……)

「……それでしたらなおのこと、その子に責任を持つべきです」

 エルはヴィンセントの腕から離れて、エルヴィンの頭をなでた。
 ヴィンセントの考えは身勝手だが、彼との問題に息子を巻き込んでしまったエルにも責任がある。

「それに、陛下はご自分のマナ核とおっしゃいますが、そちらは先祖代々受け継がれたマナ。皆でこの子を守っているんです」

 だからせめて、ヴィンセントがその考えを変える手助けくらいはしなければ。

「皆で……?」
「そうです。陛下のマナ核にも、家族・・の心がこもっているのですよ」

 ヴィンセントとエルが大切にしてきた家族の形。
 エルを殺したことを後悔しているなら、それを思い出してほしい。
 彼のマナ核にエルがいると認識できれば、息子にマナ核の音を聞かせる気になるかもしれないから。

「エル…………」

 そう呟いたヴィンセントは、声も出さずに涙を流し続けた。
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