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26 ヴィンセント21歳 05
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オーナー夫人と一緒に馬車に乗り、鉱山の診療所へと到着すると、皆が歓迎してくれた。
けれど、エルが誰の子を産んだのか知っている様子の皆とは、どことなく距離を感じる。
それはオーナーも同じだった。男爵邸に住むようになってからのオーナーは、エルに敬語を使うようになっていたから。
その中で一人だけ、モーリス先生だけは変わらない態度で、エルの出産を喜んでくれた。
「エルさん。良ければ問診しましょうか?」
「お願いします先生」
大勢の場が少し居心地悪く感じていたエルは、先生の申し出にほっとしながら診察室へと入った。これから一人で子育てするに当たり、聞いておきたいこともあったのだ。
けれど、その気のゆるみが仇となったのか、しっかりと巻きつけていたはずの布おむつが、徐々にほどけ始める。
(どうしよう。このままでは床に落ちてしまうわ……)
さり気なく片手でふとももを押さえてみたが、これではもう動くこともできない。とうとう、布おむつが床にひらひらと落ち始めてしまった。
「ん? 布が……。 身体に巻きつけていたのですか?」
「あの……これは……」
どう説明すべきか。平民の生活をしていたエルならまだしも、ドレス姿ではどのような説明をしても不自然すぎる。
困り切っているエルをよそに、モーリス先生は床に落ちた布おむつを拾い集めてエルへと渡した。
「大丈夫ですよ。今、カバンを持ってきますね」
「えっ……?」
そう告げた先生は、診察室の戸棚から肩掛けのカバンを取り出した。それからエルに持たせていた布おむつを、その中に詰め込んだ。
「この中に、小銭と最低限必要なものが入っていますから。それからマントも必要ですね。次の街へ行く乗合馬車は十分後に出発です。夫人は私が引き留めておきますから、ギリギリに乗ってください」
まるでエルが逃走すると知っていたかのように、先生はてきぱきと準備を始める。
「あのっ……どうして……」
「オーナーが心配していたんです。いつか、こういったことが起こるのではと。その時が来たら助けになってほしいとも。この話を知っているのは私とオーナーだけです」
(オーナーが……?)
エルが仕事を再開したいとお願いした時のオーナーは、お世辞にも協力的には見えなかったが。あの態度は、エルを不憫に思っていたからなのだろうか。
「でも、これでは先生とオーナーに迷惑が掛かってしまいます」
「鉱山は訳アリの者が多いですから、慣れているんです。安心してください」
先生はエルにカバンを肩から掛けさせ、マントを上から羽織らせると、寂しそうに笑った。
「エルさん。私にとってもあなたとヴィーは、娘と息子みたいなものでしたよ。元気でいてください。そしてほとぼりが冷めたら、また会いにきてくださいね」
「先生……。本当にありがとうございます。先生もお元気で」
十五歳でこの診療所で働き始めてから、先生には幾度となくお世話になってきた。エルにとっても、先生は父のようだった。
いつか、大きくなったエルヴィンを見せにきたい。そう願いながらエルは、鉱山を後にした。
エルはその日の夕方。無事に次の街へと到着した。
その街で宝石を一つ売り、動きやすい服や旅に必要なものを買った。そして髪を短く切り、髪色も魔法で黒に変えた。親子で同じ髪色なら、より目立たないはずだから。
一刻も早く国境を越えたかったが、エルヴィンに負担はかけられない。夜はしっかりと宿屋で休み、無理のない範囲で移動を続けた。
そして三つ目の街に到着したころ。エルは異変に気がついた。
(今日はやたらと帝国の兵を見かけるわ)
普段でも帝国兵は、治安維持のために各街を巡回している。けれど、今日はいつにもまして、その数が多い。まるで、何かを探しているかのように。
(まさか、ヴィーが私に兵を差し向けたの……?)
彼ならできないことはない。けれど、彼にも世間体や立場がある。罪人ではないただの愛人を探すため、私的な理由で兵を動かすだろうか。
(もしかして、私は何かの罪を着せられたのでは……)
どきりと心臓が嫌な動きを始める。逃げることで悪役としての死から免れるつもりが、逃げたことでそのトリガーを引いてしまった。
そんな恐怖に襲われたエルは、すぐさま馬屋へと走った。
もうなりふり構ってはいられない。一刻も早く帝国を出なければ。
けれど、エルが誰の子を産んだのか知っている様子の皆とは、どことなく距離を感じる。
それはオーナーも同じだった。男爵邸に住むようになってからのオーナーは、エルに敬語を使うようになっていたから。
その中で一人だけ、モーリス先生だけは変わらない態度で、エルの出産を喜んでくれた。
「エルさん。良ければ問診しましょうか?」
「お願いします先生」
大勢の場が少し居心地悪く感じていたエルは、先生の申し出にほっとしながら診察室へと入った。これから一人で子育てするに当たり、聞いておきたいこともあったのだ。
けれど、その気のゆるみが仇となったのか、しっかりと巻きつけていたはずの布おむつが、徐々にほどけ始める。
(どうしよう。このままでは床に落ちてしまうわ……)
さり気なく片手でふとももを押さえてみたが、これではもう動くこともできない。とうとう、布おむつが床にひらひらと落ち始めてしまった。
「ん? 布が……。 身体に巻きつけていたのですか?」
「あの……これは……」
どう説明すべきか。平民の生活をしていたエルならまだしも、ドレス姿ではどのような説明をしても不自然すぎる。
困り切っているエルをよそに、モーリス先生は床に落ちた布おむつを拾い集めてエルへと渡した。
「大丈夫ですよ。今、カバンを持ってきますね」
「えっ……?」
そう告げた先生は、診察室の戸棚から肩掛けのカバンを取り出した。それからエルに持たせていた布おむつを、その中に詰め込んだ。
「この中に、小銭と最低限必要なものが入っていますから。それからマントも必要ですね。次の街へ行く乗合馬車は十分後に出発です。夫人は私が引き留めておきますから、ギリギリに乗ってください」
まるでエルが逃走すると知っていたかのように、先生はてきぱきと準備を始める。
「あのっ……どうして……」
「オーナーが心配していたんです。いつか、こういったことが起こるのではと。その時が来たら助けになってほしいとも。この話を知っているのは私とオーナーだけです」
(オーナーが……?)
エルが仕事を再開したいとお願いした時のオーナーは、お世辞にも協力的には見えなかったが。あの態度は、エルを不憫に思っていたからなのだろうか。
「でも、これでは先生とオーナーに迷惑が掛かってしまいます」
「鉱山は訳アリの者が多いですから、慣れているんです。安心してください」
先生はエルにカバンを肩から掛けさせ、マントを上から羽織らせると、寂しそうに笑った。
「エルさん。私にとってもあなたとヴィーは、娘と息子みたいなものでしたよ。元気でいてください。そしてほとぼりが冷めたら、また会いにきてくださいね」
「先生……。本当にありがとうございます。先生もお元気で」
十五歳でこの診療所で働き始めてから、先生には幾度となくお世話になってきた。エルにとっても、先生は父のようだった。
いつか、大きくなったエルヴィンを見せにきたい。そう願いながらエルは、鉱山を後にした。
エルはその日の夕方。無事に次の街へと到着した。
その街で宝石を一つ売り、動きやすい服や旅に必要なものを買った。そして髪を短く切り、髪色も魔法で黒に変えた。親子で同じ髪色なら、より目立たないはずだから。
一刻も早く国境を越えたかったが、エルヴィンに負担はかけられない。夜はしっかりと宿屋で休み、無理のない範囲で移動を続けた。
そして三つ目の街に到着したころ。エルは異変に気がついた。
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(まさか、ヴィーが私に兵を差し向けたの……?)
彼ならできないことはない。けれど、彼にも世間体や立場がある。罪人ではないただの愛人を探すため、私的な理由で兵を動かすだろうか。
(もしかして、私は何かの罪を着せられたのでは……)
どきりと心臓が嫌な動きを始める。逃げることで悪役としての死から免れるつもりが、逃げたことでそのトリガーを引いてしまった。
そんな恐怖に襲われたエルは、すぐさま馬屋へと走った。
もうなりふり構ってはいられない。一刻も早く帝国を出なければ。
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