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抱え込まないでください
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「冗談きついな」
逢坂は笑って、梶の肩を押した。
梶が何も言わず見つめてきたので、逢坂は黙り込んだ。沈黙に耐えるためにカクテルを飲んだ。体の奥で炎が揺らめいた。
「今更、よりを戻せる訳ないだろ。お互い、もう変わっている」
「僕は変わりましたか」
「昔はもっといい男だった。思いやりがあったよ。俺のことを気づかってくれた」
梶を見ると、グラスを傾けて氷を揺らしていた。グラスを置くと、見つめてきた。目を細めている。
ふたりきりでいるときによく見ていた顔だった。
「あの頃のあなたは家族を亡くしていて、抱けば粉々に壊れてしまいそうだった」
「今の俺は強くなっただろ?」
梶は首を振り、手を伸ばしてきた。
逢坂の耳に触れ、人差し指で形を辿った。耳たぶの膨らみを撫で、頬に手を滑らせてきた。
顎を掴まれたので、逢坂は躯を引いた。
キスされるかと思った。
「昔とそんなに変わっていませんよ。いや、今のほうがもっと弱く見える。何もかも背負っていますという顔ですよ」
逢坂は答えなかった。
昔から、梶は滑り込むように相手の懐に入る男だった。
カウンターに置いていた逢坂の手に、梶は指先だけで触れてきた。
「ときどき、後悔するんですよ。あなたが泣いても抗っても、抱いてしまえばよかった」
手を重ねてきた。すぐに逢坂は手を払った。
「最後に見せてくれたあなたの顔、今でも覚えていますよ。別れるときに初めて、僕を求めてくれましたね」
梶のアパートで過ごした最後の日を、逢坂は思い出した。記憶を振り払いたくて酒を飲んだ。体が内側から熱くなってきた。
「あのとき、おまえの友人に見られるとは思わなかったよ。あれから大学に行くのが怖くなった」
梶はグラスに口をつけ、気になっていることがある、と言った。
「僕の教えることにいつも従ってくれましたよね。本当は、いやだったんじゃないですか。最後に躯を許したのも、僕への情けだったんでしょう?」
自分の言葉を確かめるように、逢阪はゆっくりと話した。
「抱かれたほうがいいと思った。終わるときくらい、流されてもいいと思ったんだよ」
「やっぱり、僕のためだったのか」
小さく笑って、梶はカクテルを飲んだ。逢坂は否定しようとしたが上手く言えなかった。
付き合っていた頃は、梶の思いに応えようとしていた。でも、体が気持ちに追いつかなかった。
「逢坂さんが、心から相手を求めるときなんてあるのかな?」
梶の呟きに逢坂は何も答えなかった。グラスに沈む、緑の星を見つめていた。
店を出て階段を上がるとき、足がふらついた。梶に腰を支えられた。
低い段差でも一歩踏み出す度に、アルコールが腹の底で波打った。甘い酒は自分の体には合わないと気づいた。
きつい酒だったと愚痴を零すと、梶の笑い声が聞こえた。
「投げ出したいときは、悪酔いしてしまうものですよ」
「俺はそんなこと考えていない」
ビルを出ると梶が逢坂の両肩を掴んだ。街灯に照らされた梶の顔は、アルコールのせいか赤く見えた。
頬を撫でられた。冷たい手だった。
「顔色は悪くないけど、少し熱いな」
無理をさせたと言う梶に、逢坂は首を振った。脇の道路を車が走る。オレンジ色のヘッドライトが梶の顔に当たった。
頬に梶の唇が触れた。穏やかなキスだった。
一瞬のことで、逢坂は動けなかった。
「これくらい、いいですよね」
答えを待たずに、梶は唇を重ねてきた。
逃れようとしても抱き締められ、頭を掴まれた。
顔が離れたので文句を言ってやろうとしたら、深くくちづけられた。腰を引き寄せられた。
重く苦い、酒の香りに眩暈がした。音を立てて唇が離れた。
唇を舐めながら梶が見つめてくる。からかわれたような気がした。体中を回っていた酒が沸き立つ。
梶の頬を打った。加減したつもりだったが、手が痺れた。
「媚薬が効かなくて残念だったな」
腕を引っ張られた。
「僕のものにはならないんですね、昔も今も」
力を込めてくる。痛くて逢坂は顔をしかめた。放してくれと何度も言ったが、梶は聞かなかった。
有無を言わせないまなざしだった。瞳はただ暗く、揺らめく光も見えなかった。
見つめ返していると、躯ごと呑み込まれそうだった。
「編集長!」
鋭い声がした。逢坂は向かいの歩道を見た。
中島がいた。ビルの下にある喫煙所から出てきた。道路を渡ろうとしているが車の行き来が激しく、立ち止まっている。
逢坂は梶の手を振り払った。走り出した。梶に何か言われたが、逢坂は振り返らなかった。
目の前を通ったタクシーに乗った。
中島の元へ行きたかったが、梶に追いつかれそうだった。自分が住むマンションの名を運転手に告げるとシートに身を沈めた。
窓越しに中島を見た。
逢坂と目が合うと安堵した表情で頷いた。
「ありがとう」
聞こえないとわかっていても逢坂は呟いた。
月曜に出勤すると、廊下で中島に会った。紺色の紙袋を受け取った。数日前に貸したワイシャツと下着、靴下が、ビニール袋に包まれ入っていた。
助かったと言ったあと、中島が逢坂の耳元で囁いた。微かに煙草の香りがした。
「梶先生は近づいてこないですか」
逢坂は頷いた。携帯電話には連絡が来なかった。自宅の番号は教えていなかった。
だが、自分が梶の頬を平手打ちしたので、あとで謝罪しようと考えている。
「心配かけてすまなかった。俺が何とかする」
歩き出そうとしたが、中島に肩を掴まれた。
「抱え込まないでください。俺、相談に乗りますよ」
「ありがとう。気持ちだけ受け取るよ」
逢坂の肩に中島が額を乗せた。
「編集長に何かあったら、いやです」
顔を上げた中島に、探るようにまっすぐ見つめられた。
気にし過ぎだ、と言って逢坂はごまかした。
梶との過去は言えなかった。この場では言いたくないし、中島に知られたくなかった。
言わずにいるのがいいのか、逢坂にはわからなかった。
互いに何も言わず、廊下で立ち止まっていた。数名の部下が歩いてきたので、どちらかともなく離れた。無言で編集部へ向かった。
逢坂は笑って、梶の肩を押した。
梶が何も言わず見つめてきたので、逢坂は黙り込んだ。沈黙に耐えるためにカクテルを飲んだ。体の奥で炎が揺らめいた。
「今更、よりを戻せる訳ないだろ。お互い、もう変わっている」
「僕は変わりましたか」
「昔はもっといい男だった。思いやりがあったよ。俺のことを気づかってくれた」
梶を見ると、グラスを傾けて氷を揺らしていた。グラスを置くと、見つめてきた。目を細めている。
ふたりきりでいるときによく見ていた顔だった。
「あの頃のあなたは家族を亡くしていて、抱けば粉々に壊れてしまいそうだった」
「今の俺は強くなっただろ?」
梶は首を振り、手を伸ばしてきた。
逢坂の耳に触れ、人差し指で形を辿った。耳たぶの膨らみを撫で、頬に手を滑らせてきた。
顎を掴まれたので、逢坂は躯を引いた。
キスされるかと思った。
「昔とそんなに変わっていませんよ。いや、今のほうがもっと弱く見える。何もかも背負っていますという顔ですよ」
逢坂は答えなかった。
昔から、梶は滑り込むように相手の懐に入る男だった。
カウンターに置いていた逢坂の手に、梶は指先だけで触れてきた。
「ときどき、後悔するんですよ。あなたが泣いても抗っても、抱いてしまえばよかった」
手を重ねてきた。すぐに逢坂は手を払った。
「最後に見せてくれたあなたの顔、今でも覚えていますよ。別れるときに初めて、僕を求めてくれましたね」
梶のアパートで過ごした最後の日を、逢坂は思い出した。記憶を振り払いたくて酒を飲んだ。体が内側から熱くなってきた。
「あのとき、おまえの友人に見られるとは思わなかったよ。あれから大学に行くのが怖くなった」
梶はグラスに口をつけ、気になっていることがある、と言った。
「僕の教えることにいつも従ってくれましたよね。本当は、いやだったんじゃないですか。最後に躯を許したのも、僕への情けだったんでしょう?」
自分の言葉を確かめるように、逢阪はゆっくりと話した。
「抱かれたほうがいいと思った。終わるときくらい、流されてもいいと思ったんだよ」
「やっぱり、僕のためだったのか」
小さく笑って、梶はカクテルを飲んだ。逢坂は否定しようとしたが上手く言えなかった。
付き合っていた頃は、梶の思いに応えようとしていた。でも、体が気持ちに追いつかなかった。
「逢坂さんが、心から相手を求めるときなんてあるのかな?」
梶の呟きに逢坂は何も答えなかった。グラスに沈む、緑の星を見つめていた。
店を出て階段を上がるとき、足がふらついた。梶に腰を支えられた。
低い段差でも一歩踏み出す度に、アルコールが腹の底で波打った。甘い酒は自分の体には合わないと気づいた。
きつい酒だったと愚痴を零すと、梶の笑い声が聞こえた。
「投げ出したいときは、悪酔いしてしまうものですよ」
「俺はそんなこと考えていない」
ビルを出ると梶が逢坂の両肩を掴んだ。街灯に照らされた梶の顔は、アルコールのせいか赤く見えた。
頬を撫でられた。冷たい手だった。
「顔色は悪くないけど、少し熱いな」
無理をさせたと言う梶に、逢坂は首を振った。脇の道路を車が走る。オレンジ色のヘッドライトが梶の顔に当たった。
頬に梶の唇が触れた。穏やかなキスだった。
一瞬のことで、逢坂は動けなかった。
「これくらい、いいですよね」
答えを待たずに、梶は唇を重ねてきた。
逃れようとしても抱き締められ、頭を掴まれた。
顔が離れたので文句を言ってやろうとしたら、深くくちづけられた。腰を引き寄せられた。
重く苦い、酒の香りに眩暈がした。音を立てて唇が離れた。
唇を舐めながら梶が見つめてくる。からかわれたような気がした。体中を回っていた酒が沸き立つ。
梶の頬を打った。加減したつもりだったが、手が痺れた。
「媚薬が効かなくて残念だったな」
腕を引っ張られた。
「僕のものにはならないんですね、昔も今も」
力を込めてくる。痛くて逢坂は顔をしかめた。放してくれと何度も言ったが、梶は聞かなかった。
有無を言わせないまなざしだった。瞳はただ暗く、揺らめく光も見えなかった。
見つめ返していると、躯ごと呑み込まれそうだった。
「編集長!」
鋭い声がした。逢坂は向かいの歩道を見た。
中島がいた。ビルの下にある喫煙所から出てきた。道路を渡ろうとしているが車の行き来が激しく、立ち止まっている。
逢坂は梶の手を振り払った。走り出した。梶に何か言われたが、逢坂は振り返らなかった。
目の前を通ったタクシーに乗った。
中島の元へ行きたかったが、梶に追いつかれそうだった。自分が住むマンションの名を運転手に告げるとシートに身を沈めた。
窓越しに中島を見た。
逢坂と目が合うと安堵した表情で頷いた。
「ありがとう」
聞こえないとわかっていても逢坂は呟いた。
月曜に出勤すると、廊下で中島に会った。紺色の紙袋を受け取った。数日前に貸したワイシャツと下着、靴下が、ビニール袋に包まれ入っていた。
助かったと言ったあと、中島が逢坂の耳元で囁いた。微かに煙草の香りがした。
「梶先生は近づいてこないですか」
逢坂は頷いた。携帯電話には連絡が来なかった。自宅の番号は教えていなかった。
だが、自分が梶の頬を平手打ちしたので、あとで謝罪しようと考えている。
「心配かけてすまなかった。俺が何とかする」
歩き出そうとしたが、中島に肩を掴まれた。
「抱え込まないでください。俺、相談に乗りますよ」
「ありがとう。気持ちだけ受け取るよ」
逢坂の肩に中島が額を乗せた。
「編集長に何かあったら、いやです」
顔を上げた中島に、探るようにまっすぐ見つめられた。
気にし過ぎだ、と言って逢坂はごまかした。
梶との過去は言えなかった。この場では言いたくないし、中島に知られたくなかった。
言わずにいるのがいいのか、逢坂にはわからなかった。
互いに何も言わず、廊下で立ち止まっていた。数名の部下が歩いてきたので、どちらかともなく離れた。無言で編集部へ向かった。
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