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中編

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 その日、佳樹は早退したらしい。
 佳樹の友人の携帯に連絡があって、その友人が教室で別の奴に話しているのを漏れ聞いたことでそれを知った。俺に突き飛ばされたことがショックで早退したんだろうか。それともあのとき、壁に打ちつけた場所が悪くて怪我をしたのかもしれない。
 自分からあんな風に言ってしまったくせに、いざとなると佳樹のことを心配してしまう俺は矛盾している。我ながら情けないとは思いつつも、自分は佳樹のことがまだ好きで好きでたまらないのだということを嫌と言うほど自覚した。
 そうなんだ。好きだからこそ、何の説明も無くなし崩しに抱きしめられそうになって、あんなにも腹が立ったんだ。俺は佳樹を信じたかった。なのに佳樹は説明すらしてくれなかった。
 思い出すだけで鼻がツンとして涙が出そうになる。

 授業中もそんな風に佳樹のことが気になって、俺は無意識に鞄の外ポケットに突っ込んだままのスマホに目をやってしまった。けれど通知欄には何も表示されていない。当たり前だ、佳樹のアカウントをブロックしたのは俺なのだから。

 悶々とした気持ちを抱えたままその日を過ごした。
 そして次の日の朝、教室に入ると、先に登校していた佳樹と目が合った。自分から捨てたはずなのに、教室に入ると無意識にまず佳樹の姿を探してしまう自分が恨めしい。
 何か話しかけられる前に、こっちに近づかれる前に、視線を外さないと。そう思ったけれど、それは杞憂に終わった。どうしても外せなかった俺の視線の先で、佳樹は先に俺から視線を逸らせたからだ。

「……っ」

 それは俺の心を大きく抉り取るような仕草だった。

 お前とはもう終わりだ、二度と話しかけるな。

 そんな酷いことを言ってしまったのは俺なのに、この胸はキリキリと痛む。佳樹はもう俺のことを見てくれない。俺もそれに慣れなくちゃならない。俺は痛む胸に当てた手を握り込み、なるべく何ともないような顔をして自分の席へと向かった。
 一限目が始まるまでの間、席の近い友人たちと話し、いつもよりも大げさに笑う。佳樹の席まで聞こえればいい。お前のことなんて、もう俺は何とも思っていないのだと、傷ついてなんかいないんだと、そう思わせたかった。



 そうしてひと月が経った。
 俺も佳樹も元々は別の友人グループに属していて、園芸委員の他に接点は無かったから、別れればそれっきりで話すことはおろか、挨拶することすらほとんど無くなってしまった。
 一緒にやっていた園芸委員も任期は九月で終わり、十月からは別の生徒が担っている。三ヶ月前の夏休み、好きだと言われて嬉しかったあの日の一場面が、まるで夢の中の出来事みたいだった。

 俺と別れてからの佳樹は女の子と遊びまくっているらしい。佳樹とその友人たちのグループが休み時間に大きな声で、昨日の○○高の女の子はどうだったとか、先週の××高の娘はああだったとか話しているのが嫌でも耳に入ってくる。当然佳樹はモテモテらしく、肘で小突かれながら、あの女の子とはどうなったと聞かれていた。
 あの声のかわいいミユちゃんと付き合ってたんじゃなかったのか。
 その話題が出るたび、そう思いながら席を立つ。廊下に出て時間稼ぎのために遠くのトイレへと向かうけれど、もう佳樹が追ってくることはない。一生ない。きっとアイツは教室で女の子に対する下品な品定めを友人たちとしているんだろう。あっちの女の子のほうが良かった、とか、いやいやこっちもなかなか、なんて、最低な自分のことは棚に上げて。

 そんなヤツのことを本気で好きになるだなんて、俺は本当に馬鹿だったと思う。

 大体、陽キャグループの中心にいるようなアイツが、幾ら話が合うからと言って、地味グループの中でも端っこにいるような俺なんかを好きになるはずがなかったんだ。嘘みたいなあの夏休みの出来事は、多分本当に嘘だったんだろう。もしくは、気の迷いか、陰キャに対する単なる好奇心だったか。
 いくら男も恋愛対象だからといっても、俺みたいな目立たなくて何の取り柄もない男なんかより、やっぱり女子校に通っているような可愛くて清楚な女の子のほうが良いに決まっている。俺のことを好きだなんて言ったのは、夏休みの間だけでも、ちょっと男と付き合う経験をしてみたかっただけなのかな、と思った。でも告白してすぐにOKされて、キスもセックスも夏休みの間に済ませてしまったから……あまりにも俺がチョロ過ぎたから、こんなものか、なんて飽きられたんだろうか。


 そんな風に、自分で自分がフラれた理由を数えながら過ごしたひと月だった。
 こうだから俺がフラれたのは仕方がない。いやいや、むしろ、佳樹はひどいヤツなんだから、早めに別れられて良かったんだ。だけど俺が好きになった佳樹はそんなヤツじゃなかった。明るくて面白くて、真面目なところもあって、俺はそんなところを好きになったんだ。なのに九月になってから約束を破るようになって……。

 俺のどこがダメだったんだろう。嫌われるようなこと、したかな? 夏休みに会うたび、好きだと言って体に触れたがったのが悪かったんだろうか。それとも、何度もキスをせがんだのが良くなかった?
 ダメだった理由は山のように思いつく。逆に、俺との付き合いを続けたいと思えるような良いところなんて少しも思いつけなかった。俺は別にかわいくもない、かと言って格好よくもない、本当に普通で、名前に陽の字が入っているくせに、少し暗めな性格の男子高校生だ。どこにでもいる、掃いて捨てるほどいるような存在で……そんな俺は、佳樹とはまるで釣り合わない。
 だから、なのかな。

 ため息をつくことが増え、そうしてただ日にちだけが過ぎていく。それだけ経っても俺はまだ、佳樹の顔をまともに見られなかった。


「思ったほど良くなかったんだろうな」

 セックスが。
 授業の終わった放課後、図書室の自習コーナーで一人、教科書とノートを広げながらポツリと呟いた。
 佳樹が俺を捨てた理由。考えた末、俺はそれをセックスに失敗したからだと結論づけた。小さな理由ならキリがないほどたくさん思いつく。けれど、一番大きな理由はこれしか思い当たらなかった。
 好きだと言われたらすぐに舞い上がって体を許すような軽い奴のくせに、セックスもまともに出来ない、しかも男なんて、そりゃ簡単に捨てられるだろう。当たり前だ。外で手も繋げない関係で、誰も見ていない家の中でも痛がって最後までちゃんとヤレないとくれば、俺に良いところなんて何もない。誰だって俺なんか選ばない。俺だってそんな奴、……いや、俺は佳樹となら……もし佳樹と俺が逆の立場だったなら、そんなことで捨てないのに。
 俯いて数式を途中まで書いたノートを見つめる目からポタリと涙が落ちた。

 どうしよう。
 一ヶ月も経つのに俺はまだ佳樹のことが好きだ。アイツのことを思うだけで、昨日振られたばかりのように胸が痛い。

 自習コーナーにポツポツと座っている生徒たちに見られないよう、俺は窓のあるほうへ顔を向けた。窓際のこの席から目線を下ろせば、すぐ下に運動場が見える。そこではサッカー部が練習をしていた。佳樹はサッカー部だ。三階のこの高さからでも、俺はすぐにアイツを見つけられる。現に、涙で視界が滲んでいる今もそうだった。

 自分から佳樹を突き放したくせに、ひと月経った今も俺は未練がましく、アイツの部活をしている姿をこっそり見るためだけに、放課後になるとこの席に座っている。勉強なんてする気も無いのに毎日図書室に通って、馬鹿みたいだ。こんなことをしているから、いつまで経っても忘れられないんだろう。
 涙を拭いて机に広げたままの教科書とノートをバサバサとしまい、席を立った。
 こんなことは今日で止めよう。本当に終わりにしよう。
 サッカー部の練習はあと一時間くらい続くから、この時間なら顔を合わせずに帰れる。決心した俺はカバンを掴み、昇降口へと早足で向かった。



「蜂屋」

 昇降口で上履きからスニーカーに履き替えようとしていると、出入口のほうから声がかかった。俺の数少ない友人たちは皆帰宅部で、今日は既に下校しているはずだった。誰だ? と思って顔を向けると、そこにはサッカー部の練習着を着た背の高い男子生徒が立っていた。顔に見覚えがある。確か、えっと……高橋。俺とは別のクラスの奴なのに何の用だろう。……と、名前を思い出したことで同時に嫌な記憶がよみがえる。そうだった、高橋はあの日佳樹と一緒に合コンへ行った友人だ。そして次の日、佳樹の彼女ミユちゃんの存在を俺に教えた奴。……そんな奴が俺に用があるとすれば、それは佳樹に関することに違いない。俺と高橋との接点はそれしかないからだ。
 そこに思い至った俺は思わず渋い顔をしてしまう。
 せっかく全部終わりにする決心をしたというのに、幸先が悪い。でも今更聞こえないふりは出来ない。どうしようか、と思っているうちに、高橋は少し遠慮がちに声をかけてきた。

「ちょっとさ、良い?」
「……えっと……何か用?」
「うん、渋谷のことでさ」

 予想通りとは言え、佳樹の名前を出された俺の体が強張る。終わりにしたいのに、どうしてこのタイミングなんだ。
 何とか理由をつけて断りたい、と考えていると、昇降口の入り口からガヤガヤと数人の話す声が聞こえてきた。その中には佳樹の声も混じっている。一瞬でそれを聞き分けられる自分に辟易したが、それは高橋によって遮られた。

「ちょっとこっち来てくれ」
「うわっ」

 スパイクを脱いだ高橋が俺の腕を引っ張る。上履きを脱ぎかけていた俺は、踵を踏んだままつんのめりつつ、引っ張られるがままとなった。親しくもないやつにそんなことをされて抵抗しなかったのは、未練を断ち切ろうと決心したばかりの今このときに、佳樹と顔を合わせたくないからだった。
 佳樹たちが昇降口へ姿を表す前に、高橋は俺を連れて近くの理科室へと俺を押し込んだ。

「わっ、…と」
「悪ぃ」

 慌てていた高橋に背中を押された俺は、上履きをキチンと履いていなかったこともあって転びかけたが、目の前にあった実験テーブルに手をつくことで何とかそれを免れる。高橋は俺に謝罪しつつ、急いで扉の鍵をかけた。
 少しして、ガヤガヤとした声は理科室とは反対の方向へと遠ざかる。渡り廊下を渡って隣の校舎にある運動部の部室棟へ向かったんだろう。廊下が静まり返ってから俺は高橋に聞いてみた。

「……もう部活終わったのか?」
「ああ。今日は顧問が用事あるとかでさ、一時間早く終わったんだ」

 ああ、やっぱりタイミングが悪い。よりによってそんな日に決意して、顔を合わせたくないから部活が終わる前に、なんて早めに帰り支度をしたつもりがこれだ。俺はどれだけ間が悪いんだろう。ため息を吐きたくなる気分を抑え、俺は高橋に向き直った。

「で、話があるって……」
「あ、ああ、それな」

 実験室の丸椅子に座った俺の前に高橋はゆっくりと歩いてきた。

「あー…のさ、先月の今頃なんだけどさ、合コン行ったって話、しただろ?」
「……ああ」
「あのあとさ、渋谷と喧嘩になって、……どうして蜂屋にミユちゃんのこと言ったんだってアイツ、すげぇ怒って」

 佳樹と仲直りしたいから俺に間を取り持てってことだろうか? それならもう佳樹とは何の関係もない俺としては断るしかないわけだけれども。
 しかし高橋の話はまだ続くようだった。

「んでさ、まぁ渋谷には謝り倒して許してもらったんだけど」

 じゃあ解決してるだろ。そう思ったけれど高橋の話はまだ続く。

「アイツ、それからずっと元気がなくて」
「…………」
「聞けばお前と喧嘩したって言うからさ……俺も責任感じて」
「喧嘩なんかしてないし」

 高橋には悪いけれど、言葉を途中で遮り、俺は丸椅子から立ち上がる。

「え? だってお前ら、あんなに仲良かったのに」
「あー、一時期そうだったんだけどさ、やっぱ話とか性格がさ、合わなくて。自然に離れたっていうか、元通りになっただけだから」
「いや、でも、もう一ヶ月も渋谷が」
「とにかく、俺はもう渋谷のことなんかどうでも良いんだって!」

 思ったよりも大きな声が出て、俺は自分の剣幕に我ながら驚いてしまった。目の前の高橋も驚き、目を丸くして俺を見つめている。大人しい印象の俺が声を荒げてしまったからだろう。何も知らない高橋に対してこんなことをしてしまうなんて、自分が恥ずかしい。

「い、いや、めっちゃ怒ってんじゃん、蜂屋……」
「お、怒ってなんか」
「あのさ、聞けって、頼むから」

 立ち上がったままの俺の肩を高橋が両手で掴み、無理矢理丸椅子へ座らせようとしてくる。俺はそれに抵抗し、扉へ向かおうとした。けれど高橋のほうが俺より頭ひとつ背が高いぶん、分が悪い。勝てそうのない勝負に、俺の頭はカッとなった。

「嫌だって! 離せよ、俺帰るんだから」
「渋谷がミユちゃんと……って、ちょ、聞いてくれ、なあ頼むよっ……」

 高橋が押さえつけ、俺がその手を振り払おうとして揉み合いになった結果、丸椅子の足に躓いた俺は派手な音を立てて床に転がってしまった。目の前の床には倒れた丸椅子と、急いでいたせいで中途半端に閉め忘れたジッパーの隙間から出てしまったカバンの中身が散乱している。

「あー……ごめん、蜂……」

 ガタガタッ! ドン! ドン!!

 高橋が謝り、俺がカバンの中身を拾おうと腰を上げたとき、今度は鍵がかかったままの扉が大きな音を立てた。

「高橋っ、開けろ、高橋っ!」

 佳樹だ。佳樹の声だ。
 固まって動けなくなった俺の横を通り過ぎ、高橋が慌てて扉の鍵を開ける。やめてくれ、開けないでくれ。そう思ったけれど、実際の俺は何も出来ず、座り込んだままただ扉が開くのを見つめることしかできなかった。

「陽平っ」

 ガラガラと音を立てて開いた扉から練習着姿の佳樹が勢いよく入ってくる。そして床に膝をついたままの俺を見ると急いで駆け寄った。

「大丈夫か? 怪我は?」
「あの、ごめんな、ホント……俺が無理に蜂屋のこと引き止めたせいでさ、椅子ごと」
「大丈夫だからっ」

 申し訳なさそうに頭を下げる高橋の言葉にかぶせ、俺は強めに言い張った。そして床に散らばったままのカバンの中身を拾い始める。が、その手を佳樹に掴まれた。

「はっ、離せ…よ」
「嫌だ」

 思わず佳樹の顔を見てしまった俺は、強い目で見返され、慌てて目を伏せる。掴まれた手を振り払いたかったけれど、佳樹の力は存外に強くて無理だった。

「蜂屋も渋谷も、ホントゴメン。悪かったよ。俺、こんなつもりじゃなくてさ……」
「……いいよ、別にどこも痛くないし、俺はこのまま帰るから」

 顔を伏せたまま早口で言う。実際、音は大きかったけれど、体はどこも痛くない。床が木製だったせいもあって、体をどこかに強くぶつけたりもしなかった。それより早くこの場から去ってしまいたい、と焦る気持ちのほうが大きい。とにかく俺は佳樹と一緒にいたくなかった。
 なのに佳樹は顔を上げ、高橋の顔を真っ直ぐに見上げると、こう言ったのだ。

「高橋、蜂屋には俺が説明するから。……先に帰ってて」
「……わかった。……ごめんな、蜂屋。乱暴な真似して」

 高橋はそう言い、もう一度俺に頭を下げると理科室を出て行った。

 そのあと、高橋の足音が遠ざかるまで、俺と佳樹は床に座ったまま何も言わず、ただ向かい合ったままでいた。俺の手は佳樹に掴まれたままで、緊張から手のひらにかいた汗を変に思われるんじゃないかと、気が気じゃなかった。

「…………」
「……久しぶり、陽平」

 柔らかい声で佳樹が言う。
 俺は俯いたまま顔を上げられなかった。この一ヶ月、苦しくて、辛くて、それを終わらせる決意をしたばかりだった。佳樹の顔なんて見たくない。声を聞くのも嫌だ。

「陽平、こっち見てよ」

 恐る恐る、といった風に佳樹の両手が俺の頬に触れる。指先が触れた瞬間、説明できない感情がブワッと爆発して、床を見つめたままの俺の目から涙がこぼれた。
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みんなの感想(4件)

蒼
2023.04.23

面白かったです!
続き待ってます!

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コタ
2022.05.06 コタ

後編お願いします!!

解除
ぽこ
2022.03.10 ぽこ

わー!
この先どうなるんですか〜?!
気になります!

解除

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