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番外編〜Long version 上
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男は、硬くなった乳首を口に含むと、根元を唇で挟み、捻るように強く吸った。
久しぶりの愛撫は容赦なく弱い場所を狙い、敏感になった白い肌を触れたそばからゾクゾクと波立たせて行く。
男の唇が卑猥な音を立てて乳首を吸い上げるたび、乳首がツンと尖っていくのが解った。
「今日はやけに反応が良いね…。まさか最後に会ってから誰ともしてない、とか?」
「まだ二カ月しか経ってないだろ…」
「二カ月も、さ。君みたいな若くて綺麗な子が二カ月も独り寝なんて有り得ない」
「若くねぇよ」
「二十代でしょ?充分若いよ…」
乳首を吸っていた唇が、みぞおちを下りてお臍の窪みに到達する。性感帯を刺激され、無意識に男の髪を掴んでいた。
「ここ、弱いよね」
「んっ…」
男の尖った舌がお臍の中を舐め、身悶えるほどのじれったさで下腹を伝い降りる。
巧みな舌使いにお腹の奥が甘く疼く。堪らず腰をくねらせると、逃さないとばかり陰茎を掴まれ、ペニスの先を咥えられた。
「あっ…やめっ…」
先っぽの割れ目を舌先で小刻みに舐め、カリの部分だけをズチュズチュと派手な音を立ててしゃぶり、徐々に根元まで口に含んでゆっくりと頭を上下させる。
身体の奥が疼き、自然と男の口の動きに合わせるように腰が動いてしまう。
その、ねだるような腰の動きが男の欲望に火を付けたのは言うまでもない。応えるように、男は、根元まですっぽりと収まったペニスを口をすぼめて吸い上げる動作を何度も繰り返し、口を離すと、太ももの内側に手を当てて、向かって右側の脚だけを大きく横に開いた。
「ちょ、そこは嫌だって…」
開かれた部分の奥の奥。脚の付け根のお尻に近い部分を男が凝視する。
視線の先にあったのは淡墨の筆で書かれたような文字だった。
それを、よく見えるようお尻の肉を開いて剥き出しにすると、男は、覗き込むように顔を近づけ舌を這わせた。
「やっ、やめ…」
「こうされると、色んな意味で感じるでしょ? それにしても、こんなデリケートな場所に名前を彫らせるなんて君の想い人も相当痛いヤツだね…」
「あんたにゃ関係な…い…だろ…んあッ」
「関係あるよ。現に僕は今こうしてそいつの名前を見ながら君のアソコに自分のを入れようとしてるんだから。
やる気になってるところに他の男の名前を見せられるのは正直良い気分じゃあないよ。あ、でも、だからと言って君の事が嫌いなわけじゃないから誤解しないでね。君の事は本当に大好きさ。品が良くて素直で可愛らしい。
だからこそ、いつまでもそんな男を引きずる君が歯痒いんだよ。君を抱いてもくれない男のことなんていい加減忘れて早く僕を選んでくれればいいのに…」
ねちっこく舌を這わせると、男は、股の付け根からようやく口を離し、後孔から睾丸を舌の表面でゆっくり舐め上げた。
「やっ…」
睾丸を唇で優しく挟み、軽く吸いながらペニスの根元まで行き、また戻る。
同時に後孔に指先を当てがい、円を描くように揉みほぐした後、ゆっくりと中に差し込んだ。
「あっ、ああっ…」
「ふふっ。相変わらず感度が良いねぇ。中も熱くてトロトロだ。入れてくれない彼の代わりに僕がたっぷり入れてあげようね。僕の方が断然気持ちよくさせてあげられるって事を嫌というほど教えてあげるよ」
カチリ、とローションのキャップを外す音が響き、ほどなくして男根の先端が後孔の入り口に押し当てられる。
愛着が湧くほどの思い入れは無かったが、男の熱く滾った男根の感触は、冷えた心を温めるには充分だった。
太ももを掴んで男根を嵌め込むと、男は両脚を担ぎ上げて身体を前屈みに折り曲げ、最初はゆっくり丁寧に、次第に素早く小刻みに腰を動かした。
「あっ、あ、んぁっ…んっ…」
上半身を密着させながら、擦り上げるように男根をねじ込んでは引き戻す。男が腰を突き上げるたび、抱き締め合って一つになった身体が動きに合わせて前後に揺れる。
男のセックスは、五十を目前に控えた男にしては性急で荒々しく、お世辞にもスマートとは言えなかったが、その情熱的な乱雑さは人肌恋しい身体にはむしろ最良の熱となった。
「浅いのと深いの、どっちが良い?気持ちよくしてあげるからどこが良いのか言ってごらん…」
「聞くな、バカ…」
「そうやって照れるところ、本当にかわいいね。君とこうしてると身体が若返っていくみたいで嬉しいよ」
男の、渋い深みを漂わせる目が愛おしそうに見詰める。視線が合えば、暗黙の了解で口を開き舌を突き出してお互いの舌を絡ませ合う、この気心の知れた感じが今は心地良かった。
言葉にするまでもなく、男が腰を奥深くに突き入れ、更に揺さぶる。背中に手を回して抱きつくと、身体の中に嵌り込んだ男根が肉壁をググッと広げ、激しく大きく動き始めた。
「あ、あ、あ、あ…」
一時凌ぎにしては贅沢すぎる自覚はあった。
情が湧く前に終わらせなければならない。
しかし、そう思った矢先にまた流されてしまった。
「今日は一段と甘えん坊だったけど、そんなに嫌なことがあったのかい?」
行為の後、ベッドから起き上がってタバコを燻らしながら聞く男に、背中を向けたまま「別に」と答えた。
「別に…ただ…」
「ただ?」
「ただ、何というか…。今まで、無いものだと思っていたものが実はあって、軽く裏切られたような気持ち、って言うか…」
「何? さては例の彼が誰かとセックスでもしてたのかい?」
「昔の話し…なんだけど…」
「昔?まさか、過去の相手にまで嫉妬してるのかい?
まぁ、君の気持ちも解らなくもないが、彼は別にセックス出来ない身体では無いんだし、過去にはそりゃあ経験ぐらいあるだろうさ…。ただ、ああいうのはわりと早い時期から兆候が現れるから、その相手も無事では済まされなかった可能性が高いね。前にも言ったようにアレは今の日本の医療では治療法が確立されていな…」
「解ったからそれ以上言うな」
おさまった筈のざわつきが再び胸の底からゾワゾワと這い上がった。
男の言葉を遮ると同時に、ベッドから滑り降りて床に散らばった服を拾い集めて身に付ける。
男が慌てて駆け寄り背中から抱き付いたが、肘鉄を喰らわせ倒れた隙に足早に部屋を出た。
男が追って来られないところまで走り、タクシーを呼ぼうとポケットからスマホを取り出し電源を入れた。
途端に、間髪入れずにバイブが鳴る。
不在着信を知らせるメールだった。
見慣れた表示に一瞬息が重くなった。
知らないフリをするのももう限界。自分が蒔いた種とはいえ、いざ核心に迫ると、動揺して普通ではいられない自分に気付く。
そろそろ離れるべきなのかも知れない。
しかしその思いは再び鳴り響いたバイブ音によって崩された。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「いや、すまん。マジで驚いた」
「だから前から言ってるじゃん。いつもボサッとした格好してるから解らないけど、紀伊田さん、もともと顔は整ってるんだから」
舐めるように見回され、紀伊田がムッと眉間にシワを作る。
いきなり呼び出されたと思ったら、問答無用で髪をカットされ、スーツに着替えるよう命令された。
用意されたダークグレーのカジュアルスーツは、厚みこそ無いものの、痩せ型の割には筋肉質な紀伊田の身体に程よくフィットして、メリハリのついたアスリートのようなシルエットを白日の下に晒した。
「しかしまぁ、こんだけイケてんのに何だってお前はいつもあんな野暮ったいナリをしてんだよ」
窮屈な服は苦手だし、髪がざんばらなのは単なるものぐさだ。もともと自分の外見に興味は無い。周りからは、品があるだの、整っているだの言われるが、亜也人のように突出した美しさを持っているわけでも無し、自分としては、ほんの少し崩すだけで簡単に周りの目を欺ける程度の顔だと思っている。
それに何よりも、探偵業をする上で見かけの美しさは正直プラスにはならない。過度に目立たず、過度に好かれず、むしろ、どこにいるのか解らないほど目立たない、記憶に残らない顔の方が仕事がしやすかった。
「いつも野暮ったくてスンマセンね。つか、何すか、さっきから人のことジロジロ見て…」
ニヤつく松岡を睨み付け、横に並ぶ亜也人に、手のひらで、「どいて」と伝え、空いた隙間からソファーにどっかりと腰を下ろした。
「で、今度は何をしろ、って言うんですか」
松岡はなおも紀伊田を、何た言いたそうな顔でニヤニヤと見ていたが、紀伊田がもう一度尋ねると、思い出したように切り出した。
「亜也人の学校から呼び出しが掛かってな。悪いが、明日、亜也人の担任に会って欲しい」
「は? 何で俺が?」
「仕事が入ってるんだ。明日のクライアントは特Aクラスで替えの日取りが効かねぇ。多分進級の話しだろうから適当に相槌うって、『後で正式に返答します』で済ませてくれりゃいいから」
答える松岡の横で亜也人がバツの悪そうな苦笑いを浮かべている。
まともに生活していれば、亜也人は今高校二年で、この春三年生に進級する。
しかし、紀伊田が知っている限り亜也人が学校へ通ったのはたったの二週間。松岡が亜也人を自宅マンションへ連れ帰ってしばらく経った頃、松岡の意向で一旦は通い始めたものの、染谷の一件やら何やらで再び通わなくなってしまった。
年が明けてからは月に何度か松岡の仕事を手伝うようになり、その様子を見る限り、今後も通う兆しは無い。
亜也人の通う高校が寄付金に目がない私学とは言え、この出席日数では留年か自主退学しか選択の余地は無いと思われた。
「それで、俺に、代わりに、担任のお小言を聞けと?」
「まぁ、そういう事だ」
「そういう事、って…。通う気が無いならさっさと退学させりゃいいじゃないですか。亜也人くんだってもう学校に行く気は無いんでしょ?」
亜也人は、いかにも返答に困った様子で隣に立つ松岡をチラチラ見ながら、何かを訴えるように紀伊田に目配せした。
どうやら松岡は退学には反対らしい。普段は目も当てられないほど亜也人に甘い松岡であったが、亜也人の将来に関わる事となると頑なに自分の意見を曲げない。それは若くして極道の世界に足を踏み入れ、足を洗ってもなおカタギとは程遠い生活を強いられる松岡自身の苦い経験から来るものであったが、全て実体験だけに、その意見には有無を言わさぬ説得力があった。
確信を持って尋ねたが、見事に肩透かしを喰らってしまった。亜也人の同意を得て学校に行くのを回避する筈が、アテが外れ、紀伊田はガックリと肩を落とした。
態度に出したつもりは無かったが出ていたらしい。直ぐに松岡に、「何か不満でも?」と凄まれ、紀伊田は慌てて苦笑いして誤魔化した。
「そういう事だから、明日の16時に学校へ行ってくれ。それと、解ってるとは思うが、余計な事は言うんじゃないぞ」
お前は口が軽いから、と吐き捨てると、松岡は、ふと腕時計に目をやり、こんな事はしていられない、とバタバタと仕事先へと出掛けて行った。
亜也人は、松岡を玄関まで見送りに出、松岡が完全に出て行くと、再びリビングに戻り、ソファーで項垂れる紀伊田に、「ごめんなさい」と頭を下げた。
その、〝ごめんなさい〟が紀伊田の思いを汲み取らなかったことに対する〝ごめんなさい〟なのか、担任にお小言を言われることに対する〝ごめんなさい〟なのか、はたまた松岡の発言に対する〝ごめんなさい〟なのかは紀伊田には解らなかった。
翌日、約束の五分前に私立北一高校の職員室を尋ねると、直ぐに若い男性教師が、「お呼び立てして申し訳ありません」と丁寧に頭を下げ、紀伊田を職員室の奥の応接室へ案内した。
二十代後半から三十代前半、といったところだろうか。スポーツシャツにスラックスという出立ちに、日焼けの染み付いた、いかにも体育会系の健康的な肌。身長は紀伊田より頭一つ分高く、顔は万人受けする所謂イケメン。パッと見こそ若いものの、物怖じしない勝気な瞳とハキハキとした口調は、場馴れした余裕と自信に満ちている。
まるで、ドラマに出てくる爽やか熱血教師だ。
俺とは真逆。
嫌いでは無いが、正直、苦手なタイプだ。職業柄どんな相手にも合わせられる紀伊田であったが、無駄に熱いのと清廉潔白なのはどうにも空気が合わない。そのどちらの要素も持っているとなれば、苦手意識はますます高まった。
男性教師は、紀伊田をソファーに座るよう促すと、紀伊田が座るのを待ってから自分も座り、「亜也人くんの担任の佐伯祐介です」と名乗った。
「松岡さん…で、よろしいでしょうか…」
「え? …ああ、はい。…何か?」
「あ、いや。ずいぶんお若い方だなぁ、と思いまして。あ、お母様の弟さんだと伺ってましたから…」
やたらと視線を感じるのはそのせいか。
そう言えば、亜也人は親戚の叔父さんの家に預けられている事になっているから上手く話を合わせておけと松岡に言われていたのを思い出した。紀伊田は、「ああ」と相槌を打ち、いつもの調子で適当に答えた。
「歳が離れてるもんで。まぁ、さすがに親子には見られませんが…」
「失礼ですがお幾つですか?」
「二十九です」
「え! 俺より五つも年上なんだ。あ、ごめんなさい。てっきり同い年くらいかと思ったんで…」
「え…っと。五つ、って…」
「あ、俺、二十四なんです」
「にっ、にじゅうよん!?」
自分で声を上げておいて、あまりに素っ頓狂な声に、紀伊田は自分で驚いた。
「見えませんか?」
「え。ああ…。なんか凄く落ち着いてるから俺もてっきり同い年くらいかと…」
「え!…あ、いえ、なんか嬉しいです…」
「嬉しい?」
「ええ。俺、…あ、僕、落ち着いてるなんて言われたこと無いし、どちらかと言うと子供っぽいらしくて、いつも生徒にバカにされてるんですよ」
こんな自信満々な顔でどの口が言う。
生徒の質はさておき、高校生のガキにバカにされるような人間が、こんなに堂々と人の目を真っ直ぐ目も逸らさず、食い入るように見ながら話せるわけがない。
それに、話し始めてまだ数分しか経っていないのに、すっかり佐伯のペースに嵌っている。
何がどうという説明は出来ないが、苦手なタイプを相手に、自分がこうして食い付き気味に話している事自体が既に術中に嵌っている証拠だと紀伊田は思った。
このままでは、また余計なことを喋って松岡に叱られる。
さっさと本題に入ってもらおうと、呼び出した理由を単刀直入に聞いてみた。
佐伯は、今までの砕けた雰囲気から一転、くっきりとした二重瞼の目ヂカラのある目をキリリと正し、紀伊田の方へ身を乗り出した。
「実は、亜也人くんの進級についてなんですが、出席日数が足りなくてですね…」
「留年ですか?」
「まぁ、早い話がそういう事なんですが、彼の場合、ちょっと問題がありまして…。
あ、これから僕が話すことはあくまで生徒たちの噂なので、どうぞお気を悪くなさらないで下さいね。
実は、生徒たちの間で、亜也人くんが反社会勢力と繋がっているという噂が広まっているんです。もしそれが本当なら、学校としては在学を認めるわけにはいきません」
「つまり退学しろと?」
「噂が本当ならの話しです。実際のところ、どうなんでしょうか」
生徒を指導し教育するはずの学校が、自分たちの体面を保つために厄介払いか。
佐伯が悪いわけでは無かったが、紀伊田は不快感を覚えずにはいられなかった。
「残念ながら繋がりは無いですよ」
「え…?」
「そういう事にして辞めさせたいんでしょ?じゃなきゃ、ガキの噂なんか間に受けないでしょうに」
「ガキ、って…」
紀伊田の豹変に佐伯は戸惑っているようだった。
しかし、相変わらず視線は逸らさない。
初対面の人間に、こんなにジッと見詰められるのは初めてだった。しかも、睨み付けているのに全く動じない。睨んでいる紀伊田の方が耐えきれず先に目を逸らしてしまいそうだった。
「とにかく、実際のところ繋がりは無いっつーかもう切れてる。積川とは別れたし、松岡さんはとっくに足を洗ってる。ちなみに俺もだ。
あんたらの言う〝関係〟が準構成員にまで及ぶってんなら話は別だが、そんなこと言ったらここの生徒の大半アウトだぜ。
つーわけで、今の時点で亜也人くんは反社会勢力とは全く関係ないよ。でもそれを言ったところで何も変わらないだろうね。だって学校側は亜也人くんを辞めさせたいんだから」
「そんなことは…」
「なら、関係ないって上のもんに言ってみなよ。そんでどうなったかまた報告して」
言いながら、佐伯の鼻先ギリギリまで顔を近づける。佐伯はそれでも目を逸らさなかった。
紀伊田は、フン、と鼻息を吐いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
車に戻ると、さすがに、悪い事をしたという気持ちが込み上げた。
適当に相槌を打って帰ってくる筈が、喧嘩を売るような形になってしまった。
あんな事ぐらいで感情的になるなんてどうかしてる。
このところずっとこんな調子だ。些細なことでイライラして、訳もなく落ち込む。
胸の中に拗ねたようなモヤモヤが絶えずあり、それが時折、猛烈な怒りとなって込み上げる。
やはり動揺しているのだ、と思った。
証拠に、いつもなら簡単に素通り出来る場所に、紀伊田は車を停めていた。
閑静なオフィス街の一角には不似合いな、グレーの三階建ての古ぼけたビル。
普通のビルで無いことは、入り口に付けられた監視カメラの数とやたら重厚な扉からも想像がつく。
その最上階の真ん中の窓を、車の窓枠に肘をついてもたれながら見上げた。
ブラインドが下がっているのはいつもの事だ。
この時間ならおそらく中にいる。
しかし、いたところで何がどうなるわけでも無かった。
全て終わった事なのだ。時は流れ、記憶も多分薄れている。
それを、何を今更。
やめた、やめた、と気持ちを切り替え、再びエンジンを入れる。
窓を閉め、ギアをドライブに入れると、ふいに前方に柄の悪い輩が二、三人現れた。
「てめぇー、なに、ひとの組の前ウロついてやがる」
石破組の若衆だった。振り切ってやろうかとも思ったが、後々面倒臭い事になるのも嫌なので、大人しく言うことを聞く事にした。
窓を開けると、若衆は、窓枠に腕を付いて運転席を覗き込むように身を乗り出し、スーツ姿の紀伊田を舐めるように見回した。
「へぇー、お兄ィちゃん、マブイ顔してんじゃん。うちの事務所、モデルクラブやってんだわ。どう?お兄ィちゃんモデルとか興味ない?」
気配を悟られずに近付くセンスは一流だが、品性の欠片もない態度はやはり三流だ。相手にする時間すら惜しく、「ありません」と簡潔に答えた。
「そんなつれないこと言うなよ。お兄ィちゃんならすぐにデビュー出来るよ。なんなら俺が手取り足取り指導してやろうか?」
いるか、ボケ。
口に出したつもりは無かったがどうやら出てしまっていたらしい。いきなり胸ぐらを掴まれ、紀伊田はようやくその事に気が付いた。
「ひとが甘い顔してりゃ、つけ上がりやがって!俺様に楯突くとはいい度胸だ。おい、こいつを中に連れて行け!」
男の声とともに、後ろにいた弟分に運転席から引きずり降ろされ、両脇を抱えられてビルの中に連れ込まれた。
中にいた若衆が好奇の目で振り返る中、階段を上がり、左右に見張りの付いた扉の前で立ち止まる。
車の中から何度も見上げた部屋だ。
男がインターフォンを押して何か呟くと、しばらくして見張り役がゆっくりと扉を開けた。
「久しぶりだな、淳」
最後に会った時と同じ、目尻の切れ上がった一重まぶたの目を細め、内藤は紀伊田を見た。
紀伊田を連れて来た若衆は、内藤の予想外の反応に目をまん丸にして紀伊田を見たが、すぐに内藤に席を外すように言われ、そそくさと部屋を出て行った。
二人きりになると、内藤は、リクライニングチェアーから立ち上がり、ゆっくりと紀伊田に近付き、紀伊田の真正面に立った
先程までの尖った印象は消え、心なしか口元が微笑むように綻んだ。
「こうしてサシで話すのはいつ以来だ?先代が死んだ時からだから8年ぶりか。お前はちっとも変わらねぇな。いくつになった?」
「二十九だよ…」
「二十九か。興信所、やってるんだってな。松岡とつるんでるのはそのせいか?」
「なんでそれを…」
「お前のことなら何でも知ってるさ。どうして松岡とつるんでる。松岡に惚れてるのか?それとも寺田の方か?」
「バカな。ただの仕事だよ」
「にしてはずいぶん頻繁に出入りしてるじゃねぇか」
「あんたまさか俺たちを…」
「ああ、お前のことが心配だからな。ちなみに、お前がうちの積川の事をこそこそ嗅ぎ回ってるのも知ってる…」
「なら、何で俺が嗅ぎ回ってるのか、理由も知ってるよな…」
「さぁな」
「は?心当たりがない、とでも?」
「ああ、全く」
チクリ、と冷たいものが胸の底に落ちたような気がした。
だから何だ。
今更なにを期待していたのか。
動揺して欲しかったのか、済まなさそうな顔をして欲しかったのか。
一瞬でもそんなことを考えた自分が馬鹿に思える。自分自身への悔しさに、紀伊田は奥歯をギッと噛み締めた。
「だよな。俺の勘違いだわ。だってあんたセックス出来ないんだもんな。子供なんか作れるわけないもんな」
「淳…」
「それともナニか? 人には『セックスできない』なんて言っといて、実はやってましたとかいうオチか?」
滅多に崩れない内藤の顔が驚愕を浮かべて紀伊田を見る。
図星か。
紀伊田が思ったのも束の間、内藤は直ぐにハッと我に返り、いつもの冷ややかな目付きで紀伊田を見た。
「馬鹿なことを言うな」
「あんたには馬鹿でも俺にはマジな話だ。教えてくれよ。あんた俺に嘘ついてたのか。なんで積川はあんなにあんたに…!?」
突然、凄い力で腕を取られ、胸元に引き込まれて口を手で塞がれた。
「それ以上言うんじゃない」
見上げた先で、有無を言わせぬ威圧感のある目が、紀伊田を真っ直ぐ見下ろしていた。
「俺は嘘はついちゃいない。だが、この件にはこれ以上首を突っ込むな」
八年前と同じ、真剣な目。
周りは内藤を、何を考えているか解らない、感情が見えない、と言うが、普段表情が無いからこそ、紀伊田には、内藤の些細な変化がよく見えた。
力で押さえつけるのではなく、むしろ心の底から頼み込むように、内藤の視線は、真剣に紀伊田に注がれていた。
「これはお前のために言ってるんだ。俺もお前を危険な目に遭わせたくはない。悪いことは言わないから大人しくしてろ」
紀伊田は、口を塞ぐ手をなんとか振りほどき、内藤の胸ぐらを掴み上げた。
「俺のため、俺のため。あんたは何でもすぐそうやって誤魔化す。
あの時だって、俺のためだ、なんて言いながら試しもしないで斬り捨てた…」
「事実、出来なかったじゃないか」
「あんたがしなかったんだ!俺は平気だった!」
「平気じゃない」
「どうしてそうやって決め付けるんだ!」
瞬間、強烈なデジャブに襲われ、紀伊田は崩れるように膝を折った。
あの時も、紀伊田はこんなふうに内藤の胸ぐらを掴み、詰め寄っていた。
『勝手に決め付けんな!』
『決め付けじゃない。無理なもんは無理なんだ』
突き放すような内藤の声と身を引き裂かれるような痛みがぶり返す。
叫び出したいのに、喉が詰まって息すら出来ない。目の内側が焼けるように熱く、涙が勝手に頬を流れた。
「俺にとっちゃ、積川が誰の子供かなんてどうでもいいんだよ。そんな事より俺はあんたが誰かとセックスした事がどうしても…どうしても…」
そこから先は言葉にならなかった。
内藤は、紀伊田が床に崩れ落ちないよう片手を腰に回してしっかりと抱きながら、もう片方の手で震える背中を優しく撫でた。
「久しぶりに会えたってのに何やってんだよ」
紀伊田は何も言わずただ咽び泣いた。
「なぁ、淳。少し頭を冷やせ。お前が今こんなふうになってるのは寺田の影響だ」
「そんなん関係ない…」
「関係あるさ。お前、あいつが積川に何されてたか知ってるんだろ?お前はそれを見て、自分にも出来るって思っちまってるだけなんだ。あんなガキにも出来るんだから、俺にも出来る、ってな。
だが、お前はあいつじゃないし、俺も積川じゃない。あいつは積川だから受け止める事が出来たんだ。もしお前が俺を受け止めようとしたら多分俺はお前を死なせちまう。俺のは積川の何倍も酷ぇんだ」
「そんなのやってみなきゃ…」
「やり始めたら最後。途中では止められないんだぜ?実際それで何人も死にかけてる。お前は、そんなことのために命を賭けるのか?」
内藤の声はひどく穏やかで落ち着いていたが、その響きには、譲れない断固とした意思の強さがあった。
「また、俺のため、か…」
「お前のためでもあり、俺のためでもある。お前がどう思うかは解らねぇが、俺はお前が大切だ。お前にゃ、俺も、この世界も合わねぇよ。早く真っ当な道に戻って幸せになって欲しいと思ってるんだ」
勝手なことばっか言いやがって。しかし紀伊田のその思いは喉元で泣き声に変わった。
人を人とも思わない冷酷非道で悪名高き男が自分にだけ見せる優しい一面。
この希少な優しさが、いつ切れてもおかしくない、もはや首の皮一枚で繋がったも同然の紀伊田の内藤への未練をより強固にし、離れられなくしていることを内藤自身が解らない筈は無い。
人の心を読むのが上手く、人を意のままに操り動かす内藤の事だ。自分に都合よく利用するために、全て計算尽くで敢えて優しくしているのかも知れない。
解っていながら、紀伊田は内藤を完全に拒絶することが出来なかった。
内藤への疑心暗鬼より、内藤と離れたくない気持ちの方が先に出る。
離れて欲しいと言いながら、離れられなくさせている。結局、内藤の思い通りになっているのだと紀伊田は思った。
「離せ…」
項垂れた頭を起こし、見上げた先にある、一文字に結ばれた薄い唇を見た。
人の気持ちを弄ぶこの唇が憎い。思うが先か、知らない間に身体が動き、紀伊田は、つま先立ちをして唇を重ねていた。
結ばれたままの唇を唇で包み、舌の先で表面をなぞる。紀伊田の気持ちとはうらはらに、内藤の唇が開かれる事は無かった。
唇を離し、「帰る」と伝えて胸ぐらを掴んだ手をゆっくりと引き離した。
完全に手が離れる直前、ふいに手首を掴まれ、引き止められたのかと思った自分に戸惑った。
「ごめんな、淳。こればっかりは聞いてやれねぇが、他のことなら何でも聞いてやる。
しつこいようだが、俺はお前が大切なんだ。何か困ったことがあった時は俺を頼れ。俺が必ず助けてやる」
来るんじゃ無かった、と紀伊田は思った。
来た時よりも胸が痛い。
そして、来た時よりも内藤が好きになっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「淳くん?私だ。先日突然帰ってしまってから連絡が無いので心配してる。これを聞いたら連絡が欲しい」
「淳くん? 私だ。先日は済まない。僕が何か君を怒らすようなことをしたんだね。とにかく話がしたい。いつでもいいから連絡をくれ」
「淳くん。私が悪かった。君に会いたい。頼むから連絡を…」
「ばぁーか」と言いながら、紀伊田が留守番電話メッセージの一斉消去ボタンを押す。
中年オヤジの声に起こされた朝は、むしゃくしゃした紀伊田の心をさらに苛立たせた。
遅くまで飲んでいたせいでまだ頭が重い。
枕元の時計は既にお昼近くを告げ、カーテンの隙間から射し込む光が、部屋の中央に白い帯を作っていた。
アルコールが残っているせいだろう。いつまで経っても人肌恋しさが消えない。
いつでも連絡しろ、と言ってくれる相手は何人かいたが、平日の、しかも真昼間から会える相手はそうそうおらず、一番手っ取り早い留守番電話のオヤジは、股の付け根を舐めるのが我慢ならずもう二度と会うつもりは無かった。
相手はいくらもいるのに肝心な時はいつも一人。
会いたい時に会えないんじゃ誰もいないのと同じだ。
アドレスリストをスクロールし、最後まで見たところで画面を閉じる。
すると、突然、バイブとともに知らない番号が画面に表示され、紀伊田は何となしに通話ボタンを押してしまった。
「あ、松岡さん…じゃなくて、キイダさん?」
ハキハキした、男の声だった。
紀伊田が、「そうですが」と答えると、電話口の男は、「僕です」と、声のボリュームを、気持ち、上げた。
「昨日お会いした、亜也人くんの担任の…」
「あーあー、名前、何だっけ」
「佐伯です」
紀伊田の脳裏に、日焼けの残る健康的な肌色と、自信に満ち溢れた弾けるような笑顔が蘇った。
「そうそう、佐伯さん。一体どうしたんすか?てか、何で俺の番号解ったの?」
「名簿に載ってた番号に掛けたら松岡さんが出て…。って言うか、代わりに来たのならそう言ってくだされば良かったのに…」
「あー、なんか面倒臭くて」
「面倒臭い、って…」
「ごめん、ごめん。それより何の用っすか?」
「ちょっと、自分で報告しろ、って言っといてそれはないでしょう!まさか忘れてたんですか?」
「ええと…あの…」
「 信じられない。昨日の今日ですよ?とにかく、報告するんで会って下さい」
「会う?」
ふと、佐伯が部屋のドアを開けて寝室へ入ってくる姿が脳裏に浮かんだ。
若いだけに、引き締まったいい身体をしていた。
好みじゃないが、一人でいるよりはマシだ。
「キイダさん?」
電話口の向こうの佐伯に薄く微笑み、紀伊田は囁くように呟いた。
「俺んちに来てくれるなら会ってもいいけど…」
佐伯は、呆れるほど爽やかに答えた。
「了解です。お昼済ませたら伺いますんで、キイダさんの家、教えて下さい」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
慣れないことはするもんじゃない。
男を手玉に取るような器でない事は解っていた。
周りは紀伊田を可愛いだの、愛嬌があるだの、癒し系だのと言って可愛がってくれたが、紀伊田自身は、自分が可愛がられるのは、自分が他人より下の位置にいるからだと思っている。
自分より下だから攻撃する理由が無い。自分の方が優位だから余裕で振る舞える。追い抜かれる心配が無いから安心して可愛いがる。自分の方が持っているから惜しみなく与える。
自分より下の者に対して他人は基本優しい。
加えて、そこそこ美形でスタイルも良い。あくまで、そこそこ。
亜也人のように、誰もを惑わす類稀なる美貌というわけでは無いから、服従させようと力で抑えつけられる事もなければ、手に入れられない逆恨みから虐げられる事も無い。
本人は自覚していないが、他人に対するガードの甘さと警戒心の無さも、気取らない、親しみやすい、と周りを安心させる。崇められる事はないけれど、いつも誰かに助けられ、可愛がられる。
自分は見栄えの良い〝サイドメニュー〟なのだ、と紀伊田は思っている。
メインディッシュのような華やかさはないが、気付けば、誰からも求められ、選ばれている。
なのに、メインディッシュの真似事などするからこんな事になったのだ。
「これは、誘われてると思っていいんですか?」
佐伯の、爽やかとは程遠いギラついた目に紀伊田はあたふたと視線を泳がせた。
理解を超えた若者の欲望に身が竦む。
電話の後、佐伯が到着する時間を逆算してシャワーを浴びた。バスローブを身に付け、濡れ髪を軽くタオルで押さえて水滴を拭うと、計算通りインターフォンが鳴った。
佐伯は、バスローブ一枚で濡れ髪を滴らせながら出てきた紀伊田を、予想通り、大きく眼を見開き口をポカンと開けて見下ろした。
その顔を伺うように、下唇をわずかに噛んで、ねだるような上目使いで見上げると、佐伯の耳がみるみる真っ赤に染まり、頬がピクリと動いた。
予想通りだったのはそこまで。
計画では、この後、あたふたする佐伯をベッドに連れ込み、ガチガチに震える頬を撫で、身体中をいじくり回し、あわよくばキスをして抱き締め合って眠るつもりだった。
ようは、寂しい時の抱き枕。紀伊田が求めていたものは、物言わぬただの人肌だ。性欲ではなく、精神の安定を得るための裸体。
佐伯を選んだのは、たまたま連絡が入ったのは勿論、佐伯が絵に描いたような真っ当な人間だった事と、あの自信に満ちた顔が狼狽に歪むのが見たかったからだ。
しかし実際は、あたふたしたのは紀伊田の方でベッドに連れ込まれたのも紀伊田の方だった。
「寝室、どっちですか?」
紀伊田のあられもない姿に目を丸めたのも束の間、佐伯は、ふいにゾクっとするほど真剣な瞳で紀伊田を見詰め、濡れ髪を弄ぶ手を握り締めた。
呆気に取られる暇もなく、手を引っ張られ、ベッドの上に引き倒された。
反動で、バスローブの胸元がはだけ薄桃色の乳首が露わになる。
隠そうと咄嗟に手を伸ばすと、寸前のところで手首を掴まれ、頭の上で一纏めに束ねられてしまった。
「あ、あの、こ、こ、これは一体なんの真似…」
「誘ったのはキイダさんですよね…」
え…、と思った時には既に佐伯に身体の上にのしかかられ、乳首を口に含まれていた。
「あっ、ちょっ…なに…」
「凄い…すぐに硬くなった…」
「やっ、だめっ、なにやっ…て」
乳輪ごと口に含んで乳首を舐め回し、軽く歯を当てて吸い上げる。片方の乳首に一心不乱にむしゃぶりつきながら、もう片方の乳首を指の先でグリグリ押し潰し、たまに伸び上がって唇を貪る。
乳首の先がジンジンと痺れ、お腹の奥に甘い疼きが沸き起こる。
「乳首、真っ赤になっちゃいました。痛いですか?」
「…たいよ。はなせっ…」
「こういう時の『はなせ』は『はなさないで』って事なんですよね?」
「…だよそれ。一体どこ情報だ」
今度は反対側の乳首を同じように舐め回し、赤く腫れ上がった方の乳首を手のひら全体でさすり撫でる。
想定外の展開に頭が付いていかない。
起き上がろうとしても、肩を掴まれてベッドに押さえつけられ、逃げれないよう下半身に体重をかけられる。
密着した下腹部が熱い。
これ以上刺激されないよう腰をくねらせて股間をずらすと、佐伯の腕が伸びてきて紀伊田の股間を手のひらに握り込んだ。
「こっちも硬くなってる…」
「バカ、離せ! これ、マジで洒落になんねーからっ!」
「洒落にするつもりは無いです」
「おいバカ! やめろって!」
自分が優勢だと思い込み、バスローブの下に何も身につけなかったことを激しく後悔する。剥き出しになったペニスは、佐伯に脚を広げられただけで簡単に全貌を曝け出してしまった。
「キイダさんのここ、綺麗ですね。お尻の中、柔らかくしないといけませんよね。もうちょっと見えるようにしていいですか?」
返事をする前に、足首を掴まれ頭の方へ返された。
あまりの恥ずかしさに顔を背けると、お尻の肉を掴む佐伯の手が一瞬ビクリと震えた。
「これ、何ですか? 名前?」
紀伊田はハッと佐伯に視線を戻した。
「そうだ!俺様に変なもん突っ込んでみろ、その名前の男がすっ飛んできて、お前なんかズタボロに切り刻まれて海に捨てられるんだからなっ!」
紀伊田の言葉は全部が全部嘘では無かった。
佐伯は一瞬黙り、やがて静かに紀伊田の脚を元に戻した。
「この、圭吾、って人はキイダさんの恋人なんですか?」
「え? いや。あ、それはまぁその…」
「恋人がいるのに俺を誘ったんですか?」
「それは…俺が悪かった。ちょっとからかってやろうと思っただけなんだ。まさかあんた…いや、先生が男もイケる人だとは思わなかったから…」
「イケるかどうかは解りません」
「え?」
「俺、男は全く経験無いです」
「ちょ、ちょ、え?だったら何でこんなこと…」
「だってキイダさんは男が好きなんですよね」
「まぁ…」
「なら俺も好きになれます。大丈夫です」
「ごめん、何が大丈夫なのか意味が解らない。俺が男好きだと何であんたが男好きになるの?」
「キイダさんが好きだからです」
「はぁっ?」
どこから出ているのか解らないような声が出た。
「キイダさんは俺のことどう思ってるんですか?」
「どうも何も、昨日会ったばかりだろ!」
「でも、キイダさんの事が頭から離れないんです。初めて見た時から、何故かキイダさんから目が離せなくて…」
確かに見られ過ぎな気はしたが、舐められまいと目ヂカラで萎縮させようとしているのかと思った。
「とにかく一旦頭を冷やそう」
「無理です」
もじもじと俯く佐伯の視線を追い、紀伊田は大きな溜め息をついた。
佐伯の男根が、佐伯の履くスラックスの生地を押し上げながら股の間で可哀想なくらいギチギチにいきり勃っている。
トイレで自己処理してくれないだろうかと思ったが、さすがに自分から言うのは気が引けた。
責任の一端は自分にもある。紀伊田は佐伯の腕を支えにして上半身を起こし、股の前にしゃがみ込んだ。
「口でしてやるからこれで我慢してくれな」
佐伯をその場で膝立ちにさせ、スラックスのファスナーを下ろして下着と一緒にずり下げた。跳ねるように溢れ出た男根の大きさに一瞬ドギマギする。
口一杯に頬ばって舌を絡めながら吸い上げると、佐伯の手が後頭部に回り、紀伊田の頭を支えながら自分の腰をゆっくり振り始めた。
苦しくないよう、頬の内側に向かって先端を当ててくるところに優しさを感じる。
こういう体勢は、征服感欲しさについ乱暴に突っ込みがちだが、佐伯の入れ方は圧迫感はあるものの、顎が外れるような強引さも、えずくような不快感も無かった。
男の経験は無いと言っていたが、女の方はかなり慣れているに違いない。
どんな顔をしているのだろうと見上げると、佐伯もまた紀伊田を見つめていて、見上げたそばから視線がぶつかった。
「キイダさん。やっぱり俺もう…」
口の中から男根が引き抜かれたと思ったら、肩を掴まれ、再びベッドの上に仰向けに倒された。
同時に、内ももをまさぐられ、後孔に湿った指を添えられる。
「バカお前、どこ触ってる!」
「ごめんなさい。でも俺、口の中でイクのは嫌です。キイダさん、もう俺に会ってくれませんよね。これが最後なら、ちゃんと最後までしたいです。一回だけの火遊びでも構いません」
マズイ事になった、と思った。
脚をバタつかせて抵抗するも、指はゆっくりと中に埋まっていく。
「嫌だ!抜けって! 」
叫びも虚しく、佐伯の指は根元まで入り込み、ずぶずぶと抜き差しを繰り返す。
最初は真っ直ぐ、次第に紀伊田の良い場所を探るように角度をつけて肉壁をなぞり始め、ふいに、ある場所でクイッと折り曲げた。
「やあぁっ、そこ、ダメ…」
声を上げたのはマズかった。
「ここが良いんですね…」
探し当てた甘いスポットを執拗に指先でこすり上げながら、乳首と同じくらい感じる耳の後ろを舌の先でなぞられる。
早くやめさせなけれは飲まれてしまうと思った。
「いい加減にしろって!さっきの名前、忘れたのか!内藤圭吾!石破組のカシラだぜ?お前、ほんと殺されるよ?」
聞こえているのかいないのか、佐伯はなおも指を動かした。
「くそっ! …ばか…あぁっ…」
身悶えるような快感が全身を駆け巡る。
抗う気持ちは快楽に押されてどこかに流された。
何が、一回だけの火遊び、だ。一番タチ悪りぃわ。
しかし、呟きは声にはならなかった。
久しぶりの愛撫は容赦なく弱い場所を狙い、敏感になった白い肌を触れたそばからゾクゾクと波立たせて行く。
男の唇が卑猥な音を立てて乳首を吸い上げるたび、乳首がツンと尖っていくのが解った。
「今日はやけに反応が良いね…。まさか最後に会ってから誰ともしてない、とか?」
「まだ二カ月しか経ってないだろ…」
「二カ月も、さ。君みたいな若くて綺麗な子が二カ月も独り寝なんて有り得ない」
「若くねぇよ」
「二十代でしょ?充分若いよ…」
乳首を吸っていた唇が、みぞおちを下りてお臍の窪みに到達する。性感帯を刺激され、無意識に男の髪を掴んでいた。
「ここ、弱いよね」
「んっ…」
男の尖った舌がお臍の中を舐め、身悶えるほどのじれったさで下腹を伝い降りる。
巧みな舌使いにお腹の奥が甘く疼く。堪らず腰をくねらせると、逃さないとばかり陰茎を掴まれ、ペニスの先を咥えられた。
「あっ…やめっ…」
先っぽの割れ目を舌先で小刻みに舐め、カリの部分だけをズチュズチュと派手な音を立ててしゃぶり、徐々に根元まで口に含んでゆっくりと頭を上下させる。
身体の奥が疼き、自然と男の口の動きに合わせるように腰が動いてしまう。
その、ねだるような腰の動きが男の欲望に火を付けたのは言うまでもない。応えるように、男は、根元まですっぽりと収まったペニスを口をすぼめて吸い上げる動作を何度も繰り返し、口を離すと、太ももの内側に手を当てて、向かって右側の脚だけを大きく横に開いた。
「ちょ、そこは嫌だって…」
開かれた部分の奥の奥。脚の付け根のお尻に近い部分を男が凝視する。
視線の先にあったのは淡墨の筆で書かれたような文字だった。
それを、よく見えるようお尻の肉を開いて剥き出しにすると、男は、覗き込むように顔を近づけ舌を這わせた。
「やっ、やめ…」
「こうされると、色んな意味で感じるでしょ? それにしても、こんなデリケートな場所に名前を彫らせるなんて君の想い人も相当痛いヤツだね…」
「あんたにゃ関係な…い…だろ…んあッ」
「関係あるよ。現に僕は今こうしてそいつの名前を見ながら君のアソコに自分のを入れようとしてるんだから。
やる気になってるところに他の男の名前を見せられるのは正直良い気分じゃあないよ。あ、でも、だからと言って君の事が嫌いなわけじゃないから誤解しないでね。君の事は本当に大好きさ。品が良くて素直で可愛らしい。
だからこそ、いつまでもそんな男を引きずる君が歯痒いんだよ。君を抱いてもくれない男のことなんていい加減忘れて早く僕を選んでくれればいいのに…」
ねちっこく舌を這わせると、男は、股の付け根からようやく口を離し、後孔から睾丸を舌の表面でゆっくり舐め上げた。
「やっ…」
睾丸を唇で優しく挟み、軽く吸いながらペニスの根元まで行き、また戻る。
同時に後孔に指先を当てがい、円を描くように揉みほぐした後、ゆっくりと中に差し込んだ。
「あっ、ああっ…」
「ふふっ。相変わらず感度が良いねぇ。中も熱くてトロトロだ。入れてくれない彼の代わりに僕がたっぷり入れてあげようね。僕の方が断然気持ちよくさせてあげられるって事を嫌というほど教えてあげるよ」
カチリ、とローションのキャップを外す音が響き、ほどなくして男根の先端が後孔の入り口に押し当てられる。
愛着が湧くほどの思い入れは無かったが、男の熱く滾った男根の感触は、冷えた心を温めるには充分だった。
太ももを掴んで男根を嵌め込むと、男は両脚を担ぎ上げて身体を前屈みに折り曲げ、最初はゆっくり丁寧に、次第に素早く小刻みに腰を動かした。
「あっ、あ、んぁっ…んっ…」
上半身を密着させながら、擦り上げるように男根をねじ込んでは引き戻す。男が腰を突き上げるたび、抱き締め合って一つになった身体が動きに合わせて前後に揺れる。
男のセックスは、五十を目前に控えた男にしては性急で荒々しく、お世辞にもスマートとは言えなかったが、その情熱的な乱雑さは人肌恋しい身体にはむしろ最良の熱となった。
「浅いのと深いの、どっちが良い?気持ちよくしてあげるからどこが良いのか言ってごらん…」
「聞くな、バカ…」
「そうやって照れるところ、本当にかわいいね。君とこうしてると身体が若返っていくみたいで嬉しいよ」
男の、渋い深みを漂わせる目が愛おしそうに見詰める。視線が合えば、暗黙の了解で口を開き舌を突き出してお互いの舌を絡ませ合う、この気心の知れた感じが今は心地良かった。
言葉にするまでもなく、男が腰を奥深くに突き入れ、更に揺さぶる。背中に手を回して抱きつくと、身体の中に嵌り込んだ男根が肉壁をググッと広げ、激しく大きく動き始めた。
「あ、あ、あ、あ…」
一時凌ぎにしては贅沢すぎる自覚はあった。
情が湧く前に終わらせなければならない。
しかし、そう思った矢先にまた流されてしまった。
「今日は一段と甘えん坊だったけど、そんなに嫌なことがあったのかい?」
行為の後、ベッドから起き上がってタバコを燻らしながら聞く男に、背中を向けたまま「別に」と答えた。
「別に…ただ…」
「ただ?」
「ただ、何というか…。今まで、無いものだと思っていたものが実はあって、軽く裏切られたような気持ち、って言うか…」
「何? さては例の彼が誰かとセックスでもしてたのかい?」
「昔の話し…なんだけど…」
「昔?まさか、過去の相手にまで嫉妬してるのかい?
まぁ、君の気持ちも解らなくもないが、彼は別にセックス出来ない身体では無いんだし、過去にはそりゃあ経験ぐらいあるだろうさ…。ただ、ああいうのはわりと早い時期から兆候が現れるから、その相手も無事では済まされなかった可能性が高いね。前にも言ったようにアレは今の日本の医療では治療法が確立されていな…」
「解ったからそれ以上言うな」
おさまった筈のざわつきが再び胸の底からゾワゾワと這い上がった。
男の言葉を遮ると同時に、ベッドから滑り降りて床に散らばった服を拾い集めて身に付ける。
男が慌てて駆け寄り背中から抱き付いたが、肘鉄を喰らわせ倒れた隙に足早に部屋を出た。
男が追って来られないところまで走り、タクシーを呼ぼうとポケットからスマホを取り出し電源を入れた。
途端に、間髪入れずにバイブが鳴る。
不在着信を知らせるメールだった。
見慣れた表示に一瞬息が重くなった。
知らないフリをするのももう限界。自分が蒔いた種とはいえ、いざ核心に迫ると、動揺して普通ではいられない自分に気付く。
そろそろ離れるべきなのかも知れない。
しかしその思いは再び鳴り響いたバイブ音によって崩された。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「いや、すまん。マジで驚いた」
「だから前から言ってるじゃん。いつもボサッとした格好してるから解らないけど、紀伊田さん、もともと顔は整ってるんだから」
舐めるように見回され、紀伊田がムッと眉間にシワを作る。
いきなり呼び出されたと思ったら、問答無用で髪をカットされ、スーツに着替えるよう命令された。
用意されたダークグレーのカジュアルスーツは、厚みこそ無いものの、痩せ型の割には筋肉質な紀伊田の身体に程よくフィットして、メリハリのついたアスリートのようなシルエットを白日の下に晒した。
「しかしまぁ、こんだけイケてんのに何だってお前はいつもあんな野暮ったいナリをしてんだよ」
窮屈な服は苦手だし、髪がざんばらなのは単なるものぐさだ。もともと自分の外見に興味は無い。周りからは、品があるだの、整っているだの言われるが、亜也人のように突出した美しさを持っているわけでも無し、自分としては、ほんの少し崩すだけで簡単に周りの目を欺ける程度の顔だと思っている。
それに何よりも、探偵業をする上で見かけの美しさは正直プラスにはならない。過度に目立たず、過度に好かれず、むしろ、どこにいるのか解らないほど目立たない、記憶に残らない顔の方が仕事がしやすかった。
「いつも野暮ったくてスンマセンね。つか、何すか、さっきから人のことジロジロ見て…」
ニヤつく松岡を睨み付け、横に並ぶ亜也人に、手のひらで、「どいて」と伝え、空いた隙間からソファーにどっかりと腰を下ろした。
「で、今度は何をしろ、って言うんですか」
松岡はなおも紀伊田を、何た言いたそうな顔でニヤニヤと見ていたが、紀伊田がもう一度尋ねると、思い出したように切り出した。
「亜也人の学校から呼び出しが掛かってな。悪いが、明日、亜也人の担任に会って欲しい」
「は? 何で俺が?」
「仕事が入ってるんだ。明日のクライアントは特Aクラスで替えの日取りが効かねぇ。多分進級の話しだろうから適当に相槌うって、『後で正式に返答します』で済ませてくれりゃいいから」
答える松岡の横で亜也人がバツの悪そうな苦笑いを浮かべている。
まともに生活していれば、亜也人は今高校二年で、この春三年生に進級する。
しかし、紀伊田が知っている限り亜也人が学校へ通ったのはたったの二週間。松岡が亜也人を自宅マンションへ連れ帰ってしばらく経った頃、松岡の意向で一旦は通い始めたものの、染谷の一件やら何やらで再び通わなくなってしまった。
年が明けてからは月に何度か松岡の仕事を手伝うようになり、その様子を見る限り、今後も通う兆しは無い。
亜也人の通う高校が寄付金に目がない私学とは言え、この出席日数では留年か自主退学しか選択の余地は無いと思われた。
「それで、俺に、代わりに、担任のお小言を聞けと?」
「まぁ、そういう事だ」
「そういう事、って…。通う気が無いならさっさと退学させりゃいいじゃないですか。亜也人くんだってもう学校に行く気は無いんでしょ?」
亜也人は、いかにも返答に困った様子で隣に立つ松岡をチラチラ見ながら、何かを訴えるように紀伊田に目配せした。
どうやら松岡は退学には反対らしい。普段は目も当てられないほど亜也人に甘い松岡であったが、亜也人の将来に関わる事となると頑なに自分の意見を曲げない。それは若くして極道の世界に足を踏み入れ、足を洗ってもなおカタギとは程遠い生活を強いられる松岡自身の苦い経験から来るものであったが、全て実体験だけに、その意見には有無を言わさぬ説得力があった。
確信を持って尋ねたが、見事に肩透かしを喰らってしまった。亜也人の同意を得て学校に行くのを回避する筈が、アテが外れ、紀伊田はガックリと肩を落とした。
態度に出したつもりは無かったが出ていたらしい。直ぐに松岡に、「何か不満でも?」と凄まれ、紀伊田は慌てて苦笑いして誤魔化した。
「そういう事だから、明日の16時に学校へ行ってくれ。それと、解ってるとは思うが、余計な事は言うんじゃないぞ」
お前は口が軽いから、と吐き捨てると、松岡は、ふと腕時計に目をやり、こんな事はしていられない、とバタバタと仕事先へと出掛けて行った。
亜也人は、松岡を玄関まで見送りに出、松岡が完全に出て行くと、再びリビングに戻り、ソファーで項垂れる紀伊田に、「ごめんなさい」と頭を下げた。
その、〝ごめんなさい〟が紀伊田の思いを汲み取らなかったことに対する〝ごめんなさい〟なのか、担任にお小言を言われることに対する〝ごめんなさい〟なのか、はたまた松岡の発言に対する〝ごめんなさい〟なのかは紀伊田には解らなかった。
翌日、約束の五分前に私立北一高校の職員室を尋ねると、直ぐに若い男性教師が、「お呼び立てして申し訳ありません」と丁寧に頭を下げ、紀伊田を職員室の奥の応接室へ案内した。
二十代後半から三十代前半、といったところだろうか。スポーツシャツにスラックスという出立ちに、日焼けの染み付いた、いかにも体育会系の健康的な肌。身長は紀伊田より頭一つ分高く、顔は万人受けする所謂イケメン。パッと見こそ若いものの、物怖じしない勝気な瞳とハキハキとした口調は、場馴れした余裕と自信に満ちている。
まるで、ドラマに出てくる爽やか熱血教師だ。
俺とは真逆。
嫌いでは無いが、正直、苦手なタイプだ。職業柄どんな相手にも合わせられる紀伊田であったが、無駄に熱いのと清廉潔白なのはどうにも空気が合わない。そのどちらの要素も持っているとなれば、苦手意識はますます高まった。
男性教師は、紀伊田をソファーに座るよう促すと、紀伊田が座るのを待ってから自分も座り、「亜也人くんの担任の佐伯祐介です」と名乗った。
「松岡さん…で、よろしいでしょうか…」
「え? …ああ、はい。…何か?」
「あ、いや。ずいぶんお若い方だなぁ、と思いまして。あ、お母様の弟さんだと伺ってましたから…」
やたらと視線を感じるのはそのせいか。
そう言えば、亜也人は親戚の叔父さんの家に預けられている事になっているから上手く話を合わせておけと松岡に言われていたのを思い出した。紀伊田は、「ああ」と相槌を打ち、いつもの調子で適当に答えた。
「歳が離れてるもんで。まぁ、さすがに親子には見られませんが…」
「失礼ですがお幾つですか?」
「二十九です」
「え! 俺より五つも年上なんだ。あ、ごめんなさい。てっきり同い年くらいかと思ったんで…」
「え…っと。五つ、って…」
「あ、俺、二十四なんです」
「にっ、にじゅうよん!?」
自分で声を上げておいて、あまりに素っ頓狂な声に、紀伊田は自分で驚いた。
「見えませんか?」
「え。ああ…。なんか凄く落ち着いてるから俺もてっきり同い年くらいかと…」
「え!…あ、いえ、なんか嬉しいです…」
「嬉しい?」
「ええ。俺、…あ、僕、落ち着いてるなんて言われたこと無いし、どちらかと言うと子供っぽいらしくて、いつも生徒にバカにされてるんですよ」
こんな自信満々な顔でどの口が言う。
生徒の質はさておき、高校生のガキにバカにされるような人間が、こんなに堂々と人の目を真っ直ぐ目も逸らさず、食い入るように見ながら話せるわけがない。
それに、話し始めてまだ数分しか経っていないのに、すっかり佐伯のペースに嵌っている。
何がどうという説明は出来ないが、苦手なタイプを相手に、自分がこうして食い付き気味に話している事自体が既に術中に嵌っている証拠だと紀伊田は思った。
このままでは、また余計なことを喋って松岡に叱られる。
さっさと本題に入ってもらおうと、呼び出した理由を単刀直入に聞いてみた。
佐伯は、今までの砕けた雰囲気から一転、くっきりとした二重瞼の目ヂカラのある目をキリリと正し、紀伊田の方へ身を乗り出した。
「実は、亜也人くんの進級についてなんですが、出席日数が足りなくてですね…」
「留年ですか?」
「まぁ、早い話がそういう事なんですが、彼の場合、ちょっと問題がありまして…。
あ、これから僕が話すことはあくまで生徒たちの噂なので、どうぞお気を悪くなさらないで下さいね。
実は、生徒たちの間で、亜也人くんが反社会勢力と繋がっているという噂が広まっているんです。もしそれが本当なら、学校としては在学を認めるわけにはいきません」
「つまり退学しろと?」
「噂が本当ならの話しです。実際のところ、どうなんでしょうか」
生徒を指導し教育するはずの学校が、自分たちの体面を保つために厄介払いか。
佐伯が悪いわけでは無かったが、紀伊田は不快感を覚えずにはいられなかった。
「残念ながら繋がりは無いですよ」
「え…?」
「そういう事にして辞めさせたいんでしょ?じゃなきゃ、ガキの噂なんか間に受けないでしょうに」
「ガキ、って…」
紀伊田の豹変に佐伯は戸惑っているようだった。
しかし、相変わらず視線は逸らさない。
初対面の人間に、こんなにジッと見詰められるのは初めてだった。しかも、睨み付けているのに全く動じない。睨んでいる紀伊田の方が耐えきれず先に目を逸らしてしまいそうだった。
「とにかく、実際のところ繋がりは無いっつーかもう切れてる。積川とは別れたし、松岡さんはとっくに足を洗ってる。ちなみに俺もだ。
あんたらの言う〝関係〟が準構成員にまで及ぶってんなら話は別だが、そんなこと言ったらここの生徒の大半アウトだぜ。
つーわけで、今の時点で亜也人くんは反社会勢力とは全く関係ないよ。でもそれを言ったところで何も変わらないだろうね。だって学校側は亜也人くんを辞めさせたいんだから」
「そんなことは…」
「なら、関係ないって上のもんに言ってみなよ。そんでどうなったかまた報告して」
言いながら、佐伯の鼻先ギリギリまで顔を近づける。佐伯はそれでも目を逸らさなかった。
紀伊田は、フン、と鼻息を吐いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
車に戻ると、さすがに、悪い事をしたという気持ちが込み上げた。
適当に相槌を打って帰ってくる筈が、喧嘩を売るような形になってしまった。
あんな事ぐらいで感情的になるなんてどうかしてる。
このところずっとこんな調子だ。些細なことでイライラして、訳もなく落ち込む。
胸の中に拗ねたようなモヤモヤが絶えずあり、それが時折、猛烈な怒りとなって込み上げる。
やはり動揺しているのだ、と思った。
証拠に、いつもなら簡単に素通り出来る場所に、紀伊田は車を停めていた。
閑静なオフィス街の一角には不似合いな、グレーの三階建ての古ぼけたビル。
普通のビルで無いことは、入り口に付けられた監視カメラの数とやたら重厚な扉からも想像がつく。
その最上階の真ん中の窓を、車の窓枠に肘をついてもたれながら見上げた。
ブラインドが下がっているのはいつもの事だ。
この時間ならおそらく中にいる。
しかし、いたところで何がどうなるわけでも無かった。
全て終わった事なのだ。時は流れ、記憶も多分薄れている。
それを、何を今更。
やめた、やめた、と気持ちを切り替え、再びエンジンを入れる。
窓を閉め、ギアをドライブに入れると、ふいに前方に柄の悪い輩が二、三人現れた。
「てめぇー、なに、ひとの組の前ウロついてやがる」
石破組の若衆だった。振り切ってやろうかとも思ったが、後々面倒臭い事になるのも嫌なので、大人しく言うことを聞く事にした。
窓を開けると、若衆は、窓枠に腕を付いて運転席を覗き込むように身を乗り出し、スーツ姿の紀伊田を舐めるように見回した。
「へぇー、お兄ィちゃん、マブイ顔してんじゃん。うちの事務所、モデルクラブやってんだわ。どう?お兄ィちゃんモデルとか興味ない?」
気配を悟られずに近付くセンスは一流だが、品性の欠片もない態度はやはり三流だ。相手にする時間すら惜しく、「ありません」と簡潔に答えた。
「そんなつれないこと言うなよ。お兄ィちゃんならすぐにデビュー出来るよ。なんなら俺が手取り足取り指導してやろうか?」
いるか、ボケ。
口に出したつもりは無かったがどうやら出てしまっていたらしい。いきなり胸ぐらを掴まれ、紀伊田はようやくその事に気が付いた。
「ひとが甘い顔してりゃ、つけ上がりやがって!俺様に楯突くとはいい度胸だ。おい、こいつを中に連れて行け!」
男の声とともに、後ろにいた弟分に運転席から引きずり降ろされ、両脇を抱えられてビルの中に連れ込まれた。
中にいた若衆が好奇の目で振り返る中、階段を上がり、左右に見張りの付いた扉の前で立ち止まる。
車の中から何度も見上げた部屋だ。
男がインターフォンを押して何か呟くと、しばらくして見張り役がゆっくりと扉を開けた。
「久しぶりだな、淳」
最後に会った時と同じ、目尻の切れ上がった一重まぶたの目を細め、内藤は紀伊田を見た。
紀伊田を連れて来た若衆は、内藤の予想外の反応に目をまん丸にして紀伊田を見たが、すぐに内藤に席を外すように言われ、そそくさと部屋を出て行った。
二人きりになると、内藤は、リクライニングチェアーから立ち上がり、ゆっくりと紀伊田に近付き、紀伊田の真正面に立った
先程までの尖った印象は消え、心なしか口元が微笑むように綻んだ。
「こうしてサシで話すのはいつ以来だ?先代が死んだ時からだから8年ぶりか。お前はちっとも変わらねぇな。いくつになった?」
「二十九だよ…」
「二十九か。興信所、やってるんだってな。松岡とつるんでるのはそのせいか?」
「なんでそれを…」
「お前のことなら何でも知ってるさ。どうして松岡とつるんでる。松岡に惚れてるのか?それとも寺田の方か?」
「バカな。ただの仕事だよ」
「にしてはずいぶん頻繁に出入りしてるじゃねぇか」
「あんたまさか俺たちを…」
「ああ、お前のことが心配だからな。ちなみに、お前がうちの積川の事をこそこそ嗅ぎ回ってるのも知ってる…」
「なら、何で俺が嗅ぎ回ってるのか、理由も知ってるよな…」
「さぁな」
「は?心当たりがない、とでも?」
「ああ、全く」
チクリ、と冷たいものが胸の底に落ちたような気がした。
だから何だ。
今更なにを期待していたのか。
動揺して欲しかったのか、済まなさそうな顔をして欲しかったのか。
一瞬でもそんなことを考えた自分が馬鹿に思える。自分自身への悔しさに、紀伊田は奥歯をギッと噛み締めた。
「だよな。俺の勘違いだわ。だってあんたセックス出来ないんだもんな。子供なんか作れるわけないもんな」
「淳…」
「それともナニか? 人には『セックスできない』なんて言っといて、実はやってましたとかいうオチか?」
滅多に崩れない内藤の顔が驚愕を浮かべて紀伊田を見る。
図星か。
紀伊田が思ったのも束の間、内藤は直ぐにハッと我に返り、いつもの冷ややかな目付きで紀伊田を見た。
「馬鹿なことを言うな」
「あんたには馬鹿でも俺にはマジな話だ。教えてくれよ。あんた俺に嘘ついてたのか。なんで積川はあんなにあんたに…!?」
突然、凄い力で腕を取られ、胸元に引き込まれて口を手で塞がれた。
「それ以上言うんじゃない」
見上げた先で、有無を言わせぬ威圧感のある目が、紀伊田を真っ直ぐ見下ろしていた。
「俺は嘘はついちゃいない。だが、この件にはこれ以上首を突っ込むな」
八年前と同じ、真剣な目。
周りは内藤を、何を考えているか解らない、感情が見えない、と言うが、普段表情が無いからこそ、紀伊田には、内藤の些細な変化がよく見えた。
力で押さえつけるのではなく、むしろ心の底から頼み込むように、内藤の視線は、真剣に紀伊田に注がれていた。
「これはお前のために言ってるんだ。俺もお前を危険な目に遭わせたくはない。悪いことは言わないから大人しくしてろ」
紀伊田は、口を塞ぐ手をなんとか振りほどき、内藤の胸ぐらを掴み上げた。
「俺のため、俺のため。あんたは何でもすぐそうやって誤魔化す。
あの時だって、俺のためだ、なんて言いながら試しもしないで斬り捨てた…」
「事実、出来なかったじゃないか」
「あんたがしなかったんだ!俺は平気だった!」
「平気じゃない」
「どうしてそうやって決め付けるんだ!」
瞬間、強烈なデジャブに襲われ、紀伊田は崩れるように膝を折った。
あの時も、紀伊田はこんなふうに内藤の胸ぐらを掴み、詰め寄っていた。
『勝手に決め付けんな!』
『決め付けじゃない。無理なもんは無理なんだ』
突き放すような内藤の声と身を引き裂かれるような痛みがぶり返す。
叫び出したいのに、喉が詰まって息すら出来ない。目の内側が焼けるように熱く、涙が勝手に頬を流れた。
「俺にとっちゃ、積川が誰の子供かなんてどうでもいいんだよ。そんな事より俺はあんたが誰かとセックスした事がどうしても…どうしても…」
そこから先は言葉にならなかった。
内藤は、紀伊田が床に崩れ落ちないよう片手を腰に回してしっかりと抱きながら、もう片方の手で震える背中を優しく撫でた。
「久しぶりに会えたってのに何やってんだよ」
紀伊田は何も言わずただ咽び泣いた。
「なぁ、淳。少し頭を冷やせ。お前が今こんなふうになってるのは寺田の影響だ」
「そんなん関係ない…」
「関係あるさ。お前、あいつが積川に何されてたか知ってるんだろ?お前はそれを見て、自分にも出来るって思っちまってるだけなんだ。あんなガキにも出来るんだから、俺にも出来る、ってな。
だが、お前はあいつじゃないし、俺も積川じゃない。あいつは積川だから受け止める事が出来たんだ。もしお前が俺を受け止めようとしたら多分俺はお前を死なせちまう。俺のは積川の何倍も酷ぇんだ」
「そんなのやってみなきゃ…」
「やり始めたら最後。途中では止められないんだぜ?実際それで何人も死にかけてる。お前は、そんなことのために命を賭けるのか?」
内藤の声はひどく穏やかで落ち着いていたが、その響きには、譲れない断固とした意思の強さがあった。
「また、俺のため、か…」
「お前のためでもあり、俺のためでもある。お前がどう思うかは解らねぇが、俺はお前が大切だ。お前にゃ、俺も、この世界も合わねぇよ。早く真っ当な道に戻って幸せになって欲しいと思ってるんだ」
勝手なことばっか言いやがって。しかし紀伊田のその思いは喉元で泣き声に変わった。
人を人とも思わない冷酷非道で悪名高き男が自分にだけ見せる優しい一面。
この希少な優しさが、いつ切れてもおかしくない、もはや首の皮一枚で繋がったも同然の紀伊田の内藤への未練をより強固にし、離れられなくしていることを内藤自身が解らない筈は無い。
人の心を読むのが上手く、人を意のままに操り動かす内藤の事だ。自分に都合よく利用するために、全て計算尽くで敢えて優しくしているのかも知れない。
解っていながら、紀伊田は内藤を完全に拒絶することが出来なかった。
内藤への疑心暗鬼より、内藤と離れたくない気持ちの方が先に出る。
離れて欲しいと言いながら、離れられなくさせている。結局、内藤の思い通りになっているのだと紀伊田は思った。
「離せ…」
項垂れた頭を起こし、見上げた先にある、一文字に結ばれた薄い唇を見た。
人の気持ちを弄ぶこの唇が憎い。思うが先か、知らない間に身体が動き、紀伊田は、つま先立ちをして唇を重ねていた。
結ばれたままの唇を唇で包み、舌の先で表面をなぞる。紀伊田の気持ちとはうらはらに、内藤の唇が開かれる事は無かった。
唇を離し、「帰る」と伝えて胸ぐらを掴んだ手をゆっくりと引き離した。
完全に手が離れる直前、ふいに手首を掴まれ、引き止められたのかと思った自分に戸惑った。
「ごめんな、淳。こればっかりは聞いてやれねぇが、他のことなら何でも聞いてやる。
しつこいようだが、俺はお前が大切なんだ。何か困ったことがあった時は俺を頼れ。俺が必ず助けてやる」
来るんじゃ無かった、と紀伊田は思った。
来た時よりも胸が痛い。
そして、来た時よりも内藤が好きになっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「淳くん?私だ。先日突然帰ってしまってから連絡が無いので心配してる。これを聞いたら連絡が欲しい」
「淳くん? 私だ。先日は済まない。僕が何か君を怒らすようなことをしたんだね。とにかく話がしたい。いつでもいいから連絡をくれ」
「淳くん。私が悪かった。君に会いたい。頼むから連絡を…」
「ばぁーか」と言いながら、紀伊田が留守番電話メッセージの一斉消去ボタンを押す。
中年オヤジの声に起こされた朝は、むしゃくしゃした紀伊田の心をさらに苛立たせた。
遅くまで飲んでいたせいでまだ頭が重い。
枕元の時計は既にお昼近くを告げ、カーテンの隙間から射し込む光が、部屋の中央に白い帯を作っていた。
アルコールが残っているせいだろう。いつまで経っても人肌恋しさが消えない。
いつでも連絡しろ、と言ってくれる相手は何人かいたが、平日の、しかも真昼間から会える相手はそうそうおらず、一番手っ取り早い留守番電話のオヤジは、股の付け根を舐めるのが我慢ならずもう二度と会うつもりは無かった。
相手はいくらもいるのに肝心な時はいつも一人。
会いたい時に会えないんじゃ誰もいないのと同じだ。
アドレスリストをスクロールし、最後まで見たところで画面を閉じる。
すると、突然、バイブとともに知らない番号が画面に表示され、紀伊田は何となしに通話ボタンを押してしまった。
「あ、松岡さん…じゃなくて、キイダさん?」
ハキハキした、男の声だった。
紀伊田が、「そうですが」と答えると、電話口の男は、「僕です」と、声のボリュームを、気持ち、上げた。
「昨日お会いした、亜也人くんの担任の…」
「あーあー、名前、何だっけ」
「佐伯です」
紀伊田の脳裏に、日焼けの残る健康的な肌色と、自信に満ち溢れた弾けるような笑顔が蘇った。
「そうそう、佐伯さん。一体どうしたんすか?てか、何で俺の番号解ったの?」
「名簿に載ってた番号に掛けたら松岡さんが出て…。って言うか、代わりに来たのならそう言ってくだされば良かったのに…」
「あー、なんか面倒臭くて」
「面倒臭い、って…」
「ごめん、ごめん。それより何の用っすか?」
「ちょっと、自分で報告しろ、って言っといてそれはないでしょう!まさか忘れてたんですか?」
「ええと…あの…」
「 信じられない。昨日の今日ですよ?とにかく、報告するんで会って下さい」
「会う?」
ふと、佐伯が部屋のドアを開けて寝室へ入ってくる姿が脳裏に浮かんだ。
若いだけに、引き締まったいい身体をしていた。
好みじゃないが、一人でいるよりはマシだ。
「キイダさん?」
電話口の向こうの佐伯に薄く微笑み、紀伊田は囁くように呟いた。
「俺んちに来てくれるなら会ってもいいけど…」
佐伯は、呆れるほど爽やかに答えた。
「了解です。お昼済ませたら伺いますんで、キイダさんの家、教えて下さい」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
慣れないことはするもんじゃない。
男を手玉に取るような器でない事は解っていた。
周りは紀伊田を可愛いだの、愛嬌があるだの、癒し系だのと言って可愛がってくれたが、紀伊田自身は、自分が可愛がられるのは、自分が他人より下の位置にいるからだと思っている。
自分より下だから攻撃する理由が無い。自分の方が優位だから余裕で振る舞える。追い抜かれる心配が無いから安心して可愛いがる。自分の方が持っているから惜しみなく与える。
自分より下の者に対して他人は基本優しい。
加えて、そこそこ美形でスタイルも良い。あくまで、そこそこ。
亜也人のように、誰もを惑わす類稀なる美貌というわけでは無いから、服従させようと力で抑えつけられる事もなければ、手に入れられない逆恨みから虐げられる事も無い。
本人は自覚していないが、他人に対するガードの甘さと警戒心の無さも、気取らない、親しみやすい、と周りを安心させる。崇められる事はないけれど、いつも誰かに助けられ、可愛がられる。
自分は見栄えの良い〝サイドメニュー〟なのだ、と紀伊田は思っている。
メインディッシュのような華やかさはないが、気付けば、誰からも求められ、選ばれている。
なのに、メインディッシュの真似事などするからこんな事になったのだ。
「これは、誘われてると思っていいんですか?」
佐伯の、爽やかとは程遠いギラついた目に紀伊田はあたふたと視線を泳がせた。
理解を超えた若者の欲望に身が竦む。
電話の後、佐伯が到着する時間を逆算してシャワーを浴びた。バスローブを身に付け、濡れ髪を軽くタオルで押さえて水滴を拭うと、計算通りインターフォンが鳴った。
佐伯は、バスローブ一枚で濡れ髪を滴らせながら出てきた紀伊田を、予想通り、大きく眼を見開き口をポカンと開けて見下ろした。
その顔を伺うように、下唇をわずかに噛んで、ねだるような上目使いで見上げると、佐伯の耳がみるみる真っ赤に染まり、頬がピクリと動いた。
予想通りだったのはそこまで。
計画では、この後、あたふたする佐伯をベッドに連れ込み、ガチガチに震える頬を撫で、身体中をいじくり回し、あわよくばキスをして抱き締め合って眠るつもりだった。
ようは、寂しい時の抱き枕。紀伊田が求めていたものは、物言わぬただの人肌だ。性欲ではなく、精神の安定を得るための裸体。
佐伯を選んだのは、たまたま連絡が入ったのは勿論、佐伯が絵に描いたような真っ当な人間だった事と、あの自信に満ちた顔が狼狽に歪むのが見たかったからだ。
しかし実際は、あたふたしたのは紀伊田の方でベッドに連れ込まれたのも紀伊田の方だった。
「寝室、どっちですか?」
紀伊田のあられもない姿に目を丸めたのも束の間、佐伯は、ふいにゾクっとするほど真剣な瞳で紀伊田を見詰め、濡れ髪を弄ぶ手を握り締めた。
呆気に取られる暇もなく、手を引っ張られ、ベッドの上に引き倒された。
反動で、バスローブの胸元がはだけ薄桃色の乳首が露わになる。
隠そうと咄嗟に手を伸ばすと、寸前のところで手首を掴まれ、頭の上で一纏めに束ねられてしまった。
「あ、あの、こ、こ、これは一体なんの真似…」
「誘ったのはキイダさんですよね…」
え…、と思った時には既に佐伯に身体の上にのしかかられ、乳首を口に含まれていた。
「あっ、ちょっ…なに…」
「凄い…すぐに硬くなった…」
「やっ、だめっ、なにやっ…て」
乳輪ごと口に含んで乳首を舐め回し、軽く歯を当てて吸い上げる。片方の乳首に一心不乱にむしゃぶりつきながら、もう片方の乳首を指の先でグリグリ押し潰し、たまに伸び上がって唇を貪る。
乳首の先がジンジンと痺れ、お腹の奥に甘い疼きが沸き起こる。
「乳首、真っ赤になっちゃいました。痛いですか?」
「…たいよ。はなせっ…」
「こういう時の『はなせ』は『はなさないで』って事なんですよね?」
「…だよそれ。一体どこ情報だ」
今度は反対側の乳首を同じように舐め回し、赤く腫れ上がった方の乳首を手のひら全体でさすり撫でる。
想定外の展開に頭が付いていかない。
起き上がろうとしても、肩を掴まれてベッドに押さえつけられ、逃げれないよう下半身に体重をかけられる。
密着した下腹部が熱い。
これ以上刺激されないよう腰をくねらせて股間をずらすと、佐伯の腕が伸びてきて紀伊田の股間を手のひらに握り込んだ。
「こっちも硬くなってる…」
「バカ、離せ! これ、マジで洒落になんねーからっ!」
「洒落にするつもりは無いです」
「おいバカ! やめろって!」
自分が優勢だと思い込み、バスローブの下に何も身につけなかったことを激しく後悔する。剥き出しになったペニスは、佐伯に脚を広げられただけで簡単に全貌を曝け出してしまった。
「キイダさんのここ、綺麗ですね。お尻の中、柔らかくしないといけませんよね。もうちょっと見えるようにしていいですか?」
返事をする前に、足首を掴まれ頭の方へ返された。
あまりの恥ずかしさに顔を背けると、お尻の肉を掴む佐伯の手が一瞬ビクリと震えた。
「これ、何ですか? 名前?」
紀伊田はハッと佐伯に視線を戻した。
「そうだ!俺様に変なもん突っ込んでみろ、その名前の男がすっ飛んできて、お前なんかズタボロに切り刻まれて海に捨てられるんだからなっ!」
紀伊田の言葉は全部が全部嘘では無かった。
佐伯は一瞬黙り、やがて静かに紀伊田の脚を元に戻した。
「この、圭吾、って人はキイダさんの恋人なんですか?」
「え? いや。あ、それはまぁその…」
「恋人がいるのに俺を誘ったんですか?」
「それは…俺が悪かった。ちょっとからかってやろうと思っただけなんだ。まさかあんた…いや、先生が男もイケる人だとは思わなかったから…」
「イケるかどうかは解りません」
「え?」
「俺、男は全く経験無いです」
「ちょ、ちょ、え?だったら何でこんなこと…」
「だってキイダさんは男が好きなんですよね」
「まぁ…」
「なら俺も好きになれます。大丈夫です」
「ごめん、何が大丈夫なのか意味が解らない。俺が男好きだと何であんたが男好きになるの?」
「キイダさんが好きだからです」
「はぁっ?」
どこから出ているのか解らないような声が出た。
「キイダさんは俺のことどう思ってるんですか?」
「どうも何も、昨日会ったばかりだろ!」
「でも、キイダさんの事が頭から離れないんです。初めて見た時から、何故かキイダさんから目が離せなくて…」
確かに見られ過ぎな気はしたが、舐められまいと目ヂカラで萎縮させようとしているのかと思った。
「とにかく一旦頭を冷やそう」
「無理です」
もじもじと俯く佐伯の視線を追い、紀伊田は大きな溜め息をついた。
佐伯の男根が、佐伯の履くスラックスの生地を押し上げながら股の間で可哀想なくらいギチギチにいきり勃っている。
トイレで自己処理してくれないだろうかと思ったが、さすがに自分から言うのは気が引けた。
責任の一端は自分にもある。紀伊田は佐伯の腕を支えにして上半身を起こし、股の前にしゃがみ込んだ。
「口でしてやるからこれで我慢してくれな」
佐伯をその場で膝立ちにさせ、スラックスのファスナーを下ろして下着と一緒にずり下げた。跳ねるように溢れ出た男根の大きさに一瞬ドギマギする。
口一杯に頬ばって舌を絡めながら吸い上げると、佐伯の手が後頭部に回り、紀伊田の頭を支えながら自分の腰をゆっくり振り始めた。
苦しくないよう、頬の内側に向かって先端を当ててくるところに優しさを感じる。
こういう体勢は、征服感欲しさについ乱暴に突っ込みがちだが、佐伯の入れ方は圧迫感はあるものの、顎が外れるような強引さも、えずくような不快感も無かった。
男の経験は無いと言っていたが、女の方はかなり慣れているに違いない。
どんな顔をしているのだろうと見上げると、佐伯もまた紀伊田を見つめていて、見上げたそばから視線がぶつかった。
「キイダさん。やっぱり俺もう…」
口の中から男根が引き抜かれたと思ったら、肩を掴まれ、再びベッドの上に仰向けに倒された。
同時に、内ももをまさぐられ、後孔に湿った指を添えられる。
「バカお前、どこ触ってる!」
「ごめんなさい。でも俺、口の中でイクのは嫌です。キイダさん、もう俺に会ってくれませんよね。これが最後なら、ちゃんと最後までしたいです。一回だけの火遊びでも構いません」
マズイ事になった、と思った。
脚をバタつかせて抵抗するも、指はゆっくりと中に埋まっていく。
「嫌だ!抜けって! 」
叫びも虚しく、佐伯の指は根元まで入り込み、ずぶずぶと抜き差しを繰り返す。
最初は真っ直ぐ、次第に紀伊田の良い場所を探るように角度をつけて肉壁をなぞり始め、ふいに、ある場所でクイッと折り曲げた。
「やあぁっ、そこ、ダメ…」
声を上げたのはマズかった。
「ここが良いんですね…」
探し当てた甘いスポットを執拗に指先でこすり上げながら、乳首と同じくらい感じる耳の後ろを舌の先でなぞられる。
早くやめさせなけれは飲まれてしまうと思った。
「いい加減にしろって!さっきの名前、忘れたのか!内藤圭吾!石破組のカシラだぜ?お前、ほんと殺されるよ?」
聞こえているのかいないのか、佐伯はなおも指を動かした。
「くそっ! …ばか…あぁっ…」
身悶えるような快感が全身を駆け巡る。
抗う気持ちは快楽に押されてどこかに流された。
何が、一回だけの火遊び、だ。一番タチ悪りぃわ。
しかし、呟きは声にはならなかった。
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