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麻雀をする後輩と俺
第九話
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市川さんの特訓はあれからも週に一度か二度行っていた。毎回誘われても断らないのは俺だけで、吉川さんは合コンに行ったりしていたし、明松さんはプロの試合が重なることもあって全員が揃う事はめったになかったのだ。
そんなある日、俺と市川さんはいつものように空いている卓に入ってお店にいるプロの人達と打っていたのだが、何の因果か平本課長が何人かの部下を連れて楊々舎にやってきたのだ。
「ね、俺の言ったとおりでしょ。この前の合コンで吉川さんに聞いたんだけど、ここで市川さんが麻雀の特訓をしてるって話ですよ。わざわざ会社から離れたこんな場所で秘密の特訓とかしなくても聞いてくれたら俺達が特訓してあげるっていうのにね」
「そうですよ。斎藤さんみたいな人に習うよりも平本課長に習った方が強くなれると思うのにな。いくら元プロだからって言っても対戦成績は平本課長の方が上ですからね。あの時はたまたま役満を振り込んだってだけでトータルでは負けてないですよね」
「そうは言ってもな、あの時私が市川君に役満を振り込んだのは事実なんだよ。その事実は変えられないからね。でも、私が市川君と勝負して負けたのってあの一回だけなんだよな。ずっと勝ち逃げされてるわけだし、今日は私達と勝負するってのはどうかな?」
特訓をしていると言っても市川さんはまだまだ強くなったとは言えない。市川さんはまだ自分の手に精一杯で相手の河を見る余裕はあまりないのだ。さすがにリーチをした相手の安牌はわかるのだが、ヤミ聴の相手には無防備で危険牌を放銃してしまう事が多いのだ。平本課長たちはその癖を見抜いているので市川さんがいる時には基本的に立直はしないのである。そんな相手に立ち向かうにはまだまだ市川さんの経験値は足りていないのだ。
「どうするかね。齋藤君が一緒でもこちらは構わないのだが、元プロの齋藤君が加わったところで我々が負けるとは思えないのだがね。ここは我々にリベンジの機会を与えてもらうというのはどうかな。なあ、市川君、この通りだ、頼むよ」
「あの、私はそこまで強くないですし、たまたま役満があがれたってだけですから。そんなに気にしなくても良いと思うんですけど」
「君はそうかもしれないけどさ、私はここ数年間で役満に振り込んだのはあの一回だけなんだよ。君たちが帰った後にちょっとした違和感があったんで齋藤君の手牌を見てみたんだが、君の手牌って字一色が完成していて私が二巡前に切ってる北であがってたはずなんだよね。それってどういうことなのかな、説明してもらえると助かるんだが」
「それは単純に見逃しただけです。東か北がもう一枚あれば字一色に小四喜もついたんでそっちも狙っただけです。ダブル役満なら部長を抜けると思ったからです」
「ふん、トップを狙っていたという事か。それなら多少は理解出来るが、それでも役満なんだから満足するべきだろう。そうか、そういう流れを読むことが出来ないからプロをやめることになったんだな。それなら納得出来るぞ。ま、そんな事はどうでもいい事か。さあ、市川君にリベンジする機会を楽しもうじゃないか」
市川さんは緊張のためか手も口元も小刻みに震えていた。今の緊張した状態で麻雀を打っても特訓の成果の一割も出し切れないだろう。万が一大負けでもしてしまうと、もう二度と麻雀を打ちたくないと思ってしまうかもしれない。それくらい市川さんは追い込まれているように見える。
「あの、リベンジって事だったら俺が課長と石川君と三木君に挑みたいんですけど。それって大丈夫ですか?」
「私達三人に君は挑みたいって事なのかな?」
「はい、今日の市川さんはちょっと調子悪いみたいなんで満足に麻雀が打てると思えないんで」
「じゃあ何か、君は私達相手に満足な麻雀が打てるという事なのかね?」
「まあ、それなりには形になると思いますよ。タイトルには縁が無かったですけど、一応元プロなんで」
「私達には君とやるメリットが無いと思うんだが、石川君も三木君も本気で向かってくる元プロに勝ったという勲章は与えても良いかもな。齋藤君でも元プロだという事実は変わらないからな。どうだね、君達は齋藤君のリベンジを受けるかい?」
「俺は全然いいですよ今までの齋藤さんが本気じゃなかったのか知らないですけど、俺は齋藤さんに振り込んだことないと思うんで余裕ですよ」
「俺もいいですよ。齋藤さんとやったことは一回しかないですけど、その時は俺が一着でしたからね。元プロ相手に無敗ってのも自慢できそうですからね」
「決まりだな。齋藤君に勝ったら我々は元プロに勝ったという事を自慢させてもらうからね。いや、君に勝ったことが自慢になるかはわからないから秘密にしておこうかな」
市川さんは緊張で震えて冷たくなっている手で俺の手を包み込むように握ると、まっすぐに俺の目を見て何かを言おうとしていた。言いたいことは何となくわかるのだが、市川さんは自分の中で何を伝えるべきか迷っているようだ。
おそらく、自分のために勝てない勝負に挑むのは申し訳ないとでも思っているのだろうが、本気を出せば最下位にはならないだろうという自信はあるのだ。集中して麻雀を打ったのはプロとして最後に打った局以来だと思うので、その集中力がどこまで持つのかわからないが、最後までやりきるつもりで挑むことにしたのだ。
「あの、すいません。私のために」
「大丈夫。そんな事は気にしなくても良いから」
「でも、平本課長は強いですから」
「そんな事は気にしなくていいよ」
「気にしますよ。だって、石川君も三木君も学生の時から麻雀強かったって話ですから」
「本当に大丈夫だって」
「でも」
「大丈夫だよ。だって、俺は元プロなんだからね。安心して見ててよ」
そんなある日、俺と市川さんはいつものように空いている卓に入ってお店にいるプロの人達と打っていたのだが、何の因果か平本課長が何人かの部下を連れて楊々舎にやってきたのだ。
「ね、俺の言ったとおりでしょ。この前の合コンで吉川さんに聞いたんだけど、ここで市川さんが麻雀の特訓をしてるって話ですよ。わざわざ会社から離れたこんな場所で秘密の特訓とかしなくても聞いてくれたら俺達が特訓してあげるっていうのにね」
「そうですよ。斎藤さんみたいな人に習うよりも平本課長に習った方が強くなれると思うのにな。いくら元プロだからって言っても対戦成績は平本課長の方が上ですからね。あの時はたまたま役満を振り込んだってだけでトータルでは負けてないですよね」
「そうは言ってもな、あの時私が市川君に役満を振り込んだのは事実なんだよ。その事実は変えられないからね。でも、私が市川君と勝負して負けたのってあの一回だけなんだよな。ずっと勝ち逃げされてるわけだし、今日は私達と勝負するってのはどうかな?」
特訓をしていると言っても市川さんはまだまだ強くなったとは言えない。市川さんはまだ自分の手に精一杯で相手の河を見る余裕はあまりないのだ。さすがにリーチをした相手の安牌はわかるのだが、ヤミ聴の相手には無防備で危険牌を放銃してしまう事が多いのだ。平本課長たちはその癖を見抜いているので市川さんがいる時には基本的に立直はしないのである。そんな相手に立ち向かうにはまだまだ市川さんの経験値は足りていないのだ。
「どうするかね。齋藤君が一緒でもこちらは構わないのだが、元プロの齋藤君が加わったところで我々が負けるとは思えないのだがね。ここは我々にリベンジの機会を与えてもらうというのはどうかな。なあ、市川君、この通りだ、頼むよ」
「あの、私はそこまで強くないですし、たまたま役満があがれたってだけですから。そんなに気にしなくても良いと思うんですけど」
「君はそうかもしれないけどさ、私はここ数年間で役満に振り込んだのはあの一回だけなんだよ。君たちが帰った後にちょっとした違和感があったんで齋藤君の手牌を見てみたんだが、君の手牌って字一色が完成していて私が二巡前に切ってる北であがってたはずなんだよね。それってどういうことなのかな、説明してもらえると助かるんだが」
「それは単純に見逃しただけです。東か北がもう一枚あれば字一色に小四喜もついたんでそっちも狙っただけです。ダブル役満なら部長を抜けると思ったからです」
「ふん、トップを狙っていたという事か。それなら多少は理解出来るが、それでも役満なんだから満足するべきだろう。そうか、そういう流れを読むことが出来ないからプロをやめることになったんだな。それなら納得出来るぞ。ま、そんな事はどうでもいい事か。さあ、市川君にリベンジする機会を楽しもうじゃないか」
市川さんは緊張のためか手も口元も小刻みに震えていた。今の緊張した状態で麻雀を打っても特訓の成果の一割も出し切れないだろう。万が一大負けでもしてしまうと、もう二度と麻雀を打ちたくないと思ってしまうかもしれない。それくらい市川さんは追い込まれているように見える。
「あの、リベンジって事だったら俺が課長と石川君と三木君に挑みたいんですけど。それって大丈夫ですか?」
「私達三人に君は挑みたいって事なのかな?」
「はい、今日の市川さんはちょっと調子悪いみたいなんで満足に麻雀が打てると思えないんで」
「じゃあ何か、君は私達相手に満足な麻雀が打てるという事なのかね?」
「まあ、それなりには形になると思いますよ。タイトルには縁が無かったですけど、一応元プロなんで」
「私達には君とやるメリットが無いと思うんだが、石川君も三木君も本気で向かってくる元プロに勝ったという勲章は与えても良いかもな。齋藤君でも元プロだという事実は変わらないからな。どうだね、君達は齋藤君のリベンジを受けるかい?」
「俺は全然いいですよ今までの齋藤さんが本気じゃなかったのか知らないですけど、俺は齋藤さんに振り込んだことないと思うんで余裕ですよ」
「俺もいいですよ。齋藤さんとやったことは一回しかないですけど、その時は俺が一着でしたからね。元プロ相手に無敗ってのも自慢できそうですからね」
「決まりだな。齋藤君に勝ったら我々は元プロに勝ったという事を自慢させてもらうからね。いや、君に勝ったことが自慢になるかはわからないから秘密にしておこうかな」
市川さんは緊張で震えて冷たくなっている手で俺の手を包み込むように握ると、まっすぐに俺の目を見て何かを言おうとしていた。言いたいことは何となくわかるのだが、市川さんは自分の中で何を伝えるべきか迷っているようだ。
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「本当に大丈夫だって」
「でも」
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