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第二章
4.彼の想い
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「エルフリーデは、あの者――ユリアンに、申し訳ないと感じているのか」
ふたりきりのガゼボで、ノルベルトは静かな声でそう尋ねた。
エルフリーデはゆっくりと頷く。
クリステルがギーゼラを連れて中庭の端に行ってから、エルフリーデは心がむずむずするようになった。
観楓夜会で、彼が言った言葉。
『僕はずっと前から、君はそのくらいの長さのほうが似合うのになって思ってたんだ』
あの言葉は、前にも聞いたことがあった。
王宮のベランダから落ち、死に戻る直前。
――わたくし、彼とどこかで会ったことがあるのかしら……?
それに加えて、「君の婚約者になりたい」発言。
思い出すと、いまでも顔から火が出そうである。
――あれは、どういう意味だったのかしら。
ふたりきりになると、嫌でもあの観楓夜会を思い出してしまう。
エルフリーデはひとりで顔を赤くさせながら、ちらりとノルベルトをうかがう。目が合った。
「エルフリーデ」
ノルベルトは、とろけるような甘い声で名前を呼んだ。
エルフリーデの心臓は音を立てる。
「観楓夜会で僕が言ったこと、覚えてる?」
それは、髪型の話か、それとも――。
「僕は、公爵に君との婚約を申し出ようと思う」
エルフリーデが答える前に、ノルベルトは正解を言った。
エルフリーデはさらに心臓がドクンと鳴ったのを感じる。
――だ、だから、今日はかっちりとした正装をしてるのね。
混乱を極めた彼女は、どこか的外れなことを考えた。
そうでもしないと、本当に顔から火が出そうだった。
「ずっと気になっていたんだけど。君がユリアンのことを申し訳ないと感じるのは、伯爵家への同情からかい」
「え?」
エルフリーデは突然すぎる話題の切り替えと、その内容に驚く。
だって、伯爵家についての詳しい話なんて、一切していないはずなのに。
「伯爵家は、財産が枯渇していた。頑張って隠していたようだけど、分かる人には分かるよ。でも財政難のはずなのに、伯爵領の税は上がらなかった」
エルフリーデははて、と首をかしげる。
なぜ、ノルベルトはそこまで精通しているのか、と。
「伯爵領の税金が上がらなかった理由は、公爵が支援していたから。気付いてる人は少ないと思うけどね。君とユリアンの婚約の裏に、そんな話があったなんて」
「ではなぜノルベルトは――」
「僕が言いたいのはね」
彼はエルフリーデの言葉を遮り、すこし強めに言った。
「君だって、利用されていたんだよ」
「……」
ノルベルトの言っていることは厳しいが、エルフリーデは頷いた。
「伯爵にも、君のお父上である公爵にも、利用されていた。それなのにあちらの事情で婚約を解消させられて、傷物のようになってしまった」
彼は続ける。
「それでも、君はユリアンに申し訳ないと思うのかい。なにか仕返ししてやろうとか、思わないの」
ノルベルトは静かに怒っていた。
ずっと、怒りを抑えていたのだ。
ユリアンの処遇が甘すぎるわりに、エルフリーデへの配慮が足りてない。
ユリアンにも、伯爵にも、公爵にも、そしてエルフリーデにも怒っていた。
「君はもっと自分を大事にする権利がある。義務と言ってもいい。もっとユリアンに対して――」
「ノルベルト」
名前を呼ばれた彼は、動きを止め、エルフリーデの顔をじっと見つめる。
エルフリーデは、ひどく優しい顔をしていた。
「わたくしのために怒ってくれてありがとう。でも、わたくしはユリアンへの対処はこれでよかったと思ってるわ」
「なぜ?」
「あなたは自分を大事にする権利があるって言ったわよね。私だって、自分は大事よ。……仲が良かったとは言えないけど、これでも十年近くユリアンと一緒にいたの。そんな人にできる仕返しなんてないわ。仕返しなんてしたら、後味も悪いもの」
「いつかその優しさにつけこまれるよ」
ノルベルトはいまだにエルフリーデをじぃっと見つめる。
エルフリーデのほうも、それに屈せず胸を張って言った。
「ノルベルトは、わたくしのことが大好きなのね」
ぼっ……と、そんな音が鳴ってもおかしくないくらいに、ノルベルトの顔は真っ赤に染まった。
「そ、そそ、そうだけど……」
エルフリーデはにっこりと微笑む。
「わたくしは幸せだわ。ギーゼラもね、婚約解消をした後、心配だっていう手紙を送ってくれたのよ。少しツンツンしていたから、怒っているのかと思ったけれど。ノルベルトもギーゼラも、わたくしのことが本当に大好きなのね」
「ん?」
ノルベルトは耳を疑う。
そして思った。ギーゼラと僕の『好き』を、同じものだと思っていないか、と。
彼ははぁ、とため息をついた。
――自分の想いが、ようやく伝わったかと思ったのに。
ノルベルトも哀れなものである。
「エルフリーデ。僕が君と婚約したいのは、ギーゼラと同じ『好き』だからではないよ」
再び婚約の話に戻り、エルフリーデはうろたえる。
彼の言葉の意味が分からないほど、エルフリーデは愚かではない。
「僕は、君のことが好きだよ。お人よしなところも、全部ひっくるめて。でも、それは友情ではない」
彼は一息ついて、エルフリーデの目を見た。
「分かってくれる?」
「わ、わ、分かったわ……」
さきほどとは立場が逆転し、エルフリーデは首や耳まで赤くしている。
もちろん、気が付いていないわけではなった。
だが、エルフリーデは直接男性から好意を寄せられたことがない。だから、彼の想いが果たしてそうなのか、分からなかったのだ。
「あの、わたくし……」
エルフリーデは、彼の想いを聞き、ようやく自分の気持ちも分かった。
――婚約者をわたくしが選べるのなら。もし、そんなことができるのなら。
「わたくしは、ノルベルトと結ばれたい……」
消え入りそうな声で言った。
風が吹いたから、聞こえてないかもしれない。あわよくば、聞こえてなくていい。
エルフリーデはそう思った。
「嬉しい」
ノルベルトの耳には、しっかりと届いていたらしい。
そして――
「なんだか、イイ感じというものではなくて?」
「ええ、なんだか、イイ感じですわ」
ガゼボで顔を赤くするふたりを見ていたクリステルとギーゼラは目を合わせ、にやりと微笑んだ。
「これは、女子会を開かないといけないわね」
ふたりは頷き、さらに不敵な笑みをこぼした。
ふたりきりのガゼボで、ノルベルトは静かな声でそう尋ねた。
エルフリーデはゆっくりと頷く。
クリステルがギーゼラを連れて中庭の端に行ってから、エルフリーデは心がむずむずするようになった。
観楓夜会で、彼が言った言葉。
『僕はずっと前から、君はそのくらいの長さのほうが似合うのになって思ってたんだ』
あの言葉は、前にも聞いたことがあった。
王宮のベランダから落ち、死に戻る直前。
――わたくし、彼とどこかで会ったことがあるのかしら……?
それに加えて、「君の婚約者になりたい」発言。
思い出すと、いまでも顔から火が出そうである。
――あれは、どういう意味だったのかしら。
ふたりきりになると、嫌でもあの観楓夜会を思い出してしまう。
エルフリーデはひとりで顔を赤くさせながら、ちらりとノルベルトをうかがう。目が合った。
「エルフリーデ」
ノルベルトは、とろけるような甘い声で名前を呼んだ。
エルフリーデの心臓は音を立てる。
「観楓夜会で僕が言ったこと、覚えてる?」
それは、髪型の話か、それとも――。
「僕は、公爵に君との婚約を申し出ようと思う」
エルフリーデが答える前に、ノルベルトは正解を言った。
エルフリーデはさらに心臓がドクンと鳴ったのを感じる。
――だ、だから、今日はかっちりとした正装をしてるのね。
混乱を極めた彼女は、どこか的外れなことを考えた。
そうでもしないと、本当に顔から火が出そうだった。
「ずっと気になっていたんだけど。君がユリアンのことを申し訳ないと感じるのは、伯爵家への同情からかい」
「え?」
エルフリーデは突然すぎる話題の切り替えと、その内容に驚く。
だって、伯爵家についての詳しい話なんて、一切していないはずなのに。
「伯爵家は、財産が枯渇していた。頑張って隠していたようだけど、分かる人には分かるよ。でも財政難のはずなのに、伯爵領の税は上がらなかった」
エルフリーデははて、と首をかしげる。
なぜ、ノルベルトはそこまで精通しているのか、と。
「伯爵領の税金が上がらなかった理由は、公爵が支援していたから。気付いてる人は少ないと思うけどね。君とユリアンの婚約の裏に、そんな話があったなんて」
「ではなぜノルベルトは――」
「僕が言いたいのはね」
彼はエルフリーデの言葉を遮り、すこし強めに言った。
「君だって、利用されていたんだよ」
「……」
ノルベルトの言っていることは厳しいが、エルフリーデは頷いた。
「伯爵にも、君のお父上である公爵にも、利用されていた。それなのにあちらの事情で婚約を解消させられて、傷物のようになってしまった」
彼は続ける。
「それでも、君はユリアンに申し訳ないと思うのかい。なにか仕返ししてやろうとか、思わないの」
ノルベルトは静かに怒っていた。
ずっと、怒りを抑えていたのだ。
ユリアンの処遇が甘すぎるわりに、エルフリーデへの配慮が足りてない。
ユリアンにも、伯爵にも、公爵にも、そしてエルフリーデにも怒っていた。
「君はもっと自分を大事にする権利がある。義務と言ってもいい。もっとユリアンに対して――」
「ノルベルト」
名前を呼ばれた彼は、動きを止め、エルフリーデの顔をじっと見つめる。
エルフリーデは、ひどく優しい顔をしていた。
「わたくしのために怒ってくれてありがとう。でも、わたくしはユリアンへの対処はこれでよかったと思ってるわ」
「なぜ?」
「あなたは自分を大事にする権利があるって言ったわよね。私だって、自分は大事よ。……仲が良かったとは言えないけど、これでも十年近くユリアンと一緒にいたの。そんな人にできる仕返しなんてないわ。仕返しなんてしたら、後味も悪いもの」
「いつかその優しさにつけこまれるよ」
ノルベルトはいまだにエルフリーデをじぃっと見つめる。
エルフリーデのほうも、それに屈せず胸を張って言った。
「ノルベルトは、わたくしのことが大好きなのね」
ぼっ……と、そんな音が鳴ってもおかしくないくらいに、ノルベルトの顔は真っ赤に染まった。
「そ、そそ、そうだけど……」
エルフリーデはにっこりと微笑む。
「わたくしは幸せだわ。ギーゼラもね、婚約解消をした後、心配だっていう手紙を送ってくれたのよ。少しツンツンしていたから、怒っているのかと思ったけれど。ノルベルトもギーゼラも、わたくしのことが本当に大好きなのね」
「ん?」
ノルベルトは耳を疑う。
そして思った。ギーゼラと僕の『好き』を、同じものだと思っていないか、と。
彼ははぁ、とため息をついた。
――自分の想いが、ようやく伝わったかと思ったのに。
ノルベルトも哀れなものである。
「エルフリーデ。僕が君と婚約したいのは、ギーゼラと同じ『好き』だからではないよ」
再び婚約の話に戻り、エルフリーデはうろたえる。
彼の言葉の意味が分からないほど、エルフリーデは愚かではない。
「僕は、君のことが好きだよ。お人よしなところも、全部ひっくるめて。でも、それは友情ではない」
彼は一息ついて、エルフリーデの目を見た。
「分かってくれる?」
「わ、わ、分かったわ……」
さきほどとは立場が逆転し、エルフリーデは首や耳まで赤くしている。
もちろん、気が付いていないわけではなった。
だが、エルフリーデは直接男性から好意を寄せられたことがない。だから、彼の想いが果たしてそうなのか、分からなかったのだ。
「あの、わたくし……」
エルフリーデは、彼の想いを聞き、ようやく自分の気持ちも分かった。
――婚約者をわたくしが選べるのなら。もし、そんなことができるのなら。
「わたくしは、ノルベルトと結ばれたい……」
消え入りそうな声で言った。
風が吹いたから、聞こえてないかもしれない。あわよくば、聞こえてなくていい。
エルフリーデはそう思った。
「嬉しい」
ノルベルトの耳には、しっかりと届いていたらしい。
そして――
「なんだか、イイ感じというものではなくて?」
「ええ、なんだか、イイ感じですわ」
ガゼボで顔を赤くするふたりを見ていたクリステルとギーゼラは目を合わせ、にやりと微笑んだ。
「これは、女子会を開かないといけないわね」
ふたりは頷き、さらに不敵な笑みをこぼした。
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