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デウスエクスマキナ

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「エイス……エイスって、あのエイス」
 倉井もとい栄須倉彦は動揺する信吾を視界に入れながら、氷魔法で新たに刀を作り右手で軽く握った。
 信吾の脳内には大海原に聳え立つ半透明な巨大海獣の姿が浮かび上がった。
「エイス……ってことは、そうか、お前はエイスハルヒコの弟なんだな。流亥から聞いたことがあるよ」
「あいつ余計なことを」
「暗くて無口で愛想が悪いけど、兄思いの良い奴だって。だから兄を殺した僕が憎いのか?」
「……」
 倉彦はあくまで寡黙を守り続けた。だが、このやり取りをニタニタしながら眺めるアウルの態度を見て、倉彦の振る舞いも変わり始めた。耳の裏をかいたり、脚をクロスさせたり、とにかく落ち着きがない。
「さ、終わりだよ終わり倉彦くん。私は信吾くんに用があるんだ。君が恨みかなにかを抱えてるのは分かったけど、それはこの物語に関係ないものさ。くれぐれも邪魔しないでおくれ」
「……しらないねぇ!」
 突如目をかっぴらいた倉彦は氷の刀を槍のように投げた。ファスランに当たりそうな起動を描いたそれは、アウルのエネルギー加圧式のハンドガンによって粉々に砕け散った。
「お前はいつでも殺せる。先に……こいつだ!」
 彼は信吾を押しのけながらアウルの元へと駆け寄る。彼の手元から溢れ出る冷気によって、魔王城の中は冷房が効いたアモーニス号のように居心地のよい空間となっていた。
「おぉ怖い怖い。……この姿で人間と戦うのは不利かな」鬼気迫る顔でやってくる倉彦を無視してアウルは簡単に背を向ける。「私は船に行ってくる。信吾くんは強いから私が来るまで耐えられるよね。それじゃ」
 アウルは行ってしまった。この展開で、あまりにも呆気なく居なくなった彼はファスランも連れてバルコニーから姿を消した。
「ちぇっあ!逃げられたか……。あそこまで行くには時間かかる。なら、先にやるべきは」
 倉彦が信吾の方に振り返る。
 嫌な予感がした瞬間、飛びかかってきた氷の刀を両前腕を盾にして受け止めていた。再び振りかざされる氷刀。受け止めきれない残像。火花が飛び、スーツには浅い傷がつき、受け止める体力もなくなってきた。
「聞いてくれ!ハルヒコはユグドラシルシステムに乗っ取られていて意識もなかった!それに、海獣になったら全人類を滅ぼしかねない殺戮マシーンになるところだったんだぞ」
 一瞬にして刃を押し付ける倉彦の力が緩むのがわかった。信吾が急いでバックステップし距離をとると、彼は悲しげな顔で話し始めた。
「人類を滅ぼす可能性があったなら、兄を殺しても良かったのか?……たとえこの行為を、多くの人が認めたとしても、たった一人の兄を殺されたという事実は変わらない」
 この時生まれた隙をついて、二人の間にできたスペースに弓美とウリューが割り込んできた。
「やめないか。二人の間に何があったかは知らんが、今ここで争うべきではなかろう」
「信吾、あの仮面男はなんなの?知り合い……ってわけでもなさそうだけど」
 訳の分からない状況だからか、弓美は泣いていた。
「……そうだ、倉彦!アウルがいるじゃないか!お前にとってもあいつは仇のはず、僕と手が取り合えるんじゃあないか?」
「お前の理論は、正しい」張り詰めた顔で倉彦が言った。「だが、白痴、浅はか。お前は復讐をなんと心得える。復習とは完遂しなければいけないのだ。兄殺しに関わった全てを斬ると僕は誓ったのだ。兄のしに関わった者は、この世界から消し去ってやると決めたんだ!」
 そう叫んだ彼の手には、干からびた根っこのようなものが。漢方薬だろうか。否。
「ユグドラシルシステム……!」
「栄須兄弟のたどる道は同じだ。ユグドラシルシステムでエイスクラヒコになる!」
 彼はユグドラシルシステムを持つ右手を掲げた。
「ウリューさん!抑えて!」
 眉間に指すか何かするつもりだろうと考えた信吾はウリューに腕を抑えるよう言葉と身振りで伝えると、彼は倉彦の腕をがんじがらめにしながら上に乗って押さえ込むという、信吾の思っていた数倍上の拘束を施してくれた。
 また更に、彼の手に握られたユグドラシルシステムは弓美の矢によって弾き飛ばされた。
「観念したか、倉彦」
 彼はウリューの巨体に押しつぶされ顔を真っ赤にしている。
「お前は、いわば実行犯だ。許さない」
「まだ言うかよ!……納得はしてくれなくてもいい。でも、いつかわかって欲しいんだ。僕のやった事の意味を。僕も一緒に背負っていくからさ、今は我慢してくれ」
「ぐぐぐ……そんな、諭すようなこと言ったってむ、無駄さ見ろよこれ」
 倉彦は巨体の圧で充血した目から涙を流し、やたら早口で話す。その姿をやや不憫に思った信吾であったが、彼の目線を追った先で彼の手が血に染っていることに気付き軽い悲鳴をあげてしまった。
「おま、それは!」
「僕の身体から流れ出た血はユグドラシルシステムにも付着しているユグドラシルシステムは生命エネルギーとやらを吸収しても育つらしいんだそれ即ちあいつはこれから急成長して新たなエネルギー源を求め君たちを枝で貫くだろうね!」
「ひゃぁ!信吾あれ!」
「ユグドラシルシステム!ほんとに成長してやがる」
 信吾は素早く手を組み、電撃攻撃をする。だが、その青白い魔法がぶつかると、ユグドラシルシステムは先程の倍の速度でうねり、巨大化した。どうやら成長が更に活性化してしまったようだ。
「復讐の心は砕けない!最も強い推進力を持つ感情なのだ!」
 勝ち誇った声色の彼であったが、次の瞬間にはユグドラシルシステムは落ちてきた瓦礫の下敷きとなってしまった。砂埃が舞い、辺りが一気に煙くなる。
 その時、光が差し込んできた。天井がひび割れている。崩落だ。一枚岩だった天井は今や無数の瓦礫となって彼らの頭上に降り注いできた。
「ライデンバリヤー!」
 信吾は両手を頭上に掲げ半円を描くように手を下げ、電撃魔法の膜でバリヤーを形成する。そのおかげで信吾たちの頭上に落ちてきた瓦礫は蒸発していったが、四人という広範囲を守る為の継続的な魔法の高出力によって信吾の力は枯渇しパワードスーツも解除されてしまった。
 そんな彼が倒れながら見た光景は、天井を押し潰しながら魔王城に降下するクリティアスの空中戦艦、ダウンステージ。
「お待たせ信吾くん。助けに来たよ」
「何が助けだ……人のこと潰そうとしやがって」
 信吾は悪態をつきながら起き上がりそう叫ぶ。彼は徐々に距離を詰めてくるダウンステージに攻撃を仕掛けようとしたが、荒野のように乾燥しきった彼の身体と心では魔法の一滴も放てない。
 戦艦から声が響いてきた。アウルの声だ。
『ほらほら……そのまま大人しくしていなよ信吾くん?それに、この船にはファスランくんも乗っているんだ。君も彼女を殺したくはないだろう?』
 言葉尻のテンションからも彼のニヤニヤした口元が想像できる。
「なんだなんだ、古典的な魔王討伐かと思ってたが、俺らは今夢を見ているらしい」
「ほんと、夢も希望もない夢ね」
 怒涛の展開についていけないウリューと弓美はただダウンステージを見上げて呆然とすることしか出来ない。彼らの力を借りることは望めないだろう。
『それじゃあ信吾くん以外の人間は裏切り者も含めて間引かせてもらうからね』
 ダウンステージの側面にある小さい艦砲、とは言っても戦艦の規模に比べれば小さいと言うだけで単体で見れば充分巨大なそれが、信吾以外の全員をロックオンしたようだ。
 そこから放たれる青白いエネルギー弾はクリティウムを圧縮したものらしく、空間と擦れ合う耳障りの悪い音が辺りに響いた。今の信吾に、これを止める力はない。
「ごめん。また守ってやれないや」
 彼は深い失望の海に沈みなが光を浴びた。そんな時、不快な音を上塗りするように洗練された金属音が響いた。それと同時にクリティウム粒子弾は二つに裂けた。裂け目のできた地点には、倉彦が突っ立っていた。
「倉彦、おまえ……」
「僕はあれだけ綿密に練ったはずの計画を結局成し遂げることができなかったし、タイマンでも勝つことはできなかった。つまりそれは今の僕にお前を殺せないということを示している。ただ感情に任せ暴走しただけの自分は今思い返すだけで惨めに見えてな。なら、僕が今すべきことはお前殺しじゃない……と、思っちまっただけだ」
 倉彦の手には柄しか残っていない刀が握られていた。
「信吾、力を貸してくれ。まだ僕らにもできることがあるはずだ」
「でも……僕にはもう力がない。僕にできることなんて」
「ある。お前の電撃魔法を少量でも艦砲に入れられれば攻撃は阻止できるはずだ。それに、お前が気にしているあの女も巻き込まれることは無い。とにかく、あれを機能停止に追い込むことが先決だ」
 信吾に向けられる期待の眼差し。どうやらやるしか無さそうだ。
「ゴールドマジック……」信吾は胸の前で腕をピンと伸ばし手と手を重ねる。息も絶え絶えな彼に残る力が手に集まった。「ライデン!」彼が叫ぶと重なった手から太い電撃魔法が放たれた。
 それは力強く空間を掻き分けながらダウンステージの艦砲の口に吸い込まれていく。すると、暫しの静寂の後、水色の爆煙と共に艦砲は吹っ飛んだ。
「や、った!できた!」
 カラカラになった信吾はフラフラになりながら両腕を上げて歓喜する。
 だが、その瞬間に、焦げ付いた甲板から新品の艦砲が生えてきたのだ。生き物の如く生まれた艦砲は、発射口を彼らに向ける。
「駄目だよ信吾くん。君の魔法はクリティウムと激しく反応するんだから。危ないからもうやっちゃ駄目だよ。ま、この艦は自然治癒あるから安心してね」
 信吾はアウルの母親のような慈愛の篭もる声に辟易する。全てを出し切った結果何も得ることが出来なかったことで自分がしたことを否定された信吾の心は脆く、風が吹けば壊れてしまいそうな程であった。
「ごめん、やっぱり、僕なにも守れない、勇者には、なれない」
「信吾……」
 彼の口からはどうしようもない自分の総括が溢れ出ただけであった。
 そんな時である。跪く信吾の膝に振動が伝わった。その揺れは次第に強くなり、倉彦も立っていられなくなってしまう程であった。
「今度はなんだ!」
 信吾は思わずダウンステージに向かって叫ぶ。すると、不気味に浮かぶダウンステージの下、地面、魔王城の床が盛り上がり崩れ落ちる。地面を押しのけて何かが上昇しているようで、それが底面にぶつかったダウンステージは左右にバランスを崩しながらゆっくり上昇する。
 まだ土埃でよく見えないが完全に地上に姿を現したそれから、青紫色の光線が放たれダウンステージを攻撃する。本格的に艦首を損傷したダウンステージは魔王城のはるか上空に退避していた。
 徐々に土煙が引いてゆく。
 銀色、黄のライン、巨大な大砲、漏れ聞こえるエンジン音。
「あ、アモーニス……号?いやでも違う。でもこれは一体……」
 彼らの目の前に現れたのは巨大戦艦であった。だが、アモーニス号に牽引されていたあの巨大戦艦とは見た目も異なる。その場にいる全員が呆気に取られる中、かの巨大戦艦からスピーカー越しに声が響いてきた。
「なにしてんだ信吾!早く乗れ!」
 それは英光の声であった。
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