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【1】
しおりを挟む「フェン、天気がいいよー。今日はピクニックびよりだよねー」
フェン、と呼ばれた狼の属性を持つ少女は、毎度のことながら緊張感の何もない声に脱力感を覚えて息を吐く。フェーブルランドの中央統括本部に向かっている途中のことだった。
「何を言っているのだ、お前は」
フェンは蜂蜜色のきれいな瞳を半分まぶたに隠し、思い切りしかめた顔を作った。
こういう表情をすれば、たいていの者は恐れをなしてか、近づいてこようとはしなくなるのを体験上から知っていた。
しかし「相手による」ということも、目の前でランチ一式入っているのであろうバスケットを抱え、能天気ににぱっと笑っている少年、山羊の属性を持つ末吉で学んだのも事実。
「だってさー、ほらお日様も『今日は末吉くんとお出かけしなさい』って言ってるしー」
「言ってないっ!」
何がお日様だ。それはお前の脳内のみのものだろう。
「でもでも、フェン。今日は本当にいい天気じゃない? こういう日は外でランチだよ。降り注ぐうららかな日差し、頬をくすぐる甘い香りのする風、恋するもの同士、寄り添い並んで生命を維持する糧を食する。オレ、今日はデザートにアップルパイ作ってきたんだよ。フェン好きでしょ」
「バカ。黙れ末吉。何が恋するもの同士だ」
好物のアップルパイには心惹かれるが、末吉と何とか同士などと断じて違う。
「またまた、照れないでよフェン。キミの気持ちは分かってるんだから。ちゃんとこの末吉くんが好きって顔に書いてあるよ」
「なっ!」
言われてフェンは、咄嗟に自分の顔に手をやってしまった。
しまったと思っても遅い。それが末吉のからかいだということは、これも何度も経験して分かっているのに。
「赤くなっちゃって、フェンてばカワイイ」
満面に笑みを浮かべて、ますます末吉がまとわりついてくる。これでも子山羊と呼ばれるころは可愛かったのに、いつのまにか自分より大きくなっているのがまたどういうわけか悔しい。
「ええい、よるな。わたしにさわるな」
「もうもう。そんな冷たいこと言わないでよ。このツンデレさん」
「何がツンデレだっ! わたしがいつデレた!」
目を細めて自分を見ている末吉に、堪らずフェンは拳を振り上げる。
けれど本気で殴るわけではない。一応狼の属性持ちだ。殴れば、ひょろりと伸びた痩躯の末吉にケガをさせてしまう。
「わお。その怒った顔もステキだよね。好きだよ、フェン」
「話を聞かんか、末吉!」
何でこの山羊はこんなに能天気なのだ。自分を好きだといって、まとわりついてきて。
たかが属性、それでも属性。本来なら狼と山羊は相容れないもの同士なのに。
もっともこの「フェーブルランド」の住人は誰も等しく平等。多少心理的に属性の影響は受けてはいても、それぞれの種に序列をつけたり属性のまま食い合ったり傷つけ合ったりすることはない。そんなことが起きれば、この世界を構成する秩序の根本が覆り崩壊してしまうからだ。
加えて属性には、なにも狼と山羊だけが存在しているわけではない。姫や王子も当然ながら、兎、狐に魔女や小人など、ちょっと変わったところでは魔王や勇者まで、人の世界にある〈物語〉に登場する者たちをになう属性があった。もちろん狼の天敵と語られる狩人属性だってある。
「末吉、分かっていると思うが、わたしは狼だぞ」
「分かってるって、フェン。キミはひとたび〈物語〉の中に入ればそれこそお日様のような黄金の毛並みを持つ美しい狼になるよね。ふさふさの尻尾は頬ずりしたくなるよ」
うんうん、と思い出したようにうっとりと末吉が目を閉じる。
狼に頬ずりする山羊がいて堪るか。再び拳を握るフェンだったが、それは殴るためではなく、ギリギリ苛立ってくる己の感情を抑えるためだ。爪が掌に食い込むほど握って心を落ち着かせる。
大丈夫だ、ちゃんと時と場合と場所をわきまえている。
「末吉、せっかくの誘いだが、わたしはこれから仕事に行かねばならない」
いつまでも末吉にかかずらわっているわけにはいかない。今日は「仕事」が入っているのだ。
人の世界で数多ある〈物語〉が読まれるとき、住人はそれぞれの属性によって役を割り振られ、メルヒェンゲートから〈物語〉の中に入る。そうして登場人物となって〈物語〉を進行するのだった。ストーリー上、病気や死亡する設定になっていても〈物語〉が終わればすべて元に戻り、またフェーブルランドの住人として次の仕事が入るまで日々を送る。
「え、そうなの? 〈物語〉の中に行くの? 今度はどんな話? フェンだからきっとお姫様だよね。どんなドレス着るんだろう。どんな格好をしてもフェンはステキだけど」
「……『赤ずきん』だ」
フェンは能天気山羊に静かに告げる。狼属性のフェンに与えられた役は当然ながら狼だ。姫などとんでもない。
「『赤ずきん』? それ、本当なの?」
タイトルを口にした途端、末吉が頬をぴくりとさせ、一瞬険しい目をした。
「わたしが嘘を言っていると言うのか、末吉」
これが証拠だと、フェンはゲート管理スタッフに見せるために携えていた指令書を末吉の鼻先に突きつけた。
「何で!? どうして!?」
ばっとそれを手に取った末吉は、見る見る顔つきを変えていく。
「何をそんなに驚いている。わたしの属性は狼だ。だから狼の役をするのは当然であろう?」
フェーブルランドの住人である以上、中央の統括本部から命は絶対なのだ。末吉ごときが異を唱えることはできない。それが住人の義務だ。
「でもさ、フェン。キミは確かに狼属性だけどお姫様だってできるんだよ!?」
それはお前の脳内だけの話にしてくれ。
フェンはやれやれと首を振る。
「バカを言うな、狼は狼だ。他の役がやれるわけがなかろう。だから末吉。わたしには仕事がある。ゆえにお前とランチしている時間はない」
分かったか、ときっぱりと告げたフェンは末吉に背を向け歩き出す。
「待ってよ。フェンが行くならオレも一緒に行く」
「は!? 赤ずきんに山羊は出ていないぞ!?」
何をすっとぼけたことを言っているのかと声が裏返りそうになった。まったくこの山羊が考えることが分からない。
登場設定にない者が物語の中に行けるわけがないのだ。第一メルヒェンゲートを通るための指令書も許可証もないではないか。
「オレはフェンとかたときも離れたくないんだよ」
真剣な眼差しで言い切る末吉に呆れ果てたフェンは、もう何を言っても無駄と悟る。
「……勝手にしろ」
ついて来ようにも、どうせゲート管理スタッフに止められるのは目に見えている。
フェンは溜め息を足元に落とすと、バスケットを携えた末吉に再び背を向けた。
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